会報  槍ヶ岳

  日本アルプスの象徴、槍ケ岳は穂先を天にまで突いていた



         

           垂直の壁を登る           槍の直下15分は垂直の鉄ハシゴ              槍ヶ岳頂上        タカネナデシコ

 

  

 二〇〇一年八月二五日〜二九日。Aグループで山岳会の編集長隊はアルプスに夢とロマンを求めて。そしてわが、温泉部長隊はひたすら体力と根性の山行であった。 

だから隊員は辛かった…でも槍ケ岳(3、180m)、笠ケ岳(2、898m)、焼岳(2、455m)の100名山を一挙に三つも登れる幸せを隊員は経験したのでした。

 おまけに、「日本秘湯の会」、穂高の中房温泉、上高地の坂巻温泉、新穂高温泉の水明館と槍見館の四ヶ所の近くまで接近出来たことは意義深いものであった(湯に入るには今少しの修業が必要!)。

その代わり、上高地の新穂高温泉と中尾高原の民宿、「まほろば」の露天風呂は最高であった。

「まほろば」では寝る時間も惜しく、朝三時半には床を抜け出し、(温泉部長はグッスリ!)一目散に露天へ、露天へ。貸切だア、で満喫した。

夜明けの薄明かりから見える錫杖岳の眺めがまた素晴らしい、生きていてよかった?

およそ2時間も内湯と露天を往復し、のぼせたら外を散歩し、ロビーで缶ビール、ここも独り占め、何と幸せな一日のスタートだろう。

 思えば昨日の夕餉は会席料理もどきで、アメリカなまずの刺身、牛タンのステーキ、岩魚の塩焼き等々一泊ニ食、昼おにぎりつきで8、500円とは信じがたいのでした。

 山小屋で「ヤギさん」こと青柳常雄さんとは初対面でした。元、藤原歌劇団の歌手で新宿歌声喫茶で長く歌っていたという。

レコードも出している有名な方という。外国でも公演したという。 だが私は知らない。宴もたけなわ、イタリアでカンッォーネを聞くが如くその迫力と歌唱力にはただビックリ、その夜は心満たされて深い深い眠りに入りました。

 音楽の山行もう一つ、燕山荘クラシックコンサートです。80周年記念行事でその道で有名だという人(私は無知!)。フルート、ヴァィオリン、ヴィオラ、ツェロ、コントラバス、チェンバロの演奏です。モーツアルトのフルート四重奏曲 イ長短KV298より 第1楽章、バッハの?、シューベルトのアヴェ・マリア、川の流れのように、草春賦でした。その人達は小林明日香、近澤侑司、林佐和、廣岡直城、嘉納雅彦、山田朱美他インターネットYAHOOJAPANで名前が出ていました。やはり有名だったんだなア…(独り言=最初から寝てるんじゃなかった。反省!)

             

                        燕山荘                 北アルプスの山小屋は演奏会が多い

 「絵画」… 版画家、畔地梅太郎の絵が燕山荘グループの山小屋で多数見ることが出来、またまた心が満たされました。 

 今回同行の我妻さんから、お嬢さんが燕山荘で働いていると聞き、どうしてもその経過を聞きたくて失礼ながらうかがいました。娘さんの学生時代に何度か一緒に山行しているうちに、娘さんが山の魅力にとり付かれたこと、外国の山に何ヶ月も行ってしまったこと、大学を卒業しても山から離れられないこと等を聞きました。

燕山荘にあと一息の所でお嬢さんが「お母さん、頑張って!」お母さんは「来たよ!」と標高差50mを超えての親子愛を垣間見ました。お嬢さんの何と澄んだ目、溌剌とした機敏な動き、顔が明るい。山小屋で働く若者はおしなべてさわやかです。

 私は今シーズン、随分山小屋に泊めていただいたが、どこでも感心してきました(おじさんも見習おう!)。 そのお嬢さんもインターネットに出ていました。「燕山荘グループスタッフ紹介」と入力すると「喫茶・サンルーム主任 我妻〇〇」さんで登場されます。

ヒュッテ大槍の豪華食事

「グルメ」… 燕山荘グループの、とある山小屋(有名になりすぎて混むと困るので内緒に!)とヒュッテ大槍の支配人は言ってました(皆さん、ここだけの話ですヨ)。何とワイン、五目寿司、トマト入りスープもどき(私には名前が分りません)、天ぷらや何やら豪華絢爛。今度も絶対「また行くぞ!」と心に誓ってきました。

 「槍ケ岳」を開山した人、播隆上人について。160年も前との事。英人ウェストンが日本アルプスを世に知らしめるより65年も前のことです。

僧・播隆は生涯の殆どを一介の苦行僧として過ごしたという。混濁の世俗を捨て仏門に入ったが、そこも俗界同様のみにくい風潮がみなぎる宗門で、そこで深山霊谷での修業に入り、天を突き刺すような鋭鋒の頂きに、清浄静寂な極楽浄土への道を発見したそうです。その一つに辛苦を重ねて頂上を踏みしめたとき、5色に彩られた虹の環の中に阿弥陀如来の姿が出現したといわれています。感動的な御来迎の奇跡はブロッケン現象(高山の山峰で前面に雲霧が立ちこめているとき、太陽を背にしている場合、自分の影が前方の雲霧に写され、その影の周りに七色の美しい輪が見られること)であると後日言われています。

私も8月13日、奥穂高岳の、穂高岳山荘で貴重なブロッケン現象を経験し感動しました。

僧・播隆は槍ケ岳開山の18年も前の1、823年に笠ケ岳登山をしています。

苦行僧・播隆の歩んだ「槍ケ岳」と「笠ケ岳」を、我々四人も苦難に耐えて頂上を極めてまいりました。多分四人は「清浄静寂な極楽浄土」へ行けるものと確信しています。

 

                                うすいスイカが800円 

今回は穂高駅から中房温泉、合戦尾根の高いスイカを食べ、燕岳、大天井岳、「槍ケ岳」の東鎌尾根と西鎌尾根を歩き、双六小屋から南下して端正な笠ヶ岳を登り、笠新道の長い長い下りに耐えて新穂高温泉の中尾温泉に泊る。

そして、焼岳のガスを気にしながら上高地に下山する、穂高山系をぐるりと回る山行であった。

中でも槍ケ岳は素晴らしい山と実感した。遠くから見るとあの穂先になど登れないのではと思っていたが、近くに行くとやはり人間の力はたくましい。頂上直下の槍岳山荘から頂上まで二〇分だが顔を後にそむけないと見えないくらい反り返っている。しかも登り、下りと鉄ハシゴは一方通行である。これで信号があると下界の道路である。頂上はやはり狭く写真タイムは順番である。眺めは素晴らしく表現の言葉がない。

天気も良し、眺望も良し、体調も良し、極楽浄土への切符も予約?したし大満足。

おまけに行程表になかった「焼岳」にも登り、ロマン溢れる上高地の梓川も散歩し温泉部長に大感謝です。今年の夏は素晴らしい夏山を経験出来て思い出のページとなります。



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