クロアチア共和国紀行

 旅の目的

2010年11月訪問。2回目2012年4月訪問。

 世界で最も景観が良いと言われるアドリア海の湾。イタリアの水上都市ヴェネチアと美しさを競ったクロアチアを是非訪れたかった。
なかでも「アドリア海の真珠」と言われるドブロヴニクは、その歴史とオレンジ色の城壁に魅力がある。

 近隣のイタリア、オーストリア、ギリシャ、ハンガリー等に統治された歴史と、その結果の文化、建造物は一見に値する。ひと時、高級リゾート地でリゾート気分をあじわってみようと思い、2010年11月機上の人となる。

「アドリア海の真珠」と言われるドブロヴニクの城壁と旧市街(世界遺産

滝と池の段々畑は棚田のよう。プリトヴィッツェ湖群(世界遺産

   ☆ 元は「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」の1国

 (旧)ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の当時の6つの構成共和国はそれぞれ独立し、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアとなっている。

 第二次世界大戦中の1943年から、解体される1992年まで存続した、ユーゴスラビアの社会主義国家。ヨシップ・ブロズ・ティトーの指導の下、ユーゴスラビアは冷戦下において中立政策を維持し、第1回非同盟諸国首脳会議の開催国となるなど、非同盟諸国のなかで中核的な役割を果たした。

 その後には、ユーゴスラビア連邦は解体へと進み、ユーゴスラビアからの離脱や新しい国の枠組みをめぐって異民族に対する憎悪が噴出し、大規模な暴力を伴う一連のユーゴスラビア紛争へと発展し、1992年解体した。

    ☆ クロアチアの歴史

年  代

出来事

年  代

出来事 

 紀元前4世紀前イリュリア人(バルカン半島)が居住。 1918年セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人の王国が建国。
 紀元前4世紀頃ケルト人(中央アジア)、ギリシア人が進出。 1929年セルビア人主導の最初の「ユーゴスラヴィア王国」に改称される。
 紀元前2世紀ローマ人が征服、ローマの属州になる。 1939年第二次大戦でユーゴスラヴィア王国は独伊側につく。
 6世紀 南スラヴ人(現ロシア近辺)が移住、やがてブルガリア、セルビア、クロアチア、スロヴェニアの4民族へ発展。 1941年ナチス・ドイツは傀儡政権「クロアチア独立国」を組織。
 9世紀キリスト教を受け入れる。 1941年〜1945年チトー率いる共産党が第二次大戦終結まで抵抗し続ける。
 10世紀独立国家クロアチア王国が建国。 1945年大戦後、ソ連が社会主義体制を押し付けるが、チトー大統領は抵抗。
 11世紀東西教会分裂以降はローマカトリック地域となる。 1991年チトー亡き後クロアチアは独立宣言するが、なお混乱。
 12〜15世紀ハンガリー国王がクロアチア国王を兼ねる。オーストリアのハプスブルク家が王位となる。 1992〜1995年クロアチア共和国として独立するのに3年要す。
 15〜16世紀オスマン朝(現トルコ)の領土となる。 2010年EU加盟が諸問題で承認されていない。

    ☆世界一美しい湾・・・アドリア海

周遊地区 : オパティア〜シベニク〜トロギール〜スプリット〜ネウム(ボスニア)〜ドブロヴニク〜モスタル(ボスニア)〜プリトヴィッツェ〜トリエステ(イタリア)

   ☆ オパティア(高級リゾート)

    

高級ホテルが立ち並ぶ (昼と夜の景観)

     宿泊ホテルはつつましく2つ星、しかし歴史が古い。                              ホテルからの眺め

    ☆ シベニク(アドリア海の貿易港)へ

        ここ数年の観光客の多さで高速道路が出来た。       オリオン座のような鉄柱。            高速道路サービスエリアの大手レストラン。

                  ☆ 動画 アドリア海 バスの旅   http://www.youtube.com/watch?v=VA3vHVzEJKs

   

    アドリア海のほぼ真ん中に位置するシベニクはヴェネツィアやハンガリー領であった古い町。       豪華なヨットが多数。さすがにリゾート地。

    

                クルカ川の入江と白い花崗岩の景色は抜群                  クロアチアは四葉が多いの〜と若い女性。手もきれいね。

 

     

                        丘の上の大聖堂と、海の客船はマッチ。                   ヨットやクルーザーで一度は訪れたい。

      丘の上の要塞はヴェネツィア共和国統治時代のもの。    その下のレストラン「ペシュカリヤ」は有名店。       本日の昼食はクロアチア風ロールキャベツ。

   ☆ シベニク:聖ヤコブ大聖堂(世界遺産)

        地元のガイドさんが説明。    1431年から100年を要して建築、ゴシックとルネッサンス様式を取り入れている。全て石材。   新婚さんの記念撮影。

      

   71名の頭部の彫刻、建築当時の町の有力者をモデルにしている。      入口ドアには、独立当時の戦争の銃弾跡。               古い街並み

   ☆ 城壁に囲まれた小さな島 トロギール

    

