ブルガリア共和国 紀行
☆ バラの国:ブルガリア
ブルガリアの夏は、バラとともに幕を開ける。 | 「バラ祭り」が催され香水用のバラがいっせいに摘み取られ、踊りや音楽で町は華やかににぎわう。 |
☆ 場所はヨーロッパ、黒海の西に位置、ドナウ川が国境を分ける
ブルガリアワンポイント情報 ・面積 日本の1/3 ・人口 752万人 ・首都 ソフィア (人口149万人) ・民族 ブルガリア人84%、トルコ人10%、ロマ5% |
旅行のポイント 2011年6月、ヨーロッパの東にあり黒海に面する、ブルガリアの旅を企画した。 ブルガリアで思い出されるのはヨーグルト、バラ、そして近年は琴欧州位であろうか。 |
☆ 首都:ソフィア (人口149万人)
ホテルから見た夜のソフィア | 朝のソフィア (標高550m、盆地に位置) |
赤い屋根、白い壁が印象的 | ヨーロッパでもいまだ最も貧しい国柄 | バラの国らしくバラが多い |
14世紀、オスマントルコの治世下、規制がありこのような半地下式の建物を作らざるを得なかったキリスト教教会 奥の丸い屋根は、イスラム教のモスクが堂々と地上に。 | 地下から見た「聖ペトカ地下教会」。外観は窓もなく質素だが、内部装飾はすばらしい。 | 入口上にはイコン画 |
動画 ・・・ 地下教会 |
イスラム・モスクの隣(時計塔)にはユダヤ教のシナゴーグ(集会所)がある。 | ユダヤ教シナゴーグとイスラム・モスクの反対側にはブルガリア正教会の教会が建つ。町の一角に4つの宗教施設があるのは世界でここだけ。 | 大統領官邸には衛兵が立つ |
ブルガリア国旗(左)とEU 国旗 | ソフィア市内の公園 | 公園の片隅にはチェス用のベンチが |
初夏の花 | バラがあちこちに |
街で見るソフィア美人 | 皆さんスタイルが良い |
信号があるが、古都で道が狭いので警官がここで手信号をする。 | 日本から送った桜は友好のしるし | その桜の枝には、東北大震災のお見舞いにと折鶴が。 |
初期キリスト教会堂の「聖ソフィア教会」 | 5000人を収容する「アレクサンダル・ネフスキー寺院」 | 世界遺産の「ボヤナ教会」は11世紀に創建 |
☆ ソフィア郊外へ
ブルガリアは農業国 | 高速道路にはマクドナルドとシエルのガソリン・スタンド |
コウノトリが多い田舎町 | 家屋の屋上には多くの巣とそこに雛が見える | ランのような花 |
ブルガリアの経済 農業(穀物、酪農)、化学、石油化学、食品加工が主体。 通貨の正常保持、企業の民営化の加速、正常な金融政策の実行および構造改革の追求などの経済政策を維持することが課題と云われている。だが未だ高い失業 率や低い生活水準に直面している状態である。 |
☆ リラの僧院へ
ソフィアから65km、リラに行く途中のレストラン | 中国人もちらほら来ているレストラン | 周辺の川でとれるマス料理 |
リラの僧院入口、ブルガリア正教の総本山 | ブルガリアは500年間オスマントルコに支配されるが、この僧院だけは規制を受けなかった。 | 14世紀創立。360の房に最盛期3600人の僧が寝起きしていたが、現在は7人しかいない。 世界遺産 |
動画 ・・・・・ リラの僧院 |
壁画、彫刻、聖画像(イコン)が鮮やか | 子供たちも見学に、しかし若者の宗教離れは著しいらしい。 |
リラの花 | 白いリラも満開 |
☆ ブルガリアの食事
サラダには沢山のチーズ | 牛肉入りのスープ | メイン料理はひき肉の炭火焼とハンバーグ、大変美味しい |
◎ブルガリアの名物料理 |
ブルガリアのポストは黄色 | 街の主要交通はトロリー・バス | 女の子 |
☆ プロヴディフ(ブルガリア第二の都市)
民芸品売り場の女性 | ローマ劇場 | 昔は土地の税金が高かったのでこのように |
民芸品売り場 | 人口38万人、一時マケドニアの主要都市でもあった | 「ヒサル・カピヤ」(要塞門)はマケドニア、ローマ、オスマンと統治国が変わる。 |
古代歴史建造物を描く少女 | 小麦がそろそろ収穫時期 | 国の至る所にポピーの花 |
セロリ入り冷製ヨーグルト・スープ、実に旨い | 地ビールも旨い | 本日はヤキトリ |
☆ トラキア人の墓 (世界遺産)
トラキア人の墳墓は紀元前4世紀頃のもの | 戦闘場面や葬送儀礼の様子がフレスコ画で残っている |
