キューバ紀行

キューバ:ハバナ市街

動画・・・ ハバナの町並み     http://www.youtube.com/watch?v=ihOhCDSzr14

 「風はキューバから吹いてくる」という名文がある。何となくわかり、魅力のある言葉である。社会主義国だが、他の社会主義国と違い、どこか魅力のある国だ。

 チェ・ゲバラ、カミュ・シェンフェゴス、そしてカストロたちの革命が、世界の若者に未だ支持され人気がある。アメリカの資本主義とソビエトの社会主義に振り回されてきた独立後のキューバ、底抜けに明るいラテン系の国民、いまだにクラシッカーが堂々と町中を走るキューバ、魅惑のカリブ海、何より人々をひきつけるのは「チャ・チャ・チャのリズムに乗って革命を成功させた」ゲバラやカミュの伝説であろう。

 2010年5月、ようやくキューバに行く機会を得た。アメリカやフランスなどの先進国ではない。また、インドやネパール、エジプトのようなホコリの国でもない。すべてに魅惑のあるキューバであった。

                    成田〜メキシコ経由〜キューバ                        訪問地

    ☆ キューバの英雄

  第二次キューバ独立戦争を指示した英雄「ホセ・マルティ」  フイデル・カストロ     チェ・ゲバラ       カミロ・シェンフェゴス    ラウル・カストロ   

   ☆ チェ・ゲバラ

エルネスト・チェ・ゲバラ
ゲバラはアルゼンチンの比較的裕福な家庭に生まれ、大学の医学部を出て医者になった。
ベネズエラ、中米グアテマラ、メキシコで働くうちに、政治・社会的に深い印象を持つようになる。メキシコでは亡命してきたカストロたちと出会い、革命に賛同。キューバ革命後、彼の中の革命家としての血がまたふつふつと湧き上がってきてコンゴ、ボリビアへと向かっていったが、最後はボリビアで銃殺される。

革命後は国内の要職に就いて、社会主義国の指導者としてスタートしたものの、ソビエト指導部の意に添わず、カミュと同様外されることになる。
数奇な運命は、最も革命戦士として世界から慕われるゲバラである。

    ☆ キューバの歴史

年   代

 出来事

年   代

出来事

 1492年 スペインのコロンブスが植民地化。砂糖産業、奴隷産業を盛んにする。  1895年〜98年 ホセ・マルティを中心として第二次独立戦争が起こる。
 1511年

ディエゴ・ベラスケスがハバナを建設。

 1898年 米西戦争、米側勝利でスペインの400年支配が終了。以後、アメリカの軍政に入る。
 16世紀〜17世紀 フランス、イギリス、オランダがキューバを攻撃、スペインは防御。  1902年 アメリカ傀儡だが、キューバ共和国が成立。
 1762年 ハバナがイギリス領となる。  1952年 軍事クーデターにより、傀儡のバチスタ政権が成立。
 1763年 再びスペイン領となる。  1953年〜1959年 カストロがゲバラ、カミュらと革命成功。
 1868年 第一次独立戦争勃発。  1959年〜 医療・教育無料化、土地・企業国有化の社会主義国にすすむ。

    キューバと言えばクラシック・カー

                      アメリカの統制時代の遺物をそのまま使用している。懐かしい車が見られるのは、ここキューバくらいだろう。

いろいろのクラシック・カー

乗合バス

                             おれも「クラシッ・カー」             これもタクシー

              三輪タクシー

         ワシだって「クラシック・カー」じゃ                                  昔は日本にもありました

            つぎはぎだらけ

                                                部品ははがれ、窓ガラスもない。しかし動く。

                                 ホテルから乗ったこの車、出発〜、バブ〜ン、ドスッ! エンストでした。

右も左も、前も後も・・・懐かしい車ばかり、首が疲れる。

          

ヨーロッパ風の馬車、そうです、昔はスペインの統治下でもあったのです。

大型の乗り合いバス、まるで護送車。

    ☆ 革命志士の乗った車

   

                 このトヨタ車はチェ・ゲバラが乗っていた                こちらはカストロの乗っていた車

                                            ハバナ市内の革命博物館

    ☆ キューバの植物

                         ヤシ林

                   ヤシ林                                   延々と続くサトウキビ畑

                      ブーゲンビリア                                  ジャカランタの花

     ☆ 首都:ハバナ

旧市街

                   

