キルギス紀行

 

      キルギスの首都ビシュケクは街全体が公園のよう。街が緑の丘に囲まれ、その向こうには白い4000〜5000mの山々がある。

        カザフスタンからキルギスへ。数字は宿泊日数

 旅の初めに・・・

 2012年5月、中央アジアの旅に出る。

 ○○○スタン、と言う国はあまり馴染みがない国々であった。旧ソビエト連邦のせいであったからだろうかと考える。
未だ危険なアフガニスタンを除いて、カザフスタン・キルギス(元はキルギスタン)・タジキスタン・トルクメニスタン・ウズベキスタンの5カ国を一挙に回る事にする。

 手元のガイドブックには、以下の様なコメントで「中央アジア」として紹介されている。

 「東西文明の十字路として様々な民族の興亡の地となった中央アジア。緑濃い天山山脈に佇む神秘の湖。遙かなる砂漠に点在する遺跡群、イスラムの青いドームが目にも眩い中世の街並み。アレキサンダー、チンギスハン、マルコ・ポーロ、チムールが駆け抜けたシルクロードの主舞台」とある。
 
 未知の国々に心は躍る。果たしてどのような文化が待ちうけているのだろうか、期待は高まる。

 

     ☆ ワンポイント情報

 ・国名   キルギス共和国        ・民族構成   キルギス人70%、ウズベク人14%、ロシア人9%
 ・面積   日本の半分           ・宗教      イスラム:スンニ派、ロシア正教
 ・人口   560万人            ・言語      キルギス語、ロシア語
 ・首都   ビシュケク(人口100万人)   ・産業      農業(綿花・タバコ)、牧畜、鉱業(水銀

     ☆ビシュケク(首都)

  ビシュケクという都市名は、キルギスの国民酒である馬乳酒 を作る時の攪拌器の名前に由来する。天山山脈を通るキャラバン(隊商)の停泊地としてソグド人(イラン系)に造営されたと考えられている。

 独立前、ビシュケクは典型的なロシアの1都市であった。ビシュケクの住民の多くがロシア人であった。しかし、独立後の2002年には、ビシュケクのロシア人の割合は20%を下回るようになった。

 札幌とほぼ同じ緯度に位置し、山の美しい町で、どこからでも万年雪を頂く4,000m〜5,000mのアラ・トーの山々が見える。町全体が公園の様で、コンクリートの5階建て建物が整然と並ぶ近代都市。
 キルギス人の顔は日本人によく似ている。

 

天山山脈の支脈キルギス・アラ・トーの山々

いずれも4000〜5000m

町を囲む丘の向こうに白い山が

   動画・・・キルギス:ビシケクの街とアラ・トー山脈

街の赤、緑の丘、そして白い山

ホテルの庭とプール

首都ビシュケクは綺麗な街並

    ☆キルギスとは

 ソビエト連邦から独立したウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン、タジキスタンとともに中央アジアを形成し、独立国家共同体ソ連崩壊時に、ソビエト社会主義共和国連邦を構成していた15か国のうちの12か国によって結成されたゆるやかな国家連合体)の加盟国となっている。

 キルギスの語源は、「40の部族」ないし「40の氏族」という意味。タジキスタンやカザフスタンなどにみられる「〜スタン」とは、モンゴル語の氏族等を意味するヤスタンに由来する。

 ビシュケクと第2の都市オシュ、中央部のナルインにはソ連共和国時代に大規模な灌漑施設が敷設されているため、綿花を中心とした耕作に向く。
 水銀(
ハイダルカン鉱山)は2002年のデータで世界第3位の産出量を誇っている。

