イスラエル紀行
オリーブ山から見るエルサレムの旧市街 (中央黄色い屋根がイスラムの岩のドーム) |
イスラエルはアフリカ大陸、ヨーロッパ大陸、アジア大陸の要の位置 |
旅行ルート図 |
☆ 計画
2011年12月、イスラエルの旅を計画した。 しかし、イスラエルはテロやきな臭い中東のど真ん中である。そうと思いながらも、宗教と歴史の俄か勉強をして、満を持しての挙行である。意外や調べていくうちにこの数年は特に不安はないようであった。だが、外務省発の情報ではそうではなく、十分警戒地域には変わりはなかった。 だが、だが・・・不安はあるものの、三大宗教の神様の聖地である。守ってくれるだろう、と安易に考えて旅立つことにした。 |
☆ 出発
成田〜香港、キャセイ航空で出発 |
香港〜テルアビブはエル・アル・イスラエル航空 |
香港からテルアビブまでは12時間のフライト |
エル・アル・イスラエル航空の飛行機 |
ヘブライ語? |
ダビデの星マーク |
☆世界一安全な航空会社・・・「エル・アルイスラエル航空」 ユダヤ人国家であるイスラエルが周辺のアラブ系国家と対立していることもあり、ハイジャックやテロを避けるために、搭乗時のセキュリティチェックが厳しく、3-4時間前にはチェックインが必須である。 チェックイン前に、必ず専門係員による質問がある。係員は3人程度の交代で、質問を繰り返し、荷物の経緯や、航空券の取得方法、渡航目的などを尋ね、つじつまが合うかどうか、不審者でないかどうか、その人物がテロリストに利用されている恐れは無いかを見分ける。同時に、搭乗客名簿をシャバックやFBIなどの危険人物リストと照合するという。 係員による質問は一般的に英語またはヘブライ語で行われるが、英語が話せない乗客用に日本語で書かれた質問表も用意されている。乗客の荷物は、搭乗前に別室で一旦開け、一つ一つ金属探知機での検査と火薬反応を調べる。これらのチェックはイスラエル政府や友好国の政府機関の人間も例外なく受けなければならない。 また、全ての国際線の便には銃を持ったスカイマーシャルが一般乗客に紛れて搭乗している。エル・アルのパイロットは全員がイスラエル空軍の出身である。 2002年にモンバサからエル・アルの航空機が地対空ミサイルで狙われたため、赤外線ホーミングの地対空ミサイルを避けるための装置「フライトガード」(ミサイル警報・妨害装置)が全機に装着されている。 以上のような厳重な検査の結果、1968年以来ハイジャック事件や旅客便の墜落事故は全く起こっておらず、「世界一安全な航空会社」ともいわれている。「旅客便」と断りがあるのは、1992年にアムステルダムでボーイング747貨物機が墜落事故を起こしているためである。(エル・アル航空1862便墜落事故) また、イスラエルはアラブ諸国と対立しているが、アラブ諸国の中で国交のあるエジプトにはフライトがある(ヨルダンとも国交はあるが、エル・アル機のフライトはない)。イスラエルのフラッグ・キャリアがエジプトに飛ぶと問題があるため、この路線(テルアビブ―カイロ線)専用に、機体に国名も社名も書かれていない専用機体を用意し飛ばしている。 空港情報では、パスポートにエジプトやマレーシアのスタンプがあると、係員から執拗に聞かれると言われた。関係が良くないのであろう。 |
空港職員までもがセキュリティ検査を受ける |
機内清掃の係員も全員検査を受けてから入る |
航空機は特別に強化された床・壁・機体 |
搭乗前の質問、全員緊張で答える(香港のイスラエル搭乗受付) |
質問の内容・・・ ・どの街へ行くか ・入国の目的は ・どのような観光施設に行くのか ・どこに泊まるか ・だれと会うか ・若い旅行者は控室に入れられ、数人から同じ質問を何度もされ、整合性を確認される。 彼氏はいるか? と問われると個人情報でもあり、ほっといてと言いたくなるだろうが、先方は目は厳しく真剣である。何分、国家存亡を |
荷物も厳重に検査される |
ミサイル警報・妨害装置付きと言うが不安! |
ビデオでも見て不安を忘れよう! |
機内食は抜群に旨い。旅の途中で判明したが、グルメの国である |
朝食も旨い。何よりパンがモチ餅していて旨い |
☆ワンポイント情報
・正式国名 イスラエル ・元首 ペレス大統領 |
☆ 到 着
入国審査。パスポートにスタンプは押さないで、お願い! |
NO STAMP と言うと、傍らにあるこの用紙に入国印が。ホッ! |
イスラエルと関係が良くないイエメン・シリア・クウェート・レバノン・イラク・スーダン・サウジアラビア・リビア等のアラブ諸国は、パスポートにイスラエルの入国印があると入国拒否される。徹底しているのである。 だから今後アラブ諸国に旅行計画がある人は「NO STAMP」と言うのである。果たして言うことを聞いてくれるか不安であったが、無事通過できた。 |
☆ テルアビブ
