インドネシア共和国紀行

           

インドネシア郊外の避暑地ボゴールにある植物園。前方は大統領宮殿、池には深紅のハスの花

地図の説明

 2011年8月、インドネシアを訪問する。ジャワ島の首都ジャカルタを中心に観光。赤道直下だけにさすがに暑い。連日35度の猛暑、しかし湿度が少ないのか日陰に入ると涼しい。
 オランダの統治が長かったためか運河をはじめ、どこかオランダを彷彿とさせる。アセアンの本部もあるインドネシアは何処まで発展しているだろうか。
何しろムスリム人口が世界で一番多い国である。興味深い国である。

   ☆ 着陸

インドネシアは18,110の島(世界一)からなる

成田から飛行時間7時間30分、時差は2時間

首都ジャカルタがあるのはジャワ島

農業国だけに田園が広がる

街並みが見えてくる

空港は街はずれ

   動画・・・ジャカルタに到着   http://www.youtube.com/watch?v=PXm_UH-k2Rg&feature=mfu_in_order&list=UL

     ☆ ジャカルタの国際空港

カストロ・ハッタ国際空港は南国らしいたたずまい

国営航空会社は「ガルーダ・インドネシア」神鳥の意

イスラム圏アラブ首長国連邦、アブダビ航空の飛行機

インドネシアにヨーコソ!かな?

     ☆ インドネシア ワンポイント情報

 ・正式国名   インドネシア共和国             ・民族構成     マレー系住民             
 ・面積      日本の5倍                  ・宗教        イスラム教(87%)、プロテスタント6%、カトリック4%、ヒンドゥー教1%、仏教1%
 ・人口      2億4,000万人(世界第4位)        ・言語        インドネシア語
 ・首都      ジャカルタ(人口884万人)         ・経済        農業(ココナツは世界一)、鉱業(石油石炭天然ガス)工業(木材、セメント、肥料)
 ・元首      ユドヨノ大統領

     ☆ ジャカルタの街並み

一歩空港を出るとそこは南国

バスで都心へ、常に渋滞1時間以上

空港のショッピング街には「ほかほか弁当」の英文字が

街には運河が、ドヤ街と向こうには近代ビル

首都ジャカルタの人口は884万人

紀元前に建てられたような家も?

ヒジャブとはスカーフで頭髪を隠すこと。イスラム教の教義から、女性が肌や顔を露出することが誘惑に繋がると考えられるため。

お嬢様達もイスラムの信者!

交通網は劣悪、常に渋滞。

オート三輪車のバジャイはアジアの発展途上国らしい

チャリンコで商売

      ☆ 食事処 四川料理「サウス・ビューティー」

2000年北京にオープン、ジャカルタにも出店の人気中華料理。店内装飾も鮮やか

夕食は四川料理「サウス・ビューティー」

サラダは各種野菜と香辛料を入れてシェーク

  お洒落な中華で若者に人気とか

   ☆ 朝の渋滞

通常10分の所を1時間半、車とバイクが多すぎる

バイクがバスにこすれても平気、この国は保険なし

郊外に出るとスムーズ

     ☆ 国立博物館

インドネシア随一の博物館

インドネシア王朝時代の数々が展示

海洋国インドネシアの象徴

立派なシンボル

どちらが立派?

昔の楽器、真ん中をたたくと良い音が出る

ワヤン(影絵や人形芝居)

日本にもありそう

漁師の生活模様

農家の生活模様

何でしょう? 左下参照・・・

コテカと云う男性用下着(ペニスケース)、南国に多いようだ。

タナ・トラジャの伝統家屋「トンコナン」

日本からの陶器も展示されている

    ☆ 街並み

インドネシアの街並みは意外と綺麗

さまざまな職業・・・傘を持ちたがらないインドネシア人を雨の日目的地まで送る商売。

自販機は無い。手動式販売。

   ☆ モニュメント三体

キリスト教のカテドラル(大聖堂)

