ボリビア紀行
白い大平原、ウユニ塩湖の面積は12000平方?。東京都の5倍の広さ |
旅の初めに・・・ 2012年10月。 何でも日本一、世界一と言う言葉にひかれる。かなり暇なせいであろう。好奇心と言うようなことではなく単に野次馬的な考えであろう。 ウユニ塩湖なる所を訪ねてみたい。ボリビアと言えばキューバ革命のチエ・ゲバラの終焉の地でもある。ボリビアでのゲバラの評価も気になるところ。 しかし、途上国ゆえ劣悪な環境は覚悟せねばなるまい。各種薬品を詰め込んで出発! |
新千歳〜成田〜ロザンゼルス〜リマ(ペルー)〜サンチャゴ〜カラマへ。そして国境を越えてボリビアに入る。 飛行機を5回乗り継ぎ。飛行時間24時間、待ち時間8時間、合計32時間の長旅であった。機内食は5回、軽食も数回、ワイン・ビールは何杯飲んだであろう? とにかく遠い、地球の裏側は・・・ |
カラマから国境を越えてボリビアのヴィジャ・マルへ |
☆ワンポイント情報
・国名 ボリビア多民族国 ・民族 先住民55%、混血32%、欧州系13% ・面積 日本の3倍 ・言語 スペイン語 ・人口 1,050万人 ・宗教 カトリック95% ・首都 ラパス(人口87万人) ・主産業 鉱業(亜鉛、錫、鉛)、農業(大豆、木材、砂糖) |
☆チリ〜(国境)〜ボリビア
チリとの国境、こんな国境事務所は初めてだ | ボリビアの地方は舗装道路が無い。大平原を何処でも走るのでトヨタのランクルが人気。しかし中古でボロボロ。埃が入るのに閉口 |
不毛の大地を走る | 比較:こちらはモロッコの大草原 |
ようやく小村に到着 | 粗末な市がある |
トイレタイム | 民族衣装のオバちゃん |
☆ラグーナ・ブランカ (白い湖)
白い湖:白い理由はボラックスという鉱石 |
☆ラグナ・ベルデ (緑の湖)
ラグナ・ベルデ(緑の湖)とは、ボリビアのアルティプラーノ南西部にある塩湖。 チリとの国境、リカンカブル火山のふもとのポトシ県スル・リペス郡内にある。湖の色は銅鉱物を含む沈殿物による。 |
ラグナ・ベルデ案内板 | 緑が映えている | 白いのはヒ素 |
野生のビクーニャが現れた | 野生のビクーニャ |
ビクーニャ 南アメリカ大陸のアンデス地方に棲息する草食性哺乳類の一種。ラクダ科に分類される、有蹄類である。 南アメリカ大陸で進化した動物であり、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチンに分布し、標高約3,700- 5,000mの高地の草原に10頭前後の群れを作って生活する。 体長(頭胴長)約130 - 160cm、体高(肩高)約85cm、体重約33 - 65kg。全身断熱性に富む体毛で覆われている。 ビクーニャの毛織物製品は高級品として取引される。体毛が細いため、糸に紡いで利用される。毛は動物界で最も細く、100分の1mmといわれている。2年に一度しか毛の刈り込みは許可されておらず、1回の刈り込みで成獣1頭につき250 - 350gの体毛しか得られない。 |
☆ダリの砂漠
スペイン出身のダリ | 大平原に岩が数個 | 「記憶の固執」に似ていると言うが |
道路はオフ・ロード、舗装も整備もしていないが凸凹は無い、貧困の国には助かる環境? |
☆ソル・デ・マニャナ
「Sol de Mañana(ソル・デ・マニャーナ)」とは、スペイン語で「朝の太陽という意味。 標高4,870mにある間欠泉の一種。地中からボコッボコッと泥が噴き出している様子はまるで地獄谷で、地球の息吹を感じることができるところ。また、この泥にはミネラル分が多く含まれている。 ソル・デ・マニャナにある温泉 |
ラグーナ・チャルビリの小屋 | 大平原に温泉が |
源泉かけ流しなので綺麗 |
ラグーナ・チャルビリの小屋 | ラグーナ・チャルビリでピクニック・ランチ | ピクニック・ランチ |
白いのは塩 | なかなか良い湯加減 |
間欠泉 | 間欠泉 | 間欠泉 |
☆ラグーナ・コロラド (赤い湖)
