ホンジュラス共和国

     

  

    


 旅の計画・・・

 2012年3月、中米7カ国旅行でホンジュラスを訪れることにした。

 中米で最も貧しい国で、日本のODA(政府開発援助)・・・
 「政府 または政府の実施機関によって開発途上国または国際機関に供与されるもので、開発 途上国の経済・社会の発展や福祉の向上に役立つために行う資金・技術提供による」・・・ の援助が最も多い国の一つであるという。
 治安も良くないらしいが、多少の不安は期待とスリルにもつながる。

 マヤ遺跡もあることと、危険個所は省略することで計画に入れる事とした。


   ☆ホンジュラスという国

 スペイン人がインディヘナ(現地住民)を武力で服従させると、グアテマラ総督領として支配を行った。この地から豊富な金や銀などが産出するとスペイン人の植民が進んだ。

 1838年に中米連邦が瓦解すると「ホンジュラス共和国」として独立した。

 1919年に内戦が勃発し、ホンジュラスの内政は混乱に陥ったため、アメリカ合衆国がバナナ権益を保護するために内政干渉に乗り出すことになる。また、1920年代にホンジュラスは世界のバナナ市場の約1/3を供給していた。

 1870年代からバナナ・プランテーションが形成され、最初に「バナナ共和国」と呼ばれる国になり、アメリカはユナイテッド・フルーツ社を立ち上げ、中米全体に君臨することになる。

 ホンジュラスは歴史的にニカラグアと並んで中央アメリカで最も貧しい国であり、西半球で十番以内に貧しい国であると同時に世界最貧国の一つでもある。

 19世紀、アメリカ資本によるフルーツ会社は、バナナを運搬するため鉄道、電話、発電所、電力などを設備した。長い間米国の隷属化におかれた。しかし、他国のような内戦が無く安定しているが、国民の貧しさは変わらない。日本の経済援助が最も多い国。


      ☆首都テグシガルパ

 人口は897,000人(1997年)。テグシガルパ市は海抜990メートルのテグシガルパ谷の中に位置する。テグシガルパはこの土地の原住民の原語で「銀の山」を意味する。

 市の主要産業は、繊維業、砂糖、タバコである。テグシガルパは16世紀に建設され、および鉱業の中心地であった。


   ☆ 国境→ホンジュラス

ホンジュラスに入ると橋の上に日本のマークが目に付く。日本のODA(政府開発援助)で造られた橋であると言う。

現地ガイドがMAPを広げて説明(車内)

次はHONDURASのパンフレットで説明

車には国の名前が

首都テグシガルパにて


    ☆コパン遺跡

 コパンは、ホンジュラス西部にある古典期マヤの大都市。1980年にユネスコ世界遺産に登録された。

 コパンでは少なくとも16代の王が即している。16代目の王の即位に際して製作された祭壇Qのレリーフでは、各々の名前を示すマヤ文字の16人それぞれの王が刻まれている。また側面のレリーフに17代目の王を刻んだ祭壇Lがあるが、この祭壇は未完成であり、17代目の王が即位したかどうかは不明。

神殿や石碑が残る「グラン・プラサ」

怪物の石碑?

コパン遺跡入口

1980年世界遺産登録

現地ガイドはケツァールの羽で説明

コパンは、ホンジュラス西部にある古典期マヤの大都市

巨大な石柱や石碑が林立

石柱

石碑

遺跡内にはコンゴウインコが多数生息

           動画・・・・・コンゴウインコ

遺跡内は小高い丘が多数

長い年数の間に、遺跡の上に巨大な樹木が

この地域は、紀元前6000年頃から農耕を始めていた

高層な神殿が重なり合う

日本語の見取り図

神殿を樹木が壊している

石柱

神聖文字の階段は保護の為覆いが

神聖文字の階段近景

レリーフに17代目の王を刻んだ祭壇Lがあるが、この祭壇は未完成であり、17代目の王が即位したかどうかは不明。

コパンはマヤ時代、科学センターの役目をしており、1年365日を既に導入していた

               動画・・・・コパン遺跡

16人の王が刻まれた祭壇Q: コパン最後の16代「日の出王」と初代「ケツァール・マカウ王」が正面に向かい合う


  ☆ コパン・ルイナス(牧歌的な町)

