ギリシア紀行
旅の初めに・・・ 2012年11月、「世界で最も古い歴史を持つ街-アテネ」のギリシァを100カ国目とした。 多くの遺跡や神殿、そして修道院や古代都市等見どころは多い。ゼウスやポセイドンなど12 神や、ソクラテス等の偉人にも触れあえるかもしれない。 何より、ギリシャはヨーロッパでもっとも古くからのワインの発祥地、毎日ワインでの大宴会が期待できるかもしれない。のんびりと師走のギリシァを見て回る。 |
今回のルートは首都アテネ、そしてデルフィ、メテオラ、アルベロベッロ等の街を回り、世界遺産を合計6か所を回る。 最後はイオニア海(地中海)をギリシァからイタリア南部にクルーズの旅が続く。 |
ワンポイント情報 ・国 名 ギリシャ共和国 ・言 語 現代ギリシャ語 |
☆ 出 発
成田〜ローマ〜アテネ 合計22時間 | アリタリア-イタリア航空 | 美味しい機内食、ワインはもちろんイタリア・ワイン |
☆アテネ
アテネ市内 |
| ||
アテネの街 | 街は整然 | 明るい街並み |
☆アクロポリス(世界遺産)
アクロポリス全景 |
アクロポリスの上に建つパルテノン神殿 (夜間) |
アクロポリスとは、古代ギリシアのポリスのシンボルとなった小高い丘のこと。アクロポリスは「高いところ、城市」を意味し、防壁で固められた自然の丘に神殿や砦が築かれているのが普通である。 ミケーネ時代のアクロポリスはまさに王城(城塞)となっており、アテナイのそれもエレクテウス王以下の諸王の居城であったと伝えられている。ポリス成立後は、神殿や有事の際の避難場としての機能を有する宗教的、軍事的中核として位置づけられるようになった。ポリス成立以前の王城は、都市国家のシンボルとしてのアクロポリスへとその姿を変えたのである。 また、ホメロスによる叙事詩『オデュッセイア』には、「魂のアクロポリス」「肉体のアクロポリス」といった比喩的表現をみることもできる。 なかでも有名なのがアテナイのアクロポリスである。ペルシア戦争時に木造建築のために全てが灰に帰したと伝えられているが、その後の石造建築による再建の結果、ペリクレスの時代に最も輝かしい時代を迎え、今日の私たちの知るアクロポリスが誕生した。 現在この丘には、古代ギリシア美術を代表する4つの傑作、パルテノン神殿、プロピュライア(神域の入り口の門)、エレクテイオン、アテナ・ニケ神殿がある。二千年の歴史を刻んだパルテノン神殿は、白色とも桃色ともつかない光の加減で変化する大理石の柱46本が青空を背景に荘厳な雰囲気を漂わせている。 |
街から見上げる遺跡と神殿 |
遺跡の入口 | 世界遺産のマーク | 入場料金は12ユーロ |
中間にローマ劇場 | ブーレの門 この門をくぐるともうじき | かなりの階段が続く |
まだ登る | パルテノン神殿が見え出した |
遺跡の上から見るアテネの市街 |
人口300万人のアテネ |
常に修復工事が |
紀元前432年、15年の歳月を費やしたパルテノン神殿 |
遺跡内には野良犬、野良猫が多数。観光客を案内してくれる? |
高さ10m、直径2m 46本の柱 2500年前の建設とは思えない |
都市国家防衛の要塞としての役割 |
アテネの街 |
大人しいワンちゃんは観光客にも優しい | リカヴィトスの丘 |
住宅が密集 | 古代を思いやる | 都市国家アテネを見守り続けてきた |
アテネの子供達 |
アテネの守護神を祀った | ニャンとも云えない良い神殿だよ〜 |
伝説の彫刻 | 各種のメトープ |
☆ギリシャの三大収入源
