グアテマラ紀行
グアテマラの古都「アンティグア」の街とアグア火山 |
旅の初めに・・・ 予備知識として、グアテマラの抱える最大の問題は、治安問題、麻薬密輸、司法権の機能不全、政府の無策、腐敗、社会的不平等、人権侵害とあり、不安が増す事ばかりであった。 しかし、計画の場所は古都アンテイグア、2箇所の遺跡、首都のホテルも官庁街とあり、多少の安心感を得て出発となる。 |
年 月 | 略 史 |
1523年 | スペインによる征服 スペイン総督府がおかれ中米を統括する |
1821年 | スペインからの独立 |
1823年 | 中米連邦共和国結成(グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ5カ国) |
1838年 | グアテマラ共和国成立 |
1960年 | 内戦発生 |
1986年 | 民政移管 |
1987年 | 中米和平合意 |
1996年 | 内戦終結 |
2000年 | ポルティージョ大統領就任 |
2004年 | ベルシェ大統領就任 |
2008年 | コロン大統領就任。2011年ペレス・モリーナが大統領 |
☆グアテマラ
マヤの民族衣装 | 現在も国民の過半数はマヤ系のインディオ(先住民族)であり、メキシコを除いた中央アメリカで最も人口の多い国である。 世界文化遺産にも登録されているティカルやキリグアなど、マヤの大遺跡で知られるグアテマラ。 この国に足を踏み入れた旅行者は、だれもが美しい民族衣装をまとった先住民女性の姿に目を奪われる。色彩豊かなウイピル(貫頭衣)やコルテ(直線裁ちの巻きスカート)をいつも身に着けて生活するその存在は、まるでひとつの芸術の様だ。またアンティグアなどの古都では、短期間でも習えるスペイン語学校が多く、若い旅行者に人気が高い。
中米諸国の経済は、所得水準で、上位のパナマ、コスタ・リカ、中位のグアテマラ、エル・サルバドル、下位のニカラグア、ホンジュラスと三段階に別れる。 貧困問題が恒常化しており、国民の生活水準は全体に低い。平均寿命は64歳。識字率は67.3%は中央アメリカでもっとも低い部類に属す。貧富の差は激しく、人口の10%が国民全体の所得の47%を占める一方、国民の57%が貧困層に属する。 グアテマラの抱える最大の問題は、治安問題、麻薬密輸、司法権の機能不全、政府の無策、腐敗、社会的不平等、人権侵害である。治安問題は、コロン政権になっても全く無策であり、毎日、テレビ・ニュースで殺人事件が報道されている。 国民の半数以上が1日2ドル以下で生活する貧困層と推定されており、貧困問題解決にはより高い経済成長率の達成が必要。国民の約1割(150万人以上)が米国に移住し、海外送金が貧困地域の家計を支える。 |
国境→グアテマラ
パン・アメリカン・ハイウェイは国と国をつなぐ |
パン・アメリカン・ハイウェイは、北はアメリカ:アラスカ州のフェアバンクスから、南はアルゼンチン:パタゴニアのウシユアイアまで、その長さは48,000km。日本列島を2,000kmとすると、日本列島の24倍の長さとなる。 14か国を通過する世界で最も長いハイウェイの一つである。 この地域での写真撮影などは厳禁である。特に発展途上国などはより厳しい。添乗員もガイドも緊張を強いられ、時によっては暗黙のうちに袖の下(賄賂)を要求されるようだ。断っても良いが、嫌がらせで半日も待たされるので、ここは彼らの腕の見せ所(?)となる。 |
国境の審査を受けて、道路標識で、「ウエルカム グアテマラ」の文字を見て一安心 |
☆首都グアテマラシティ
グアテマラ市内 | グアテマラ市内 | グアテマラ市内 |
標高約1500mの高原地帯に位置しており、中米屈指の世界都市であり、人口は100万人から250万人を上回るほどと推定される。 市内はアメリカからの大手スーパーやホテル等が目立つが、一歩離れると貧民街が多数目立つ。バスでの移動や日中は安心のようだが、繁華街や夜の外出は絶対禁止と言われる。