   ホテルは橋で渡ったチオヴオ島の小さなホテル。 クロアチアは大きなホテルがまだあまりない。設備もそれなり、トイレのペーパーは模様が奇麗。  アドリア海。

☆ 動画  トロギール:アドリア海   http://www.youtube.com/watch?v=UTiswdRWUiY

       聖ロブロ大聖堂(世界遺産)は400年の建築期間でさまざまの建築様式。  地面にはローソクの十字架          鮮やかな彫刻

 町の起源はギリシャ時代、せまい島にはさまざまな時代ににわたる教会や歴史的建造物がひしめいている。
ギリシャにはじまり、ハンガリー王の支配下、次にヴェネツア(現イタリア)、そしてハプスブルグ家(オーストリア)と支配された歴史がある。

 1000年を超す支配がいろいろな歴史を作り、建造物を残して、人々が生きてきたのだろうが、町並みからは悲惨さは感じられない。
それはアドリア海の青い海と青い空が消し去ったのであろうか。

アダムとイヴの彫られた像は中世美術の傑作

           豪華ヨットや帆船が青い海に似合う。                                      色々な宿り木

癒される港の景観

☆ 動画 トロギールの港   http://www.youtube.com/watch?v=2TIzPZGuVhU

日曜市にはさまざまな花や野菜、食べ物が並ぶ。

     ☆ ローマ皇帝の宮殿跡スプリット

        

               トロギールからスプリットはわずか、飛行場もある。                  ローマ皇帝統治下の宮殿図

 アドリア海沿岸最大の港町スプリットはクロアチア第二の都市。ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245〜316年)の宮殿がそのまま旧市街になったと言う珍しい起源をもつ町である。
 ローマ帝国が滅亡して、異民族が7世紀に、この頑強な城壁の宮殿に避難して住み着いたと言う。宮殿の跡に建物を増築したので古代と中世の建物が複雑に絡んでいる。

 ディオクレテイアヌス皇帝とは?

 一介の軍人であった彼は、前皇帝の亡き後帝位につく。当時のローマは領土が広く、度重なる外敵から国土を守るのに苦労していた。皇帝一人の統制では守りきれないと判断した彼は、帝国の半分を軍の同僚に託して2名の皇帝、その後さらに2名を加えて、4名の皇帝で守り通したと言う。名君で数々の政策を行っている。
 しかし偉大なのは、自分の人生の目的はまだほかにあると言い、自らの意思で引退し、キャベツ作りをしたと言うことか。

             宮殿の工事跡                       皇帝ディオクレティアヌス                    245年当時の建築

                               街なかの花                                           レストラン

        

                ドイツ・チェコ圏に近くビールもうまい。    アドリア海は魚も豊富、本日はアコーダイの魚とトウモロコシの粉のブイヤべース。大皿で豪快。

   

                 沖にはヨーロッパの豪華客船が停泊。                      クロアチアの国土は花崗岩で覆われている。

    ☆ クロアチア観光のハイライトドブロヴニク

 高度な自冶と悲惨な破壊

 ドブロヴニクの歴史は自国の発展を通商によって図ってきた。さほど広くないアドリア海の小都市は高度な自冶で生き延びていたのである。
外交的には大国の宗主権を認め、貢納金を支払うことであった。

 建国当初の支配国はビザンツ帝国(ローマ帝国の後)、次いでヴェネツィア共和国(現イタリア)、ハンガリー王国、オスマン朝(現トルコ)、そしてナポレオン率いるフランス帝国に服従したことで消滅する。この間、1667年の大地震で町のほとんどが崩壊、その後復興している。

 最後の支配国はオーストリアに移り、第一次大戦後はユーゴスラビアの領土となる。しかしクロアチアの独立時の1991年、ユーゴスラヴィア連邦軍による攻撃で、悲劇的な破壊がされたが、1994年精力的な修復がされて今日の景観を取り戻している。

 今や「アドリア海の真珠」と呼ばれ、オレンジ色で統一された屋根や高く重厚な城壁など、その見事な景観は他に類を見ない。(世界遺産)

                                             街に入ると怪しい雲が。                       黒い雲が、悪い予感がする。         

ドブロブニーク 写真

               夕食は高級レストラン                        クロアチア国旗                  シーフードパスタ 

   やはり前夜の雲は大雨を呼んで来た。それも100年に一度の大雨との事。観光局が危険なので街に出ないようにとのお触れ。車はあちこちで立ち往生。

    ☆ 奇跡的に晴れた!