数多くの古代ギリシャや東ローマ時代の遺跡・遺構、エーゲ海の風光明媚な島々などの観光資源も多く、観光も重要な産業となっており、海運業、移民からの送金と観光業でギリシャの三大収入源となっている。 また、1970年代より現在まで常に世界の観光市場で15位以内をキープしている。 世界各国からの観光客
日本からの観光客
|
☆アテネ市内観光
夢をのせるバス | 古代の街なので敷地が無く、ガソリンスタンドはビルの中 | 街路樹はオレンジ |
☆パナシナイコスタジアム
パナシナイコスタジアムは、ギリシャのアテネにある競技場。近代オリンピックが初めて開かれた場所でもある。古代オリンピックにならい、トラック(1周330m)の直線が極端に長く、コーナーはヘアピンカーブ。総大理石造りのスタンドは4〜5万人収容。 紀元前329年に建築され、紀元前250年に改築、紀元前131年には大理石によって再建された。また1895年には、翌1896年の第1回近代オリンピックの為に修復された。 |
2004年、女子マラソンの野口みずき選手が優勝 |
今でもマラソンゴールとして使われている | 青いラインはマラソンのルート |
☆国会議事堂
無名戦士の碑を前にして建つ。近代ギリシャの初代王オットーの宮殿であったが、1933年に国会議事堂となった。 | 衛兵 | ギリシァ国旗 |
目以外は動いてはならない | 平和の象徴ハト | 二名の衛兵は1時間直立不動 |
☆偉人の銅像
ポセイドン | ゼウス | アポロン |
☆ランチ・タイム
タベルナは食べるな! ではありません。大衆食堂の意 | 前菜はサラダ、ワイン |
スブラキは日本風ヤキトリかな? | デザート |
☆考古学博物館
アテネ国立考古学博物館は、ギリシア共和国のアテネにある国立博物館である。 ギリシア中の様々な古代遺跡から集められた最重要な遺物の数々を収蔵している。 |
ギリシア彫刻・美術の真髄に触れる | 看板 |
黄金のマスク、円形墓地で発見 | 黄金のマスク | 黄金 |
出土品 | 出土品 | アテネの当時の図 |
アフロディテ(ヴィーナス)とパン(牧羊神)とエロス(天使)の像 | 馬に乗る少年 | ボクシングをする子供達 |
☆新アクロポリス博物館
アクロポリス博物館は、アテネのアクロポリスの発掘現場から出土した文化財を中心に収蔵・展示している考古博物館である。 現在のアクロポリス博物館は新しく建てられたものなので、区別のために新アクロポリス博物館 とも呼ばれる。 Makrygianni の考古遺跡、ローマ時代や東ローマ時代の遺構の上に建てられている。アクロポリスの岩山の上や麓で出土した、青銅器時代から古代ギリシア・ローマ属州・東ローマ帝国時代を中心とした工芸品などを収蔵している。1万4000平方メートルの展示スペースに4000点近くが展示されている。 |
アクロポリス博物館は、アテネのアクロポリスの発掘現場から出土した文化財を中心に収蔵・展示している考古博物館である。 現在のアクロポリス博物館は新しく建てられたものなので、区別のために新アクロポリス博物館 とも呼ばれる。 Makrygianni の考古遺跡、ローマ時代や東ローマ時代の遺構の上に建てられている。アクロポリスの岩山の上や麓で出土した、青銅器時代から古代ギリシア・ローマ属州・東ローマ帝国時代を中心とした工芸品などを収蔵している。1万4000平方メートルの展示スペースに4000点近くが展示されている。 |
☆デイナー
本日はレツィナー、松やにの香りがするワイン | チキン | ビール、ミソス |
☆アテネ→メテオラ(修道院の村)
ギリシァは農業。 オリーブ、綿、葉タバコが多い | エーゲ海の入江 |
ド派手なバスで快適移動 | 沿道から見る白い山々 |