通り一つ挟んで建つ東南アジア最大規模のイスラム教礼拝堂。
12万人収容。インドネシアは世界最大のムスリム人口を抱える。
独立記念塔(モナス)は高さ137m、頂上部には35kgの純金で燃え盛る炎が。

     ☆ 旧国立公文書館

オランダ時代の総督邸は今、古文書館

右側の部屋は当時の召使の部屋、権力が想像できる

   ☆ 街路樹

街並みがとっても綺麗

結婚式の花嫁さんは公園で写真撮り

   ☆ インドネシア料理

本日の昼食は「ダプール・ババ」

ウエルカムドリンクは「アイス・レモングラス・ティー」

デザートは「ピサン・ゴレン」 バナナ?

メインは「ナシ・チャンプル・ババ」 ご飯と様々なおかずを盛り合わせ。

    ☆ 街中の商売

絵を描いて売る、他にもズラリ。

屋台のような商店

軒先で何でも売る

      

     ☆ インドネシア交通事情

バジャイ : 赤い三輪自動車タクシー

オジエッ : バイク・タクシー、4km100円程度

ベチャ : 三輪自転車の前部に座席

ベチャマシーン : バイクの前に座席

馬車 : 田舎では現役

青いタクシー : ジャカルタでは信用あり

    何と言ってもこの商売がNO1!  
   おくり人 : 雨の日、目的地まで送りま〜す

     ☆ ファタヒラ広場とジャカルタ歴史博物館

オランダ統治時代の市庁舎。今は歴史博物館

ファタヒラ広場は「オランダ東インド会社」時代の建築物で囲まれている。夜は賑やかになる。

 ファタヒラ広場

旧バタビア、オランダ植民地支配の中心でもあった場所には、石畳の広場の正面に1627年に建てられた市庁舎が立ち、周囲にも大きく趣のある建物が立つ。
近くの運河の両脇にも今も赤い屋根の商館の跡が立ち並び、当時のオランダの「オランダ東インド会社」の名残を感じる。
しかし、ほとんどの建物が朽ちるままにされ、天井は落ち、壁は崩れ、木々に埋もれてしまっている。景観の良い運河も悪臭とゴミが目立つ。インドネシアはまだこの景観で世界中から観光客を呼ぶという概念が無いようだ。
未だ発展途上国の一国としか映らないこの国は、交通網や街中の景観にまで手が回らないのであろう。

運河では、観光地として脚光を浴びる、元統治国のオランダの良き所を生かせていないようだ。

ジャカルタ歴史博物館

VOC時代の死刑

VOC時代の牢獄、足に鉄玉を結ぶ

オランダ東インド会社とは・・・

 オランダは、ハプスブルグ家により、スペイン同様支配されていた。以後スペインからの占有から独立を果たす。

 しかし、スペインに対しての反乱を継続中であったオランダは、スペインの貿易制限、船舶拿捕などの経済的圧迫に苦しんでいた。当時、東南アジアの香辛料取引で強い勢力を有していたポルトガルが、1580年にスペインに併合されていたことで、ポルトガルのリスボンなどを通じた香辛料入手も困難になっていた。

 こうした中、オランダは独自でアジア航路を開拓し、スペイン(と併合されていたポルトガル)に対抗する必要があった。1595年から1597年までの航海を通じてジャワ島のバンテンとの往復に成功を収めると、いくつかの会社が東南アジアとの取引を本格化させた。しかし、複数の商社が東南アジア進出を図ったために現地(東南アジア)での香辛料購入価格が高騰した上、本国(オランダ)で商社同士が価格競争を行ったため売却価格は下落する一方であり、諸外国との経済競争を勝ち抜く上で不安が残された。さらに、1600年にイギリス東インド会社が発足したことは、この懸念を深めさせた。その後、イギリスとは香辛料争奪で第1次〜3次戦争につながった。