テルアビブは、イスラエルの経済・文化の中心地かつ中東有数の世界都市。 2010年の 同国の人口(約700万)のおよそ40%が集中している。総人口は38万人である。 テル・アビブとはヘブライ語で「春の丘」を意味し、シオニズム国家を夢見たテオドール・ヘルツルの小説の中からとった名称である。 また地中海に接するエリアは欧米から多くの観光客が訪れ、ナイトクラブやバーが立ち並ぶ世界屈指のリゾートである。 市中心部には、放送局や巨大ショッピングモールなどのほか、ハビマー劇場、ヘレナ・レビンシュタイン博物館、イスラエル国防軍本部、リクード、労働党本部や情報機関のモサッドやシャバック本部などの他に報道・商業・政治などの主要機能が集中する。 ハ・メディナ広場周辺の地域は、白亜建造物が並ぶ計画都市で、白い都市として世界遺産に登録されている。 20世紀初頭までは、古代都市ヤッフォに隣接する海沿いの砂丘にすぎなかったが、住みよい国を建国することに対するユダヤ人の情熱が、ここを開拓して大都会に仕立て上げたといわれており、まさにシオニズムの希望の「春の丘」となった。結果として、アラビア人の町であるヤッフォを、新たに築いたテルアビブが飲み込んだ形となった(正式名称がテル・アビブ・ヤッフォなのはそのためである)。 1948年5月1日、イスラエルが国家樹立を宣言した都市である、この国家樹立宣言が第一次中東戦争に発展した。イスラエル建国初期は首都機能をテルアビブにおいていたが、1949年にイスラエルは西エルサレムを占領してエルサレムを首都として首都機能をエルサレムに移転。しかし、イスラエルのエルサレム首都宣言は国際的には承認されておらず、国際連合(国連)などではテルアビブを代わりの首都とみなしている。 |
狭い国土(四国程度)なのでバスが便利 |
奇抜なビルが多い |
テルアビブは地中海に面する |
ハトもイスラエル風? |
世界遺産「白い都市」(ホワイトシティー) |
1960年代世界でトップクラスの高さ「シャロームタワー」 |
テルアビブの砂浜、近代都市である。 |
☆ イスラエル年表
年 代 |
出来事 |
年 代 |
出来事 |
BC20世紀 | 人間の父祖アブラハムが、神からカナン(現在のパレスチナ)を与えらる。飢饉のため一族はエジプトへ移住。 | 1492 | スペインからユダヤ人が追放される。 |
BC13世紀 | モーゼが現れエジプトでの過酷な奴隷生活から逃れ、シナイ半島で十戒を授けられて再びカナンへ。 | 1516 | オスマン朝のパレスチナ支配はじまる。 |
BC965 | ソロモン王、エルサレム神殿(現在の嘆きの壁)の建設開始。 | 1791 | フランス革命によりユダヤ人は選挙権を得る。 |
BC930 | 古代イスラエル王国はイスラエルとユダに分裂。 | 1917 | イギリス、バルフォア宣言。(一方でパレスチナでの国家建設を目指すユダヤ人に支援を約束し、他方でアラブ人にも独立の承認を約束するという、このイギリス政府の矛盾した対応が、現在に至るまでのパレスチナ問題の遠因になったといわれる=イギリスの二枚舌外交) |
BC587 | ユダヤ、バビロニアによって滅亡。 | 1933 | ドイツ:ヒトラー首相就任。600万人のユダヤ人が強制収容所で虐殺される。 |
BC331 | マケドニア(現在のギリシャ地区)のアレキサンダー大王がパレスチナ征服。ユダヤ民族も支配下となる。 | 1948 | パレスチナ問題を解決できないイギリスに変わり、国連がパレスチナをアラブとユダヤの2つの国とした。第一次中東戦争(アラブ各国がイスラエルのユダヤ国家に反対) |
BC164 | ギリシャに対して反乱、自治独立。 | 1956 | 第二次中東戦争(スエズ運河をめぐり、イギリス、フランスと組み、エジプトと争う) |
AD30 |
イエス処刑される。 | 1967 | 第三次中東戦争(エジプトがアカバ湾海峡を封鎖したため、エジプト、シリア、ヨルダンと戦い、シナイ半島、ゴラン高原を占領) |
70 | ローマによるエルサレム陥落。 | 1973 | 第四次中東戦争(エジプト、シリア軍に押し戻され、占領地の一部譲歩で休戦) |
638 | アラブ軍のエルサレム占領。 | 1979 | エジプト・イスラエル平和条約。 |
1099 | 十字軍支配。 | 1995 | イスラエル、ラビン大統領暗殺される。 |
1096 | ヨーロッパ中部でユダヤ人虐殺。 | 2004 |
パレスチナの指導者アラファトPLO議長死去。 両国の和平の指導者が亡。 |
1290 | イギリス王、ユダヤ人を追放。 | 2009 | ガザ地区で争い。両国の関係に注目。 |
☆ ヤッフォ
ヤッフォは聖書に登場する古い港町。皮なめし職人シモンの客であったペテロを、ローマの使者が訪ねたことにより、キリスト教が異邦人に広がったとされている。 |
ケドゥミーム広場のアンドロメダの岩 |
12使徒トップの聖ペテロ教会 |
聖ペテロ教会 |
弟子の代表となるペテロは初代ローマ教皇となる |
ナポレオンの像は案内板 |
皮なめしシモンの家看板 |
皮なめしシモン家の番犬、いや番猫 |
皮なめしシモンの家 |
皮なめしシモンの家は現在アルメニア人の家 |
ガリラヤ湖でキリストと会い、弟子の代表となったペトロ |
☆カエサリア
