カンボジア王国

 2,009年12月カンボジア旅行。ポルポト政権崩壊後30年を迎えた。ポルポトの虐殺は100万人とも200万人とも言われている。ポルポトは裕福な家に生まれ、フランス留学もし、カンボジアの将来を背負うべく期待もされていたはずである。それがクメール・ルージュ(共産主義)に所属してから不幸が始まる。

 クメール・ルージュのイデオロギーは、ヨーロッパ撤退後の反植民地主義と毛沢東思想の極端な形式を組み合わせたものである。ポルポトは「毛沢東思想のもっとも忠実な実践者」となり、極端な政権を担って行ったのである。

 ポルポト政権崩壊後30年、東西の冷戦終了後20年、常に大国フランス、ロシア、中国、アメリカからの侵略や統治で犠牲を強いられ、また近隣タイやベトナムからも侵略され、休まる事のなかったカンボジア難民の生活は回復したのであろうか、戦後の日本と比べて復興の状況が気になる国である。

        

カンボジア概況

 ・面積:日本のおよそ半分

 ・人口:1,338万人   特徴〜ポルポト後に生まれた30才以下の若者が人口の半数以上となった。当時の大人が虐殺されたための現象。 首都プノンペン人口:134万人  ア                                       ンコール遺跡の町、シエムリアップの人口:14万人。

 ・国王:ノロドム・シハモニ(シアヌーク殿下の次男)  首相:フン・セン

 ・宗教:上座部仏教(90%)

 ・通過:リエル(100リエル=2.3円)

 ・日本との時差:2時間

 ・観光名所:アンコールワットの遺跡群

 歴 史

       年 代     王朝と政権      統治者
  紀元前4200年頃 洞窟から人間の生活の跡が発見される 
  紀元前後〜802年

 インド文化の影響を受けた「扶南」(ふなん)が建国→クメール人が「真臘」建国→アンコール朝と発展

ジャヤヴァルマン二世 アンコール王朝初代王
   802年〜1431年(629年間) アンコール王朝(クメール王朝とも言う)の最盛期。アンコールワットや大石造寺院を建設した。ジャヤヴァルマン七世
 1431年〜1863年(432年間) アンコール王朝が衰退し、シャム(タイ)とベトナムの両属状態となる。シャム、ベトナムの統治で国王不在となる。
 1863年〜1953年(  90年間) シャムとベトナムの支配から脱するため、当時の王はフランスの支配下に入る。以後、インドシナ連邦(現在のカンボジア、ベトナム、ラオス)として支配されるが、シアヌーク国王が独立を達成。

フランス→シアヌーク国王

シアヌークは以後、クメール・ルージュと連帯するが、それは中国の意図で従わざるをえなかった。

 1953年〜1970年(  17年間) インド、中国、フランスどちらにも属さない非同盟中立の綱渡り外交。右派ロン・ノル将軍がクーデター、シアヌークを解任。その後ベトナム戦争が飛び火し米軍空爆。内戦拡大。

シアヌーク国家元首→ロン・ノル将軍

クメール・ルージュ(共産ゲリラ組織)〜ポル・ポト政権が中国の文化大革命のまねをしたと言われる。

 1970年〜1979年(    9年間) 北京亡命中のシアヌークは、クメール・ルージュ(共産ゲリラ組織)と協力しポル・ポト政権樹立。ベトナム戦争(1965~1975)がカンボジアに拡大し、国内も内戦状態となる。急進的な共産主義政策で国内は混乱、ベトナム軍の侵攻でポル・ポトはタイ国境へ逃亡。「カンボジア難民33万人」問題が発生。

ロン・ノル→シアヌーク(ポル・ポト派)→ベトナム軍の支配

ベトナム戦争の余波・・・アメリカと南ベトナムが北ベトナム攻略のため、またロン・ノル将軍の要請もあり、越境し戦争に巻き込んだ。

1975年の人口730万人

 1979年〜1991年(12年間) ベトナム軍(南北統一後)の支援でヘン・サムリン政権樹立。その後タイ国境に逃れたシアヌーク派、ソン・サン派、ポルポト派は中国、ASEANに支援され、一方ソ連、ベトナムに支援されたヘン・サムリン政権と二つの国家が出来る。東西対立、社会主義国家間の対立で紛争は困難となる。

