グレナダ紀行
グレナダの首都セント・ジョーンズ |
旅の初めに・・・ 2014年2月グレナダの旅を計画。 グレナダと聞くと最初に思い浮かぶのがグレナダ侵攻、アメリカのキューバ危機と同じく、東西冷戦の象徴であろう。 平和なカリブ海の国で、何故紛争が起きたのか、そして今は・・・ |
現地みどころMAP |
☆カリブ海のご来光
飛行機から見るカリブ海のご来光 グレナダ国際空港
☆グレナダとは
1983年に起きたクーデター後の混乱時にアメリカ合衆国と東カリブ諸国機構(OECS)によるグレナダ侵攻があり、国際的な注目を集めた。 国旗の左側にナツメグの実が描かれていることからもわかるように、ナツメグの生産が比較的さかん。2005年時点において2747トン(世界第6位、シェア3%)に達する。他の農産品はバナナ、クローブ、シナモン、ココアなど。 観光業も有望で、1979年に樹立した人民革命政府は観光事業の近代化に着手した。グレナダ侵攻後の親米政権樹立後はアメリカ合衆国資本が進出し、1984年の国際空港の完成以来発展を続けている。 住民の8割以上はアフリカ系であり、ヨーロッパ人により連れて来られた奴隷の子孫である。 |
☆セント・ジョージズ(首都)
セントジョージズは、カリブ海のグレナダの首都。人口33000人(2012年)。 主な輸出品はカカオ、ナツメグである。イギリスの植民地だったので、17世紀から18世紀頃のイギリス風の町並みをしており、赤茶色の屋根、レンガ済みの建造物が特徴である。天然の良港の街であり、クルーズ船による観光客も訪れる。 |
☆街並
首都セント・ジョージズの街 | 街は祭り |
女子高生 | 小学生 |
街を歩くお兄さん | 女性警官 |
クルーズ船 | 漁をする船 |
☆グレナダ侵攻
グレナダ侵攻とは、1983年にカリブ海に浮かぶ島国グレナダでクーデターが起きた際、アメリカ軍および東カリブ諸国機構参加国軍が侵攻した事件である。 イギリスの植民地であったグレナダは1974年に独立した。当時、首相だったエリック・ゲーリーとその一族は組織化したギャングによる敵対派への厳しい対応で知られており、外国資本と癒着し独裁を強め失業と貧困が広がり深刻化していった。 これに対し福祉や教育や自由の共同努力を掲げる「ニュー・ジュエル運動」を中心としたクーデターが1979年に起こり、これによりゲーリー政権は軍・秘密警察と共に崩壊した。そして、新たにモーリス・ビショップが首相に就任し、ビショップ首相は人民革命政府を樹立した。ビショップ首相らの人民革命政府は商工会議所など国内各所層の幅広い支持を受け医療や教育や観光事業の近代化に着手していった。 1983年10月に政権内でクーデターが起こり、ビショップらが処刑され、ハドソン・オースティンを首班とする革命軍事評議会が設立された。 この戦争で、アメリカ兵7,300名、カリブ平和軍353名が投入され、グレナダ側はグレナダ兵約1,500人およびキューバ人約722人(高度な軍事訓練を受け武装した建設労働者、および軍事顧問。人数は1,500人程度とも)。このほか、グレナダ国内にソ連、北朝鮮、リビア、東ドイツ、ブルガリア、から来た60人ほどの顧問がいた。 グレナダ各地で戦闘が行われたが、圧倒的な兵力のアメリカ軍は政府関連施設、空港、大学などの拠点を次々制圧した。アメリカ軍にとって本格的な武力侵攻はベトナム戦争以来であったが、この侵攻作戦の成功によって自信を回復した。 |
アメリカ軍の攻撃 | アメリカ軍の圧倒的な軍備 |
アメリカ提供写真 | アメリカ兵7,300名、グレナダ側3,000人 |
30年前の兵器 | キューバの飛行機残骸は今も放置されていた |
☆東カリブ諸国機構
東カリブ諸国機構は、1981年に設立された、東カリブ海諸国の経済統合などを目的とした政府間組織である。1983年には米国と共にグレナダに侵攻した。また、ハリケーンなどの天災が発生した場合には、救援を行うことがある。 加盟国
アンギラ、アンティグア・バーブーダ、イギリス領ヴァージン諸島、グレナダ。セントクリストファー・ネイビス、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、ドミニカ国、モントセラト(9カ国)
☆ホテル
リゾートホテル | ホテルから見るカリブ海 |
乾季のグレナダは雨が殆ど無い | ホテルのプール |
ホテル・ロビーの絵画 |
☆コンコルド滝
看板 | 土産物店 |
滝が随所に | 熱帯雨林ゆえ蒸し暑い |
