カザフスタン紀行
ゼンコフ正教会 : ロシア正教の教会は鮮やかな彩りが特徴 |
数字は宿泊日数、アルマティに入国し、タシケントから出国 |
旅の初めに・・・ 2012年5月、中央アジアの旅に出る。 ○○○スタン、と言う国はあまり馴染みがない国々であった。旧ソビエト連邦のせいであったからだろうかと考える。 手元のガイドブックには、以下の様なコメントで「中央アジア」として紹介されている。 「東西文明の十字路として様々な民族の興亡の地となった中央アジア。緑濃い天山山脈に佇む神秘の湖。遙かなる砂漠に点在する遺跡群、イスラムの青いドームが目にも眩い中世の街並み。アレキサンダー、チンギスハン、マルコ・ポーロ、チムールが駆け抜けたシルクロードの主舞台」とある。 |
☆ワンポイント情報
・国名 カザフスタン共和国 ・民族構成 カザフ人63%、ロシア人24%他 ・面積 日本の7倍 ・宗教 イスラム・スンニ派、ロシア正教 ・人口 1,580万人 ・言語 カザフ語、ロシア語 ・首都 アスタナ(人口70万人) ・産業 鉱業、農業、冶金・金属加工 |
☆ 出発
韓国のアシアナ航空。成田〜インチョン〜カザフスタン・アルマティ。およそ9時間 | 韓国美人。世界のスッチーで、日本と並び韓国は親切、愛想が良く評判が良い。 | 食事は大韓航空の方がよろしいようで。なぜなら、ビビンバが出ないから・・・ |
☆ アルマテイ
アルマトイはカザフスタン共和国南東部の都市。中央アジア最高水準の世界都市であり、1998年まで同国の首都であった。人口は135万人。キルギス共和国および中国との国境に近く、天山山脈の麓に位置する風光明媚な街である。 1991年、ソヴィエト連邦を解体し、独立国家共同体を始動した協定はここアルマトイで調印された。アルマトイは現在もカザフスタンで最大の都市であり、商工業・文化の中心都市である。 |
旅の疲れを癒す、☆4つ | 5カ国に共通するのはバラの花が多い事 |
☆ ゼンコフ正教会
ホテルの前は公園、そこにゼンコフ正教会が建つ | 木陰に見えるゼンコフ正教会 |
子供たちのイベントがあるらしい | 教会内部の写真 | 5階建ての木造教会、1904年建立 |
鮮やかな教会内部 | 灯をともしてお祈り | 独特の十字架 |
八端十字架とは・・・ 八端十字架(はったんじゅうじか)の名称は8箇所の先端部分が存在することに由来する。 上部と下部の2本の線がラテン十字(通常の十字架)と異なる形状上の特徴である。上部の短い線は罪状書きを表している。 下部の斜めになった線は、足台を表している。正教会の伝承では十字架には足台があったとされており、磔刑を描いたイコンにもそのような描写がされる。
街から見える天山山脈 | 若い兵士、今は平和、何となくのんびりムードが漂う |
☆天山山脈
天山山脈は中央アジア、タクラマカン砂漠の北及び西のカザフスタン、キルギス、中国の国境地帯にある山脈。 カザフスタンからキルギスに至る500kmのバスの旅で、常に白い山々が見られる。 | ||
ハン・テングリ:天山山脈でポベーダ山に次ぐ2番目の高さの山。海抜6995m。山頂はカザフスタンでの最高地点である。 | ポベーダ山:中国とキルギスの国境に位置する山。標高は7,439mであり、天山山脈の最高峰である。 |
☆街角
今や、若い女性のファッションは共通 | 露天 |
ロシア系が多い | 女性は美人が多い・・・かな。 |
大型バスで各国を巡る | ランチ・タイム&ビール | サクランボが食べ頃 |
☆ 国立博物館
古代遊牧民についての展示がされている | 黄金人間 |
☆日本人墓地
中央アジアの墓の特徴は人物像が墓石 | ありし日の姿がリアルに | こちらは写真 |
1945年の第二次世界大戦後、日本人捕虜の墓 | カザフスタン墓地の一番奥の一角、女性が花束を | 強制労働を強いられ、一つの墓石の下には6名が埋葬 |