                  立派なホテル:キューバは観光に力を入れている。          ホテルの朝食会場でミュージック・サービス

    ☆ヘミングウエイ

    「誰がために鐘は鳴る」の売り上げでこの屋敷を買い、20年間居住した。   8000冊の蔵書と、上段には「老人と海」を書いたタイプライタがあつた。

    書斎は何か所もある。                         食堂                     日本語訳本

                                      釣りの好きだったヘミングウエイの愛艇「ピラール号」

ヘミングウエイの名作には『日はまた昇る』『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』『老人と海』『エデンの園』などがある。
一貫して作風は同じといわれている。
獲得と喪失である。「老人と海」でも、大きなカジキを釣るが、船で持ち帰る時に、鮫に食われてしまう。誰がために・・・も最後は恋人を失ってしまう。

アメリカ生まれのヘミングウエイはこよなくキューバを愛した。青いカリブの海、何より好きな釣り。この地で書いた「老人と海」でノーベル賞を得ているが、アメリカとキューバの国情でやむなくキューバを離れて、間もなく猟銃で自らの命を絶ってしまったヘミングウエイ。

        

ハバナにあるヘミングウエイの住宅近辺はサトウキビ畑が広がる。

          

街中には社会主義国らしい古いアパート群が連なる。

ハバナから車で15分のところに「コヒマル」という所がある。「老人と海」の舞台になった場所で、ヘミングウエイの愛艇「ピラール号」もこの港にあった。

動画 「老人と海」   http://www.youtube.com/watch?v=9fBGXT93MSE

       

港の傍で、老人がギターで弾き語りをしてくれる。   のどかに休む老人。

動画・・・ ハバナの演歌師   http://www.youtube.com/watch?v=_r9sHtpciXc 

   港の傍らにある「ラ・テラサ」というレストラン。ヘミングウエイは港に来るたびにここでラムのカクテルを飲んでいた。    「老人と海」を描いた絵。

        このレストランのこの片隅が指定席。                      ラムのカクテル        ビール

ヘミングウエイが好んだ料理

 ☆シエンフエゴスへ

               サトウキビやコーヒー豆輸出で栄えた世界遺産「シエンフエゴス」へ

    

シエンフエゴスにはハバナからは約250 km で、人口は約15万人である。道路沿いには大王ヤシ、ココナツ、バナナ、サトウキビ、麦畑、マンゴの畑が広がる。

今日では砂糖コーヒータバコ皮革などの搬出港として知られており、これらの関連産業企業が林立している工業地域が形成されている。

           高校生の制服姿                     民芸品      キューバの一大工業地帯だけに近代的な建物もある。

         牧場には馬、牛・・・     ホテル・レストランではミュージックサービス         キューバ国営のツーリスト会社のバス

 

   ☆黒人霊歌が聞こえそうなロス・インヘニオス盆地

キューバ島の南にあるトリニダーは、最も早くからスペイン人の入植が始まり、17〜18世紀以降、砂糖貿易と奴隷貿易の一大中心地となった町。
世界遺産にはトリニダーの旧市街と、町から14キロ離れたサトウキビ畑の地、ロス・インヘニオス盆地が登録されている。

マエストラ山脈:キューバ最高峰ピコ・トゥルキ(2005m)がひときわ高い。この山でカストロ、ゲバラ、カミロらの革命軍が拠点としていた。
広がる平地は奴隷によるサトウキビのプランテーション、黒人の嘆きが聞こえそうである。

Wikipediaより

マエストラ山脈Sierra Maestra)は、カリブ海地域最大の島国であるキューバにおける最大の山脈西インド諸島に属するキューバ島の南東方をクルス岬からマイシ岬まで250kmにかけて東西に連なっている。山脈には、キューバ最高峰のトゥルキーノ山Pico Turquino:2,005m)がそびえている。

山中には、マンガンなど豊富な鉱山資源が埋蔵されている。北斜面は断層の地塊で成り立ち傾斜が緩慢だが、それに比べ南斜面は急な絶壁をなし、カリブ海に陥没している。

山脈の東にはキューバ第2の都市で、キューバ革命発起の街サンティアーゴ・デ・クーバSantiago de Cuba)がある。また、この山脈も、1956年以降にカストロ率いる革命軍が、山中に「キューバ解放区」を作り、ゲリラ戦の拠点としていた地として知られている。

   ☆トリニダード

トリニダードの素焼き陶器工場

       キューバ国営の配給所内の商品明細と商品棚(キューバは医療費、教育費が無料。食料も配給で安い。)  キューバの人は皆が器用。空き缶で民芸品?