 1602年3月20日にオランダ東インド会社が設立され、これは世界初の株式会社といわれている。会社といっても商業活動のみでなく、条約の締結権・軍隊の交戦権・植民地経営権など喜望峰以東における諸種の特権を与えられ、アジアでの交易や植民に従事し、一大海上帝国を築いた。資本金約650万ギルダー、本社はアムステルダムに設置され、重役会は17人会と呼ばれた。18世紀末に政府により解散させられた。

 インドネシアにおける「オランダ東インド会社」の役目とは・・・

 オランダ本国のアムステルダムと同様に運河を作り、敵からの防衛のためと、物資運搬のためである。特にヨーロッパでは肉類が豊富に食べられる文化で、その貯蔵に悩まされていた。そこへ東南アジアの香辛料が匂い消しと傷み防止の作用があり、争っての争奪合戦となった。ヨーロッパではこの香辛料の生産が不可能であったからである。
また良質コーヒーの生産も魅力であったため、オランダは何としても運河を作り、このインドネシアを統治せざるを得なかった。

 その統治は延々350年に及んだ。しかし1942年の第二次大戦で日本軍に敗走することになる。
ここで、日本軍は全国住民組織、軍隊など、オランダが決して教えなかったことを教え、インドネシア人に大きな刺激を与えた。初代大統領のスカルノにも影響を与えている。反面、経済無策、食糧強制徴用、「ロームシャ(労務者)」強制労働などの暴政も敷いている。
 こうしてオランダや日本の植民地政策は終焉を迎えたことにより、インドネシアの独立・発展がなされていると言えよう。

    ☆ 断食

ジャカルタの日本語新聞

「断食」の新聞掲載記事(弁当の中身=ご飯、鳥の素焼き、卵、糖分いっぱいのナツメヤシ)。礼拝後モスクで無料配布される。ガイドのヘンさんは熱心なムスリム(イスラム教徒)、しかし断食は心地よいけど疲れます、と夕方は元気が無い。

昼下がり、疲れて寝てしまう人も多い。

軽食を作り売る人も、「断食」で日中は商売にならず、夜まで昼寝。

イスラム圏の国では
 丁度、ラマダーンの月 (2011年は8月1日〜8月29日)、日の出 4 時から日没 18 時までの間、イスラム教徒の義務の一つ 「断食」 として、飲食を絶つことが行われる。
食べ物はもちろん、水分も取らない。およそ1ヶ月間実行すると4〜6kgは体重が減るそうだ。断食に慣れるまでの最初の2〜3日が特にきついそうだ。街中で見かける人々はとりわけ午後がきつそうで、ぐったり、げんなり覇気がない。中には広場や公園で寝ている人がいる。

 この時期、インドネシアは降水量は年間で一番少ないが、年間を通じて気温は常に30度半ば、朝夕でも25度以上だ。照りつける太陽はギラギラと猛烈に暑い。帽子が無ければ歩けない。そのような中で水分をも一切取らないと云うのは自殺行為のようなものだ。
 観光で訪れている外国人も、そのような苦難に耐えている人々の手前、ペットポトルの水を飲むにも袋に入れたり陰で飲むなどの配慮をしている人が多い。

 断食といっても1ヶ月間という期間を完全に絶食するわけではなく、日没から日の出までの間(=夕方以降から翌未明まで)に一日分の食事を摂る。
旅行者や重労働者、妊婦・産婦・病人、乳幼児など合理的な事情のある場合は断食を免除されるなど、ひと口に「断食」と言ってもその適用範囲にはある程度の柔軟性と幅を持つようだ。
 断食期間中に禁止されている行為は、飲食、喫煙、性行為、投薬(ただし健康上支障をきたす者は断食が免除されるので、投薬もやむをえない。)、故意に物を吐く事などである。
 
 断食をするかどうかは原則として宗教的モラルの問題であると言う。
 
 断食はヒジュラ(イスラム教の創始者ムハンマドと、その信者たちが聖地に移住した時の苦難の道中)の苦難を追体験するために行われるものと云われている。したがって、飲食物の摂取量を減らすことが目的なのではなく、あくまで宗教的な試練として課される。また、食べ物に対するありがたみを感じさせるためと、最大の欲望に打ち克つこと、残ったお金を恵まれない人々に喜捨をすることなどを目的にしているという。

