ベ ト ナ ム

2,004年にベトナム:ホーチミンに行き、ベトナム戦争の悲惨さを見てきた。今回2,009年12月は、当時北ベトナムの首都で、現在は南北統合後のベトナムの首都ハノイを訪れた。同時に、ハノイから車で3時間の景勝地、世界遺産のハロン湾にも足を伸ばしてみた。

                ベトナム:ホーチミン編のホームページはこちら=http://www.asahi-net.or.jp/~vt4a-srht/betonamu.html


  

   成田からハノイまでベトナム航空で所要時間6:20、時差は2時間     12月の札幌は温度0度程度で雪がチラホラ。一方ハノイは最低が15度程度だが最高は22度内外


ベトナムの歴史

年   代

 統治者

 統治国

情   勢

 紀元前30万年前  ・ ・旧石器時代の石器
 紀元前1万年前 〜前5,000年 ホアビン文化 (洞窟、岩陰生活) ・原始農業の発生、土器の出現
 紀元前8,000年前〜前6,000年 バクソン文化 (洞窟、岩陰生活) ・新石器時代
 紀元前4,000年前〜 ダブット文化、クィンヴァン文化 ・狩猟、漁労、農業
 紀元前3,000年頃〜 バウチョ文化、ハロン文化 ・農耕、漁労
 紀元前2,000年前〜前1,000年 階層文化となる(リーダー出現) ・農耕、青銅器使用
 紀元前8世紀〜紀元後2世紀 首長が統治(階級社会) ・鉄器
 紀元前111年〜939年(ベトナム独立) 扶南王国 中国:漢(1,000年間続く)中国王朝により変化する
 1,010年〜1,225年 李王朝 ・ベトナム初めての長期王朝、仏教導入
 1,225年〜1,414年 陳王朝 ・自国文字となる。国の基幹が出来る
 1,414年〜1,428年 黎(後の胡氏) 中国:明(13年間)

中国はベトナム固有の言語、風俗を排斥し、暴政を敷く。

 1,428年〜1,786年 黎利王朝〜南北分裂〜動乱続く ・動乱の時代
 1,786年〜1,940年 阮映王朝(皇帝:嘉隆) フランス(154年間)第二次世界大     戦終了まで阮映がフランスの力を借りたため、以後フランスの植民地となる。
 1,940年〜1945年 ベトナム共産党 日本、ビシー政府(敗戦後のフラ         ンス政府)日本軍はインドシナ進駐を計り、日仏の二重支配となる。
 1,945年〜1,950年

 北ベトナム=中国=ホーチミン       南ベトナム=フランス傀儡政権                第一次インドシナ戦争(フランス/ベトナ                                          ム)

 フランス、中国第二次世界大戦で日本が敗戦、ポツダム宣言で、ベトナム北部は中国、南部はイギリス(後にフランス)統治となる。
 1,950年〜1,960年

北:ベトナム民主共和国(中国、ソ連)     南:バオダイ・ベトナム国(フランス・アメり       カ傀儡政権)     

 北ベトナム=中国、ソ連

 南ベトナム=フランス、アメリカ

南北分裂
 1,960年〜1,975年 北:ベトナム民主共和国                  南:ジェム政権(アメリカ支援)対南ベ    トナム解放民族戦線                  第二次インドシナ戦争(アメリカ/ベ         トナム) アメリカ、中国、ソ連

インドシナ戦争でフランス軍は消耗し、アメリカに今後依存する。

ベトナム戦争勃発(1965〜1975)

 1,975年〜1,988年 「ベトナム社会主義共和国」(南北統    一)誕生。共産党主導。 中国、ソ連南ベトナム「サイゴン」陥落。
 1,988年〜1991年 「ベトナム社会主義共和国」 ソ連中国と紛争(原因1.アメリカと中国の接近でソ連に支援要請 2.中国と国境紛争 3.ベトナムのカンボジア介入、中国はポルポトのカンボジア支持で対立)
 1,988年〜現在 「ベトナム社会主義共和国」 ソ連崩壊」で全方位外交

ドイモイ(刷新)政策、市場経済の導入  中国、フランス、日本、アメリカ、アセアン、台湾、香港、イギリス、オーサトラリア等と外交、援助が受けられ事となる。

 ・ 政治体制は社会主義、経済は市     場経済(自由経済) 紀元後2,000年の間におよそ                    1,200年間統治されてきた。

東南アジアの多くの国は、通常歴史的にヨーロッパ諸国やソビエト、中国、アメリカからの侵略で、近代化が遅れてきたと言える。ベトナムはその代表的といえるだろう。隣国の中国から、そしてソビエト、フランスから一時期ながら日本からも統治の歴史もある。

紀元後2,000年の間に何と1,200年も他国に統治、支配されてきた。中でも悲劇的なのは、アメリカとソビエト、中国の代理戦争となる北ベトナム、南ベトナムによる10年間に及ぶベトナム戦争である。アメリカが散布した枯葉剤の後遺症が現在でも残っていることに、日本の原爆悲劇と共に世界中が忘れてはならないのである。

ハノイ市街

   

深夜遅くハノイのホテルに入る。翌朝朝食は、ベトナム名物「フオー」米麺で具材はトッピング。毎朝美味しい。     ホテル前や道路の角で朝食の屋台。肉を切りフオーに。

    

  ホテル前の喧騒、バイクの通勤。夜は家族で4〜5人乗り。     バスもバイクが多く走られない。      信号が変わると前方からアリの大群のようにバイクが出てくる。

                 動画 : ベトナム:ハノイ市内の一こま     http://www.youtube.com/watch?v=meQ7XUCUDuc&feature=channel