右がガイド、この国ではエリートである

露店が並ぶ

街にはゴミはない

日曜市と天山山脈

          動画・・大草原と天山山脈

   ☆ビシケク→イシククル湖へ

キルギスの主産業は農業(綿花・タバコ)、牧畜

        ☆天山山脈

Peak of Khan Tengri at sunset.jpgJengish Chokusu from BC.jpg

 天山山脈は中央アジアタクラマカン砂漠の北及び西のカザフスタンキルギス中国の国境地帯にある山脈

 カザフスタンからキルギスに至る500kmのバスの旅で、常に白い山々が見られる。

 ハン・テングリ天山山脈ポベーダ山に次ぐ2番目の高さの。海抜6995m。山頂はカザフスタンでの最高地点である。

 ポベーダ山中国キルギスの国境に位置する山。標高は7,439mであり、天山山脈最高峰である。

一日中バスで走っても天山山脈はついてくる

途中の村

キルギスは日本の半分の面積

どの街も活気に満ちている

経済の主体は牧畜

国道に設置されているネズミ捕り

国道沿いのカラスと巣、雛が落ちている

     ☆岩絵野外博物館    

 左は岩絵野外博物館の看板

 普通「館」には屋根があるが,ここのケースでは「野外」なので屋根はない。

 キルギスの一大リゾート地・イシククル湖の北岸の町チョルポン・アタに奇妙な岩が沢山並んでいる場所がある。これが野外岩絵博物館。
 ここには約4,000年前のものを初めとした絵のかかれた岩が集められており、その個数はなんと約900個。描かれているのは古代の狩の絵が多く、山ヤギの絵が多いといわれている。

イシククル湖に面して、岩絵野外博物館はある

4000年前の岩絵

ヤギか?

ヤギが多い

  ☆ランチ・タイム

前菜、ナン

肉と野菜のスープ

牛の煮込みがメイン

  ☆イシククル湖 

 キルギスの北西に在る内陸湖
 長さ182km、幅60km。面積は6,236 km?。周囲は688kmで、
琵琶湖の9倍。最大深度は668m。標高は1,606mという高地にある。周囲から流れ込む河川は存在するが、イシク・クルより流出する河川は認められない。塩分濃度は0.6%程度である。透明度は20mを超える。

 冬でも湖面は凍らない。原因は不明だが、これは湖底から
温泉が湧き出ているためという説がある。
イシク・クルの湖底には、多数の遺跡が水没している事が確認されている。

  

   ☆プルジェワルスキーの墓

プルジェワルスキー記念館への道。左側にイシククル湖がある

ニコライ・ミハイロヴィチ・プルジェワルスキーは、ロシアの中央アジア探検家である。        プルジェワルスキーの墓

プルジェワルスキー記念館

    ☆カラコル

 海抜1900mで、イシククル湖の東端に位置する。天山山脈の最高峰ポベダ(勝利峰)7439mへの登山口でもある。

    ☆ドゥンガン・モスク(イスラム)

イスラム・モスク

木造建築

一本の釘も金具も使っていない

   ☆ロシア正教の聖三位一体教会 

正教会

木造の鮮やかな教会

   ☆バザール

街のバザール

民芸品

色とりどりの米

   ☆ホテル

B&Bスタイルのホテル

ウエルカム・ドリンク

アカシアの白い綿が風に舞う

綿を集めて火を付ける

勢いよく燃える

ホテルの娘さんが見送り

何の花?

   ☆イシククル湖→トクマクへ

天山山脈を今日は反対側に首都方面へ

いつまでも、いつまでも山は追ってくる

イシククル湖と天山山脈

綺麗なイシククル湖

  ☆民家にてランチ・タイム

凄い品数とボリュームに圧倒される

メインは牛肉入りスパゲティ風?

パリパリ・デザート

経営するのは元校長先生

お嫁さん、既に4人の女の子が、男の子が生まれるまで頑張るそうです。

お婆ちゃんは子守

 キルギス人と日本人の関係

 キルギスには、「キルギス人と日本人は昔、兄弟で、肉が好きな者はキルギス人となり、魚が好きな者は日本人となった。」という俗説がある。

 現地ではポピュラーな言い伝えのようで、日本の外務政務次官がキルギス大使館の開館セレモニーでそれを紹介しつつ、『キルギスの方々の間では「大昔、キルギス人と日本人が兄弟で、肉が好きな者はキルギス人となり、魚が好きな者は東に渡って日本人となった。」と言われていると伺っており、またキルギス人と日本人は顔が、そっくりであるともよく聞いています。』と述べたりもしている。

