カメルーン紀行

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アフリカ中部 「カメルーン」 の上空

 旅の計画 

 2012年1月、カメルーン、赤道ギニア、ガボン、サントメ・プリンシペ、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国の6カ国ツアーに参加。

 ある旅で「旅の鉄人」に出会った。その女性は国連が認める195か国の旅を達成したという。彼女が言うには「家・屋敷を売り払い、命もかけて実行しました」と冗談半分に、面白おかしく話をしていた。
 そして、良い旅行会社があるから紹介してあげると一方的に言い、間もなくその会社からパンフレットがどっさり送られてきた。
聞いたことも無い会社だが、「国盗り」(趣味として全ての国を回る人たちはこの様に言う)の人には力強い会社らしい。JTBや阪急では実施できない専門分野だそうだ。

 100カ国旅行を目指している自分としては、通常の旅行会社では相手にならなくなってきた。特にアフリカは53カ国もあり、危険地域が多い。そこで今回「中央アフリカ6カ国」に参加した。

 費用それなりに、それなりに。
発展途上国なので、全てがビザが必要、ビザ代金だけでも10数万円。ある国などは旅行者の銀行預金50万円以上の銀行証明書添付とある。50万円もあればその国で10年くらいは住めるだろうにと考えたが、いたしかたない。

 途上国なので、旅雑誌や情報誌も無い。愛読書「地球の歩き方」にも掲載されていない。困った時の「インターネット」、これもあまり情報が無い。奥の手で、大使館や「国盗り」達成者から、そして主催のNトラベラーズクラブから事前情報を得た。

 出発! 普段は考えもしない神・仏・キリスト・アラーの神にもお参りして、おっかなびっくり、へっぴり腰でイザ、イザ出陣!!!

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カメルーンはアフリカの中部、大西洋のギアナ湾に面する

首都はヤウンデ

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           ☆ワンポイント情報

 ・正式国名    カメルーン共和国              ・言語     フランス語、英語、他部族語
 ・面積       日本の1.3倍                 ・宗教     カトリック、プロテスタント、イスラム教他
 ・人口       1,900万人                   ・元首     ポール・ビヤ大統領(1982年〜)
 ・首都       ヤウンデ                    ・経済     農業(コーヒー、ココア、綿花
 ・民族       他民族                             林業(木材)、鉱工業(石油)

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     ☆ 出 発

成田〜タイ・バンコク〜ケニア・ナイロビ〜カメルーン・ドゥアラ空港。  飛行時間21時間、待ち時間4時間、合計25時間。写真はケニア航空機の枕カバー

機内食は合計5回、もう飽きてしまう。特性「ニシン漬け」を持ってくればよかった!

ワインは南アフリカ産。酒は沢山飲めた。持参したド演歌のウオークマンも10時間聞いた。持参した直木賞受賞の「蜩ノ記」(葉室麟)も読んだが、まだ目的地に着かない

カメルーン最大の街「ドゥアラ」(上段)へ

ケニアの航空機はタイ・バンコク〜ケニア・ナイロビ〜カメルーンへ

アフリカ台地は平均標高1,500m。  ライオン、像、キリンが・・・見えるわけないか!

上空から円いクレーターが

左側には天国への階段らしきものが見える

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    ☆ カメルーンの特徴

・.カメルーンと言えばサッカーの強い国2000年のシドニーオリンピックでは金メダルを獲得するなど、アフリカを代表する強豪 国である。一方、ワールドカップなどの主要な大会ではトラブルが起きることが多く、「金銭面のトラブル」、「選手と監督の         対立」、などで、渡航日が大幅に遅れたり、チームが1つになれずに惨敗を喫することも多い。

 2002年、大分県中津江村に5日遅れて到着し、村中を困惑させた事は記憶に新しい。そういうお国柄の様だ。


・カメルーンの特質は「ミニ・アフリカ」と言われる。基盤岩類、円頂丘郡、サバンナ、熱帯雨林など自然景観が展開する。


・アフリカの中でも最も多様な住民構成を示し、およそ200の部族が居住し、小さな王国を形成する首長制社会を維持している。


・仮面やブロンズ彫刻、ビーズ細工など、華麗な物質文化を誇っている。

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       ☆首都ヤウンデ

Cameroon-Yaounde01.jpg

 人口1,430,000人(2004年)で、ドゥアラにつぐカメルーン第2の都市
 標高700mを越える
高原にあり、赤道近くとはいえ涼しく、また湿気が少なく過ごしやすい、いくつもの丘に囲まれた町である。商業上の首都と言えるドゥアラまでは約300kmある。