カイサリヤ…テルアビブの北約40kmにある地中海に面した遺跡。紀元前20年頃にヘロデ大王が築いた港町で、ローマ皇帝カイザル(シーザー)の名にちなんでカイザリヤと呼ばれるようになった。使徒ペテロがカイザリヤのローマ軍百人隊長コルネリウスにイエス・キリストの教えを説き、異邦人に初めてイエスの福音が伝えられた。また、使徒パウロがローマに向けて出帆したのもこの港からであった。 |
美しい地中海が広がる |
カイサリヤ・ハーバーの看板 |
ローマ時代の円形劇場 |
十字軍時代の要塞や円形劇場、映画『ベン・ハー』の戦車競技場 |
昼食は地中海名物「シーフード料理」 |
ポテトとサツマイモ、アイス、コーヒー |
猫もシーフードがお好きですッ! |
☆カイサリヤ→アッコー
アッコは地中海に面した港湾都市であり、歴史的には東地中海交易の拠点として栄えた。イスラエル独立後も、イスラエルに残ったパレスチナ人が多く定住し、人口のおよそ3分の1を占めている。 アッコ旧市街は、2001年にユネスコの世界遺産リスト(文化遺産)に登録された。旧市街は地上にオスマン帝国時代の各種建築物が残っているだけでなく、地下により古い十字軍時代の大規模な遺構が現存していることが確認されている。 |
導水橋:海岸沿いで9km離れたカルメル山から |
水の少ないここへ、ヘロデ王が紀元前に引いた |
アッコーの街 |
山の上にはナポレオンの馬上姿の像 |
十字軍時代の要塞 |
城壁内のトンネル |
スーク |
スーク |
水煙草:アラブの香りが漂う |
☆ ガリラヤ湖
周囲53キロメートル、南北に21キロメートル、東西に13キロメートルの大きさであり、166平方キロメートルの面積を持つ。最大深度は43m。海抜マイナス213mで、湖としては死海につぐ海抜の低さを誇る。イエス・キリストゆかりの場所としても有名。 |
高度計はどんどん下がる |
ガリラヤ湖の朝焼け |
☆ ティベリア
イスラエル北東部の都市。ティベリアス湖の西岸に位置する。人口3万9900(2001)。紀元後26年にヘロデ王がローマ皇帝ティベリアスの名を冠した都市を建設したのが町の始まりで、古代にはユダヤ文化とくにタルムード(ユダヤ教律法)研究の一中心地として栄えた。周辺にはキリストにまつわる聖跡が多くあり、温泉も湧出(ゆうしゅつ)し、近代的ホテルを有する保養・観光地となっている。 |
イスラエルの朝食は世界一美味しく、品数も多い。 手前左はニシンのマリエ |
野菜・チーズもたっぷり。 |
ガリラヤ湖遊覧の看板 |
偶然発見された紀元1世紀時代イエス時代の船 |
この地方のワイン試飲 |
高度計はマイナス210m |
ガリラヤ湖は山に囲まれている。イエスはこの湖を歩いて渡ったという |
遊覧船 |
スズメも乗客 |
イスラエルは世界有数の農業輸出国 |
「山上の垂訓教会」はイエスの説教が行われた |
「求めよ、されば与えられん」 |
「狭き門より入れ」などのフレーズ |
「パンの魚の奇跡の教会」 |
モザイク絵 |
土産物 |
土産物 |
「ペテロ首位権の教会」 |
キリストがペテロとアンデレの兄弟と会ったところ |
イエスとペテロの像 |
「ペテロ首位権の教会」 |
カペナウムにあるシナゴーグの遺構 |
セントピーターズフィシユ(聖ペテロの魚) |
イスラエルではバナナにもネットをかけて、水の足りない分を水滴農法で合理的栽培 |
イスラエルのネット栽培 砂漠で雨も少ないことから、ネットで覆い水蒸気を放出せず水分を保存する方法。 |
☆イスラエルの農業
イスラエルの農業を支えてきたのは、1世紀以上に及ぶユダヤ人の開拓の努力とバイオテクノロジーやコンピューター制御による灌漑システムなどの新技術の開発であるという。今や食料自給率は90%以上のイスラエル。 新技術を支えているのは、ロシア系ユダヤ人。共産圏の鉄のカーテンが崩壊したことにより今まで出国を禁止されていたロシア系ユダヤ人が続々と祖国イスラエルを目指して帰ってきた。その中には旧ソビエトの頭脳としてアメリカと共に世界の最先端を走ってきたユダヤ人技術者が多数含まれていた。 多くの国は農業を支えるために補助金を出している。しかし世界中でただ1国だけ例外がある、イスラエルである。建国が1950年で歴史の浅い国であるが、建国20年後には農産物の輸出国になった。 現在は日本と同じ輸出量がある。日本の農業人口は400 万人、イスラエルは8万人であり、日本の50倍も生産力が高い。イスラエルにとって農業は利益の出るすばらしい仕事なのである。 イスラエルは農業に適した国ではない。ほとんどが砂漠である。面積は四国ほどである。アラブ人が作物を育てられずに捨てた土地、それがイスラエルである。この不毛の地をわずか20年で農業の輸出国にしたのである。不可能を可能にしたのである。農業の歴史始まって以来の大革命・大発明なのである。 イスラエルはどのようにして農業を成功させたのか。少ない降雨量、少ない水でどのようにすれば作物が育つのかを徹底して研究した。その結果、点滴潅水という方法を発明したのである。これは国家プロジェクトだった。 イスラエルには土耕栽培というものがない、すべて施設栽培である。施設栽培をするには理由がある。イスラエルは建国当初から農業を事業として考えている。事業として成立させるには販売を最大の目標にしている。そのためには安定生産が必要である。 日本では施設園芸の病害は悩みの種であるが、イスラエルでは病害も薬害もない。世界で一番厳しいと言われる残留農薬の基準国であるドイツの法律はすべてパスする栽培をしている。 次に光の操作である。 その結果、イスラエルの野菜生産は自給率90%、更にヨーロッパ方面に生産の60%も輸出している。 |