ホントに日本人そっくり

庭では羊の鍋、食べろ食べろと攻められる

写真に撮られるのが、だ〜いすき〜

可愛いね〜

あんたも可愛いね〜

      ☆トクマク

 トクマク は、12世紀カラハン朝の夏の首都(冬の首都はカシュガル)として栄えた。
後にジンギスカンに滅ぼされることになる。

   ☆バラサグン

 バラサグンは10世紀から13世紀に栄えた遊牧民族国家・カラハーン朝の遺跡で、ここは首都の一つであったと推定されている。廃墟に11世紀に建造された高さ24mのブラナ塔が建ち、その傍らの広野に石人を集めた野外博物館がある。

 石人はキルギス全土から集合した約70体。いくつかの石臼も同居している。石人は西突厥の戦士の墓石といわれ、大半は顔をクローズアップしたもの。とぼけ、穏やか、威厳などの表情が散らばっている。

カラハーン朝の遺跡入口

石人

ブラナ塔

ブラナ塔から下を見る

石人

石人

石人

周辺は菜の花

      ☆アクベシム遺跡アク・

 アクベシムはソグド人(イラン系民族)が6〜7世紀頃,都を築いたところ.ソグド人は,入れ替わり現れるいろいろな王朝の支配下にあって特に交易で力を発揮し,また政治,文化面でも一定の役割を果たしていた。ソグド人のだけでなく政治、文化の面においても東西交流の一端を担っていた。

日本の本で説明するガイド

都の跡は何も見当たらない

  

       ☆シルクロード

  シルクロードは、日本地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称である。
絹の道とも呼ばれる。現在の
日本でこの言葉が使われるときは、特にローマ帝国帝国、あるいは大唐帝国の時代の東西交易が念頭に置かれることが多いが、広くは近代大航海時代)以前のユーラシア世界の全域にわたって行われた国際交易を指し、南北の交易路や海上の交易路をも含める。

 シルクロードの起点と終点の一つが、敦煌からトゥルファンを経てウルムチに達し、イリ川流域にいたるもの。この北方のシルクロードはおそらく紀元後数年に開かれた。

 天山山脈の北麓を進むことから天山北路とも呼び習わす。

         ☆オシ・バザール

市民の台所

ナン売場、大きくて厚いのが特徴

日本のオバちゃんに似てますな〜

サクランボは旨い

イチゴは小粒

長い米、小粒の米、赤いオズギョン米、朝鮮米・・・赤い米は炊けば白くなる

日本と同じ

乾燥果物

ヨッ!

揚げ物

香辛料

   ☆国立博物館(首都ビシュケク)

首都ビシュケクの博物館

広場には兵器がズラリ

ロシア製の兵器

英雄マナス王

ランチ・タイム

       ☆略史

年月略史
17〜18世紀頃までにキルギス人の民族形成が進行
18世紀後半〜19世紀前半コーカンド・ハン国による支配
1855年〜1876年ロシア帝国に併合
1918年ロシア革命後、ロシア連邦共和国内の「トルキスタン自治ソヴィエト社会主義共和国」の一部となる
1924年中央アジアの民族・共和国境界確定により、ロシア連邦共和国内のカラ・キルギズ自治州となる
1926年2月キルギス自治ソヴィエト社会主義共和国成立
1936年ロシア連邦共和国から分離し、ソ連邦を構成するキルギス・ソヴィエト社会主義共和国に昇格
1990年6月オシュ事件(キルギス人とウズベク人の民族間衝突)
1990年10月アカーエフ大統領就任
1990年12年12日「キルギスタン共和国」に改名、主権宣言
1991年8月31日共和国独立宣言
1993年5月国名を「キルギス共和国」に変更
2005年4月政変によりアカーエフ大統領辞任
2005年7月バキーエフ大統領当選
2009年7月バキーエフ大統領再選
2010年4月政変によりバキーエフ大統領辞任
2010年6月南部にてキルギス系とウズベク系住民の大規模衝突
2010年6月国民投票により、新憲法採択
2010年7月3日オトゥンバエヴァ大統領就任
2010年10月10日議会選挙実施
2010年12月連立与党結成・新内閣発足
2011年12月アタムバエフ大統領就任

