会報   ネパール・ヒマラヤ、メラピークそして出会いと遭遇 

                                                     2008年10月1日〜24日


     

☆ 初めに***** メラピークに遠征が決まったのは隊長「ミヨさん」の強い希望であった。何故かと言うと、あるシェルパの薦めと、全国連盟海外委員長の石原裕一郎さんの「ネパールピークハント」の本を読んでひそかに狙っていたのでありましょう。遠征メンバーが4人、日程を10月1日〜24日と決めて、隊長は?

当然、言い出しっぺの「ミヨさん」ですよ! 最初はかなり拒否していたが、「女性でも隊長をやるべきです!!」「貴方にはその力があります!!」とありったけの美辞麗句を並べて説得したら、渋々ながらも引き受けられました。結果的に、これが女性3人全員登頂という成功に結びついたわけです。 

☆ 美人スッチー揃いの大韓航空*****  

 週に一度、大韓航空により新千歳〜韓国経由〜カトマンズに航路が開かれた。タイ航空よりかなり安い。サービスも良い。何よりスッチーが美人で愛想がすこぶる良い。私を見て「ニコッ!」、私は思わず立ち上がり深々と頭を下げた。ヨーロッパのある航空の、ビヤ樽みたいでガムを食べながらブスッと仕事をするキャビンアテンダントとは違う。

 機内ミュージックサービスNO11は、韓国演歌特集。キム・ヨンジャやケイ・ウンスク、チョー・ヨンピルの様に聞かせる歌手が続々登場する。スッチーが次から次と飲め、飲めとくれるビールで気分は最高潮。アンニョン・シアワセ〜!!

                                                     

☆ チベット仏教で洗礼を受ける

                    

 ボダナート(仏塔)の近く、お坊さんのチベット仏教お参り時間に遭遇した。

お参りが終わると、高僧が安全登山を祈願して儀式をしてくれた。手のひらに水を注いでくれ、口に含み、残りを頭に擦り付けなさいと言う。その後、おまじないの毛糸の首飾りをかけてくれた。とっても厳粛な雰囲気である。

 登山終了まではずさない様に、とのシェルパの言葉であったが、私は翌日にはどこかに置き忘れていた。隊長初め、メンバーに攻められた。「だから風邪を引いて体調を崩したのよッ!」やはり女性と神仏には対抗できません。

☆ そして敗退、トボトボとヒマラヤの帰り道は「♪ 遠かった〜 」

 神の祟りか、歩き出して4日目の10月8日ザトワレ峠(4,435m)を超えた時点で悪寒、鼻水、クシャミ、熱38度弱、めまいで登山断念。おまけに峠の登り返しでは雪が10センチも降り難儀し、ルクラにようやくたどり着いた。

ルクラでは翌日飛行機は飛ばず、ヤケ酒(チャン、ロキシー、トンバ)で喉をうがいした。

ルクラでの飛行機事故*****         

2008-10-09 (Thu) 21:15

 ネパールのルクラという、山間の飛行場で事故。小型飛行機が斜面に突っ込み、炎上しました。この事故で、乗っていたドイツ人12人、オーストラリア人2人、ネパール人ガイド2人、乗員2人の、あわせて18名が犠牲になりました。カトマンズからは1時間弱のフライト。小さなプロペラの飛行機です。事故を起こしたのはイエティ航空の3番機。6時51分に離陸、7時31分に墜落。滑走路直下の斜面に突っ込んでしまった模様です。当時は濃霧だったとか。

これは報道記事です。私はこの飛行機でカトマンズに帰る予定でしたが、事故でルクラは全面欠航。まかり間違えば、あわや私の運命とて・・・危険な遭遇。

死亡の日本登山隊3人の身元判明 中国・クーラカンリ峰*****

 中国チベット自治区の7000メートル級のヒマラヤ高峰クーラカンリの縦走を目指していた「日本クーラカンリ登山隊」(高橋和弘隊長)の隊員3人が10月1日、登山中に雪崩に遭い死亡した。死亡したのは加藤慶信さん(32)=山梨県南アルプス市出身、中村進さん(62)=前橋市出身、有村哲史さん(27)=千葉市出身。 5、900メートル地点から6、550メートル地点に向かっていた3人からの連絡が途絶えたため、1日午後、高橋隊長ら3人が後を追い、6、000メートル付近で雪崩に巻き込まれて死亡している3人を発見したという。 登山隊は隊員6人と医師で、9月中旬に日本を出発。クーラカンリ主峰の登頂を目指すとともに、東峰、中央峰を経て主峰へと至る世界初の3峰縦走も計画していた。 加藤さんは標高8000メートル以上の高峰8山に登頂している。
 加藤慶信さん死す。我々遠征隊がカトマンズに到着すると、迎えのシェルパにこのニュースを聞かされた。二年前200611月のJR研修所で行われた、労山の「第18回全国海外登山集会」で、彼は8,000m峰8座登頂の記念講演をしたゲストであった。懇親会で「北海道も毛ガニも初めてです」と言うので、食べ方を指導?した私でした。まだ32才、若くて8座、とても素直な好青年で日本登山界のエースであった。合掌。

☆ 山野井泰史さん、熊と遭遇*****

 下記はクライマー・山野井さんのブログです。

08/09/25 e-mail

ご存知の方も多いと思いますが、917日の朝、熊の攻撃に遭いました。たぶん熊の親子の方が先に僕の存在に気がついていたと思います。そこを下を見ながらランニングしていた僕が突進するようなかたちになったので彼女の怒りをかったのでしょう。右腕は筋肉を損傷し20針くらい縫いました。顔は眉間の上から鼻にかけ70針ほど縫い現在でも大きく腫れています。残念なのは2ヶ月後にオーストラリアクライミングを考えていたのに最も大切な腕を痛めてしまった事です。それでも・・・生きている熊に触れられるなんて・・・感動、言葉が適切ではないと思いますが、貴重な体験をしたような気がします。野生動物を嫌いにもなっていません、また山のへの興味も失っていません。僕は回復したら岩に登り、山に登りそして自然を満喫することでしょう。