ペテロ像:右手に天国と地獄の鍵、左に羊飼いの杖、銀貨を咥えていた魚 |
☆ベト・シェアン
ベトシェアンは現在も発掘が続いている遺跡群で、ガリラヤ湖から約30km南に位置する。 |
列柱が並ぶメインストリート |
ローマ時代の円形劇場は収容人数8000人 |
風呂もサウナもあった |
中段の所は集団トイレで並んで用を足した |
☆ ヤルデニット
ガリラヤ湖の南端、ヨルダン川に流れ出すところにヤルデニットという洗礼ポイントがある。イエスが預言者ヨハネから洗礼を受けたとされる場所はさらに下流にある。 イエスが浸かった同じ水を浴びて、洗礼を受ける人が世界中から集まる。 |
洗礼グッズ |
ヨルダン川 |
洗礼を受けるために泳ぐ人。シーズンは一杯になるという |
☆ ナザレ・カナ
国道沿いにある「レベル・ゼロ」の標識 |
高度計も当然ゼロ |
カナ婚礼教会 |
教会の看板「ウエディング・チャーチ」とある |
教会の前の店には「カナワイン」の看板 |
婚礼の最中にワインが無くなり、キリストが水をワインに変えたという |
教会内の絵:水をワインに帰るキリスト |
店では試飲させてくれる |
赤玉ポートワインに更に砂糖を入れた様な甘さ |
アラブの女性 |
果物売りのアラブ女性 |
聖ヨセフ教会 |
マリアの夫ヨセフが大工をしていた場所に建つ |
1914年建築 |
聖堂内部 |
☆ ナザレ
ナザレの街 |
ナザレのイスラム集会所広場:ここでアザーンの音でムスリムはお祈り。 上の塔は「受胎告知教会」 |
「受胎告知教会」 |
マリアに告知する大天使ガブリエル |
大天使ガブリエル |
マリア |
イエス・キリストを生んだマリア |
教会内部 |
教会は受胎告知を受けたと伝えられる洞窟の上に建つ |
各国から記念の絵。アメリカ |
メキシコ |
日本 |
ルカ長谷川作 |
日本の看板 |
お昼のお祈りはムスリムの人 |
街の中はアザーンの音で大音響 |
☆エズレル平野
エズレル平野はイスラエルの最大の平原地帯。穀倉地帯としてイスラエルの経済を支えているが、 太古の昔からこの地は戦争が絶えなかった。 この地は、アフリカ大陸、ヨーロッパ大陸、アジア大陸の通過点にある。シルクロードの隊商もこの地を通る重要な場所。この平野には6つの主要道路が集中する地点で、幾多の |
イスラエルで最大の平野 |
農業のキブツが多い |
メギッド遺跡 |
☆メギッド
メギッド…ナザレの南西にある遺跡の丘。紀元前に戦略上重要な要塞都市として栄え、以後ここで数多くの戦いが繰り返されてきた。新約聖書の預言によると、メギドは世界最終戦争の舞台となる所、ヘブライ語で「ハルマゲドン」(「ハル・メギド」すなわちメギドの山)とされる。 |
メギッド遺跡は紀元前4000年頃のもの |
メギッドはハルマゲドン(最終戦争)の場所とか |
☆ ハルマゲドン ハルマゲドン(日本語では世界最終戦争)は、アブラハムの宗教における、世界の終末における最終的な決戦の地を表す言葉のカタカナ音写。 最終戦争はここで、2012年12月21日に起こると言われている。 |
今では平和なエズレル平野で、キブツの農業が世界の注目を浴びる |
イスラエル:キブツ組織で注目の農業 キブツは、イスラエルの集産主義的(中央集権的な統制の必要を強調する信念や方法などをさす)共同体。キブツとは元来ヘブライ語で「集団・集合」を意味する言葉である。 1909年帝政ロシアの迫害を逃れた若いユダヤ人男女の一群がパレスチナに渡り、最初の共同村デガニアをガリラヤ湖南岸に設立したのがキブツの始まりである。彼らは、自分たちの国家建設の夢を実現させようと願って、生産的自力労働、集団責任、身分の平等、機会均等という4大原則に基づく集団生活を始め、土地を手に入れ開墾していった。 こうして、優秀なユダヤ人科学者がロシアから戻り、砂漠の水のないアラブ人が捨て去ったこの地で、世界でも注目される科学的農業を始めたのである。 |
メギッド遺跡の地下水道:当時はこの下から水をくみ上げていた |
長さ70mもある地下水道、敵がくると塞いでしまう |
☆ エルサレム