☆グランド・エタン国立公園
看板 | 管理事務所 | 広い国立公園には湖も |
☆ナツメグ加工工場
ナツメグの木 | ナツメグはコショウ、シナモン、クローブとならぶ四大香辛料の1つ | 果実は成熟すると果皮が割れる |
石灰液に浸してから乾燥させる | 工場の案内人 | 大量、グレナダはナツメグなど「香料の島」 |
最後の段階 | 手作業で選別 |
アンズに似た卵形の黄色い果実をつける。果実は成熟すると果皮が割れ、網目状の赤い仮種皮につつまれた暗褐色の種子が現れる。 この仮種皮を乾燥させたものが香辛料の1つ、メースである。 種子全体または種子の仁を取り出し、石灰液に浸してから乾燥させ、粉砕したものを香辛料のナツメグとする。 独特の甘い芳香があり、ハンバーグやミートローフなどの挽き肉料理や魚料理の臭みを消すために用いられることが多い。またクッキーやケーキなどの焼き菓子にも用いられる。 |
☆ラム酒工場
サトウキビの残骸 | 国中から集荷されたサトウキビ |
水車の動力を利用 | 粉々に砕かれて |
サトウキビの液 | サトウキビに含まれる糖を醗酵・蒸留して作られる | 蒸留されたラム酒を瓶に |
アルコール度75% | 3種類のラム酒が作られている |
☆ランチ・タイム
ラム酒工場に近いレストランへ | 試飲もある | グレナダの文字が |
レストラン | ビュッフエ・スタイル |
☆街並
港にはヨットが多数 | グレナダは野生動物の宝庫 | ウミガメの生息地 |
ビーチでは目の保養 | あどけない現地の子供 |
クルーズ船が連日数隻 |
☆「世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜:テレビ東京」 (毎週夜9時放送)
You Tube 「世界ネゼそこに?・・・・」 ←(クリック) | 空港待合室の撮影班、この後同じ飛行機になる |
今回の旅で、テレビ東京の撮影班3人と2日間同じ飛行機、同じホテルで共にした。 「世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜」 ユースケサンタマリア他で毎週月曜日7:54からの放送。 カリブ編の撮影で、「セント・ビンセント」の小島に住む人を撮影の帰りと言う。たった3人である。質問を矢継ぎ早に浴びせる。 三人だけで大丈夫ですか? ええ、何とか。本来は2人だけなのです。 今回は日本に帰り、編集を済ませて、次のアラブ首長国、次がイスラエルへと行かねばなりません。疲労がたまった顔で愛想よく応えてくれた。三人共に活力に満ちた顔をしている。 私は言わねば良いのに、つい余計な事を言ってしまった。テレビ東京さんは昔からお金のかからない番組製作が得意ですね〜 いやあ〜、良くご存じですね〜。 どこかタイトルにふさわしい国と、波乱万丈の方を御存じないですか? ハイ、任せなさい! 昔、私の現役時代にスタッフの息子さんがテレビ東京に勤務していた。今は幹部になっているかも知れない。盆と正月に帰って来ても、テレビはNHKばかり釘ずけで見ていると言う。国の予算で贅沢に費用をかけられるテレビ局と貧乏局では悩みも多かった事であろう。その後、テレビ東京は大きく舵を切り、旅番組やグルメ番組に重心を移していったようだ。 今やテレビ局は競うように、朝日放送は「世界の村で発見! こんなところに日本人」、(千原せいじ、千原ジュニア他) 最近のテレビ放送は多様だ。韓流も下火になり、お笑いも女・子供しか見ないという。それに引き換え世界の国の旅番組が多いようだ。BS放送は特に顕著である。 それにしても、撮影が簡素で、費用も少なく、視聴率も取れる、登場人物には多分ギャラは不要であろう、この様な番組を考えた仕掛け人はやはり頭が良いと言うべきなのだろう。これは右脳なのか、左脳なのだろうか。それとも水平思考か? |
☆ディナー
サラダ | シーフード入り春巻き | メインはパスタ |
独立後 |
☆カリブ海諸国一覧
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旅を終えて・・・ グレナダの現地ガイド兼運転手から聞いた話である。 国の発展段階で確かにクーデターもあり、争いもあったが、アメリカの侵攻には酷いものがあったと国民の多くは受け止めていると言う。 アメリカは国力と武力でグレナダに多くの被害を残した。国民は決して好意的には見ていませんと言う。印象的であった。 いつの世も大国の思惑が平和な国を左右している。過去も今もである。 |