年月 略史 14世紀頃まで 現在のカザフ人とほぼ同じ人種的特徴と、カザフ語とよく似た言語が定着 15世紀後半 遊牧ウズベク国家から分離し、キプチャク草原(カザフスタン)に勢力を拡大。カザフ・ハン国の成立 18世紀初 ジュンガルとの戦いの中でカザフ人の一体性の意識が明確化 18世紀初 大ジュズ、中ジュズ、小ジュズの三つの部族連合体に分裂 1730年代 カザフの支配層の一部がロシア皇帝に臣従 18世紀中頃 清朝にも朝貢 1820年代まで ロシア帝国、南部を除くカザフスタンを直接支配下に収める 1837年〜1847年 ケネサルの反乱(カザフ人による対ロシア反乱) 1850年〜1860年代 カザフスタン南部がロシア帝国に併合、カザフスタン全域がロシアの支配下に(ロシア人農民の大量植民) 1920年 ロシア連邦共和国の一部として「カザフ(キルギス)自治ソヴィエト社会主義共和国」成立(首都オレンブルグ) 1924年 中央アジアの民族・共和国境界画定により国境線の変更 1925年 首都をオレンブルグからクズィルオルダに移し、国名を「カザフ(カザク)自治ソヴィエト社会主義共和国」に変更 1929年 首都をアルマティ(アルマ・アタ)に移転 1936年 ソ連邦を構成するカザフ・ソヴィエト社会主義共和国に昇格 1986年12月1日 アルマ・アタ事件(カザフ人共産党第一書記コナエフ解任に抗議するデモに対し、内務省軍と警察による弾圧) 1990年4月24日 ナザルバエフ大統領就任 1990年10月25日 共和国主権宣言 1991月12月1日 ナザルバエフ大統領再選 1991年12月10日 国名を「カザフスタン共和国」に変更 1991年12月16日 共和国独立宣言 1997年12月10日 首都をアルマティよりアクモラ(現アスタナ)に移転 1999年1月10日 ナザルバエフ大統領再選 2005年12月 ナザルバエフ大統領再選 2011年4月 ナザルバエフ大統領再選
☆郊外へ
旧ソ連では、ウクライナに次ぐ第3位の穀物生産国 | 農業は主産業 | 鉱業資源も豊富 |
☆タラス
カザフスタン南部に位置し、キルギス共和国の国境に近い。人口は33万人であるが、人口増加率はカザフスタンで最も高い都市の1つとなっている。タラス川の扇状地にあるオアシス都市。 751年には、唐とアッバース朝の間でタラス河畔の戦いが、タラス川(現在のキルギス領内)で闘われた。 |
☆ タラス河畔の戦い
タラス河畔の戦いは、751年に、中央アジアのタラス地方で唐とアッバース朝(イスラム王朝)の間で行われた戦闘である。 唐とアッバース朝の中央アジアの覇権を巡る天下分け目の戦いで、アッバース朝軍は「唐軍5万人を殺し、2万人を捕らえた」という。 |
タラス河畔 |
☆アイシャ・ビビ廟
悲話伝説 あるとき、戦いで敗北したカラハーン(君主)は、タラズからサマルカンドへ退却し、再起を目指して軍隊を訓練していた。 その見物人の中に商人の娘アイシャがいた。二人は知り合って恋に落ち、結婚を誓い合った。 まもなく軍勢を回復したカラハーンは、アイシャを連れ、タラズへ出発しようとするが、アイシャの父親は怒って娘を家に閉じ込めてしまい、カラハーンはひとりでタラズへ戻っていった。 しかし娘に同情した母親は、乳母のババジ・カトゥンをつけて、アイシャをタラズへ旅立たせた。二人は急いでタラズ川までやって来た。町に入ってカラハーンに会う前に川辺で身を清め、花嫁衣裳を着けたアイシャは、草の上においたベールを手に取った。ところがベールに潜んでいた毒蛇に咬まれてしまった。 乳母ババジ・カトゥンに急を告げられたカラハーンは司祭を連れて川辺にやってくると、瀕死のアイシャを抱き上げ、司祭に結婚式を挙げてもらい、彼女以外の妻を持たない事、立派な廊を建てることを誓った。 アイシャはビビ(妃)となって息絶えた。こうして建てられたアイシャ・ビビ廊と並んでその後長くカラハーンに仕えたババジ・カトゥン廊もここには建てられている。 |