08/10/14 e-mail)

ブラックジャックより凄い顔、ランボーより傷だらけの身体。まさにボロボロ。まだまだ治療には時間がかかりそうだ。しかし少し自転車に乗りだした。また少し岩に登りはじめた。まるで何度負けても戦い続けるボクサーのようだ。体はついてこないのに気持ちだけが・・・。「登りたいから登る」執念でも未練でも意地でもない。それでも・・・時々考えてしまう。人は何時か下に向かって降りなければならないのか。せっかく素晴らしい目標が見つかったのに、それがまた遠のいた事だけは悔しい。鈴を持ってハイキング。日本カモシカが出てきただけで心臓が止まりそうになる。林道で栗を見つけただけで緊張する。しばらくはトラウマになりそうだ。

 今年4月滝野において、「北海道海外登山研究会」のゲストとして夫妻を招聘した。とても素敵な夫妻であった。

NHKの特別報道番組で何度も放映された、北極圏・グリーンランドにある、高さ1,300mの未踏の大岩壁を夫妻で攀じ登った体験談を聞いた。植村直己冒険大賞を受賞した人とは思えない、華奢で優しい謙虚な人であった。酒は一滴も飲めないのに深夜まで付き合ってくれた優しい夫婦、感激の出会い。ネパールに向かう5日前に熊と遭遇の報道を聞き、驚く。

労山全国連盟海外委員長石原裕一郎氏倒れる*****

 前述の加藤慶信さんを招聘して、札幌へ来た時の責任者であった。彼とはヒマラヤ未踏峰に挑戦した、以前からの飲み仲間である。今年夏、ポカラで倒れ半身不随で未だに復帰できていない。46才の若さだ。酒はほどほどに・・か。

日本ヒマラヤ協会理事長 山森欣一氏 引退*****                               

 今年の「北海道登山研究集会」の記念講演ゲストで来られた。北海道出身、長く日本の登山界をリードしてきた方である。東京で何度か会い、懇親も重ねてきたので、今回も「居酒屋つる」で朝方まで語り明かした。引退は寂しい。

世界的クライマー 田辺治さんとの出会い*****                              

  冬季ローツェ南壁、世界初完登(8,475)。高度差3,300mの絶壁、世界最難を3度目で達成した世界のトップ・クライマー田辺さんを招聘して「道央地区海外委員会」が札幌で11月開催した。 

 8,000m峰は世界で14座、内8座の頂上を田辺さんは踏んでいる。スライドで語る2時間強は、手に汗握る大迫力であった。報告が終わった時は聞いているこちらもドッと疲れが残っていた。以前読んだヒマラヤ山岳小説、夢枕獏の「神々の山嶺(いただき)」(登山家:森田勝や長谷川恒男がモデル)のようなド迫力であった。終了後、懇親会の席で奥さんから体験談、苦労話等驚くような話を聞かされる。初めての出会いであったが、今後にエールを送りたい御夫婦である。まだ47才の期待されるクライマーである。

UFOで飛来した 異性人の使徒との遭遇*****

 今年のヒマラヤを敗退してカトマンズに戻った。2日間、エージェントの社長にホームページの手伝いや経営指導を依頼された。しかしノーギャラなので適当に切り上げて帰国することにした。大韓航空が週一のため、タイ航空で大枚を追加して帰ることに・・・。

カトマンズのトリブバン国際航空の待合室でその人と遭遇した。異星人の預言者であるエロヒムがUFOで飛来して、私はその使徒であると言う。

エロヒムは過去、地球上に、時代ごとにモーゼやブッダ、イエス、マホメットといった預言者を遣わして地球を統制してきたのであるらしい。この辺から私の頭は回線不能状態。タイ空港での長い5時間余りの待ち時間や成田空港までが少しも長く感じられない。「宗教ですか?」と聞くと「いや、違います。無神論的な宗教」で「日本ラエリアン・ムーブメント」と言います。と言う。

そこでお願いした。今度UFOが地球に来たならば、帰りには必ず私を乗せて下さいとお願いすると快く確約してくれたが、未だ連絡は無い。

「待てば海路の日和あり」と言うから海辺に行かずばなるまいか???

☆ まとめ*****

ヒマラヤで風邪を引いて帰国すると、今度は財布が風邪を引いた。無事に正月を迎えられるか否や分からない。

それでも貧しいネパールの人たちから見ると我々は幸せなのかもしれない。粗末な着物、豆汁のみのダルバート食事、煙だらけの薪ストーブ、冬と言えどもサンダル、街には牛や野良犬が横行し、乗物の必要以上に鳴らす警笛の騒音、生野菜や生水を飲むと間違いなく下痢をする・・・・・そんなネパールがたまらなく、何度も足を運ぶ。日本の富士山とは味わいが違うのであろう。

 今年も残り少なくなってきた。この1年いろいろな方とネパールで、日本で、出会いと遭遇が繰り返された。不思議な人、驚嘆な人、病や事故に会われる人、天国に旅立たれる人。

 それにしても、山岳会の三人娘の快挙は素晴らしい。ノーベル賞のスポーツ部門があるならば是非とも推挙したい。今回、6,476mであるから、来年は7,000m、2年後は8,00014座のどれか、誠に期待される中高年パワーである。成功の総括を会として行うのも重要かと思います。日々切磋琢磨を期待します。

                                                     おわり          


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