 断食月に入ると、日没の18時から飲食が可能になる。
しかし、日中一切断食しているので空腹といえど急に食事をすると吐き気がして体が受け付けないそうだ。先ずは水を飲む。この時の水のおいしさは何にも例えられない旨さだと言う。そしてやや時間をおいて、果物などの甘い飲み物で体を慣らす。そして本格的な食事は夜9時〜10時になる。
 中には断食の反動で食べ過ぎて肥満になる人もいるようだが、おおむね大半はそれほど体が受け付けないそうだ。
食べるよりも、睡眠を欲するらしい。1日の疲れが体のリズムを壊してしまうので睡眠を十分取るのが重要らしい。

何故、断食をするのだろうか?
それは下記のイスラム教の信者としての義務から発生するようだ。

 イスラム教徒の義務

六信五行(ろくしんごぎょう)」という義務。
 「六信」とはムスリムが信じなければならない・・・・・ 「神」「天使」「啓典」「預言者」「来世」「天命」。この六つ。
 「五行」は、ムスリムが行わなければならない・・・・・「信仰告白」「礼拝」「断食」「喜捨」「巡礼」の五つ。

「礼拝」 は1日5回、街中のスピーカからアザーン(礼拝)のために大音響で知らされる。8月は日の出の早朝4時、そして昼、15時、夕方、寝る前だから忙しい。
われわれ観光客にも、早朝4時の大音響でホテルの部屋にも聞こえてくる。慣れないと何事かと驚かされる。
火事か、デモか、暴動かと一瞬疑いたくなる。

だが、礼拝とわかるとその音が神秘的にさえ感じられる。

「断食」で食費が浮いた分を、「喜捨」と云う貧しい人たちにほどこしをするのが義務らしい。
この時、余裕のある人は上乗せをして恵むそうだ。興味あるのは、この時与えた方も恵まれた方も、「礼」はないそうだ。何故かと言うと「神の教え」に基づいているのだから礼は無くて良いという理屈らしい。

 日本ではそのような理屈は「屁理屈」とも云うよ! とガイドのヘンさんに云うと、日本語習得に熱心な彼はすぐその意味をメモにとる。
これは宗教上評言がまずいと思い、詳しく説明を加えておいた。するとヘンさん曰く。私には娘が3人いまして大学生なのです。都合が悪くなると娘たちは理屈を並べて私の云う事を聞かないのです。その理屈は決して理にかなっていないのです。これが「屁理屈」ですね、と云う。 世の親はいずこの国も同じようでした。

   ☆ ワヤン(影絵や人形芝居)博物館

ワヤン博物館は昔プロテスタント教会、ファタヒラ広場にある。

影絵と人形芝居、日本でも来演したらしい。

民芸品売り場。紙の人形がよく売れている。

    ☆ オランダが築いた運河

こちらはオランダの運河、今でも物資輸送に利用。抜群の景観で観光の目玉。

こちらがインドネシア:ジャカルタの運河。似ている。

 動画・・・ジャカルタの運河で聞こえるアザーンの大音響がスピーカーから流れる。アザーンとはイスラム教における礼拝(サラート)への呼び掛けのことである。

                  http://www.youtube.com/watch?v=rUYV35utaPo&feature=autoplay&list=ULuz_UEOfA2Ww&index=21&playnext=2 

左側にオランダが造ったワヤン博物館やファタヒラ広場がある。左右には赤い屋根の商館が建ち並ぶが朽ち果てているのが多い。保存されるには時間が必要だろう。ジャカルタ市内には、このような運河が縦横に造られている。オランダが香辛料やコーヒーを運搬するためだ。

運河に残されている跳ね橋

木で作られている

ゴッホの絵画でも見られる跳ね橋

跳ね橋の両岸に咲く街路樹

跳ね橋の両岸に咲く街路樹

      ☆ スンダ・クラパ港

運河から運ばれた物資は、この港からオランダに運ばれた。

          今では木造船ばかりが並ぶ。ここの労務者は1日の賃金300円程度

    ☆街の雰囲気

ジャカルタ鉄道駅

日よけは手製のタクシー

ヒジャブ(スカーフ)が似合う女性、隣の人はどうして?