トリニダード市内のロマンティコ博物館の中庭で、小学低学年生による、フアッションショー。これも授業、ラテン系のキューバらしい。照れているのが可愛い!!

               動画・・・ファッションショー   http://www.youtube.com/watch?v=4jfKr8FxxxM

トリニダードの町並み

葉巻タバコ

たばこは砂糖と共にキューバを代表する農産物の一つで、キューバ、ドミニカ、ホンジュラスが世界3大葉巻生産国として知られている。その中でもキューバ産葉巻の品質が最も優れていることは世界的に知れ渡っている。

      「ラ・カンチャンチャラ」では、キューバ革命軍が歌いながら戦った、と言われる「チャ・チャ・チャ」のリズムを披露。      特製レモネード

          動画・・・「チャチャチャ」  http://www.youtube.com/watch?v=k6hbQeVBlb4&feature=channel

  ☆サンタクララ

サンタ・クララは、キューバの中央部にある都市ビーリャ・クララ州の州都。人口は20万5,900人。ハバナの東方約290kmの地点にある。

クリストファー・コロンブスによって開かれ、キューバで最初に欧州人に建設された都市である。17世紀にはスペイン植民地統治の中心地として繁栄した。周辺地域でサトウキビタバコが大量に栽培されるため、それら作物の集散地としての役割を果たしつつ、関連工業を発達させてきた。

市内にラスビヤス大学がある。キューバ革命の際にエルネスト・チェ・ゲバラ少佐によって解放された都市としても有名で、現在はゲバラ司令官の霊廟(チェ・ゲバラ霊廟)がある。

革命軍が破壊した「装甲列車襲撃記念碑」

チェ・ゲバラ霊廟・・・巨大な像が建つ。

                               配給手帳:食品は安い。だから、キューバ人の平均給料は月7000円程度。

  ☆再びハバナ市内へ

    

ハバナ市内にある「バー:エル・フロリディータ」へ。  カウンタの端には、ヘミングウエイの銅像が。 ここではダイキリがうまい。

革命広場の内務省ビルの壁には、巨大なチェ・ゲバラの顔が。 右のビルにはカミロの顔が。

 カミロとは?

 ハバナで生まれる。 両親はスペイン内戦において共和国派に属しキューバへ亡命する。カミロ・シエンフェゴスは独裁者フルヘンシオ・バティスタ(アメリカの傀儡政権)に対する地下活動を行い、キューバ革命に重要な役割を果たした。カミーロはフィデル・カストロ、ラウル・カストロおよびチェ・ゲバラと共にキューバ革命を主導した一人で、富裕層であったカストロ、ゲバラに比してカミーロは庶民階層出身の人物として知られる。

 キューバではカミロの非業の死を惜しみ、ゲバラやカストロよりも絶大な人気があるという。 特に他のメンバーが裕福な出身だが、カミロの庶民階層出身と底抜けに明るい性格からも、いまだに惜しまれているようだ。

 はじめは画家を志していたが、1953年のモンカダ兵営襲撃に参加し、革命の間チェ・ゲバラと一緒に反乱軍を率いた。革命の勝利後にシエンフェゴスは軍隊の最高指揮官に就任し、反革命的な暴動と戦い農地改革の実施に大規模に関与した。

 シエンフェゴスは共産主義者ではなく、無政府主義者だった。また革命の間彼が率いた軍隊も共産主義ではなかった。 しかし特にチェ・ゲバラから敬愛され、ゲバラは自分の息子(長男)に「カミロ」の名をつけている。

 カミロ・シエンフェゴスが1959年10月28日にセスナ事故で死んだのは、悪天候が原因とされる。しかしアメリカのキューバ反政府コミュニティーの中では、「カストロがシエンフェゴスの飛行機を空軍のミグ戦闘機に撃ち落とすように命じた」と主張される。また、当日の夜の天候は晴れだったとされる。

