ガボン紀行

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ガボンはシュバイツァー博士が医療活動をした国。オゴウェ川の側に当時の病院が記念館として残されている

シュバイツァー博士

 旅の初めに・・・

2012年1月、ガボンを計画。 

ガボンと言う名は始めて聞くような? 
知らない国名は大抵アフリカ、54か国のアフリカで訪れたのは15カ国程度。
調べるとガボンはシュバイツアー、ガボンでは神様のような存在らしい。そんな神様の過ごし方を学んでこようと期待する。

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ガボンは赤道が走っている

首都はリーブルビル

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           ☆アフリカはかって殆どの国がヨーロッパの国の植民地

1912年の植民地図式

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            ☆ 略 史

年月略史
1960年8月独立(旧宗主国・仏)
1961年2月レオン・ムバ初代大統領就任
1964年2月クーデター未遂事件
1967年11月オマール・ボンゴ大統領就任
1973年2月オマール・ボンゴ大統領再選
1990年4月複数政党制移行決定し、9月同制度で初の国民議会選挙実施
1991年3月新憲法、政党法を国民議会で採択
1993年12月複数政党下初の大統領選挙実施、オマール・ボンゴ大統領5選
1997年3月二院制へ移行
1998年12月オマール・ボンゴ大統領6選(任期7年)
2001年12月国民議会選挙実施、2002年1月「開かれた内閣」発足(野党入閣)
2005年11月オマール・ボンゴ大統領7選(任期7年)
2009年6月オマール・ボンゴ大統領死去
2009年10月アリ・ボンゴ(元大統領の息子)大統領就任
2010年8月独立50周年

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        ☆ ガボン:ワンポイント情報

 ・国名    ガボン共和国            ・言語   フランス語
 ・面積    日本の約3分の2           ・宗教   キリスト教他
 ・人口    147万人                ・元首   アリ・ボンゴ大統領
 ・首都    リーブルビル(人口42万人)    ・産業   鉱業(原油、マンガン)
 ・人種    バンツー系、ファン系               農林業(木材、ヤシ油)

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            ☆ガボンの特徴

 先住民としてバントゥー族が暮らしていたが、15世紀末にポルトガル人が渡来し、奴隷貿易を行った。ついで、オランダイギリスフランスが進出してきた。この地は奴隷貿易と象牙の集散地として栄えた、1885年にこの地域をフランスが占領した。1910年フランス領赤道アフリカ(ガボン、コンゴ共和国、中央アフリカ共和国)の一部となり、この状態は1959年まで続いたが、1960年8月17日に独立した。

 国土の80%以上が森林で、近隣諸国と比べ人口密度が低いため、手付かずの豊かな自然が多く残されている。アフリカ森林には、ゾウ、ゴリラ、チンパンジーなどの大型哺乳類が多数生息している。また年二回の雨期を持つ。

 ガボン政府は、自然環境の保全に力を入れており、中部のロペ国立公園や、大西洋岸のロアンゴ国立公園ではエコツーリズムが導入されている。

 南西部ニャンガ州に位置するムカラバ-ドゥドゥ国立公園では、日本人研究グループによる大型類人猿の長期野外研究プロジェクトが進められている。また、2007年にのロペ=オカンダ生態系と残存文化的景観が複合遺産として世界遺産に登録された。

 ガボンは一人当たり国民所得はアフリカでも有数の高い数値を示している。それらはマンガン鉱などの鉱物資源や森林資源に恵まれているためである。

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        ☆首都リーブルビル

 リーブルヴィル周辺の地域はかつては不毛の地であり、長い間ムポンゲ族が居住していたが、1839年フランスに支配され、1843年交易都市としてガボン(現在のリーブルヴィル)が建設された。

 解放奴隷が多く送られ、1848年、彼らにより名前がガボンからリーブルヴィル(フランス語で自由都市)へと変えられた。

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            ☆ランバレネ

 ランバレネは、ガボン中部に位置する都市。モワイエン・オゴウェ州州都首都リーブルヴィルから南東150kmに位置する。オゴウェ川の中洲に位置し、水運を利用した農作物家畜の集散地。