 19世紀の終わり、1888年ドイツ人によって象牙貿易の拠点として建設された。第一次世界大戦中はベルギー軍に占領された。戦争後はフランス領カメルーンの首都となり、独立に伴ってそのままカメルーンの首都となって現在に至る。

 主な産業は煙草製造、日用品製造、陶器ならびにガラス製造、木材加工である。
 ヤウンデは地域経済における
コーヒーカカオコプラサトウキビゴムの集散地である。

 ヤウンデには1962年創立のヤウンデ大学がある。ヤウンデ大学は1993年にヤウンデ第一大学とヤウンデ第二大学に分割された。

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    ☆ カメルーン最大の街: ドゥアラ

  

カメルーン最大の街「ドゥアラ」 の飛行場

ドゥアラは人口160万人

飛行場前

   ☆ドゥアラとは

Mount Cameroon craters.jpg
カメルーン山(4070 m)

 ドゥアラはカメルーン共和国最大の都市リトラル州の州都。

 
大西洋ギニア湾に面し北西には4070mのカメルーン山が聳えている。人口約1,600,000人(1991年)で、減少する傾向にある。

 商業上もっとも重要な都市である。空港ドゥアラ国際空港)やもあり、運輸上の中心であるとともにチャドからの輸送の中継地でもある。
 
首都ヤウンデとは道路鉄道で結ばれている。ウリ川にかかるボナベリ橋によって市内は二つに大きく分かれる。

 ポルトガル人が1472年に開基して以来、奴隷貿易の中心として発達した。
 
1884年グスタフ・ナハティガルがドゥアラにドイツを立て ドイツ保護領と宣言した。以降ドイツ保護領の一部となり、第一次世界大戦1919年以降は、フランス領カメルーンに属した。

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街並は清潔

本日のホテルは4つ星

仮面やブロンズ彫刻が特産

発展途上国の建築は1階ずつ作っていく

簡素な建物が多い

路上での店が多い

自由の女神はカメルーンのシンボル

             動画・・・カメルーン:ドゥアラの街並

ウリ川、カメルーンの語源となったエビがたくさん獲れる

カメルーン国旗

川岸の木の枝に無数の鳥の巣

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    ☆ グランド・マーケット

グランド・マーケットは野外

主食のキャッサバは白い粉

キャッサバの試食をしてくれるドラィバー

女性は荷を頭に乗せて運ぶ

アフリカのスイカは旨いから買え、とすすめる

バナナも旨いから・・・

トマトも旨いぞ〜とすすめ上手

キャッサバはサツマイモに似ている

魚は焼いたり干したり、暑いだけに保存食にする旅人の木: 茎に雨水を溜めるため非常用飲料として利用され、この名前が付いた。

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     ☆キャッサバとは・・・

ファイル:Iwata kenichi cassava.jpg

 ペルーでは4000年前、メキシコでは2000年前から栽培された。新大陸発見後、ポルトガル人によって世界の熱帯に伝えられ、広く熱帯、亜熱帯で栽培されている。

 普通は2、3メートル。茎は節があり、植物体を傷つけると白色の乳液を出す。根は茎の基部から出た不定根が肥大し、ダリアの根のような塊根になる。塊根は太さ3〜15センチメートル、長さ0.15〜1メートルで、1株に5〜10本つく。

 熱帯では米に次ぐ主食とされ、煮たり、焼いたり、すりつぶして水洗いしたりして毒成分を除いたのち、パン状に焼くなどして食べる。

 栽培はとても簡単である。茎を地中に挿すだけで発根し、そのまま生育する。収穫は南で9カ月、北では3年で取れる。焼畑農業で最初に植えられることが多い。

 作付面積あたりのカロリー生産量はあらゆるイモ類、穀類より多くデンプン質の生産効率は高い。

 葉を発酵させて毒抜きし飼料として利用したり、アルコール発酵によりバイオ燃料(バイオマスエタノール)を製造するなどの用途も注目を浴びている。農作物としてみれば、悪環境下(乾燥地、酸性土壌、貧栄養土壌)でも生育可能など、これまで農地とされなかった場所での栽培ができ、「食糧問題」や「温暖化問題」の解決への期待が大きい。