エーゲ海の海が近い |
パネルが活躍 | ドライブ・イン | 非常に綺麗なギリシァ |
畑が続く | 1年中緑の世界 | 高い山が見当たらない |
☆ ギリシアの産業
主力産業は農業、鉱業、工業、輸送業、観光。 鉱業では石炭が有力。石炭の統計は品位別に分かれており、低品位で主に燃料に用いる亜炭・褐炭では世界第4位(6,600万トン)である。マグネシウム鉱にも富み、生産量は世界第6位である。鉄、ニッケル、ボーキサイト、原油、天然ガスなど、生産量は少ないながら10種類以上の主要鉱物が見られる。 工業は食品加工業や繊維業などが盛んだったが、造船業、製鉄、石油化学工業も発達している。世界第3位のオリーブ油生産が突出している。 古代から地中海一帯で貿易を展開してきた歴史があるせいか、オナシス家、ニアルコス家、ラティス家、マルチノス家、クルクンディス家、リバノス家と海運王が多く、輸送業の中心は船舶であり、船舶保有量は世界第4位の2,870万総トンに及ぶ。 オナシスは世界的なオペラ歌手マリア・カラスと浮名を流したり、その後アメリカ大統領のジョン・F・ケネディの未亡人であるジャクリーン・ケネディと結婚し、世界的に話題を呼んだ。 一般貨物船は船舶保有量(総トン)の3%と少なく、オイルタンカー、鉱石や穀物用のばら積み船が80%以上を占める。このような比率は船舶保有量上位10カ国には見られない特異な傾向である。 ギリシャ人船主はパナマ(世界第1位)やキプロス(世界第6位)など税制優遇措置を利用できる国に自らの船を登録することも多く、実態を反映していない可能性がある。 |
田舎の風景 | 重機も多い |
☆メテオラ(世界遺産:修道院)
メテオラは、ギリシア北西部、セサリア(テッサリア)地方北端の奇岩群とその上に建設された修道院共同体、いわゆるメテオラ修道院群の総称である。 メテオラの険しい地形は、俗世との関わりを断ち祈りと瞑想に生きるキリスト教の修道士にとっては理想の環境と見なされ、9世紀には既に、この奇岩群に穿たれた洞穴や岩の裂け目に修道士が住み着いていた。この時代の修道士は現在のような修道院共同体を形成することはなく、単独で修行する隠修士が主流であった。 オスマントルコ(イスラム教)の支配を嫌い、この地に隠遁し活動したと言う。険しい絶壁に建築したのはオスマントルコの攻撃から逃れるためらしい。しかし、オスマントルコは攻撃せず、この地は保護したと言う。 |
| ヴァルラアム修道院 | ルサヌ修道院 |
聖ニコラオス・アナパフサス修道院 | 聖ステファノス修道院 修道院そのものは14世紀前半に存在していたが、1367年に共住の修道院として創建された。ルサヌ修道院同様に女子修道院。メテオラの中では修道士の活動が早くから見られた場所で、1192年には隠修士イェレミアスがいた事が知られている。主聖堂には聖ハラランボスの聖遺物を収めている。 | アギア・トリアダ修道1475年、ドメティオスにより創建された。至聖三者に捧げられた修道院。 |
☆ 先ずはランチ・タイム
メテオラの奇岩が見えてきた。あの上の絶壁に6つの修道院があると言う | レストラン:タベルナ |
パンはトルコが近いから美味しい | ワインはこのハーフ・ボトルで、300円程度から | 赤も白も美味しい |
スープ | サラダ |
ムサカ:ラザニアの様 | 焼きリンゴがデザート |
☆いざ、修道院へ
レストランから眺める | 街路樹 | この辺だけが奇岩 |
3 か所を眺められるビュー・ポイント |
ギリシアの飲み友達 |
民芸店 | ネコが多い |