3万羽ものアンデスフラミンゴが生息する赤い湖 |
赤いフラミンゴ |
奥の方にも一列に並んで、その数、無数 |
☆ヴィジャ・マル(小村)
標高3995m、人口100人程度の貧村 | ホテルと言うかロッジというか・・・岩の下 | 愛想のよいワンちゃんがお出迎え |
ウエルカム・ドリンクはマテ茶、高山病に効くとか | 夕食は野菜スープ | 羊グリル |
村の学校の先生と教え子が演奏出張 | ホテル全景、映画のロケみたいだ |
ホテル前には綺麗な小川がサラサラ、そう、ボリビアは春なのだ | 向かいにも岩山を利用したホテルが |
岩の谷 | 剃刀で切ったような | 人形劇? |
大平原が続く | コロラド川? | ビクーニヤの群れ |
☆銀・錫で栄えたサン・クリストバル
クルピナ・カの街 | レストランの看板は立派だが、店は? | 長閑な街です |
村の一番の繁華街 | 山も不毛 |
小学生が授業を終えて、表情が硬い | 集まって来た。好奇心一杯 | 門からドンドン出てきた |
明るい子 | 押すな押すなと寄ってくる | ポーズを取る子 |
ランチ・タイム : ピクニックランチはドライバーが作って運ぶ |
恐る恐るリヤマの串刺しを食べる | リヤマは美味しい |
サン・クリストバルの教会 | サン・クリストバルの教会 |
鉄道墓場 | 鉄道墓場 |
☆ウユニ塩湖
ウユニはボリビアの西側にある小さな町。塩の生産と観光が産業のほとんどを占めている。 ウユニ塩湖はボリビア中央西部にある塩の大地。標高約3,700mにある南北約100km、東西約250km、面積約12,000平方キロメートル(四国の2/3) の広大な塩の固まり。 乾期(7月頃〜10月頃)には塩原はほぼ乾いておりその上を自動車で簡単に走行できるが、雨期には若干の水が溜まり場所によっては自動車による走行ができないところも現れる。 アンデス山脈が隆起した際に大量の海水がそのまま山の上に残されることとなった。さらにアルティプラーノは乾燥した気候であったこととウユニ塩原が流出する川を持たなかったことより、近隣の土壌に残された海水由来の塩分もウユニ塩原に集まって干上がることになった。こうして世界でも類を見ない広大な塩原が形成された。 この塩原は高低差が50センチしかないことが調査により判明しており、「世界でもっとも平らな場所」でもある。そのため、雨季に雨により冠水すると、その水が波も立たないほど薄く広がるため、水が蒸発するまでのわずかな期間に「天空の鏡」と形容される巨大な鏡が出現する。 塩原の周囲に住む人たちは、塩を国内外に販売している。一般の食用の塩は、湖の表面の塩を削り取り1m程度の高さの小山を作って乾燥させて作る。 塩原の中程には、観光客用に塩で作ったホテルが建てられている。壁もテーブルもベッドも全てが上記の塩のブロックで作られている。 ウユニ塩原はリチウム埋蔵量で世界の半分を占めると見積もられている。電気自動車の電池などリチウム需要は将来的に高まると予想され、新たなリチウム産地としても注目されている。 同じく塩原の中央付近に「魚島」という島がある。高さおよそ40mの島には、サボテンが多数生えている。 ・・・ウィキメディア フリー百科事典より・・・ |
白い塩の大平原 |
車は縦横無尽に走る | 標高3650m、富士山の9合目あたりか |
塩精製工場 | 塩精製工場 | 袋に詰め込み入口を火で溶かして封をする |
出来あがり。5個で1ドル | 出来あがり。5個で1ドル |
塩湖の土産物店、塩で作られている |
塩湖の民芸品店 |
☆塩のホテル「パラシオ・デル・サル」
塩湖には3件のホテル | 一番新しいホテルの様だ、1白1人3万円とか |
ロビー床も柱もカウンターも塩 | ウエルカム・ドリンクは塩ではない |
応接セットも塩 | 暖炉も塩 | レストランのテーブル、椅子も塩、だから動かせない |
ウユニ塩湖の夕陽 | この後、塩湖は真っ赤に染まる |
暖炉に火が入る | 標高3650mで飲むビールは良く効く | 野菜はビュッフエ・スタイル |