ヘン・サムリン→二つの国家         @ソン・サン派、シアヌーク派、ポル・ポト派3派〜                           中国、ASEANが支援            Aヘン・サムリン政権〜ソ連、ベトナム                        が支援  ASEAN(アセアン諸国連合=タイ、インドネシア、マレーシア、フイリピン、シンガポール)1981年の人口:630万人(内戦で100万人が虐殺)

 1991年〜1993年(    2年間)

 シアヌーク殿下(シアヌーク派)とフン・セン首相(ヘン・サムリン政権)が話し合う。   ソ連などの社会主義諸国の崩壊で冷戦が終了、中国とベトナムの関係改善で和平が進む。

シアヌーク、ヘン・サムリン(フン・セン)
 1991年 和平 パリ和平協定 : 関係19カ国による「国連カンボジア暫定統治機構」成立。シアヌークが12年ぶりにカンボジアに帰還する。国連カンボジア暫定統治機構の下に合法機関:シアヌーク3派、ヘン・サムリン                    派の4派がおかれる。
 1993年 新生「カンボジア王国」誕生 選挙でラナリット殿下(シアヌークの次男)派とフン・セン派の連立。シアヌークが国家元首に再任。

シアヌーク国家元首            ラナリット第一首相、フン・セン第二首相

 1993年〜1998年(    5年間) 両派の対立勃発、武力衝突。シアヌーク国王の仲介でフン・セン政権樹立。シアヌーク国家元首、 フン・セン首相
 1998年〜 フン・セン政権の確立。社会主義計画経済(旧ソ連型)→市場経済システム(資本主義類似型)への移行。  課題: 貧困削減、汚職撲滅、経済開発、人権問題、エイズ対策、人身売買の撲滅等。

シハモニ国王(2004年〜:シアヌークの子息)

フン・セン首相(1998年〜 )

2008年の人口: 1,480万人

空 港

〇 成田〜ベトナム・ハノイ(6時間) 乗り継ぎ ハノイ〜シエムリアップ(2時間) 

 カンボジア:シエムリアップ空港

シエムリアップ市内

          

   近年、ホテルが多数建てられてきた。      ホテルの庭に南国特有の花           町の主要な乗物                豊富な果物

   

アンコール・トム

               動画 : アンコールトム ガイドの解説            http://www.youtube.com/watch?v=n0lgidaFbM0&feature=channel

 アンコール・トム (Angkor Thom) は、アンコール遺跡の1つでアンコールワット寺院の北に位置する城砦都市遺跡。12世紀後半、ジャヤーヴァルマン7世により建設されたといわれている。周囲の遺跡とともに世界遺産に登録されている。

アンコールは、サンスクリット語のナガラ(都市)からでた言葉。またトムは、クメール語で「大きい」という意味。

              

  大昔、遺跡の石の運搬はゾウさんが担っていた。            アンコール・トムの南大門    南大門の前の堀の橋、両サイドには、神々(左側)と阿修羅(右側)の像

        

  高さ23mの大門、アンコール・トムに行くには5つの門がある。         12世紀の建物(日本の平安時代)              写真サービスのカンボジア美人

          

精微名レリーフが絵巻のようにびっしりと刻み込まれている。像や神様が登場してくる。

中央にはバイヨン寺院、「隠し子」寺のバプーオン、空中楼閣のピミアナカス、、ゾウの彫刻の像のテラス、エンマ大王のライ王のテラスがある。

       

                                 像のテラス テラスは350m                            アプサラ(天女の舞)をサービスする現地人 

           

                           南国特有の大木    30m位?                              花か葉っぱか

タ・プローム  巨大なガジュマルの木々に押しつぶされそうな寺院)