メガロ・メテオロン修道院を見学 | この小屋から下へ降りて | 高い塔へ滑車で荷を揚げる |
橋を渡り | 壁の絶壁の階段を上がる。こんな工事で何人の犠牲者が | トンネルを抜けて |
更に階段を上がる | この滑車で荷を揚げる |
修道院内部 |
下には畑が広がる |
修道院内部の当時の食堂 | 輪があるのは賢者 |
ネコは何代目? | 向かいの修道院 | 敵を迎え撃つための大砲が何台も |
☆イコン作成工場
イコン看板 | 展示物 | 木のかぶにも絵が |
一心不乱に細かい絵を | 緻密な絵を描く女性 |
☆ホテル
カランパカのホテル | ロビーのクリスマス・ツリー | ロビーの暖炉 |
前菜はご飯! | 魚だったかな? | デザート |
☆メテオラ→デルフィ(遺跡の街)
ギリシァの朝陽 | ギリシァの朝陽 |
ギリシャの最高峰オリンポス山(2917m)が右奥に |
☆オリュンポス十二神
オリュンポス十二神は、ギリシア神話において、オリュンポス山の山頂に住まうと伝えられる12柱の神々。
主神ゼウスをはじめとする男女6 柱ずつの神々である。
ゼウス | ヘーラーゼウスの妻、神々の女王。 | アテネ | |
| アレース 軍神。戦争の災厄を司る。 | アルテミス 弓術・森林・狩猟・純潔の神。 | デーメーテール 農耕・大地の神。乙女座に関連。 |
ヘーパイストス | ヘルメース
| ポセイドーン | ヘスティアー かまどの神。家庭生活の守護神。 |
☆オシオスルカス修道院(世界遺産)
オシオス・ルカス修道院は、ギリシャ共和国中央ギリシャ地方ヴィオティア県ディストモ(デルフィ近郊)のヘリコン山の麓にある、ギリシャ正教:正教会の修道院である。10世紀に設立され、中期ビザンティン建築の傑作と言われる聖堂と、11世紀に作成されたモザイクが残る。 1990年、他の2つの修道院とともにユネスコの世界遺産に登録された(登録名は「ダフニ修道院、オシオス・ルカス修道院、ヒオス島のネア・モニ修道院」)。 |
世界遺産 「オシオスルカス修道院」 |
周辺の花々 | 豆が多い | 豆が多い |
☆デルフィ
デルポイは、古代ギリシアのポーキス地方にあった都市国家(ポリス)。パルナッソス山のふもとにあるこの地は、古代ギリシア世界においては世界のへそ(中心)と信じられており、ポイボス・アポローンを祀る神殿で下される「デルポイの神託」で知られていた。古代デルポイの遺跡はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。 日本語では「デルフォイ」と表記されることも多い。英語表記(Delphi)や現代ギリシア語発音に基づく「デルフィ」も用いられる。遺跡の西にはデルフィの名を持つ集落があり、また遺跡を含む自治体の名前にもなっている。 |
デルフィの街 |
☆ランチ・タイム
デルフィのレストラン | 遺跡の街 | 愛嬌のある親爺さん |
前菜 | サラダは食べ放題 | ケフテダキア、ミートボール風 |
|
☆デルフィ博物館
遺跡の側に博物館 | 入口 |
ガイドさん | 古代人? |
金 | 青銅の御者の像 | 御者にはまつ毛までリアルに |
☆デルフィ古代遺跡(世界遺産)