街は峡谷の間にある盆地に隙間なく建物や住居が敷き詰められている。
主要幹線には近代ビルがポツポツ | グアテマラ市内に近い郊外にもビルが | アメリカ資本のスーパーが目立つ |
繁華街から離れた、官庁街に建つ高級ホテルに宿泊 | 本日は伝統料理 | デザートは果物 |
ホテル前は各国大使館が建つ公園、紫のジャカランタの花が美しい |
グアテマラシティのメイン通り | 信号停車中の運転手に新聞を売る人、車はポンコツが多い |
掃除用具を売る人。動くホームセンタ? |
発展途上国は何処でも焼いて、焼畑農業 | 日本のスズキが人気 | ドライバー相手にピーナツ売り、何でも売り付ける |
この人は車用品販売、「オートバックス」の出張販売員? どこでも国民はたくましい |
アンティグア はグアテマラ南部、グアテマラシティ近郊にある古都。1773年の地震で壊滅的な打撃を受けるまで、ここにグアテマラの首都が置かれていた。 遠方はアグア火山
1979年世界遺産登録。
メルセー教会 | カプチナス修道院 |
☆アンティグア十字架の丘
アンティグアの街を見下ろす十字架の丘、富士山と同じ形のアグア火山(3765m) | 古都アンティグアとアグア火山 |
世界中の旅行者に人気のアンティグア |
標高1520mの古都 | かっては首都がおかれていた | 中腹は良質なグアテマラ・コーヒー畑 |
左はアグア火山(3765m)と右がアカテナンゴ(3976m) |
何処から見ても美しいアグア火山(左)。グアテマラにある8つの活火山の一つで、常に頂上からは薄煙がたなびいている。1541年9月9日、この火山の中腹にあった首都でグアテマラ総督就任式がおこなわれた翌10日大爆発が起こり、街は壊滅、総督も死んだ。この山を見る日本人は等しく「グアテマラ富士」と言う。 更に左の低い山(ここでは見えない)がフエゴ火山で、右側がアカテナンゴ。フエゴ火山はそれでも標高は3763m。アグア火山とたった3mの差でしかないし、富士山とも16mの差でしかない。右側のアカテナンゴは標高3976mもある。 このアグア火山の中腹では、良質なグアテマラ・コーヒーが取れる。 |
十字架の丘はキリスト教12使徒の一人である聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)を守護聖人としている | 十字架の丘はユーカラに囲まれている | サンティアゴの騎馬像 |
☆聖ヤコブサンティアゴ編はポルトガル紀行で掲載(以下は抜粋)
☆ サンティアゴ・デ・コンポステラ(スペイン)
。 フランスから800km(日本では東京〜広島間)、ピレーネ山脈を越えて1か月をかけて到達する。年間10万人が訪れる。
奥に見えるピレーネ山脈を越えて 徒歩で1か月がかりの巡礼
「歓喜の丘」 小高い丘のここまで来るとカテドラルが見えてくる。人々は思わず歓喜の声を上げる。背中には巡礼者の証し、ホタテ貝。 動画 スペイン:「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」歓喜の丘 「歓喜の丘」から見えるカテドラルの3つの塔
先ずは腹ごしらえ、本日のランチはローストポーク、前菜の中はひき肉
カテドラル。カテドラルは司教(キリストが宣教のために諸国に遣わした12人の使徒たちの後継者)が居住し、かつ司教区の名称をとった都市に建てられている。 動画 スペイン:「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」のカテドラル
カテドラルの塔の上には聖ヤコブの像
カテドラル内部の金の祭壇には聖ヤコブの像が 巨大香炉は長さ1m、90kg。長い道のりを歩いてきた信者の異臭を香で消す。
聖ヤコブと2人の弟子の墓地が地下にある。 レコンキスタでイスラムと闘う聖ヤコブ