    

  たまにはベトナム特有の三角傘に天秤棒を担いだのどかな姿も    ベトナムの朝の屋台での朝食風景          ハノイ市街のデートスポット、ホアンキエム湖

  ベトナム人の朝食                                                              ベトナムは四季を通じて温度が高く、家の中も暑い。電化製品の普及率も低いためエアコンは殆ど無い。テレビも5年前で50%程度、その他も同様。ベトナム人の男子の給料は月額15,000円程度。唯一の家族のレジャーはバイク。エアコンが無く家にいると暑いので涼を求めて深夜まで家族で街中をブンブン。

そのバイクの値段は150,000円(日本車5万円程度の3倍)。シビックは4,000,000円(日本の2倍以上)。せめてバイクを、と言うわけで、男は昼間だけではなく夜も働く。それでも足りないので、女性も共働きが当たり前。だから、朝も夜も街角の屋台でフオーやお粥の食事が当たり前。暑いので台所の火は使えない、奥さんは疲れているから食事は作らない。しかし、うまくしたものでこれが旨くて安い、50円〜200円程度。

   

ホーチミン廟 ベトナムの民族的英雄、ホーチミン主席の遺体がガラスケースに安置

郊外へ

    

ハノイから東へ行き先はトンキン湾のハロン湾、車で3時間。トウモロコシ畑が延々と続く。 ドライブインの売店のお姉さん、帽子を買えと迫る。  民家の軒先で果物売り

ハロン湾

ハロン湾ベトナム北部、トンキン湾北西部にある湾で、大小3,000もの奇岩、島々が存在する。漢字表記は下龍湾。伝承では、中国がベトナムに侵攻してきた時、龍の親子が現れ敵を破り、口から吐き出した宝石が湾内の島々になったと伝えられている。 現在は無人だが、約7,000年前の新石器時代にはわずかに人が住んでいた。また、数世紀前までは海賊の隠れ家として利用され、また モンゴル軍の侵攻の際には軍事的に利用された。

彫刻作品のような島々の景観は、太陽の位置によって輝きが変化し、雨や霧によってまた趣のある雰囲気を醸し出す。 地質学的には北は桂林から南はニンピンまでの広大な石灰岩大地の一角である。石灰岩台地が沈降し、風化作用によって削られ、現在の姿となった。まさに「海の桂林」とも呼ばれている景勝地である。

1994年にユネスコの世界遺産(自然遺産)指定。 しかし、訪れたこの時期は、湾のあちこちでホテルや別荘地が盛んに建てられていた。景観と言う概念にはふさわしくない建物で、いずれ問題となろう。


    

   ハロン湾の1席35人乗りクルーズは1人150円           二階建て船は沖で1泊、ヨーロッパ人が多いという。       こちら平屋建ては1時間コース。

    

       この辺の漁師の小船は絵になる               クルーズ船の中で昼食。勿論内容はこの湾で取れた魚介類。ベトナムビールも美味しい。

    

             タコやイカ入りの野菜炒め                  魚の空揚げ     ベトナム料理は世界中の料理の中で、日本人の舌に一番合うかもしれない。

    

   親子の果物売りの小船が次から次へと乗り込んでくる            魚貝の「いけす」に寄り、好みの魚貝を買うと、クルーズ船で料理をサービスしてくれる

                               ハロン湾水上市場での動画 :  http://www.youtube.com/watch?v=FJt5ZvyTAmU&feature=fvw

    

   カニが評判らしい。1匹2,000円で買ったが味は同じだ           湾を巡る小型船スーパ?                     360度、このような不思議な景色

    

              ハロン湾MAP : 2つの島を結ぶバイチャイ橋は日本のODAにより完成               大きな島に寄る冒険島探検?   島にある鍾乳洞

                            ♪  島と島とが つながるの〜 ♪ http://xpp.sakura.ne.jp/mutual/fest/song/32002.php  

     ODAとは? 政府開発援助。開発途上国の経済開発や福祉の向上を目的として、先進国政府が実施する無償資金協力、技術協力等を言う。

     

                すこ〜し豪華な、ハロン湾沖にて宿泊する二階建クルーズ船             ハロン湾で最も有名な「闘鶏岩」  絵になる光景NO1!

     

  夕食は今夜のホテルで、ベトナム料理は魚貝、野菜中心でヘルシー。   今日の疲れはフット・マッサージ            1時間2,000円でたっぷり全身マッサージ

    

    バスの車内では、モンキーバナナのサービス           ドライブインの民芸店、油絵を描く少女。 この民芸店はベトナム戦争被害者の子孫だが、体に障害を持って   生まれてきた人ばかり。憎むべき戦争!

民芸店での動画 http://www.youtube.com/watch?v=oDA9lCl4hjs&feature=channel

    

     ハノイに戻る農村風景、パイナップルの木   ベトナムの裕福な人々の住宅は3階建て。皆縦長!どうしてだろう?  発展途上のベトナムの家屋はこういうのが多い

    

    国道沿線でフランスパンを売るたくましい小母ちゃん           こちらは果物。                       陶器の村「バッチヤン村」

    

    常夏の国ベトナムは果物が美味しい                夕食はハノイの人気レストラン                   先ずは「フオー」から       

   

    

 日本の焼き鳥とつくねもどき。だから日本人にはピッタリなのだ。       あどけない少女がサービス                 今日はメインがカレー料理

    

          ミュージックサービスも                        機内の軽食                        ベトナム航空機

              動画:ミュージック付食事風景    http://www.youtube.com/watch?v=6uLnMJY9e2U&feature=channel


ベトナム・アオザイ人形

  

                                      ベトナム:ハロン編 おわり

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