 キューバ空軍大尉、ロベルト・カルデナスによると、シエンフェゴスはキューバのソビエト化に反対した指揮官フーバー・メトスの処刑を拒絶したので撃墜されたという。 フィデル・カストロはこれらの主張を否定している。

 

 カストロの悩み・・・ 

 かくして、カミロは社会主義化していくキューバの犠牲になったのだろうか。それは謎であろう。
キューバ革命前は当初アメリカの統制下にあったので、カストロはアメリカの支援を受けたかったようだが、当時のアメリカ大統領の横柄な応対に反抗し、対極のソビエト社会主義に支援を求めなければならなかった。

 しかし、独自の希望に燃えるキューバは、一方的なソビエトの要求に従うことができなかった。特にゲバラやカミロである。ゲバラはソビエト政府からキューバ政府から除外せよ、との難題。カミロもソビエト化に反対したため、ミグ戦闘機を向けられた。

 カストロは一人悩んだはずだ。最も親しい二人を除外せよとのソビエトからの指示。直接カストロが手を下すまでもなく、結論として歴史上に刻まれていく。
革命後のキューバをしっかり治めていかねばならないカストロの苦悩が理解できる。

 カストロは現在も将来?も自分の銅像を作るな! と厳命しているそうだ。だからゲバラやカミロ、ホセ・マルティの銅像はあるが、カストロのそれはどこにも見当たらない。せめてもの仲間に対しての深い悲しみと辛い思いからであろうか。

    

革命広場に建つ高さ109mの星型の塔。「ホセ・マルティ記念博物館」         塔の下にはホセ・マルティの銅像が。

             

キューバの女性

       

 アメリカ統治下に建てられた旧国会議事堂、モデルはホワイトハウス。 スペイン統治下のバロックスタイル、ガルシア・ロルカ劇場はオペラ、バレー公演がされる。

                スペインとイギリスが領有を争ったモロ要塞(手前)と前方は新市街。海底の底には1955年に造られた733mのトンネルがある。

           モロ要塞          モロ要塞の対面にある公園には支倉常長の像が。伊達正宗の命でヨーロッパに行く途中キューバに立ち寄る。

動画  モロ要塞    http://www.youtube.com/watch?v=YoP2onXBQ0M

日本とキューバの友好を飾る国旗と鯉のぼり

      

革命博物館には、カミロ(左)とゲバラ(右)の写真が多数。

    

ゲバラの車(左)とカストロの車(右)が展示されている。

                    装甲車も展示                                    革命博物館

外国人専用のアイスクリーム売り場(高い)、キューバ人売り場は安い。ガイドのヤセルさん。いつもニコニコ、怖い顔をしてみて、こんな顔でした.おいしいダイキリ。

        チェ・ゲバラ              左からチェ・ゲバラ、演説するカストロ、右がカミロ         ゲバラ(左)とカストロ(右)

         

カメラ好きのチェ・ゲバラ。1951年、31才の時に日本を訪問し、広島の原爆記念碑に献花している。

ハバナの空港から、さようならキューバ         空港にはアンゴラ(アフリカ)の飛行機

 想像以上に素晴らしい国であった。社会主義国なれど、他国のように暗さはなかった。チャ・チャ・チャのリズムがそう感じさすのだろうか。

だが、国民の生活は決して楽ではない様だ。国営の配給所には商品がさほど並んではない。国民は配給所で八割以上の商品を求めているようだ。残りは高い一般の商店で買うようだ。

貧しいからと言って、家の周りの土地を耕して、畑を作り野菜を作るという光景は見当たらなかった。 質問をしたが適格な答えは返ってこなかった。土地が国のものだから勝手に使用できない、そんな返答であったが、この辺が社会主義国特有の考え方と言えるかも知れない。

 余計な努力はしない、時間内しか働かない、すべて国営・・・そんなところが資本主義国と相違しているようだ。良いとか悪いとかではない。それぞれ特徴があるのだから。だが、世界の社会主義国は一様に変わってきた。
政治は社会主義、しかし経済は市場経済(自由経済)という名の資本主義化である。だが、幸福度世界一を目指すブータンのように、近代化を求めないのも幸せともいえる。

 少し意地悪な質問を最後に何人かにしてみた。 カストロ亡き後の後継者は?    皆、一様に口を閉ざして答えてくれなかった。
明日のキューバにエールをおくりながら、機上の人になった。                                                 終わり

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