カテドラルの看板と、聖ヤコブにハグ出来る時間帯は午後16:00〜19:30 カテドラルの祭壇の裏から、一列に並び聖ヤコブの像にハグする。手が肩におかれている。信者もそうでない人も緊張の一瞬。
サンティアゴ編終わり |
☆アンティグアの街並(世界遺産)
城や緑の壁、赤い屋根瓦が美しい | 道路は石畳、そしてマヤ民族の衣装 | 街路樹はジャカランタとブーゲンビリヤが美しい |
街並はブーゲンビリヤの花が彩りを添える |
カプチナス修道院は尼僧の施設 | 修道院の中は現在パーティ会場となる | 中庭もパーティ会場 |
石畳の街から見るアグア火山はひと際美しい |
この町はスペイン語学校が多く、若者が学ぶ | 地元の若者 | 本場マリンバ演奏で楽しませる |
古代の建物とアグア火山 | 何処から見ても絵になる世界遺産 |
油絵と水彩画売り |
マヤ民族の民芸品露天売場 |
各村から手作りの民芸品を持って、売りさばく人々 |
ディスカウントに快く応じるマヤの人々 | サンタ・カタリーナ教会の時計塔 |
時計塔 |
メルセ―教会 | 教会内部 |
教会内には絨毯かと思いきや、色を付けた塩で模様付け |
美しい教会 | 隣村のコーヒー農園「フイラデルフィア」へ | 有機コーヒー |
コロニアルなホテル中庭レストランへランチ | 人形が出迎え | マリンバ演奏でランチタイム |
前菜 | 名物ペピアンシチュー | デザートはフルーツ |
広場ではショータイム |
馬車に乗って一回り | グアテマラ総督府跡 | 市庁舎 |
グアテマラ総督府 メキシコでアステカ等の諸部族を侵略したスペイン王国は、中米にも侵攻し、1541年に現在の中米5ヶ国(グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ)とメキシコ南部を支配するグアテマラ総督府を現在のアンティグア市に開設した。しかし、度重なる火山活動と地震のためアンティグアではその機能を果たせなくなり、1776年、総督府は現在のグアテマラ市に遷都された。 |
街の守護聖人サンティアゴが祀られているカテドラル | 裏側には地震で崩壊した廃墟もある |
マヤの服を着た女性 | アンティグアの街の油絵 |
☆キリグア遺跡
キリグア 遺跡 は、グアテマラ東端部、イサバル県のモタグァ川中流域にある古典期に繁栄したマヤ遺跡のひとつである。 1981年に世界遺産に登録された。 キリグアに人が住み始めたのは紀元200年ごろだと考えられているが、本格的に王朝が築かれたのは5世紀にはいってからである。 6世紀から7世紀のはじめごろになるとキリグアは、ハリケーンか火山の噴火のような大規模な自然災害に伴って興ったと思われる洪水で、古典期前期の遺構は分厚いシルト層に覆われた。 この遺跡の見どころは広場に尽きる。広場に散在する極めて保存のよい石碑と、異様な「獣形祭壇」の群れこそがキリグアの魅了である。 キリグアはコバンからの独立からわずか百年足らずの王朝であった。 1981年世界遺産登録。 |
入口看板 | 入口看板 |
茅葺の屋根に守られて石碑が展示 | 重さ20トンほどある獣形祭壇 |
2時間たっぷりかかる遺跡 |
それぞれ意味がある石碑 | 茅葺屋根の修復 | 茅葺屋根の修復 |
キリグア彫刻の技量の象徴 | 黄泉の地下世界へ運んでくれる獣の形をした石は圧巻 | キリグア遺跡の石段と広場はきれいに修復 |
ガイドのオマール君 |
マヤ民族の末裔に遭遇! ガイドのオマール君はグアテマラ出身、お爺さんはマヤの子孫です。と言ってお爺さんのエピソードを次のように語る。 マヤ文明の崩壊はどうして、どこに消えたかマヤの人々? 未だその理由は謎と言われているが、ガイドの若者は私はマヤ民族の末裔ですと、しっかり応えてくれた。 紀元後9世紀に消えたマヤ民族と言われているが、1,000年以上も経てしっかりその子孫が生きていたのです。 |
亀やジャガーの獣形祭壇も見られる | マヤ民族の衣装想像図 | マヤ民族女性の衣装 |