                     動画 : ガジュマルの木      http://www.youtube.com/watch?v=Hhu9gQYvJnc&feature=channel

    

タ・プロームはアンコール遺跡群の中の仏教寺院。ガジュマルの木が 寺を包み込んでいる。果たしてガジュマルは寺を壊しているのか、 それとも支えているのかが議論されていると言う。  

1,186年、当時の7世王が母のために造った仏教僧院。自然の力を明らかにするために、樹木の除去や本格的な積み直しなど修復の手を下さないまま据え置かれている。

このヘビのような木は、スポアン(ガジュマルの一種)と呼ばれている。ガジュマルはクワ科の常緑高木で世界には800種もある。日本には南西諸島に多くある。樹高20m。

ガジュマルの名の由来は、幹や木根の様子である「格まる」姿が訛ったという説があるという。別名「絞め殺しの木」とも呼ばれていると言う。側に行くと絞め殺されそうだ。

昼 食

       

 日本の北海道の天気は12月のこの日、NHKテレビでマイナス20度で大雪と放送された。 こちらシエムリアップは喚起といえど32度、殆どの観光客は12時〜14時位まで、ホテルで休養する。暑くてくたくたなのだ。そこで日本食で元気付け。 豆腐も現地で作っている。ただ違和感を感じるのは、カンボジア人の男性がたどたどしく運んで、サービスしてくれるが、なんかぎこちなく美味しくない、気がした。贅沢は言えません。ハイ。

アンコール・ワット

アンコール・ワットは、カンボジアにあるアンコール遺跡の一つで、遺跡群を代表する寺院建築。

 12世紀、カンボジアの当時の王様「スーリヤヴァルマン2世」によって、30年間をか けてつくられた石造伽藍(寺院の建物)。アンコールは「王都」、ワットは「寺」の意味 。最初はヒンズー教の寺院として建てられたが、13世紀に仏教が伝わると仏教寺院に衣 替えした。

    

  動画 : アンコールワット  http://www.youtube.com/watch?v=QSGt5qHxJko&feature=channel

                       手前で乗物から降りて、延々と歩いていく。両サイドの池にはピンクの蓮の花が可憐に美しく咲いている。 


        

         カンボジア遺跡は世界の先進国がそれぞれ修復の任に当たっている。 左の看板は日本の修復チームの説明。30年前まで、ポルポト政権が破壊した                                         遺跡が復元してきている。  5つの棟が見え出してきた。

   

池には無数の蓮の葉が、午後はしぼんでいる。

         

アンコールワット内部の5つの棟の下部まで見学が許されている。建物の殆ど全てにレリーフが精巧に彫られている。


            

                        動画 : アンコールワット   http://www.youtube.com/watch?v=5hQ_6uxY_3U&feature=channel

 アンコールワットの内部。空高くそびえる5つの塔は須弥山(スミセン)「仏教宇宙論に おける世界中心的な巨山(ヒマラヤを指す)」を、2つの回廊はヒマラヤ山脈を、そして 環濠は世界の大海を意味し、当時の世界観を表わしている。

 この階段は斜度がかなりきつい。手すりが無ければ落ちそうだ。昔はお坊さんがここを登ったのであろう。まさに命がけの修行であった事と推察される。

プレ・ループからの夕日

    

プレとは神、ループは姿を意味する「プレ・ループ」。 ピラミッド式寺院。 ここは一段と高く、周囲にさえぎるものが無く、夕日鑑賞の人気スポットとなっている。

アプサラダンス ディナーショー

     

 アプサラダンスとは? カンボジアの天地創造の神話の一つで、神様と阿修羅(インド神話で、不思議な力を備え ていた神々の称)が海を1,000年かき混ぜてその時出てきたのが「天女アプサラ」。

 アプサラは空を舞い、幸せをはぐくむと言われている。アプサラダンスは「天女の舞 」と言う意味。美しくきらびやかな衣装と、しなやかで個性的な振り付けが特徴。指先の 動き、腰の揺れ、足の向き、全身の振り付けの位置や向きが全て意味を持ち、言葉を表現 している。天の踊子達は、豊作や王国の保護、繁栄のために踊る。

