会報 今年の夏は・・・ 久し振りのヒマラヤ
アンナプルナ街道を敗残兵が如くトボトボと!
2006年8月5日〜8月30日(25日間)
☆ 計 画
全国連盟の海外委員長が、毎年実施する6000m峰遠征隊に参加した。委員長他4名と知己があり、数度の海外遠征仲間でもあったので気楽に参加することとした。ヒマラヤは5年前のエベレスト街道トレッキング以来で、今回は本格的なエクスペデション登山である。
山域はアンナプルナ街道の東側で、ベシサハールからチャーメに行き、その北にあるタンスンジャイテイ峰(6084m)の氷河に登る計画である。登山隊人数15名、シェルパ8名、コック12名、ポーター40名、合計75名の大所帯である。
☆ 結 果
カトマンズから街道入口のベシサハールまで車で移動。標高760mから4300mまで9日間、高度順応を兼ねてアンナプルナ街道を炎天下の中をひたすら歩く。東にマナスル、西にアンナプルナT〜Wの純白の頂が美しい。途中、田園地帯、高所の棚田が続く。
マナスル 棚田の水田
代わりに同じ山域の、ニテイピーク(5887m)に向かうが、5400m地点でまたもや
崩壊、フイックスロープが固定出来ず危険な為再度の撤退となる。
隊員全員疲れ果て、チャーメからヘリコプターで帰る計画に変更したが、悪天で5日間停
滞したが、あきらめて歩き出す。ポーター、シェルパを解雇した後で、所持金も少なく飲ま
ず食わず雨の中、敗残兵の如くとんだ体験でした。体重7s減、唯一の成果と云えよう、か?
しかし、久し振りのヒマラヤ・ネパール、以前と殆ど変わらないカルチャーショック文化を
重ねて体験する事が出来たので以下にまとめてみました。
☆ 生 活
人口の大多数は農業。食料は自給自足。山また山が重なる奥地まで小道が続き、山の急斜面を利用して、狭い棚田(段々畑)の水田等がつくられており、何とか人々の命が支えられている。農機具はスコップ、クワ以外殆どなく、裸足に素手で田んぼのあぜ道を造っている。
☆ 音楽と宗教
世界の歴史上、貧しければ貧しいほど、音楽や歌声が絶えない。喜びと悲しみ、祭りに儀式に、アフリカ黒人の間に生まれたジャズやブルースのように哀愁を感じる。そして宗教、貧しければ尚一層信仰するのであろうか。人口2500万のネパール、そこに330万の神さまがいるという。彼らは生活の苦しさを神に祈るのであろうか。道ばたにある石や祠にも人々は礼拝している。
☆ ヒンズー教とチベット仏教
ネパールの国教はヒンズー教で、国民の9割が信徒だが地域によって変わる。標高2500m以上の山岳部になると、チベット仏教圏に入る。チベットはネパールの北に位置し、中国南西部の自治区で首都はラサ、ヒマラヤ高地に位置する。インドから仏教が伝わり、ノーベル平和賞を受けたチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマにより更に広まり、ネパールの高地にも広まる。なぜ、2500mの上と下とで宗教が変わるかと言うと、これは宗教儀式と絡んでいると言う。ヒンズー教徒達は水をたくさん儀式に使う。毎朝沐浴(入浴はせず、髪や体を水や湯で浴びる事、宗教的な儀式をも意味する)をする。いわゆる体を洗うということが儀式となっている。
ところが2500m以上になると、沐浴する為の水が無い。氷河から流れてくる水を使って生活をするのだが、そういう所で沐浴をすると、水が冷たすぎて肺炎になってしまう。
儀式行動そのものが成立しないわけである。そういうわけで、ヒンズー教が2500m以上には広がらなかったそうである。
ボダナート〜チベット仏教の巨大仏塔 スワヤンブナート〜チベット仏教寺院
☆ ネパールの人々の暮らし
王様は世界有数の金持ちだが、世界最貧国の下から数えたほうが早いネパール。給料の良い公務員でさえ、月に日本円で6000円〜8,000円の収入。電話は6万円。ネパール人の平均年収は2万〜3万円。登山隊に参加するシェルパやポーターの日当は300円〜400円、しかし毎日の仕事は保障されていない。靴が買えずにサンダルで高所まで歩く。服装も貧相、高所で風邪をひくものが多い。土木作業員でさえ日当200円である。
日本はネパールへの最大のODA(政府開発援助)供与国である。日本にとっても、国別の無償資金援助実績において、ネパールは8位にある。
☆ ネパール人の平均寿命
マニ車 タルチョ