 また、アルベルト・シュバイツァー博士の活動の中心としても名高い。シュバイツァーは1913年にこの地に診療所を建て、1965年に没するまでこの地で診療・伝道を続けた。彼が建てた病院はその後も存続し、ガボンを代表する病院となっている。
 また、彼が建てた診療所の建物もそのまま残され、記念館となっている。また、
2009年にガボン共和国大統領代行の地位に就いたローズ・フランシーヌ・ロゴンベの出身地でもある。

アルベルト・シュバイツァー博士が1913年に建て、1965年に没するまで医療活動を行っていた診療所が記念館として残っている。
 診療所はその後、ガボンを代表する病院となっており、敷地内の一角には、この地で最期まで医療活動を続け、没した博士の簡素な墓所もある。 

 また、彼が建てた診療所の建物もそのまま残され、記念館となっていて見学も可能である。

左はランバレネのシュバイツアー記念館

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           ☆ オゴウェ川

 オゴウェ川は、ガボンの川。全長1200km。ガボンでもっとも長い河川であり、ガボン国内の大半を流域とする。また、コンゴ共和国カメルーン赤道ギニアにも一部流域が広がっている。

 オゴウェ川はバテケ高原の北西にあるコンゴ共和国のケングエ近くを水源とし、ボウマンゴの近くでガボン領内に入る。マウロンゴの近くにはポウバラ滝がある。ラストゥールビルからンジョレまでの区間は急流が多く、船舶の航行ができない。ンジョレからは西に流れ、ランバレネからは広大なデルタ地帯を形成して、ポールジャンティの南でギニア湾に注ぐ。デルタ地帯は縦横ともに100kmに及ぶ。

 オゴウェ川流域の223,856km?のうち、73%にあたる173,000km?はガボン領内である。流域の多くは熱帯雨林であり、一部には草原が広がっている。川にはナイルワニをはじめとする多様な生物が生息している。中流域に広がるロペ=オカンダは特に自然が保存されており、2007年には複合遺産として世界遺産に登録された。

 オゴウェ川は海からンジョレまでは航行可能であり、水運を利用して河口のポールジャンティまで木材が輸送されている。流域の人口密度は1km?あたり4人と少ないが、河口近くのガボン最大の港ポールジャンティをはじめ、ランバレネやモアンダフランスヴィなどの町が点在している。

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      ☆ 中央アフリカ6カ国の概略

国名

人口

面積

首都

宗主国

言語

元首(在籍年数)

産業

特徴

カメルーン共和国


1,950
万人

日本の1

ヤワンデ

(人口143万人)

ドイツ、フランス、イギリス

フランス語

英語

ビヤ大統領29年間)

農業(ココア、コーヒー、バナナ、綿花)

ミニアフリカ(多様な自然)200の部族・仮面や彫

赤道ギニア共和国

  70万人

四国の1.5

マラボ(人口10万人)

スペイン

スペイン語、フランス語、ポルトガル語

オビアン・ンゲマ大統領 32年間)

石油、天然ガス

・石油により1997年の成長率が71%という驚異的な数値を記録。石油ブームの恩恵にあずかっているのは大統領一族と一部の政府高官、そして富裕層だけであり、住民の大半は一日2ドル以下で生活する極貧層。

サントメ・プリンシベ民主共和国

   16万人

東京都の半分

サントメ(人口4万人)

ポルトガル

ポルトガル語

ネゼス大統領
10年間)

農業(カカオ豆など)

・コーヒー・プランテーション・カカオ・プランテーションあふりか

ガボン共和国

  147万人

日本の2/3

リーブルビル(人口42万人)

フランス

フランス語

ボンゴ大統領1年、親の後)

鉱業(原油、マンガン)農林業(木材、ヤシ油)