☆イザベル
イサバル湖近くのマリーナでランチタイム | 昔はジャガーも生息していた |
海も近いこの湖は蟹が名物 | 味噌したてのシーフードスープ。絶妙な味。ビール、ワインも旨い |
☆湖畔の町フローレス
フローレスという街は中米最大級の遺跡、ティカル遺跡の拠点の街。 左はフローレスのペテン・イツァ湖 夕方になると、遺跡観光から帰る観光客で大賑わい、湖に飛び込んで泳ぐ若者、街を散策する若い女性たち、居酒屋で酒を飲む人々・・・ |
フローレスの道路標識看板 | フローレス島は数十件のホテル、民芸品店が並ぶ | 本島を結ぶ小舟、立派な橋もある |
☆ティカル遺跡
ティカルは、グアテマラのペテン低地にあった古典期マヤの大都市である。マヤ文明の政治、経済中心都市として2,500年前に繁栄を極めた。ティカルの遺跡は1979年に世界遺産の複合遺産に登録された。 17世紀末、ひとりのスペイン人神父が道を見失い、鬱蒼とした密林の中に迷い込んだ。何日も歩き続け、水も食料も尽きようとしたその時、神父はジャングルにそびえる巨大ピラミッドを発見した。これが熱帯雨林地帯で栄えたマヤ最大の神殿都市ティカルである。マヤ人たちは焼畑農業でトウモロコシをつくって主食にしていた。次々に森林を切り開いていくことで人口を養っていた。 古典期マヤにおいては、カラクムルとともに二分する巨大な勢力でいくつもの都市を支配下においた。 王が政を行ったピラミッド群の周囲に6万人もの人々が暮していた。ティカル周辺には大きな川もなく、鬱蒼としたジャングルだけが広がっている。また、乾季になると雨は全く降らない。ティカルの人々にとって雨季に降った雨水を確保することが生きる為に最も重要なことであった。しかし、ティカルの大地は石灰岩で出来ているため、雨水はすぐに浸み込んでしまう。そこで人々はピラミッドなどからの建造物から大地に至るまで町の全てを漆喰で塗り固めた。漆喰は水を通さないので、水は貯水池に溜められ、大切に利用されていた。徹底した水の確保により、大河無き密林にありながら、都市はどんどん発展していった。 しかし、その裏で文明崩壊のカウントダウンが始まっていた。原因は漆喰であった。漆喰を作る為には石灰岩を燃やさなくてはならない。その燃料となるのが周囲の密林の木々。水を確保するには森を破壊することを厭わなかった。やがてティカルの森は消え、そのため土壌が流れ出し、作物が育たなくなっていった。そして10世紀はじめに起こった干ばつを乗り越えることが出来ず、巨大都市ティカルは崩壊していった。 |
ジャングルに浮かぶ神殿ピラミッド | グラン・プラサ |
コンプレッホ | セントラル・アクロポリス |
見取り図 |
ティカル遺跡の4号神殿から朝日を見学するため、4時前にホテルを出発。延々1時間密林を歩いてきたが、本日は霧 |
やむなく、あきらめて朝飯を食べに帰る人々 | 観光警察が随所に警備 |
遺跡内に多数生息するホロホロ鳥 |
ハナグマ(アライグマ科)が沢山 |
マヤ文明の仮面 | 魔除けであろうか | トウモロコシの皮で作った民芸品 |
遺跡内のコンビニ? | ハナグマは人を恐れない | 密林の中の散策路 |
コンプレッホQ,Rと回る | 同 |
グランプラサ | 三号神殿 | グランプラサ |
春紅葉が美しい |
ジャングルにそびえる遺跡群 | ジャングルを超える高さは数十メートル | 人の顔が彫られている |
圧倒される遺跡群 |
1号神殿が建つ中心部のグラン・プラサ、高さ51m |
たっぷり8時間のジャングル・トレッキングは体力勝負 |
ハキリアリは一直線に行列を作り葉を運ぶ |
葉切蟻・・・ 木の葉を切り取って巣に運ぶ習性のアリ。葉片を大あごでくわえ、頭上にあげて運ぶのでパラソルアリともよばれる。アメリカ大陸の熱帯から亜熱帯地域に分布する。 |
失われた世界の大神殿 | 失われた世界の大神殿正面 | 階段を利用 |
☆神殿修復の過程