コパン遺跡に近いこの町は人口6,000人

公園前のホテルに泊まる

1階のレストランで先ずは1杯、更に一杯・・・

ホテル前の公園は祭りの最中、早朝4時まで大騒ぎ、それでも疲れてこちらは騒音が子守唄でぐっすり


    ☆中米7カ国比較

国名

人口

面積

首都(人口)

宗主国

言語

産業

特徴1

特徴2

パナマ

330万人

日本の1/5

パナマ・シティ
(70万人)

スペイン

スペイン語

海運・漁業・金融・観光・バナナ

パナマ運河

拡張工事2014年完成、現在の2倍

コスタリカ

450万人

九州、四国を足した位

サン・ホセ
(38万人)

スペイン

スペイン語

コーヒー・バナナ・畜産・砂糖・観光

中米で最も安定した民主主義国

高い教育水準常備軍の不保持、

ニカラグア

515万人

日本の1/3

マナグア
(168万人)

スペイン

スペイン語

綿花・サトウキビ・バナナ・米・タバコ

国民所得や識字率などが中央アメリカでも未だに低い

内戦が長引き、経済が中米で最低

エルサルバドル

685万人

九州の半分

サン・サルバドル
(32万人)

スペイン

スペイン語

繊維の軽工業・コーヒー・砂糖

米国へ出稼ぎによる家族送金で経済の下支え

14家族が土地を独占、貧困を招いた

ホンジュラス

748万人

日本の1/3

テグシガルバ
(110万人)

スペイン

スペイン語

木材・バナナ・コーヒー・綿花・砂糖

中央アメリカで最も貧しい国

アメリカ合衆国資本によるバナナ共和国が影響

グアテマラ

1,368万人

日本の1/3

グアテマラ・シティ
(204万人)

スペイン

スペイン語

コーヒー・バナナ・砂糖・綿花・カルダモン(スパイス)

米国へ出稼ぎによる家族送金で経済の下支え

マヤ文明
米国のフルーツ会社が搾取

ベリーズ

  31万人

四国と同規模

ベルモパン
(2万人)

イギリス

英語、スペイン語

観光・砂糖・オレンジ・ジュースバナナ美しい珊瑚礁に恵まれ、「カリブ海の宝石」と言われる米国、コロンビアの麻薬中継基地

 中米諸国の経済所得水準

      
上位のパナマ、コスタ・リカ中位のグアテマラ、エル・サルバドル下位のニカラグア、ホンジュラスと三段階に別れる


  ☆ホンジュラス略史

年  代

出来事

紀元前1200年頃     古代オルメガ文明発達      1821年      スペインより他の中米各国とともに独立
1502年           コロンブスが中米発見1823年  「中米諸州連合」(グァテマラ、エルサレバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ)結成  
1537年           先住民3万人が抵抗したが敗れた1838年  「中米諸州連合」から独立。以後独裁的大統領が交互に交代、貧困化。
1539年           スペインが「グアテマラ総督府」をおき管理下となる1982年  民政移管


   ☆マヤ文明とは 

 ☆マヤ文明における大規模かつ政治的影響が大きいもの、または考古学的に重要な発見があったものは次の8か所。

 マヤ遺跡は、現在判明している遺跡だけでも4400ヵ所を超えているが、マヤ文明を構成する人々とその文化は、現在のグアテマラ、ベリーズ、 ホンジュラス、エルサルバドル、メキシコの地域で、紀元前2000年頃から紀元後9世紀頃まで、2500年以上の長きにわたり繁栄を誇っていた。