☆ バラ博物館 (カザンラク)
看板 | バラの花 3 トンから 1リットル しかオイルが取れない | バラ祭りは毎年6月、世界から見物客が押し寄せる |
花が咲くとスグ切り取り、オイルに | 近辺の畑は全部がバラ畑 | 色とりどりのバラ |
☆ ヴェリコ・タルノヴォ (第二次ブルガリア帝国の首都)
人口7万人の地方都市 | 「ツァレヴェッツの丘」は全体が宮殿であったが、オスマントルコによって瓦礫の山にされた。 | 民芸品店 |
前菜は冷製ヨーグルトの固めたクリームもどき? | メインデッシュは肉じゃが もどき? |
☆ この地 「ヴェリコ・タルノヴォ」 は琴欧州の出身地
ヴェリコ・タルノヴォの宿泊先ホテルには琴欧州の新聞記事が。この近くが出身地。 |
☆バラ精油
バラ精油は治療作用、アロマセラピー効果もあるという | イコン画 | バラ石鹸 |
バラ・クリーム | たくさん買ってね〜。高くて買えねぇ〜。 | バラ・シャンプー |
ある日の朝食+パン |
EUに新規加盟するための基準 民主主義、法の支配、人権および少数民族の尊重と保護を保証する安定した諸制度を有すること(政治的基準) 市場経済が機能しておりEU域内での競争力と市場力に対応するだけの能力を有すること(経済的基準) 政治的目標ならびに経済通貨同盟を含む、加盟国としての義務を負う能力を有すること(EU法の総体の受容) 具体的な条件 財務内容。高速道路や新しい主要幹線を作る。観光客受け入れのためのホテル建設。国内の整備等。 EUはギリシャ、アイスランド、ポルトガル等が虚偽の申請をし破たん寸前になったため、神経質になっているようだ。 |
☆ イヴァノヴォの岩窟教会 (世界遺産)
この岩山の中間地点の黒い所が岩窟教会 | 地上32mの地点、13世紀頃に造られたよう | 階段を15分登る |
フレスコ画は文字を読めない信者のため絵で説明 | 山の斜面の細い道 | 天井が黒いので、ここで生活していたのだろう |
よくもあのような危険な所に住んでいたものだ | 垂直の壁 | 変な花 |
花 | 樹の花 | 青いトンボ |
☆ 国境はドナウ川
ブルガリアと隣国ルーマニアの国境はドナウ川 | 国境1200kmの間には、ここ1か所しか橋が無い。 | 橋の入口と出口には国境検問所。ルーマニアの看板が。 |
旅行を終えて・・・ 成田からドイツ・ルフトハンザ機でミュンヘンで乗り継ぎ、首都ソフィアまでかれこれ16時間の長旅。 「明治ブルガリアヨーグルト」を商品として出した明治乳業は頭の良い会社だ。 ネーミングでヨーグルトが圧倒的に売れたのだろう。他の森永、旧雪印でも作っているだろうが。 どの国を訪問しても教会やモスクが多数あるが、昨今特に気がつくのが何処でも真剣に祈りをささげているのは年寄りばかりだ。老人ホームかと見間違える。 暗いイメージの共産社会から、ようやく飛躍しそうなブルガリア。バラのように明るい国になってほしいと願いたいものだ。 |
ブルガリア編 終わり
◎ 歴史概略
年 代 | 出来事 | 年 代 | 出来事 |
紀元前4000年頃 | トラキア人(現在のブルガリア、ギリシャ、トルコ居住)が世界最古の黄金文明築く。 | 1187年 | 第二次ブルガリア王国建設 |
紀元前7世紀 | ギリシャが制圧 | 1396年〜1878年(約500年間) | オスマン朝(現在のトルコ)征服 |
紀元前4世紀 | マケドニアが制圧 | 1878年 | ロシアがオスマンに勝利、解放する |
46年 | ローマ帝国が支配 | 1879年〜1944年(ロシアの影響下) | 第三次ブルガリア王国 |
395年 | ビザンツ(東ローマ)帝国が支配 | 1912年〜(対トルコ戦争) | 第一次、第二次バルカン戦争敗北 |
6世紀 | スラヴ人(中欧・東欧に居住)が支配 | 1946年〜1989年 | 人民共和国(ロシアの傀儡共産政権) |
681年 | 現ブルガリア人がスラヴ人と手を結び、第一次ブルガリア王国建設 | 1991年 | 共産党独裁体制終焉、民主的新憲法 |
1018年 | ビザンツ帝国に滅ぼされる | 2007年 | NATO加盟、EU加盟 |
参考文献
・ 神様がくれた国ブルガニア 明石和美書 愛育社
・ 地球の歩き方 ダイアモンド社
・ Wikipedia フリー百科事典
・ 外務省: ブルガリア共和国