安息日とは・・・ 安息日は、西方系の宗教において、何もしてはならない日と定められた日である。旧約聖書で週の7日目と定められており、実際には土曜日にあたる。ユダヤ教徒はこの日には戒律としていかなる労働も行わないことを求められる。実際は金曜日の日没から土曜日の日没までの間を言う。 ユダヤ教では基本的に厳格であり、家事を含め日中は一切の労働を行わない。人命の救助など緊急の場合には安息日でも労働を行ってよいとされているが、教義に厳格な人々からは非難され救急車に投石されることもあるという。 何故かと言うと、十戒の中で守ることを教えられている日であるからである。 エレベーターが各階停止の全自動運転になるところがある。これは「ボタンを押す」ことによって電気スイッチ内に火花が飛び「火を灯火する」ことを避けるためである。 また、本来は宗教的な観点から禁煙をしなければならない。一切の店も営業はできない。その他掃除、洗濯、風呂のシャワー、スポーツ、テレビもラジオもダメ。 ダメダメダメの生活が強いられる。 おまけにお金に振れてもいけないらしい。 ホテルの朝食で、コーヒーはサイフォンを使えないので、インスタントコーヒーと電気で沸かしたお湯があるだけ、後はご自分でというわけ。なんとも味気ない観光客への対応である。これでイスラエルは観光立国を目指すというらしいが、自分の宗教を押しつけないで・・・ |
エルサレム市内に入るとイスラエルは安息日の16時 | 高度計は800mを超す。街中は休みに入り閑散としている。金曜日の夕方から土曜日の夕方まで一切の労働は禁止されている。 | ホテルのエレベーターも観光客用以外は停止されている。 |
エルサレム・・・ 地中海から内陸部に入った標高800メートルの小高い丘の上に位置する。ユダヤ人が住む西エルサレムとアラブ人居住区である東エルサレムから成り立つ。 西部についてはエルサレム地区に位置する一方で、東部についてはパレスチナ自治政府も領有を主張し、エルサレム県に含まれるとともにパレスチナ独立後の首都と規定している。 古代イスラエル・ユダ王国の首都で、エルサレム神殿がかつて存在した。また、イエス・キリストが処刑された地でもあり、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教共通の聖地となっている。 |
エルサレムの旧市街:真中の金色のドームが「イスラムの「岩のドーム」 手前はユダヤ人の墓 |
ひときわ光る「岩のドーム」 |
「主の涙の教会」 |
イエスがエルサレムを眺め、その滅亡を預言、涙した所 |
☆ ゲッセマネの園
右はエルサレム在住でガイドの西郷さん、25年在住 |
「ゲッセマネの園」 |
このオリーブの木はイエスの時代の木 |
☆ 万国民の教会
観光客が触るのでテカテカ |
「万国民の教会」 |
内部には、イエスが寄り掛かって祈りをしていた岩あり |
☆ マリアの墓の教会
「マリアの墓の教会」 |
内部は美しい装飾 |
シオンの丘:シオン門 |
☆マリア永眠教会
シオン門はイスラエルとヨルダンの国境があった所 |
イスラエルのベーグル(おやつパン) |
「マリア永眠教会」はエルサレム最大の教会 |
礼拝堂のモザイクは必見 |
桜の木と象牙で作られたマリア像 |
土産物店 |
☆ 最後の晩餐の部屋
「最後の晩餐の部屋」 |
レオナルド・ダ・ヴィンチの名作に描かれた場所とは相違して殺風景 |
ネコもお参りか? |
☆ 鶏鳴教会
「鶏鳴教会」はモダン。イエスが最後の夜をここの地下牢で過ごした所。 イエス第一の弟子ペテロが自分に罪が及ぶのを恐れて三度イエスのことを知らないと言った所でもある。イエスはそれを予感していて鶏が三度鳴く云々と言っていた。 |
モザイク画:イエスが裁判を受けている |
最後の晩餐の絵 |
イエスが最後を送った地下牢獄 |
鶏とペテロの像 |
しきりに弁明するペテロ |
イエスが歩いた階段は当時のまま保存 |
☆ 日本食
日本食:大盛りのワカメとキュウリの酢の物 |
天ぷら、シャケ、煮物・・・イイですね〜日本食は |
「SAKURA」でした |
☆ ダビデの塔
紀元前20年、ローマのヘロデ王が防備の為作る |
ダビデの旗 |
ダビデの塔内部 |
☆イスラエルの王 ・初代サウル(紀元前1021年〜紀元前1000年) 分裂 イスラエル王国(北王国) ユダ王国 (南王国) |
第一神殿時代のダビデの街の模型(博物館) |
☆ ベツレヘム
『旧約聖書』に記されたユダの町で、『新約聖書』の「マタイによる福音書」「ルカによる福音書」によるとイエス・キリストの誕生地。これにちなんで、クリスマスツリーの頂点につけられる星を「ベツレヘムの星」と呼ぶ。旧約時代、ダビデの家族がここに住み、ペリシテ人が駐留の際にはダビデの三勇士が危険を冒してここの井戸の水を汲んだ。聖書にはその他いくつかの箇所でその名が記されている。 |
☆ 聖誕教会 (パレスチナ自治区)
イエスが生まれたのはベツレヘム |
イエスの両親ヨセフとマリアが「人口調査」で来て→ |
この地で生まれるが宿がなく馬小屋で生まれる |
天井には金属製のランプがたくさんぶら下がっている |
マリアとキリスト像 |
聖誕の場所は教会の地下洞窟 |
14の角のある星、ここが生誕場所 |
向い側には飼葉桶、イエスが眠っていたとされる |
聖書学者ヒエロニムス案内板、聖カテリーナ教会 |
ヒエロニムスは聖書学者で世界に広めた貢献者 |
教会広場でトウモロコシを売る少年 |
アラファト元議長の垂れ幕、ここはパレスチナ |
ひよこ豆のから揚げはおやつ |