                        動画 : アプサラダンス  http://www.youtube.com/watch?v=_4OUGeVEj4c&feature=channel

    

      

アンコールワットの朝日

    

                                             アンコールワットと子犬


    

                動画 : 朝日に輝くアンコールトム   http://www.youtube.com/watch?v=LxHIFleno6s&feature=channel

 アンコール遺跡群の中で唯一ワットだけは西向きに建てられている。よって観光客は早朝 の朝日が昇るところを見るために集まる。
正面にアンコールワットを見ると、その後ろから朝日が徐々に上がり始めると、池にはア ンコールワットが見事に映し出される。真っ赤な蓮の花が池一面に広がる。素晴らしいロケーションに歓声が上がる。

         

見事な朝焼け:平和が続く事を願う


  

日の出と共に咲き出した蓮の花

の原産地はインド亜大陸とその周辺。地中の地下茎から茎を伸ばし水面に葉を出す。草高は約1m、に通気のための穴が通っている。水面よりも高く出る葉もある(スイレンにはない)。は円形で葉柄が中央につき、撥水性があって水玉ができる

花期は日本では7〜8月で白またはピンク色の花を咲かせる。 早朝に咲き昼には閉じる。

ハスの花を指して「蓮華」(れんげ)といい、仏教とともに伝来し古くから使われた名である。 また地下茎は「蓮根」(れんこん、はすね)といい、野菜名として通用する。

仏教では泥水の中から生じ、清浄な美しい花を咲かせる姿が仏の智慧や慈悲の象徴とされ、様々に意匠されている。また死後に極楽浄土に往生し、同じ蓮花の上に生まれ変わって身を託すという思想があり、「一蓮托生」という言葉の語源になっている。

カンボジアの正式な国花は決まっていないようだが、一般的に稲と蓮が慕われているようだ。アプサラ踊り(天女の舞)の手の動きは蓮の花の一生を表わしているし、遺跡の中のレリーフには蓮の花が沢山描かれていた。

 住 宅

     

 一歩郊外に出ると、民家の多くは藁葺きが多い                  街の建物                        高床式も多い


      

果物は天からの恵み                    ♪ 君たち女の子!  僕達男の子! ヘィヘィヘィ ヘィヘィヘィ  おいで〜遊ぼう〜 ♪   

アンコール遺跡群

  シェムリアップの市街地から東にあるのが、 ロレイ=大貯水池の中央の小島の上に建設された寺院  プリア・コー=「聖なる牛」という意味の最古の寺院   バコン=ヒン         ズー教の神々に奉納した寺院

      

     ロレイ= 座るお坊さんと尼さん                    プリア・コー= こちら寝そべる牛さん             バコン=修復中

トンレサップ湖

                 動画 : トンレサップ湖  メコン川とつながる   http://www.youtube.com/watch?v=P0xyjHdHdpw&feature=channel

    

          メコン川が雨季で水かさが増えると、水位も上がるので高床式住宅       船着場:経営はカンボジアのお金持ち? 岸辺や川にすむのはベトナム難民


 カンボジアのほぼ中央に位置するトンレサップ湖は、チベット高原 を源流とするメコン川に通じている。雨季にはメコン川の雨量が増 し、トンレサップ湖に逆流して、湖の面積が3〜4倍となる。その ため、下流や隣国ベトナムに通じる川は氾濫しないと言う恵みの川 である。  

 「伸縮する湖」トンレサップ湖は乾季3,000平方km、雨季に は10,600平方kmと3.5倍になる。カンボジア国の面積が 日本の面積の半分で181,000平方km、湖は国の6%を占め る。琵琶湖670平方kmの16倍の広さだ。約300種類の淡水魚が 生息し、古来より魚業が盛んで、淡水魚としては世界でも有数の漁 獲高を誇る。  

     

  船着場で水を売るカンボジアのお母さん、写真を撮れと言う          カンボジア人の観光舟              川に浮く住宅、住民税は要らな胃と言うが・・・・・