カラ・ハン王とアイシャ妃との悲恋物語で有名な廟 | 日干し煉瓦でできている | カラハーン廟 |
煉瓦の模様は50種以上 | とんがり型は珍しい | ハシジ・カトゥン廟。アイシャ・ビビの乳母の廟と言われている。 |
アイシャ・ビビ廊の隣には土産物店 | カザフスタン遊牧民のユルタ(移動式住居)の土産物 | 売店の遊牧民子孫 |
☆カザフスタン郊外・・・キリギスに向かう
カザフスタンの国土は日本の7倍。シルクロードの道をひたすらバスは走る |
草原を遊牧民が駆け巡る |
バスで1日走っても「天山山脈」の白い山は続く |
街角で、子供達の催し? |
街はずれの住宅街 |
三角屋根が多い |
ランチ・タイム。煮込み料理が多い | モモ、餃子もどき | 隣の女の子は日本人が珍しい |
☆○○○スタンの比較
国名 | 人口(万人) | 面積 | 首都(人口) | 言語 | 民族構成 | 宗教 | 産業 | 特徴 |
カザフスタン | 1,580 | 日本の7倍 | アスタナ(70万) | カザフ語、ロシア語 | カザフ人63%、ロシア人24%他 | イスラム・スンニ派47%、ロシア正教44% | 鉱業、農業、冶金・金属加工 | 旧ソ連では、ウクライナに次ぐ第3位の穀物生産国 |
キルギス | 560 | 日本の半分 | ビシュケク(100万) | キルギス語、ロシア語 | キルギス人70%、ウズベク人14%、ロシア人9% | イスラム:スンニ派75%、ロシア正教20% | 農業(綿花・タバコ)、牧畜、鉱業(金、水銀) | 経済の主体は牧畜 |
タジキスタン | 710 | 日本の4倍 | ドゥシャンベ(68万) | タジク語、ロシア語 | タジク人80%、ウズベク人17%他 | イスラム:スンニ派80%、シーア派5% | 農業(綿花)、アルミニウム生産、水力発電 | 国土の殆どが“世界の屋根”といわれるパミール高原 |
トルクメニスタン | 520 | 日本の1.3倍 | アシガバット(70万) | トルクメン語、ロシア語 | トルクメン人81%、ウズベク人9%、ロシア人3.5% | イスラム:スンニ派89%、 ロシア正教9% | 鉱業(天然ガス・石油など)、農業(綿花)、牧畜 | 天然ガスが経済を支えている |
ウズベキスタン | 2,780 | 日本の1.2倍 | タシケント(220万) | ウズベグ語、ロシア語 | ウズベク人78%、ロシア人5%他 | イスラム:スンニ派88%、ロシア正教9% | 綿繊維産業、食品加工、機械製作、金、石油、天然ガス | 世界有数の綿花輸出国 |
アフガニスタン | 3,000 | 日本の約1.7倍 | カブール(250万) | ダリー語 | パシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人等 | イスラム:スンニ派84%、シーア派15% | 小麦、大麦、ジャガイモ、米、アーモンド、サトウキビ等 | 長年の戦乱で経済は完全に破綻 |
☆国境
20日間全部が35〜40℃、参りました | 緊張がはしる国境。撮影はNOです。向こう側の国まで荷物を持って20〜30分歩かされる |
旅を終えて・・・ 広い国土をバスに揺られていると、ジンギスハンやチムール、そして遊牧民が丘の向こうから現れそうな錯覚に陥る。 天山山脈の雄大さに目が奪われる。日本の北アルプスや南アルプスを1日中バスから見ているようである。飽きないから不思議だ。写真を100〜200枚映していた。帰国してから写真を見ると殆ど同じ景色だが、微妙に違うのだ。 大自然のカザフスタン、そんな印象でカザフスタンを後にする。 おわり |