1987年に登録された世界遺産(文化遺産)。デルフィ(デルフォイ、デルポイ)は、ギリシア中部、パルナッソス山麓にあった古代都市国家(ポリス)。紀元前8〜前6世紀頃、ここが世界の中心と考えられていたことから、予言の神アポロンを祀る神殿が建設されて、周辺のポリスの信仰を集めた。 デルフィのアポロン神殿の巫女によって告げられる託宣(デルフィの神託)は、各ポリスの政策決定にも大きな影響を与えた。ここは託宣をうかがうための巡礼の地であり、さまざまな宗教儀式が行われ、芸術やスポーツ競技の中心ともなった。この古代遺跡は、アテナ・プロナイアの聖地と、アポロンの聖地の2つの地域に分かれている。 アポロン神殿は、紀元前650年に建設後、2度の大火に見舞われ、前330年に再建されたドーリス式オーダーの遺跡。このほか5000人を収容できる円形劇場、ピュティア競技場、紀元前390年から約10年の間に建造された円形建造物(トロス)などの遺 構がある。 |
世界のヘソと言われていた | 神殿の柱 |
宗教の中心地 | 高い丘の上に建つ | 強固な石組 |
☆パトラス
ペロポネソス半島の西端に位置するギリシア第3の都市。現代ギリシア語ではパートレPátrai,古典式ではパトライPatrai。軽工業を主とし,綿織物,タイヤ,オリーブ油,皮革,ブドウ酒などを産する。人口15万5000(1991)。コリントス湾の入口に面する港としても重要で,イタリア方面,とくにブリンディジからの船はここに入港した後,ピレウスに向かう。古典期の遺跡は海岸から少し奥にあったが,今はアクロポリスの跡が残るばかり。 |
パトラスの街はギリシア第三の街 | 左側が船発着所 |
長い橋を渡る | クルーズ船は18時発 |
☆クルーズ(ギリシァ→イタリア)
エスカレータを昇り | フロントへ | ロビー |
29000トン、1400名が乗る。長さ174m、横24m | 左のワインは32度、右は松やにワイン |
2段ベッド | シャワー付き | 個室はなかなか良い |
レストラン | ディナー | パスタ料理 |
延々と飲み会が続く | 朝食 | 下船、さようなら〜 |
☆ギリシャの偉人
〜前8世紀、古代ギリシャの詩人。前8世紀ごろの人で、叙事詩「イリアス」「オデュッセイア」の作者とされる。 | ソクラテス 〜前399、古代ギリシャの哲学者。 | プラトン 〜前347、古代ギリシャの哲学者。ソクラテスの弟子。 | アリストテレス 〜前322、古代ギリシャの哲学者。プラトンの弟子。プラトンがイデアを超越的実在と説いたのに対し、それを現実在に形相として内在するものとした。 | アレクサンドロス大王 〜前323、ギリシャ連合軍を率いて東方に遠征、ペルシアを滅ぼし、エジプトおよび西アジアからインド西部にまたがる大帝国を築いた。アリストテレスは家庭教師。 | アルキメデス 〜前212、古代ギリシャの数学者・物理学者。積分法の先駆となる放物線・円・球などの求積法、アルキメデスの原理の発見。 | ピタゴラス 〜前496年、ピタゴラスの定理などで知られる、古代ギリシアの数学者、哲学者。彼の数学や輪廻転生についての思想はプラトンにも大きな影響を与えた。 |
ソクラテスとは・・・ 古代ギリシャの哲学者。アテネに生まれる。よく生きることを求め、問答法によって相手に自らの無知を自覚させ、真の認識に到達させようとした。しかしこの努力は理解を得られず、国家の信奉する神々を否定して青年たちに悪い影響を及ぼすという罪名で告発され、裁判で死刑を宣告され、毒杯を仰いで死んだ。 ソクラテス名言集? クサンティッペ(ソクラテスの妻)を悪妻とするエピソードには、以下のようなものがある。
|
旅を終えて・・・ アテネの歴史ある街も良かったが、修道院のメテオラに感動した。 しかし、メテオラは今では観光地化して騒々しいのか、修道僧はここを捨て静かな未開の地へ引越したと言う。 また、そこを訪ねなければならないか・・・ だが、破綻のうわさが絶えないギリシャだが、国民の生活ぶりからはみじんも感じられない。どうしてだろう?結論は次の機会に。 終わり |