国土の80%以上が森林ゾウ、ゴリラ、チンパンジーなどの大型哺乳類が多数生息一人当たり国民所得はアフリカでも有数の高い数値

コンゴ共和国

 380万人

日本の0.9

ブラザヴィル(人口60万人)

フランス

フランス語

サス・ンゲソ大統領 30年間)

国家予算の70%を石油関係に依存

GDP5割以上、輸出額のほとんどを石油、木材に頼っている状況である。

コンゴ民主共和国


6,800
万人

日本の6

キンシャサ(人口700万人)

ベルギー

フランス語

カビラ大統領 (10年間)

銅、コバルト、工業用ダイヤモンド、石油パーム油、綿花、コーヒー

・コンゴ王国ベルギーの国王の私有地「コンゴ自由国・コンゴ動乱 
・アフリカ奴隷1350万人
・女性の略奪、レイプ、誘拐

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     ☆ 到 着

首都リーブルビルの空港

ガボンは赤道ギニアと2012年サッカーの共催地

サッカー一色

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    ☆ホテル

5つ星

ガボンがサッカー開催国、予約したホテルが一方的に変更され2つ星に。しかし、予約客が減り泊まれることになる。アフリカはそんなお国。

日章旗はありませんでした。

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    ☆シュバイツアーを追って

アフリカの車はトヨタ、本田が多い。

ガボン中央部に赤道が走る。東京まで14400kmの表示が。残念ながら赤い線は見当たらず。シュバイツアー博士が苦労しながら、オゴウエ川を遡上、密林をかき分けてここランパレネへ着いた。

オゴウエ川の港

シュバイツアーはこの様にボートで。当時はエンジンはなかった。

川の側に当時のシュバイツアー病院が記念館として佇む

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           ☆ 漁村「パリス」

オゴウエ川のシュバイツアー病院から至近距離に漁村パリスがある
密林を舟で行く。

シュバイツアーに会ったことがある村の長老93歳。わずか10件ほどの村の悩みは若者が街に出て行き、後継者がいない事。

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          ☆ ロッジ

宿泊のオゴウエ川側のロッジ。蚊が多数、蚊取り線香が必須

旅人の木2本が出迎え

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        ☆シュバイツアー病院記念館 

博物館

昔の病棟、現在の病院は100mほど近くに。

 

シュバイツアーの散歩には必ずついてきた、ペリカンの子孫?

昔の病棟

      

この病院は、治療代、入院費をいっさい取らない。その代り、付添いや患者も働けるものはみんな病院のために労力奉仕をする。金がなくなるとシュバイツアーはヨーロッパで講演や音楽活動をして資金を作った。   

治療中のシュバイツアー

弟子が世界から集まる

反戦運動でノーベル平和賞を受賞

          ☆シュバイツアーとは・・・

 アルベルト・シュヴァイツァー1875年1月14日- 1965年9月4日)は、ドイツ出身のアルザス人で、フランス神学者哲学者医者オルガニスト音楽学者

 30歳の時、医療伝道に生きることを志し、アフリカ赤道直下の国ガボンランバレネにおいて、当地の住民への医療などに生涯を捧げたとされている。「生命への畏敬」への哲学などでも知られ、世界平和にも貢献。「密林の聖者」とまで呼ばれている。

 他に音楽にも精通し、バッハ研究でも有名。

 マザー・テレサマハトマ・ガンディーと並び、20世紀ヒューマニストとして知られている人物である。

 シュヴァイツァーは、1875年牧師の子として生まれる。

 幼い頃、同級生の少年と取っ組み合いの喧嘩をして、シュヴァイツァーが相手を組み伏せた時、相手の少年はシュヴァイツァーに向かって「俺だって、お前の家みたいに肉入りのスープを飲ませてもらえれば負けやしないんだ!」と叫んだ。これを聞いたシュヴァイツァーは心に激しい衝撃を受け、「同じ人間なのに、なぜ自分だけが他の子供たちと違って恵まれた生活をしているのか」と、子供心に本気で苦悩したという。この時にシュヴァイツァーが抱いた苦悩こそ、その後の彼の一生を決定付ける重要な出来事であった。