キヌアスープ | チキン塩焼き | チキン塩焼きがこれまた旨い |
参考 : 塩焼きならば、モンゴルのマトンが最高 | モンゴルの塩焼きマトン |
ベッドも天井も塩 | 天井の模様 | 塩のしずくまで演出 | 暖房は24時間 |
ビリヤード台も塩 | 壁全部が塩 | バー・カウンターと椅子も塩 |
コーヒーはセルフサービス | 2階への階段も当然塩 | 二階から見る塩のホテル |
二階の休憩コーナー | 応接コーナー |
☆塩湖で戯れる
表面の塩を取っても下からの水ですぐ補充される | 三角の山にして乾かす | トラックが精製工場に運ぶ |
ドライバーが遊びだした | 塩湖の中心点には二つの目が、水が噴き出してくる |
朝日新聞記事 詳細 → 南米リチウム争奪戦 塩湖の底に世界の8割 ←(クリック) |
雨が降ると一面この模様 | 雨水が作る芸術 |
手の平に人間 | コーラの瓶の上に立つ | 車が巨人に押しつぶされる |
コップの中の人間が食べられる | 怪獣が車を襲う |
巨人が皿の上の人間を食べてしまう |
塩湖のまん中から3時間でトゥヌパ山(5,432m)へ |
トゥヌパ山(5,432m)入口 | 来し方を見やる |
サボテンの花一輪 | ミイラの看板 | ミイラはこの洞窟らしい |
トゥヌパ山(5,432m)火山で犠牲になった人のミイラ | 800年〜1000年前のインカ時代のミイラ | 高所(3925m)で寒いので維持されている |
高度計は標高3925m | サボテン |
☆インカワシ島
無数のサボテンは過去に植えられたそうで、1年に少ししか成長しないそうだ。 |
塩湖のほぼ真ん中に位置 | サボテンが見えてきた |
観光バスなど多数押しかける | 無数のサボテン | 四駆が勢ぞろい |
サボテンの花 | 雨後のタケノコ? |
インカワシは塩湖のまん中 |
白い花 | サボテンのオスはすっくと一本 | メスは枝分かれ、意味深ですな〜 |
頂上 | 塩湖を走るバスが点の様 |
地元の高校生 |
サボテン紳士 | 竜巻で円い円が描かれる |
ピクニック・ランチ | テーブル |
☆サン・ペドロ・デ・ケメス
夕食:スープ | パン | チキングリル | フルーツカクテル |
ボリビア鉄道 | 元来たチリへ戻る |
☆ボリビア略史
・約3,000年前 プレ・インカ文明 ・10世紀頃 インカ族の侵入 ・1400年 インカ帝国の一部となる ・1532年(292年間) スペインの植民地 ・1824年 独立。シモン・ボリバールの援助 ・1879〜1883年 チリとの争いで敗れ、太平洋岸地帯を失う ・1903年 ブラジルとの争いで国土の一部を失う ・1928年〜1935年 パラグアイとの争いで国土の一部を失う ・1964年 軍事政権 ・1966年〜1967年 キューバ革命の指導者「チェ・ゲバラ」がボリビア革命の指導中、捕えられ戦死。 ・1982年 民政移管 ・2006年 ボリビアでは初の先住民出身となるエボ・モラレスが大統領となる。 |
☆ボリビアとは
首都ラパス( 標高4000mを超え、世界でもっとも高い都市といわれる) |
ボリビアは国の面積がアメリカ大陸では8番目に大きい国であるが、かつてはより広大な国土面積を有していたが、周辺国(チリ、ブラジル、パラグアイ)との戦争に負け続けたために現在では最大時の半分ほどになってしまった。 独立前はアルト・ペルー(上ペルー、高地ペルー)と呼ばれていたが、独立に際してラテンアメリカの解放者として知られるシモン・ボリバル将軍と、アントニオ・ホセ・デ・スクレ将軍に解放されたことを称えて、国名をボリビア、首都名をスクレ(旧チャルカス)と定めた。 2001年に世界最大規模の天然ガス田が発見され、ボリビア経済再生の頼み綱となっている。 南部のウユニ塩原には推定540万トンのリチウム(世界埋蔵量の半分以上)が埋蔵されていると見積もられているが、ボリビア政府にはそれを抽出する技術も資本も持ち合わせていない、という事情がある。 |