土産物屋の「最後の晩餐」 イエスは左側より2人目、皆だらしなく寝そべっているが、当時はこの様であったとか。 |
私の晩餐メニュ |
☆ キリスト教発展の貢献者3名
使徒パウロ |
ヒエロニムス |
ローマ帝国コンスタンティヌス帝 |
もともとパレスチナの地域宗教に過ぎなかったキリスト教が、全世界に広がって行った要因は3人の貢献によるという理論 1.使徒パウロ・・・ 初期キリスト教の理論家であり、新約聖書の著者の一人。キリスト教大発展のもともとの基礎を作った。 イエス死後に信仰の道に入ってきたためイエスの直弟子ではなく、「最後の晩餐」に連なった十二使徒の中には数えられない。 2.ローマ帝国コンスタンティヌス帝 ローマ帝国は当初ユダヤ教の一派とみて迫害していたが、ローマ帝国が後に世界平和戦略に転換したため、以後、キリスト教を国教として人心を得ることにした。 3.ヒエロニムス ヒエロニムスはヘブライ語の聖書をラテン語に翻訳するなど、生涯を翻訳一筋で終えた。この偉業でキリスト教が世界中に広まったと言われている。 |
☆ エルサレム旧市街
三大聖地(聖墳墓教会、嘆きの壁、岩のドーム)が集まる旧市街 |
エルサレムを歩くことは歴史の生き証人と会う事かも | 知れない、と言われている。 |
イスラムの学生 |
イスラエルの教育と徴兵制度 高校卒業後に兵役に就き、その後、世界旅行に出てから大学に入学する場合が多いため、大学生の平均年齢は高くなっている。 イスラエルには徴兵があり、18歳もしくは19歳から徴兵され、男子3年・女子2年である。 |
城壁には8つの門がある |
嘆きの壁に行くには「糞門」が便利 |
嘆きの壁:かってはユダヤ教の神殿が建っていた所で、ローマにより破壊され、西側の外壁だけが残った |
左側は男性用 |
右側が女性用 |
世界一頭の良い民族は何民族か?
|
嘆きの壁はユダヤ民族の心の故郷。 左上部にはイスラムの「岩のドーム」が |
岩のドーム:金色の屋根、ブルーのタイルが美しい |
「岩のドーム」。預言者ムハンマドが、天使を従え天馬に乗って昇天したと言われている聖岩を抱え込むように建つ |
「嘆きの壁」のこちらは今も発掘されている |
ユダヤ人の正装姿 |
全て黒ずくめ |
キッパーをかぶり入場する決まり |
イスラエルの兵隊さんも願い事 |
キッパー 神に対して頭を隠すことで、神に対しての謙遜の意思を表す意味があるという。 |
壁の割れ目に願い事を書いた紙を入れると叶うらしい |
既に一杯 |
こんな細い所にも |
聖書のようだが |
スズメも願い事? |
スズメの巣ではない。壁に生えるヒソプの草を伝って夜露が落ちる。それが涙を流すユダヤ人の様に見えることから、いつしか「嘆きの壁」と言われるようになる。本来は「西壁」と言う。 |
何やらおまじないの様だが |
一心不乱とはこの様な人 |
子供のようだが |
男性用の更に左側は屋内、雨天用か |
屋内最深部 |
左手には黒いビニールが巻かれている |
キッパー:ウエスタン・ウォールと読める |
ユダヤ教は髪に刃物を当ててはいけない。だから揉み上げはカールするそうだ |
ユダヤ人の特徴 黒服、ひげ、クルクルロールのもみあげ、黒い帽子等など 黒服、黒い帽子は第3神殿が出来るまで喪に服しているため。 |
女性側は狭い。男尊女卑の当時のならいから |
☆ヴィア・ドロローサ(イエスの歩いた悲しみの道)
ヴィア・ドロローサ看板 |
第1ステーション:イエスが死刑判決を受けた総督官邸跡、現在はオマリーエ学校の周辺。 |
鞭打ちの教会 |
教会内部の絵 |
第2ステーション:イエスが十字架を担がされた鞭打ちの教会。 | 第3ステーション:イエスが十字架の重みに倒れた場所。ポーランドのカトリック騎士団が聖堂を建てた。 |
・知らなかった、その1・・・ イエス時代の十字架で背負わせられるのは横の木だけであったという。縦の木は刑場に既に建てられていたという。 |
第4ステーション:母マリアがイエスを見守った場所に建てられた『アルメニア・カトリック教会』 |
第5ステーション:偶然通りがかったクレネ人のシモンに兵士たちがイエスの十字架を無理矢理担がせた場所。 |
悲しみの道は現在は賑やか |
第6ステーション:ここでベロニカという女性が絹のハンカチでイエスの顔を拭ったと言われている。 | 第7ステーション:イエスが2度目に倒れた場所。 | 第8ステーション:自分の為に泣くエルサレムの娘たちをイエスが慰めた場所。 |
今は賑やかなスーク |
第9ステーション:イエスが3度目に倒れた場所。 |
「聖墳墓教会」 第10〜14は「聖墳墓教会」の中 |
「聖墳墓教会」中庭 |
「聖墳墓教会」中庭 |
第10ステーション:この階段をあがった所が『ゴルゴダの丘』 ここでイエスは衣を脱がされる。 |
第11ステーション:イエスが十字架に釘付けにされた場所。 |