             名称                   

               国                   

              説明                                       

  ウシュマル  メキシコ 精緻な彫刻で知られるプウク様式の代表的な遺跡。魔法使いのピラミッド、尼僧院といった遺構がある。1996年、世界遺産に登録された。
  カラクムル  メキシコ 古典期を通じてティカルとライバル関係にあったカーン(蛇)王朝の首都。高さ45メートルのピラミッド、構造物2などがある。2002年、世界遺産に登録された。
  キリグア  グアテマラ 卓越した彫刻の巨大なモニュメントで知られるモタグァ川流域の遺跡。古典期後期にコパンを破り最盛期を迎えた。1981年、世界遺産に登録された。
  コバン  ホンジュラス 立体的な浮き彫りを施した彫刻で知られるモタグァ川流域の大遺跡。神聖文字の階段や、王朝の歴史が刻まれた祭壇Qなどがある。1980年、世界遺産に登録された。
  チチェン・イッツァ  メキシコ 神秘的なセノーテやトルテカとの関連で知られる後古典期前半マヤ文明における実質的な首都。トルテカ・マヤ様式、プウク様式が混在する。1988年、世界遺産に登録された。
  ティカル  グアテマラ カラクムルと古典期マヤの覇権を争った大国の首都。密林の中に高さ50メートル以上の神殿ピラミッドが林立する。1979年、世界遺産に登録された。
  パレンケ  メキシコ 神殿ピラミッドの下部から王の墓が発見されたことで知られるウスマシンタ川下流域の遺跡。1987年、世界遺産に登録された。
  ホヤ・デ・セレン  エルサルバドル エルサルバドル西部に位置する古典期マヤの集落の遺構。「中米のボンベイ」として知られ、火山灰により集落が当時のまま残されている。1993年、世界遺産に登録された。

 マヤ文明の特徴として、以下のような点が挙げられる

  • 青銅器鉄器などの金属器をもたなかった
  • 生贄の儀式が盛んであった
  • 車輪の原理は、土偶などの遺物に出てくるにもかかわらず、実用化しようと考えていなかった
  • 牛や馬などの家畜を飼育しなかった
  • とうもろこしの栽培のほかにラモンの木の実などが主食だった
  • 焼畑(ミルパ)農法や段々畑・湿地で農業を行った
  • 数学を発達させた(二十進法を用い、の概念を発明した)
  • 文字種が4万種に及ぶマヤ文字を使用していた
  • 持ち送り式アーチ工法など高度な建築技術を持っていた
  • 極めて正確な暦を持っていた(火星金星の軌道も計算していた)
  • 多くの文明は河川の水の恵みにより発展してきたが、マヤ文明はセノーテとよばれる天然の泉により発展した


 マヤ文明崩壊の推理
 
・異民族の侵入
 ・疫病の発生
 ・都市間の争い
 ・支配者階級の反乱力を蓄えた地方首長などが王に対し反乱を起こしたという説。
 ・環境の激変、人口増加により食料が不足し、壊滅したという説。
 ・交易経路の変更、マヤ文明は交易により繁栄したが、経路変更により交易が衰退し、その結果として都市が放棄 
 されたという説。


 旅を終えて・・・

 ホンジュラスのドライブ・インで日本人の若い女性に会った。こちらが日本人と気づくや否や、つかつかとやって来て、ニコニコと話しかけてくれた。
 日本人が観光で来てくれるのが珍しく、また久し振りに日本人に会えるので嬉しいのです。と言う。

 聞くと、ODAのJICA(国際協力機構)の派遣で仕事に来ていると言う。さまざまな組織作りと支援で、ホンジュラスの国を走り回っているそうだ。
 まだ20〜30代の若さで、不便な生活の中で、希望と理想を掲げながら期待にこたえようとする、真剣な眼差しで話をする若者に、感動して聞いていた。

 若さと言うのは何物にも代えがたい。
様々な体験をすることだろう。挫折もするだろう。喜びも感動も、悲しみも、まさしく喜怒哀楽を味わうであろう。

 「頑張って下さい!」 「有難うございます!」 と言葉少なに分かれた。

 ここ中米で最も貧しい国、と言う不本意なレッテルをはられたホンジュラス。しかし、子供達の笑顔はすこぶる明るい。ポケットに入っていた飴玉を子達にあげるしかできない自分だが、心は一瞬通じた気がする。

 そんな心が通じたホンジュラスであった。                         おわり


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