        午後14時、奇跡的に雨がやんだ。明日はない貧乏旅行、すぐ観光に出発。しかし、城壁歩きは危険なので禁止との事。ガッカリ! 頑丈な城壁。

    

城壁が出来たのは8世紀。

    

ガイドの女性はいかにもクロアチア風? 個性的な美人。

    

                      城壁の見取り図                             シーズン・オフと大雨で観光客は殆どいない。城壁内。

                             ☆ 動画 アカペラ  http://www.youtube.com/watch?v=2iXJkktxLJc

    フランシスコ会修道院、ヨーロッパで3番目に古い薬局の緑の看板。  狭い路地が多数、前方は高い丘まで続く。                  大噴水

☆ 動画 ドブロヴニク城壁 http://www.youtube.com/watch?v=Xeh9ZhOMSg8

   

                     レストランの皿にも城壁                            城壁に上がるのは3か所

城壁は、全長1940m、高さ最高25m、一回り1〜2時間。

オレンジ色の屋根と城壁のドブロヴニクの景観。まさにアドリア海の真珠。

スルジ山中腹からの眺め。スルジ山の山頂にはナポレオンが贈ったと言う白い十字架が立っている。

   ☆ 滝と湖の棚田 プリトヴィッツェ湖群 (世界遺産)

    クロアチアはワインの名所でもある。葡萄畑。        滝と湖の略図                           ユネスコの世界遺産の看板

                     大小16の湖と92か所の滝を持つ国立公園は総面積200平方km。まさしく滝と湖の棚田である。

花崗岩の中から水がほとばしっている。

段々畑のような湖

圧巻としか言いようがない。見ていても飽きない景観。

           面積、深さ、落差をあらわす。            自然のまま、手を加えない維持。              興廃を防ぐための木道

さまざまに変わる湖面

花崗岩から吹きあがる水

標高が高い所は1280m、最低点で380m。

木道は完璧に整備されている。

最も落差の大きい所は78m。

豪快な滝

11月でも緑が多い。

1990年の戦争時、この一帯も破壊された。

1周1時間のハイキング・コース

☆ 動画 滝と池 http://www.youtube.com/watch?v=F5dXN6Nx_AM

園内は広く、エコロジーバスと遊覧船がある。

最も良い季節は紅葉の10月半ば、再度訪ねたい場所だ。

花崗岩から吹き出す水

         上部にホテル群がある。                         今日は青空。                      

            圏内のレストラン                   地場のワインとビール                   地場でとれたマス料理

     

                            内陸部の景色                    クロアチアは野良猫が多い。決して人々は邪険にしない。

サービスエリアの飲み物コーナー、左からビール、水、右がコーラ類。

菓子売り場

ワイン売り場。一本1000円〜2000円前後で買える。

                 GS             イタリア、トリエステのレストラン。今年取り立てのワインはラベルが無い。気の早いイタリアではラベルなぞ必要ないらしい。

気の合った仲間で二次会はBAR(バール)でまた盛り上がる。

   帰国はトリエステ(イタリア)〜ミュンヘン(ドイツ)〜フランクフルト(ドイツ)〜成田。3回の乗り換え。 ダックスフンドのような飛行機。ドイツの空港は新聞、コーヒーはサービス

    

                   飲み物のサービス抜群のルフトハンザ             カウンターでビールでも。おや、訳ありそうな女性が・・・

    

             ルフトハンザ機内のテレビ放送は各国対応、日本語も。                飛行機の、前席のこの足は誰???

 前の席の10代後半の若い女性、多分イタリアかフランスのロマ? と思われた。10人前後似たような感じだ。退屈になると機内を行ったり来たり、たむろしてお喋り。トイレに立つ乗客が迷惑顔、一向に気にしない。客室係りのところへ行っては食べ物を貰い歩きながら食べる。椅子に座ると足を前の乗客の頭の上に投げ出して写真のように豪快。男でもしない芸当だ。しかも仲間全員が同様である。
 多分、職業はダンサーで足上げ運動の練習か? それとも痛風で足がだるいのか? 食事の時も背もたれを直さない。食べずらいので、椅子を蹴っ飛ばしたら睨まれた。こりゃまずい、ジプシーと喧嘩をして勝てるわけがない。

 成田空港で、乗客が注目して彼女たちを見ている。服装もけばけばしい。どうみてもこれから新宿歌舞伎町に直行するような雰囲気だ。
そこで、飲み仲間で相談した。まっすぐ行くか! 歌舞伎町?  男ってどうしてデンジャー・ゾーンに行きたがるのだろうか?

 イタリアもフランスもロマを敬遠してきたと報道されている。しかし、先進国で難民受け入れ率が低いのは日本だけだ。 歓楽街に行くにはロマ語も習得せねば。
日本語は堪能だが、どうも多国語は・・・。やはり田舎の居酒屋で我慢しよう。 ところでお姉さん、靴下が匂っていましたよ。。。

 アドリア海に面する古代都市は、どこも面積が小さい。たぶん敵が攻めて来た時のために、守り易いように小さくし、城壁を高くしたのであろう。
それも片面は殆どが海に接し、守り易い様にしたのであろう。どこか日本の城造りに似てもいる。

 うわさ通りの世界でもトップクラスの美しい湾である。青い海原とオレンジ色の旧市街、そして教会、要塞と見どころは多数である。
またプリヴィッツェの滝と湖は圧倒された。世界三大滝よりも見ごたえがあろうと思われる。願わくば秋の10月頃を選んで再訪したいものだ。

 アドリア海をはさんだイタリア側に勝るとも劣らない景観に感動しきりであった。                                おわり

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