知らなかった、その2 十字架刑はその残忍性のため、ローマ帝国でも反逆者のみが受け、ローマ市民権保持者は免除されていたところの最も重い刑罰であった。 この時代の磔刑では十字架につけられて即死することはなかった。刑を受ける者は両手首と足首を釘でうちつけられ、体を支えられなくなることで呼吸困難に陥って死に至った。そのため、長引く場合は48時間程度も苦しみ続けて死んだと言われる。 ただしイエスと共に十字架につけられた二人の男は、安息日に死体が十字架にかかっていることを厭ったユダヤ人たちの依頼で、安息日を迎える前に足を骨折させて窒息死させられた。 兵士はイエスの足も折ろうとしたが、すでに死亡していたためやめた。イエスの死を確認するため、ある兵士が槍でイエスのわき腹を突き刺したという記述も福音書に見られる。 |
第12ステーション:イエスが十字架上で息を引き取り、十字架から降ろされたとされる場所。 |
皆、手で触ったり、口付けしたり |
第13ステーション:ここで聖母マリアがイエスの亡骸を受け取ったとされている。 |
亡骸を降ろす |
埋葬に先だって、ここでイエスの身体に油が塗られた |
悲しみの対面:一連の流れが壁に描かれている |
12使徒により布を着せられる |
イエスの墓 |
墓の内部の様子 |
内部には5人ずつ入る |
天井 |
イエス・キリストの絵 |
キリストの十二使徒 十二使徒とはキリストと共に宣教活動をしたキリスト直属の弟子達の事を言う。 |
キリスト |
■ ペテロ |
■ トマス |
☆ イスラエル植物園
見所は「死海写本館」と「第2神殿時代の模型」 |
「第2神殿時代の模型」 50分の1に縮小。 紀元前66年、ローマに滅ぼされる4年前のエルサレム |
死海写本館 |
国会議事堂:アメリカの大富豪ロスチャイルド寄付 |
エルサレム市内の電車 |
☆死海 (エンボケック)
死海は、アラビア半島北西部に位置する塩湖。西側にイスラエル、東側をヨルダンに接する。湖面の海抜はマイナス418mと、地表で最も低い場所である。 死海は、東アフリカを分断する大地溝帯が紅海からアカバ湾を通ってトルコに延びる断層のほぼ北端に位置している。死海を含むヨルダン渓谷は、白亜紀以前にはまだ海であったと推定されている。その後の海底隆起により、パレスチナ付近の高原が形成されると同時に、ヨルダン渓谷付近に断層が生じたと考えられている。 海水の塩分濃度が約3%であるのに対し、死海の湖水は約30%の濃度を有する。1リットルあたりの塩分量は230gから270gで、湖底では428gである。この濃い塩分濃度のため、湖水の比重が大きくなり、結果、浮力も大きいので、人が死海に入って沈むことは極めて困難である。 以上の環境の為、魚類の生息は確認されていない。 標高がマイナスで低いため、大変よく眠れるという。保養施設があり、温泉も出るので治療客が多い。 |
最後は418mとなる |
死海は青かった |
死海の反対側はテーブル・マウンテンが多数 |
エン・ボケックはリゾート地 |
ホテルから歩いて5分 |
手を入れるだけでも肌はツルツル |
浮かびながら新聞も読める |
底には塩のかたまり、ヨルダン側は親指大がある |
シャワー完備 |
全身泥パック |
☆ マサダ
マサダとは、イスラエル東部、死海西岸近くにある古代ローマユダヤ属州時代の要塞の遺跡である。「マサダ」とはヘブライ語で「要塞」を意味する。 ユダヤ戦争におけるユダヤ人の集団自決(73年)で知られ、2001年に世界文化遺産に登録された。 マサダはイスラエル国内でエルサレムに次ぐ人気の観光地となっており、観光用のロープウェイが整備されている。その歴史的経緯から現在でもなお多くのユダヤ人にとって特別な思い入れのある場所であり、ユダヤ人全滅の悲劇を再び繰り返してはならないという決意から、イスラエル国防軍の入隊式がマサダ頂上で行われ、国家への忠誠を誓う。 |
死海の反対側の山にマサダはある。ローマ軍は2年も攻略に費やした。 |
死海が418m、ここは標高0 m |
模型:険しい絶壁に要塞が建つ。水・食料は5年分保存 |
カラスも険しさに驚いていた |
☆クムラン
死海文書、または死海写本は、1947年から1956年にかけて、イスラエルの死海北西の要塞都市クムランの近くの11箇所の洞窟で発見された、ヘブライ語聖書の断片を含む約850巻の写本の集まりである。 文書は、ヘブライ語のほかにアラム語・ギリシア語で、紀元前2世紀から紀元後1世紀の間に書かれている。この時代に書かれたものとしては事実上唯一のユダヤ教聖書の文書であり、聖書本文の内容が写本を通して劣化されることなく比較的正確に伝えられてきた歴史を証明するものとして、貴重な資料であるとみなされる。 |
あの穴から右の壺に入った文書が発見された |
壺に保存されていた。2000年前の文書が |
☆エリコ(古代オアシスの町)
死海の北西部にある町。古代オリエントの中でも古い町で、紀元前8000年紀には周囲を壁で囲った集落が出現した。最古の町と評されることもある。世界で最も標高の低い町でもある。 エリコは、死海に注ぐヨルダン川河口から北西約15kmにあり、現在はヨルダン川西岸地区に含まれる。海抜マイナス250mの低地にある。「スルタンの泉」と呼ばれるオアシスがあり、人々が住み着いた。エリコの名前は『旧約聖書』にも繰り返し現れ、「棕櫚(しゅろ)の町」として知られていた。 |
