アルバニア紀行
世界遺産「千の窓の町」 |
旅の初めに・・・ 2012年4月、アルバニアの旅を計画した。 アルバニアの予備知識としては日本と同様、「鎖国」をした国と知り、大変興味を抱いていた。 更に、国民の半数が「ネズミ講」にはまり、全財産を失うと言う不思議な国である事。何故なのか? |
☆アルバニアとは
アルバニアは第二次世界大戦後はほぼ鎖国状態となり、1978年から完全な鎖国状態となった。経済は低調で、長年欧州最貧国の扱いを受けていた。国民はみな貧しく、ある意味では平等な状態にあった。 1990年代に市場経済が導入された際には、投資会社という名目でねずみ講が蔓延した。ねずみ講は通常、新規参入者がいなくなった時点で資金が集まらなくなり、配当ができなくなることによって破綻する。
国民の半分以上が参加していたネズミ講への利益支払も頓挫して、大量の破産者が街に溢れ帰り、彼らは自分たちの資金を騙し取られたという被害者意識を強く抱き暴動となって行く。 その後は経済回復を続け、2000年にWTO加盟。税制改革や、外資を呼び込もうと誘致活動を行っている。外資の誘致については、インフラが脆弱であることが課題となっている。例えばアルバニアの電力は山がちな地形を生かした水力発電が支えており、水力で総発電量の98.8%を占めている。この水力については、施設の老朽化による電力不足が課題となっている。 ホッジャを首班とする独裁政権下では、国民は渡航規制、外国書物及び放送の規制を強いられており国民にとっては海外の文化や情報を得る手段は無に等しかった。1990年以降の市場開放により、同じヨーロッパに属する隣国イタリアの名物であるピザやバナナといった果物を初めて知ったという国民もいた。 武器を仕入れボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の紛争当事者へ売り払うことによって収入を得、配当を行っていた。他に、国民の半分がはまったと言われるまでにねずみ講が蔓延した理由としては、社会主義国家で鎖国状態であったために国民に市場経済の金融・経済についての教育が行われず、国民が「投資とはこんなものだ」と思い、ねずみ講の危険性に気づかなかったことも挙げられる。また、武器の購入を通じて麻薬などの組織犯罪(アルバニア・マフィア)とも深く関わりを持つこととなり、汚職が蔓延した。ねずみ講投資会社は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の終結とともに破綻した。 |
☆ワンポイント情報
・国名 アルバニア共和国 ・民族構成 アルバニア人が大半 ・面積 四国の1.5倍 ・宗教 イスラム教徒が70%、アルバニア正教会20% ・人口 314万人 ・言語 アルバニア語 ・首都 ティラナ ・産業 農業(小麦・トウモロコシ)、工業、製造業 |
☆ エルバサン
南東ヨーロッパ、アルバニア中央部の町。人口9万7000。海岸から延びる肥沃(ひよく)な平野と内陸山岳地帯の接点に位置し、17世紀ごろから、農業、手工業の一中心地として栄えた。トルコ支配末期の1909年、民族主義者を糾合して行われた「エルバサン会議」はアルバニア独立運動史上重要である。 木材、セメント工場などがあるが、1976年に中国の援助により建設されたアルバニア初の製鉄コンプレックス(企業複合体)は、老朽化のため現在は稼動していない。 マケドニアとの国境の街。エルバサンの城砦がある。 |
トーチカ、攻めてくる敵を狙い撃ち | 主産業はこむぎ、トウモロコシ | 休憩所? |
インフラも整備されつつある | エルバサンは古くはローマ時代にさかのぼる | ローマ遺跡の上に建つレストラン、城壁に囲まれ |
城壁の下で野菜売りの女性達 | 城壁に咲く花 | 城壁門 |
エルバサンの学生達 |
☆ベラート
首都ティラナから車で約2時間半の所に位置する世界遺産都市ベラート。ベラートは何世紀もにわたり様々な宗教・文化を持つ人々が共存してきた平和の象徴のような町。 ベラート城の多くの部分は13世紀に建てられてはいるが、その基礎は紀元前4世紀、アルバニア人の祖先であるイリリア人によって築かれているし、要塞部分には42ものビザンチン時代の教会(その多くが13世紀建設)や、1417年から始まったオスマン帝国支配下に建てられたいくつかの教会も見られる。 また“千の窓の町”“浮かぶ町”と呼ばれ、オスマン帝国時代の町並みが特に美しく残るマンガレム地区とゴリッツァ地区はオスミ川を挟み対面するように位置する。 |