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      ☆ 略 史

年月略史
1960年1月仏領カメルーン独立
1960年5月アヒジョ初代大統領就任
1961年2月英信託統治地域の一部が人民投票により西カメルーンになる。
1961年10月西カメルーン独立、旧仏領カメルーンとともにカメルーン連邦共和国成立。
1972年5月連邦制を廃し、「カメルーン連合共和国」に。
1982年11月アヒジョ大統領辞任。ビヤ首相、大統領就任。
1984年1月ビヤ大統領再選。国名を「カメルーン共和国」に。
1988年4月ビヤ大統領再選
1990年12月複数政党制導入
1992年10月ビヤ大統領再選
1996年1月地方選挙で野党側が勝利
1997年5月国民議会選挙
1997年10月ビヤ大統領再選
2002年6月国民議会選挙及び地方議会選挙
2004年10月ビヤ大統領再選

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      ☆ ハンド・クラフト・センター

手作り民芸品が20件ほど連なる

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      ☆ 学 校

中学生

小学生   識字率:男89.6%、女79.3%

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    ☆ 野外魚市場

ウリ川は海と川の合流

丸木舟での漁が多い

種類も多い

カメルーンの語源(フランス語)となったエビ

川の側でさばく

大物?

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   ☆ ドゥアラ中心部

160万人の街

パゴタ酋長の家

街の中心・ロータリー

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アフリカの花

熱帯の情熱の花

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     ☆教会

   

セントポール教会

教会内部

教会の内部は木材、カメルーンの主産業の一つは木材


    ☆ 教会の中庭にある小学校

小学校は教会の中庭

今日は中庭で月に一度の調理実習、楽しそう

出来た、スパゲテイ?ウドン?

レンガをつみ、木を燃やして、炊事遠足の様だ

成都850名、先生20名

アフリカの多くの人々は写真を撮られるのを嫌がる。多分、魂が取られると思うのか。途上国ゆえカメラは普及していない。だが、子供は喜ぶ。見せてくれと飛んでくる。

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      ☆ アフリカはかって殆どがヨーロッパの植民地

1912年の植民地図式

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      ☆ スーパー

どの国もスーパーは同じ。

コーヒーは袋詰め

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      ☆ 露天商

店を持てない人は道端に並べる。

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    ☆カメレオンのバンケッター

これからご出勤?

親分か?

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     ☆ ドゥアラ鉄道駅

援助なしで作った自慢のドゥアラ駅、首都ヤウンデとを結ぶ

屋外・内部とも撮影禁止

 観光場所

 写真:アフリカを始め、発展途上国の多くはビデオ、写真撮影を極端に嫌う。軍や警察、大統領官邸ならいざ知らず、どこでもNO〜    である。そう言われれば、余計に隠れて撮りたくなる。スリル満点である。しかしかなりの勇気と技術が必要だ。

 観光地:定番は教会、博物館(途上国はない)、マーケット&市場&スーパー、学校、大統領&首相官邸、街の広場、駅、空港、
       有名人の墓、公園、街を眺める丘・・・

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 旅を終えて・・・

 費用は高かったが、小遣いは1万円以内で終わった。昼夜のアルコール代しか使わない。途上国なのでビール代が100〜200円なのである。500mlの水も30円程度。

 旅仲間は15人。全てが1人参加。夫婦でのんびり、なんて言うのどかな旅行ではない。 男は内6名で、女性が頼もしい方々9名。頼りになる添乗員1名。自分以外は「国盗り」100カ国〜180か国の変わったお人ばかり。旅のプロと言うべきか?

 40代の現役の弁護士もいる。いつ仕事をするのだろうか? 中学校の先生もいて世界史を教えていたが、現在は遅いが実施研修ですと言う。現役の公務員らしき人3人? そのうち一人、愛読書の「少年サンデー」を読んでいる。50代なのに、やはり変わっている。
 
 女性は社長婦人らしき人が3名? 3人が言う。 「亭主元気で留守ががいい!」ではないのよッ、我家は「女房元気で留守がいい!」・・・
70〜80代の女性が大半である。杖をつく人、その杖を始終忘れ、添乗員が探しに行く。腰が曲がってあまり歩けない人もいる。しかしマイペースだ。旅のプロフェッショナルなのである。全員、記憶力も抜群である。英語もフランス語も、数ヶ国語を話せる御仁もいる。

 しかし、よく食べる。食べるから元気なのだろう。話好きが多い。相槌を打つとこれはカモだ、と思われるので聞こえないふりをする。
メンバーを見ているとこれは「空飛ぶ老人ホーム」ではないか。日本の将来は年寄りでまだまだ持つだろうと改めて考えさせられた。

 ささやかれる第3次大戦が始まったならば、この様な老人を真っ先に前線に送り込むべきである。人生経験豊富なので諜報部員として使えるかも知れない。年寄り侮れないと痛感した旅であった。

 メンバーの事ばかり観察していたので、旅の事は殆ど記憶にない。                                   終わり

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