イスラエルは科学的農業大国、整然とヤシが植えられている。 |
エリコの街 |
イチジク桑の木:ザアカイ(悪徳取税人)とイエスの伝説の木 |
☆テル・アッスルターン (1万前の住居跡)
受付 |
4000年前の城壁の跡 |
イチジクの実が美味しく評判 |
☆ベドウィン
ベドウィンとは、砂漠の住人を指す一般名詞で、普通アラブの遊牧民族に対して使う。 ハダリ、つまり「町に住む人々」と呼ばれる定住民と対応しているが、ハダリと共生関係をつくり相互依存をしてもいる。ベドウィンが町を防衛したり、ハダリが所有する家畜を預かって飼育する一方、ハダリがベドウィンの所有する土地を管理し農作物を売ったりすることがある。 アラビア半島を中心にラクダ・羊の放牧や売買をおこない、輸送や他の仕事を営むアラブ系の遊牧民」というのが、ベドウィンの一般的でゆるやかな定義である。 |
ベドウィン(遊牧民族)の簡易テント |
☆ 世界の宗教
世界の主要三大宗教が出来る過程を図式化してみた。神の下に主要な預言者が続く。ノア、アブラハム、ユダヤ教のモーセ、キリスト教のキリストと
イスラム教のムハンマドが五代預言者として知られている。
ヤハウエ 旧約聖書中の、神を表す |
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アダムとイヴは、旧約聖書『創世記』に最初の人間と記される人物である。 | |||
預言者;ノア |
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神は地上に増えた人々が悪を行っているのを見て、これを洪水で滅ぼすと「神と共に歩んだ正しい人」であったノア(当時500〜600歳)に告げ、ノアに箱舟の建設を命じた。そして他の人々はすべて滅んだ。よって人間の祖先はノアとなる。 |
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預言者:アブラハム |
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アブラハム は、ユダヤ教・キリスト教・イスラムを信じるいわゆる聖典の民の始祖。ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者。「信仰の父」とも呼ばれる。 |
預言者:モーゼ |
預言者:キリスト |
預言者:ムハンマド |
ユダヤ教徒の共同体に神から使わされた使徒として登場する。 | キリスト教の開祖 | イスラーム教の開祖 |
☆ 預言者とは・・・預言者(よげんしゃ)は、神と直接接触・交流・対話し、直に聞いた(とされる)神の言葉を人々に伝え広める者のこと
旅を終えて・・・ 海外旅行で宗教に接する機会が多くなり、徐々に興味が増加してきた。その宗教はキリスト教の教会が一番多く、教会やカテドラルの大きさと宗教画の迫力、パイプオルガンの大迫力に驚かされる事である。時の権力者の思うつぼである。 何はともあれ、三大宗教の聖地が見られるのは旅の収穫である。 物理学者のアインシュタインが宗教について下記のごとく語っている。 世界の科学者の多くが宗教的奇跡は決して信じない。必ずそこには根拠があり、奇跡ではないという。科学的に解明して初めて信じられるという。 頷ける・・・。 もうひとつ、宗教を信じられない理由。 時の権力者が自分に良いように宗教を利用し、大衆をそこへ向かわせた実例が殆どである。 ユダヤ教はどの国に行っても触れる機会がなかった。シナゴーグという集会所は見られるが、残念ながら観光地として見学は一度もする機会がなかった。多分、一般には開放していないのかもしれない。 何せ選民意識で、自分たち自身を神や血統などの独自性に着目して選ばれた特別な存在と規定している宗教だから無理もない。 今回の旅で、ユダヤ教の外観には触れられた。しかし内部を知るにはまだ時間が必要であろう。 キリストが生まれ、育ち、死んでいった場所をくまなく辿ることが出来た。しかし、信じられない事ばかりで、奇跡、奇跡の山であった。また、「イエスの歩いた悲しみの道」を辿ってみた。全長1kmを十字架を背負って歩いた道である。 現在この「聖墳墓教会」はカトリック教会、東方正教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会の複数教派による共同管理となっているそうだ。ある時、管理の方法で議論伯仲し、乱闘騒ぎにまでなって話題になったそうだ。聖職者と言えど人間である。「聖」と云う字は何なのか? キリスト教は世界一の信者がいてその数20億を超えている。何故、そのように広まったかはこの文中、中ほどの「ベツレヘム」後半に入れてあるが、 キリスト教がこの様に拡大するとは、イエス・キリストでも想像できなかったであろう。 旅の収穫もう一つ。 丁度、日本はTPPで話題になっている。日本の農業も大変であろう。ネットを見ると若い国会議員もイスラエルを見て発奮しているようだ。 今回のイスラエル旅行は期待以上のものがあった。 終わり |