動画 : トンレサップ湖は琵琶湖の16倍  http://www.youtube.com/watch?v=mmT96gmx4gg&feature=channel 

    

            難民の小船                          使い込まれた小船                        唯一の交通手段は舟

動画 : トンレサップ湖に漂流するベトナム難民  http://www.youtube.com/watch?v=0_bjnO-TAsk&feature=channel

    

     観光客目当ての店にはワニが                     船上売店の裏側で食事をする少年         親の漕ぐ小船に乗り、観光船に物を売る子供


 トンレサップ湖の両岸には、カンボジア人ではなくベトナム難民が多く住みついている 。ベトナム戦争の余波で追われた難民が草葺や板塀の、床は丸太を繋いだ簡易住まいだ。 アマゾンの奥地とか発展途上国の川や湖にも多く見られる。

 水上生活者が殆どで、家屋、商 店、観光客目当てのレストラン、小学校、ガソリンスタンドまである。南国ゆえ子供 達は殆ど裸だ。観光船は20〜30人乗り、その観光船目当てに、親が操縦する小船や、 もっと貧しい母親は手漕ぎボートに幼な子を乗せて、果物を売るために近寄ってくると、 子供は観光船に飛び移り買えと迫る。果物も用意できない子供達はひたすら1ドル。1ド ルと手を出してくる。

 一人に恵むと、他の小船もそれを見て素早く寄って来るが、貰えな いとなると大泣きで訴える。観光船の客は唖然とする。カルチャーショックを受ける瞬間 だ。まだまだ世界にはこのような光景がある。

バンテアイ・スレイ

       シヴァ神とヴィシュヌ神に捧げられたヒンズー教の寺院。「女の砦」の意味を持つ。

      

                神々レリーフ                           寺と花                         「東洋のモナリザ」

ヒンズー教と仏教が融合したアンコール遺跡群、ジャングルとも間違われそうな密林の中にアンコールはあった。1,000年以上も前に造られた遺跡には目を見張るものがあった。

アフリカも発展途上国で貧しいが、インドシナ3 国も未だ貧しい。いずれも社会主義時代を経験してきて、現在は市場経済システムの導入で発展途上だが、共通するのは汚職であろう。ロシア、中国、ベトナム、そしてカンボジア・・・ 政治の体制が今一歩なのであろう。

カンボジア・シェムリアップでボランティアで働く若者に随分会うことがあった。特に若い女性が多かった。一様に目に輝きと意気込みを感じられた。1ヶ月1万円程度で暮らすらしいが、殆ど全てを自己負担のようだ。彼ら、彼女達が憤慨して訴えてくる。

「この国は政治体制が未だおかしい! 先進国から援助金等が贈られてきても、一般庶民には届かないのです。殆どが役人の懐に納まるのです。また、ボランティアの私たちに危険が感じられる時、相談すると金品を要求される時が多い、断ると知らないぞ!と言われる。平気で言うのです。 しかし国民はすごく純粋です。教育を受けられず無知が多いので、苦労しているのです。学校は無料なのですが、服やノート、鉛筆を買うお金が無いので学校に行けないのです。だから、私たち日本人ボランティアが私設学校を作り、運営して面倒を見ているのです。」

トンレサップではベトナム難民の苦しそうな生活を見た。観光船に乗っていた日本人全員がカルチャーショックを受けたのだ。乳飲み子を抱えた母親の、手漕ぎボートに乗った4〜5才の少女が、1ドル、1ドルと言う。恵んでくださいと言うのだ。日本人のお婆ちゃんが一人にあげた。そうすると近くで見ていた他の子舟の子供達が、我先にと来て手を差し出す。驚いたお婆ちゃんはあっけにとられて 「NO~」 と言うと、子供達はオイオイと泣く。 この子供達に金銭を与えるのが正しいのか、それともたくましく恵みの土地から与えられるもので生きる術を掴むほうがよいのであろうか。しばし考えさせられるカンボジアであった。

                                                                                              終わり




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