エリトリア紀行
エリトリアは美人が多い |
旅の初めに・・・ 2013年3月、エリトリア、スーダン、ジプチの旅を計画。 エリトリアと云う国の名はあまり聞かない。事前下調べでは北朝鮮以上の独裁国家であるらしい。隣国エチオピアとの戦争で近代化が遅れたままの様である。 やはり中国が介入しているのであろうか。アフリカと云うと中国、中国の植民地としての嫌悪感が募るばかりである。先入観は良くないので自分の目で確かめようと旅たつ。 |
アフリカは現在54カ国 | 1993年エチオピアから独立 |
ワンポイント情報 ・国名 エリトリア国 ・民族 ティグライ、アファール族など9民族 |
☆首都 アスマラ へ
標高約2300mの高地に位置する。主な生産品は織物、衣類、ビール、靴である。 アスマラは1870年代までは小さな村であった。1880年代にエチオピアに併合されてからは、重要都市となり行政機関が置かれた。1900年にイタリア領エリトリアの首都となり、1930年代にはイタリア様式の建築が多く立てられ、ピッコーラローマ(リトルローマ)と呼ばれた。 現在もイタリア時代に作られたヨーロッパ風の美しい街並みや、イタリア語の店名などが多く残っている。 |
ホテルパレスは快適 | 昔の煙筒掃除みたいな花 | ホテル界隈 |
これも珍しい花 | ブーゲンビリア |
☆エリトリアとは
エチオピア北部、紅海に臨む国。 独立後も隣国エチオピアとは同国の貿易港をめぐって対立しており、これは同国の食料供給力不足(エチオピアは農業国で食料が豊富)にも大きく関係している。 ジャーナリスト保護委員会は2012年、エリトリアを報道の自由が少ない「検閲国家ワースト10」の第1位に選んだと発表した。外国人記者の入国を認めず、報道内容から取材相手の選択まで全てを同国の情報省が仕切っていることが理由としてあげられている。 また、国境なき記者団による「世界報道自由ランキング」でも最下位にランク付けされている。 |
市内の至る所で、ジャカランタが満開 |
☆エキスポ(文化会館)
エチオピア皇帝により建てられた、ティグレ族・アファール族の家 | 左の写真は低地に住む人、こちらは高地 |
生活レベルの高い住居 | 猛獣から守るための家畜小屋 |
地元幼稚園か小学校の社会見学 |
可愛い! |
オフィスの天井には麦わら帽子が、アクセサリー? | 庭には多数のジャカランタ |
☆博物館
博物館 | 写真撮影禁止、途上国は禁止が多い | ブーゲンビリアの方が見ごたえ |
☆オペラ座
イタリアが統治時代に建てたオペラ座は現在も使用 | 4階建ての大きな建物 | 天井もイタリア様式 |
☆聖マリア・コプト教会
1913年。エリトリアとヨーロッパが見事に融合した建築。聖母マリアを祭ったテワフド(エリトリア正教)の教会で、正面の壁画が特に有名である。 教会内部には、キリストの人生と新旧聖書の場面からとられた十二使徒たちの壁画がある。また、教会正面には、大きな石でできた伝統的な鐘があり、今も神秘的な音色を奏でている。 |
アスマラのメイン通り | 広い敷地に立派な教会 |
正面の壁画は有名、まん中はキリストを抱くマリア |
石がぶら下がり、叩くと良い音色 | 教会におは入れないのか外でお祈りする信者 | 白い装束が正装らしい |
この日は、この国の祝日で荘厳なお祈りが催されていた |
壁一面にキリストの壁画 |
白い杖を持つのが決まりの様だ。老若男女が一堂に |
☆ランチ・タイム
ケバブ料理 | メインはスパゲティ |
☆戦車の墓地
市街中心部から2kmほど離れた米軍カニュー通信基地跡地のすぐそばに、通称“戦車の墓地”と呼ばれる一角があり、廃棄された大量の戦車や軍用車両などが積み重ねられている。 これらは、エリトリア軍によって捕獲されたものや、エチオピア軍が撤退する際に残していったもの。 エチオピアから独立する際の戦争で、エチオピアを支持するアメリカが多くの兵器を持ちこみ、次にソ連がエリトリアに味方するため、アメリカに対抗して兵器を持ちこんでの文字通りの代理戦争。 この戦争で、米ソはどちらも勝負はつかなく、終了したと言う。跡に残ったのは多くの兵器ばかり。二度と繰り返さないための展示の様だ。 |