ベラートの看板 | 川を挟んで街は二分 | 夜の「千の窓の町」 |
夕食は世界遺産の町 | 魚のフィレ |
見事な景観 |
正式には、1001個の窓らしい |
崖に建つ教会 | 崖の上には要塞 |
上から要塞、教会、「千の窓の町」 |
要塞の | 要塞入口 | 600人が現在も居住 |
要塞から眺めるベラートの街並 |
左下に「千の窓の町」 |
下が「千の窓の町」、前方に旧市街 |
要塞から見る景色は圧巻 | 要塞の中の家、600人が住む |
ベラートの町のお墓 | いつでも花が絶えないと言う |
☆ティラナ(首都)
ティラナは17世紀にオスマン朝の領主によって築かれた町。 当初は、モスクとトルコ式浴場、パン屋だけであったが、隊商ルートの重要拠点として発展し、1920年にはアルバニアの首都となった。 |
ティラナのレストラン | 前菜からそしてビール | チキンのグリル |
ティラナ博物館 | エザムベイモスクと時計塔 | エザムベイモスクの天井・壁 |
八重桜? | ポトリと落ちそう |
スカンデルベルグ広場の若者達 |
教育が、鎖国やネズミ講から守る |
明るい若者はどの国も宝 |
首都ティラナの町 |
☆侵略される事12回
アルバニアは過去12回もの大国による支配を受けてきた。 ギリシャ、ローマ、東ローマ帝国、ビザンツ帝国、スラヴ人、ブルガリア帝国、セルビア王国、オスマン朝(400年間)、イタリア、ドイツ、そして社会主義国のソ連、中国と続いた。 また、その度にキリスト教、正教徒、イスラム教が導入され、最後のソ連、中国からは宗教禁止令となり、国民は右往左往。 国の指導者はそんな大国の支配から逃れるべく「鎖国政策」、そして国の政策として「ネズミ講」が導入され、国民の半数が破綻に追い込まれた。国民が鎖国で情報が入らず、無知であったからとは一概には言えない。 先進国日本でも未だネズミ講的な仕組みで被害を受ける人々が絶えない。人の業なのだろうか。 バルカン半島の大半6カ国が「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」解体で、争いした経緯があるが、鎖国をしたこの国も国民は苦労を強いられたのだ。 この国の若いガイドが、博物館にある年表の前の昔の指導者の前で、この人たちのエゴイズムと間違った政策でこの国は遅れをとったのです、とポツリと言った事が忘れられない。 |
雨が降っても取り込まないのがこの国 | 建物の壁には模様 | 社会主義時代の巨大無機質な建物が多い |
☆ シュコダル
アルバニアの北西にあるシュコダル湖に面している。シュコダル州の州都。人口は約9万人(2004年)で、周辺地域を含めると11万人に及ぶ。アルバニアで最も歴史のある都市の一つであり、文化・経済面でも重要な中心地でもある。 |
モンテネグロとアルバニアの国境にある湖で、バルカン半島最大の湖である。この名称は北アルバニアの都市シュコドラから名付けられている。 標高6mの位置にあり、面積は370m2から530m2の範囲で変動する。全体の2/3がセルビア・モンテネグロ領、残りの1/3がアルバニア領である。 モンテネグロ側の湖とその周辺地域は、1983年に国立公園に指定されている。この地域はヨーロッパ最大の鳥類の保護区であり、約270種の鳥が生息している。狩猟鳥やヨーロッパでも残存する生息地の少ないペリカンなどがいる。 1996年、ラムサール条約の「国際的に重要な湿地」に登録された。 |
ロザファ要塞(山の上) | レストラン庭の花 | アルバニアとモンテネグロの国境 |
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旅を終えて・・・ 「鎖国政策」も「ネズミ講」もやはり時の権力者の野望と自分の利益が最優先の様であった。 だが、国民の半数は犠牲になり暴徒化したが、残りの半数はとどまっていたのだ。理性はあったのだ。ここに人間の業の深さが目に付く。 マケドニアとアルバニア、情報がそれほどなく未知の国であった。自然が素晴らしい国で、これからが観光に注目されるだろう。ワインも非常に美味しかった。 おわり |