最初は遺跡の樹を除く | 枠の作成 | 階段を造る |
補修しながら完成 | 携わる人々 | 完成図 |
マヤの偉大さや神秘性が感じられる |
遺跡内に見かけたタランチュラ(毒グモ) | 遺跡の従業員は平気で手に | 遺跡を登る、勇気が必要 |
タランチュラとは、ヨーロッパの伝説に登場する毒グモ。 語源はイタリアの港町、タラントであるとされる。その地方には毒グモの伝説があり、それに噛まれるとタランティズムという病を発症するといわれた。タランティズムの患者は死なないためには、タランテラという踊りを踊ればいいという伝承がある。速いテンポの踊りで、毒を抜くためらしい。 |
遺跡の最高所から見る他の神殿、感動する。 |
☆マヤ文明とは
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マヤ文明の特徴として、以下のような点が挙げられる。
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☆中米7カ国比較
国名 | 人口 | 面積 | 首都(人口) | 宗主国 | 言語 | 産業 | 特徴1 | 特徴2 |
パナマ | 330万人 | 日本の1/5 | パナマ・シティ | スペイン | スペイン語 | 海運・漁業・金融・観光・バナナ | パナマ運河 | 拡張工事2014年完成、現在の2倍 |
コスタリカ | 450万人 | 九州、四国を足した位 | サン・ホセ | スペイン | スペイン語 | コーヒー・バナナ・畜産・砂糖・観光 | 中米で最も安定した民主主義国 | 高い教育水準常備軍の不保持、 |
ニカラグア | 515万人 | 日本の1/3 | マナグア | スペイン | スペイン語 | 綿花・サトウキビ・バナナ・米・タバコ | 国民所得や識字率などが中央アメリカでも未だに低い | 内戦が長引き、経済が中米で最低 |
エルサルバドル | 685万人 | 九州の半分 | サン・サルバドル | スペイン | スペイン語 | 繊維の軽工業・コーヒー・砂糖 | 米国へ出稼ぎによる家族送金で経済の下支え | 14家族が土地を独占、貧困を招いた |
ホンジュラス | 748万人 | 日本の1/3 | テグシガルバ | スペイン | スペイン語 | 木材・バナナ・コーヒー・綿花・砂糖 | 中央アメリカで最も貧しい国 | アメリカ合衆国資本によるバナナ共和国が影響 |
グアテマラ | 1,368万人 | 日本の1/3 | グアテマラ・シティ | スペイン | スペイン語 | コーヒー・バナナ・砂糖・綿花・カルダモン(スパイス) | 米国へ出稼ぎによる家族送金で経済の下支え | マヤ文明 |
ベリーズ | 31万人 | 四国と同規模 | ベルモパン | イギリス | 英語、スペイン語 | 観光・砂糖・オレンジ・ジュースバナナ | 美しい海と珊瑚礁に恵まれ、「カリブ海の宝石」と言われる | 米国、コロンビアの麻薬中継基地 |
中米諸国の経済所得水準 |
旅を終えて・・・ 何と言っても世界遺産「アンティグア」の古都が素晴らしかった。標高1520m、日本の軽井沢より500mほど高い所にある、避暑地ともいえよう。 しかし、このアンティグアの街はアグア火山の懐に抱かれている。街に立つとアグア火山が迫ってくるような錯覚さえ感じる。東京都内で空を見上げると富士山が覆いかぶさるごときである。 そして二つのマヤ遺跡もダイナミックであった。特にティカルの、ジャングルの中から遺跡が飛び出して見える様は、メキシコ、カンボジアの遺跡を上回るものであった。 グァテマラの国民性で驚きの体験が一つあった。 案の定、ニッチもサッチもいかず道路はパンク状態。パトカーが来ても追い越しはまだやまない。 後日調べると、グアテマラの識字率 は67.3%、中央アメリカでもっとも低い部類であった。途上国の一番の懸案は教育であることを痛切に感じる一コマであった。 終わり |