家の飾り物を売る男性

バナナと芋?

   ☆高原の避暑地ボゴール

ジャカルタから南に60Km、オランダ植民地時代からの避暑地。世界各地から15,000種類の植物が集められている。

エコ車に乗って説明付き。

ガイドのヤンさんが説明。

前方は大統領の避暑官邸

ハスの葉も大きい

1817年に造られた植物園

巨大な赤ラワン

クリスマスツリーのよう

黄色いリボン?

    ☆ ラン園 (植物園内)

   ☆ オランダ統治時代の名残の料理

植物園内の高台テラスにあるレストラン「カフェ・ダウナン」

インドネシアの美味しいビール「ビンタン」は300円

ポーズをとるムスリムの若者達

メイン料理は「ライスターフェル」、ご飯といろいろなおかずの盛り合わせ、左はしの卵の下はトウガラシ。

   ☆ ふたたびジャカルタ

北を指さすモニュメント、世界で発展している国はインドネシアより北にある。だから北に見習おうと建てられたという。

ロータリーにあるモニュメント

アセアンの本部はジャカルタ

   ☆ コーヒーの王様ルアクトラジャ・コーヒー

日本でもおなじみのトラジャ・コーヒー

「コーヒーの王様」 コピ・ルアク(ルアックコーヒー)2000円也

サリナ・デパートの民芸品

 インドネシアは世界第4位のコーヒー生産国
 インドネシアの「コーヒーの王様」、需要急増でジャコウネコも大忙しだそうだ。 「ルアク」 とは現地語でジャコウネコのこと。外見がイタチに似たこのジャコウネコの糞から取り出されるコーヒー豆を焙煎するルアックコーヒーは、世界の食通の間で珍重されている。
このコーヒー豆が生産される過程でジャコウネコが果たす役割は2つある。
 まず、ジャコウネコはコーヒー豆を食べる際、よく熟した消化しやすい実を選ぶ。専門家によると、実を見分ける能力が最も高いのは野生のジャコウネコだが、かれらの糞を「収穫」するのも最も難しい。
 次に、ジャコウネコは実を食べる時に固い外殻をかじりとるので、ジャコウネコの消化液が豆に浸み込み、豆に含まれる物質が微妙な化学変化を起こす。スマトラ島のコーヒー品種は通常アラビカ種だが、この微妙な変化を経た豆を糞から取り出し、洗って軽く焙煎すると、コーヒーの苦みが消え、柔らかな独特のフレーバーが醸し出される。
だから、カップ1杯で100ドル(約8000円)もの高値が付くインドネシアの世界最高級コーヒー「コピ・ルアク(ルアックコーヒー)」は、インドネシア最大のデパート「サリナ・デパート」では何と一袋2,000円也。飛ぶように外国人が購入していく。

一方、インドネシアのスラウェシ島の、この地方で生産されるトラジャ・コーヒー豆は第二次世界大戦前はオランダ王室ご用達であったほどの高級品である。
しかし、戦後にインドネシアが独立し、オランダ人が追放されてから、トラジャのコーヒー産業は衰退し、長らく「幻のコーヒー」と言われていた。トラジャ・コーヒーを再興したのはキーコーヒーで、農民たちに近代的な栽培技術や品質管理を教え、20年の歳月をかけてコーヒー農園事業を軌道にのせた。