首都ラパス 中心街の標高は3600m強で、すり鉢状の地形を持つ。その高さから雲の上の町と呼ばれる。 おおざっぱに言うと、すり鉢の底の部分に高所得者が、縁の部分に低所得者が住んでいる。 山岳地域からの雪解け水や地下に水脈があるため、水に不自由することはほとんど無いが、インフラ整備が遅れているため、断水することがしばしばある。 空気が希薄であることと、ほとんどの家が「アドベ」とよばれる日干しレンガで造られていることから、火事はめったに発生しない。 空気が希薄なために、吸っていないタバコの火が消える、ビールやコーラが激しく泡立つ、袋菓子、シャンプーなどが膨れあがったり破裂する、輸入品の粉クリームのふたを初めてあけるときに粉が吹き出るなど、高地特有の様々な現象が起きる。 酸素が不足するため、旅行者は高山病にかかりやすい。 急な坂だらけの街であるので、長く住んでいる人でも息が切れて苦痛を感じることが多い。 空港には酸素マスクが常備されている。高山病にかかったときにはコカ茶を飲むと症状が緩和されると言う。 |
☆チチカカ湖 (参考)
チチカカ湖は、アンデス山中のペルー南部とボリビア西部にまたがる淡水湖。 標高は3810mほどである。湖面の60%がペルー領で、40%がボリビア領となっている。 「汽船などが航行可能な湖として世界最高所」と言われる。 湖中には、41の大小の島々がある。島では農耕や漁業、観光などに携わって生計をたてて暮らしている。 彼らは約450年前に陸地から逃れて湖上に住み着いたと言われ、現在でも多くの浮島を集めたウロス島に700人ほどが残り、観光客を相手に生計を立てている。 |
☆チェ・ゲバラとボリビア
ゲバラはキューバ革命後、1965年中にコンゴ民主共和国に渡り、コンゴ動乱後混乱が続く現地で革命の指導を試みたが、コンゴの兵士達の士気の低さに失望する。 カストロとの会談の後、新たな革命の場として、ボリビアを選んだ。しかし、独自の革命理論に固執したため、同士の協力は得られなかった。 ゲバラを危険人物とみているアメリカCIAの指示で捕えられ、ボリビアの小村イゲラで最後となる。政府軍兵士に右脚の付け根と左胸、首の根元部分を計3発撃たれたが絶命せず、最終的には別の兵士に心臓を撃たれて死亡した。 銃撃を躊躇する兵士に向けて放った「落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ」が最期の言葉であった。 ゲバラの生涯と思想は、反米的思想を持つ西側の若者や、冷戦下における南アメリカ諸国の軍事政権下で革命を目指す者たちに熱狂的にもてはやされ、その写真は1960年代の後半頃からTシャツやポスターに印刷されるシンボルとなった。南アメリカ諸国の大学では、現在でもゲリラ時代のゲバラの顔を描いた大きな垂れ幕を掲げているところがある。 「風はキューバから吹いてくる」という名文がある。 |
旅を終えて・・・ ウユニ塩湖はとにかく広大であった。東京都が5つも入る大きさである。その塩湖の下に大資源が眠っていると言うから夢がある。 しかし、この国は貧しい。生活費が月に2000円程度とか。だが、それでも生活は出来ている。文化生活などとは縁も無い生活の様だ。知らないからそれでいいのだろう。何が幸せかは決められない。 3日間ボリビアを四駆で走り回ったが閉口した。トヨタ車の中古で、中国・韓国の新車より信頼があると言うが、隙間だらけで窓も壊れているので自車のタイヤの粉塵が入り息苦しい。夕方トランクを受け取ると赤や青のトランクの色が白い色に変身している。 自分も、まさに誇り高き男に変身している。 観光と言えど、塩湖の他には見るべきものは殆ど無い。だから、ガイド兼ドライバーは鉄道の墓場や、変わった岩場、湖や間欠泉、フラミンゴ、リヤマなどの動物が出てくるそこから離れない。時間調節なのだ。自然愛好家にとっては素晴らしいのかもしれない。 一度は行っても二度までは・・・そんなボリビアであった。 終わり |