 21歳の時、「30歳までは芸術科学を身に付けることに専念し、30歳からは世のために尽くす」と決意して、30歳から新たにストラスブール大学の医学部に学ぶ。これは、キリストが30歳から布教活動を始めたという故事に倣ったものであった。

 38歳の時に医学博士を得、当時医療施設に困っていたガボン(当時仏領赤道アフリカの一部)のランバレネで活動しようと決め、旅立つ。

 第二次世界大戦後は広島長崎原子爆弾を落とされたのを知り、問題を中心に反戦運動を展開。1953年には、ノーベル平和賞を受賞する。晩年もランバレネにおいて医療活動を展開していた。

1 965年に90歳で死去し、同地に埋葬された。好物は風月堂ゴーフルであり、ランバレネを訪れる日本人はゴーフルを持参するのが通例だった。

1900年当時の風景

記念館内部

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       ☆ガボンの国道沿線

国道の随所で即席市場

バナナと?

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       ☆田舎のレストラン

食後のデザート

写真をせがむウエートレス

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     ☆ フアン族の伝統舞踊

本日は中国料理

伝統舞踊の観賞

豊満な黒人女性の迫力に圧倒される

踊りもテンポが速い

掛け声も大きく迫力

男も女もダイナミック

             動画・・・フアン族の伝統舞踊

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    ☆アート・ビレッジ

入口

所狭しと並ぶ

木彫り

材料がタダのもので巧妙に作り上げる

アフリカ文明とアフリカ文化が、アフリカのどこにもある風景

黒人は器用

鰐皮、日本には持ち帰りは不能

喫茶コーナーもある

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      ☆ ミカエル教会

木彫りの装飾で有名な教会

キリストも漫画チック

柱は全て木彫り

アダムとイヴ

教会内部、ガボンは木材の国、全てモクです

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      ☆マーケット(リーブルヴィル)

足の踏み場を探すのに苦労

主食の一つキャッサバ

何だったかな〜

旨そうな魚・・・

アフリカ版たこ焼

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    ☆シバング樹木園

入口

密林が保存されている

キャッサバの葉

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     ☆ ハンディ・クラフト・マーケット

入口

柔らかい石を削って造り上げる

作品

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     ☆ 2012年サッカー・アフリカ大会

決勝戦はここ、中国がプレゼント

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     ☆ トロピカル・レストラン

その名もトロピカーナ

海のビーチで心地よい

先ずはランチの前のビール

ビュッフエスタイル

黒人歌手は上手です

聞き惚れる

             動画・・・ガボンの女性歌手

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 旅を終えて・・・

 アフリカの国はどこを訪れても生活感がプンプンとした。貧しい中でも懸命に生きてる、決して文化的でもなく、原始的である。特に市場やマーケットに行くとその国のリズムが分かる。

 シュバイツアーを尊敬して、日本からも、世界中から、今でも医者がボランティアで奉仕に来ている。そのシュバイツアーでさえ、当時「黒人も兄弟だ」と言い、白人は兄、黒人は弟と位置ずけていたという批判がある。

 当時の世相「黒人は人間ではない」から一歩進んで、「黒人も兄弟だ」と言ったシュバイツアーがノーベル賞平和賞。
 約2週間、アフリカを旅して、黒人の生活に接して中国人と似ていると感じた。旅のメンバーが殆ど同じ印象を受けたのだ。

 印象と言えば、漁村の長老の出ベソが今でも思い出す。93歳で南アフリカの元大統領でノーベル平和賞のマンデラさんと同じ年だと言っていた。着の身着のまま、家と言うより掘立小屋、食べるものはバナナやキャッサバ、お金はかからない。裸足である。目だけがぎらぎら光っている。
 アフリカを一言で表すと長老のような人である。                            終わり

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