   ☆ カフェ・バタヴィア

ジャカルタ・ファタヒラ広場のレストラン・・・カフェ・バタヴィア

広場で2番目に古い建物にある

本日は点心盛り合わせ

   ☆ スラウェシ島のタナ・トラジャバリ島

トラジャ・コーヒーで有名な、タナ・トラジャの「トンコナン伝統家屋」

妖しい雰囲気?のバリ島伝統舞踊


バリ島デンパサールの住宅

素晴らしいビーチが続く

タバナンの美しいライステラス

    ☆ インドネシアの歴史

年 月

略 史

7世紀後半〜スマトラに仏教国スリウィジャヤ王国が勃興。
8世紀中部ジャワに、仏教国シャイレンドラ王朝が起こり、ボロブドゥール等の有名な仏跡を残す。
13世紀イスラム文化・イスラム教の渡来。北スマトラのアチェ地方に最初のイスラム小王国が現れる。ジャワにマジャパイト王国が勃興し、ジャワ以外にも勢力を伸長
1596年オランダの商船隊、西部ジャワのバンテン港に渡来。
1602年オランダ、ジャワに東インド会社を設立。
1799年オランダ、東インド会社を解散、インドネシアを直接統治下におく。
1942年日本軍による占領。
1945年8月17日、スカルノ及びハッタがインドネシアの独立を宣言。スカルノが初代大統領に選出。オランダとの間で独立戦争(〜1949年)。
1949年ハーグ協定によりオランダが独立を承認。
1955年バンドンで「アジア・アフリカ会議」開催。
1965年軍部と共産党との緊張の高まりを背景に9月30日事件が発生。翌年3月11日、スカルノ大統領は権限をスハルトに一部委譲。
1968年暫定国民協議会、スハルトを正式大統領に任命。(第2代大統領)
1998年アジア通貨危機をきっかけに、ジャカルタを中心に民主化運動が拡大。スハルト大統領辞任、ハビビ大統領就任(第3代大統領)
1999年住民投票により東ティモールの独立が決定。
ワヒッド大統領就任(第4代大統領)
2001年メガワティ大統領就任(第5代大統領)
2004年初の国民直接投票による大統領選挙でユドヨノが大統領に当選。ユドヨノ大統領就任(第6代大統領)
2005年ヘルシンキ和平合意(独立アチェ運動(GAM)との和平成立)
2009年ユドヨノ大統領再任


 旅を終えて・・・

 インドネシアを訪れたのは8月1日、丁度この日からイスラム圏はラマダンの断食が始まったばかり。
イスラム圏の国には何度か訪問しているが、ラマダンの断食を見るのは始めてであり好奇心をもって観察をした。

 インドネシアには世界一が二つある。
一つは島が18,110もあり世界一。面積も日本の5倍もある。

もう一つは世界最大のムスリム人口を抱えるのがインドネシア(2億286万人)で、パキスタン(1億7千万人)やインド(1億6千万人)を寄せ付けない。インドネシアは全人口の9割以上がムスリムなのである。

総人口でも、中国、インド、アメリカに次いで4番目の、2億4,000万人に達する。

政治的にも現在は安定しており、経済成長率もASEANの中でも期待されている。今後課題であるインフラ整備(道路・鉄道・通信等)が進み、宗教対立が無ければ驚異的に発展するかもしれない。しかしそれには政治家の手腕が問われるだろう。汚職、癒着、政争・・・が無ければ。

        ◎ 動画・・・・・「ラバウル小唄」    http://www.youtube.com/watch?v=bcLzbSlE-eM
        ◎ 動画・・・・・「ブンガワン・ソロ」  http://www.youtube.com/watch?v=SGaXby_P02Q

 

                                                                                 
                                                                                    インドネシア編    終わり

                                                                       参考文献
                                                                             ・知求アカデミーBOOKS インドネシア
                                                                             ・インドネシア 他民族国家という宿命 中央公論社刊    
                                                                             ・バタヴィアの面影     ワールド航空サービス
                                                                             ・地球の歩き方 インドネシア   ダイアモンド社
                                                                             ・インドネシア - Wikipedia 
                                                                             ・外務省: インドネシア共和国

     

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