無残な兵器 | 世界中で米ソが代理戦争 |
古今東西、戦争は止まない |
死の商人が仕掛ける戦争の結末 | 代理戦争で得をする先進国 |
使えそうな車両を住宅用にする地域の住民、今は長閑な風景がある |
☆カトリック大聖堂
アスマラの大聖堂は、ロンバード-ロマネスク様式で1922年に建てられた。 ハルネット通りに面し、アスマラの街の顔となっている。高いゴシック様式の鐘楼は、アスマラ市内のどこからでも臨め、道に迷った時の便利なランドマークとなっている。この塔にはガイドの案内があれば登ることができ、市街の素晴らしい眺めが一望できる場所となっている。 聖堂は、男子・女子修道院でもあり、小学校と共に同敷地内に設置されている。 |
ローマ法王も訪れた大聖堂 | 当時のローマ法王も資金を出したと言う | 立派な塔 |
内部も荘厳、イタリアのムッソリーニも資金提供 |
☆ シネマ・インペロ
アスマラの顔ともなっているシネマ・インペロは、ハルネット通りにある映画館。3階建て、2層式バルコニーを持ち、ビリヤードホール、レストラン、カフェ・バー、ショップやアパート、オフィスがあり、1,800名を収容できる。 ファサードが特徴的で“CINEMA IMPELO”の文字に囲まれた円形や方形の窓は、1930年代の映画館建築としては異彩を放っている。 ロビーは当時の雰囲気を最も残し、白い大理石の階段も当時のまま。館内装飾も意匠が凝らされ、観客席から舞台を隔てる柱にはライオンの柱頭が、壁にはダンサーやヤシの木、アンテロープなどアフリカらしいモチーフが化粧しっくいで描かれている。 |
アスマラの人気スポット | 映画が人気 |
昔の映写機 | 会場を除くと超満員 |
☆中央市場
Shuqと呼ばれるメイン・マーケットは、大聖堂から歩いていける。 果物や野菜、骨董品、スパイス、卵、家具、陶器、土産物、衣服などあらゆるものが集まっている。周辺にも商店は立ち並び、民族衣装を売る店や、イタリア仕込みの技術でスーツを仕立ててくれるテーラー、車用品屋に写真スタジオと何でも揃っている。 また、郵便局の向かいにはフィッシュ・マーケットがあり早朝に賑わう。ここもまたイタリア時代のものであり、紅海からの魚介類を調理する部屋の壁もまた美しいモザイクで作られている。 |
市民の台所 | 主食の粉類 |
馬車が貴重 | 何棟にも分かれている | 茶の店 |
☆展望台
小高いアスマラの丘から市内を見る |
アスマラは標高2300mの高地 |
☆エリトリア・リフトバレー
リフトバレーとは大地溝帯、アフリカを縦断している。正断層で地面が割れ、落差100mを超える急な崖が随所にある。 |
鉄道は海抜0mから2300mのアスマラまで、大地溝帯の急崖を駆け上がる。 |
峠で活躍するロバ | ラクダも活躍 |
ここをエリトリア鉄道が走る。「アフリカで最も美しい車窓をもつ鉄道」と謳われている |
☆さようなら〜
アスマラの国際飛行場 | エリトリア航空で次の訪問国へ |
☆略史
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旅を終えて・・・ 宗主国イタリアの雰囲気が多かった。宗教施設もキリスト教、イスラム教、ユダヤ教等が共存している。 独裁国家なので、現在は国内の治安は落ち着いているようでもある。しかし、これといった産業がさほどなく、国民の生活は良くないようだ。 中国が虎視眈々とこの国の資源を狙い、独裁の大統領と水面下で交渉しているようである。間もなく国もろとも中国の餌食になる日が近い様である。 終わり |