       ☆キルギスにいまだ残る風習、「誘拐婚」

 中央アジアのキルギスでは今なお「誘拐婚」が続いている。結婚の半数を占めるというこの古い風習。司法当局は手を出さず、文化として広く受け入れられているため、誘拐され ? た女性は通常、運命に身をゆだねる他に道はない。
 このように女性を誘拐して、妻にしてしまう風習は、現地で「アラ・カチュー」と呼ばれている。日本語にすれば、「奪い去る」の意味である。多くの場合は、女性の側が結婚を望んでいようがいまいが、おかまいなしに強引に進められる。
 キルギスタンでは、この「アラ・カチュー」が公然とまかり通っている。最近実施された調査によれば、過去50年間、このような「誘拐婚」の件数が増加してきている。
 しかも、既婚女性の半分以上は「アラ・カチュー」の風習を経て結婚した女性たちであり、少なくとも3分の1の既婚女性にとって、それは自分の意思に反することだったのだ。

 この国ではエリートに属する今回のガイドは、大学を出て複数語も話す。真面目な30代前半の好青年である。
いずれこの国を背負っていく世代と思われた。そのガイド君が嘆いていた。
 都会ではこの風習はそれほど見られないが、地方ではかなりの割合でこの「悪習」が残っています。女性の人権は絶対に守らなければなりません、と顔を曇らせながら熱く語っていた。

 世界には色々な結婚スタイルがある、これも文化なのだろう?

     ☆○○○スタンの比較

国名

人口(万人)

面積

首都(人口)

言語

民族構成

宗教

産業

特徴

カザフスタン   1,580日本の7倍アスタナ(70万)カザフ語、ロシア語カザフ人63%、ロシア人24%他イスラム・スンニ派47%、ロシア正教44%鉱業、農業、冶金・金属加工旧ソ連では、ウクライナに次ぐ第3位の穀物生産国
キルギス    560日本の半分ビシュケク(100万)キルギス語、ロシア語キルギス人70%、ウズベク人14%、ロシア人9%

イスラム:スンニ派75%、ロシア正教20%

農業(綿花・タバコ)、牧畜、鉱業(水銀経済の主体は牧畜
タジキスタン   710 日本の4倍ドゥシャンベ(68万)タジク語、ロシア語タジク人80%、ウズベク人17%他イスラム:スンニ派80%、シーア派5%農業(綿花)、アルミニウム生産、水力発電国土の殆どが“世界の屋根”といわれるパミール高原

トルクメニスタン

    520日本の1.3倍アシガバット(70万)トルクメン語、ロシア語トルクメン人81%、ウズベク人9%、ロシア人3.5%イスラム:スンニ派89%、
ロシア正教9%
鉱業(天然ガス・石油など)、農業(綿花)、牧畜天然ガスが経済を支えている
ウズベキスタン   2,780日本の1.2倍タシケント(220万)ウズベグ語、ロシア語ウズベク人78%、ロシア人5%他イスラム:スンニ派88%、ロシア正教9%綿繊維産業、食品加工、機械製作、金、石油、天然ガス世界有数の綿花輸出国
アフガニスタン   3,000日本の約1.7倍カブール(250万)ダリー語パシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人等イスラム:スンニ派84%、シーア派15%小麦、大麦、ジャガイモ、米、アーモンド、サトウキビ等長年の戦乱で経済は完全に破綻

    ☆夕焼け小焼けで、次の訪問国へ

      

中央アジアの夕焼け

  

 

 旅を終えて・・・

 キリギスは中国が隣国で、三本の国道が中国との間に中国資本で造られている。その一本を途中バスで走ったが、側溝も無く工事は大層早いそうだ。日本の様に丁寧ではないので、すばやく、完成が早いそうだ。途上国では丁寧でなくとも早ければよいらしい。

 そして大量の安い中国製品がどんどん入ってくるので、国民の生活は潤い、反対側の隣国カザフスタンからも多数の国民が買いに来るそうだ。
だから国境は混雑する。普通は一列に並ぶのが常識だが、この辺の国は関係ない。中国もそうだが、それが常識らしい。良識などないと同じだ。

 だが、自然は素晴らしい。天山山脈は登山も可能だ。いつか訪れてみたい。見事な景観であった。近いうちに世界の観光地になるだろう。

                                                                         おわり

inserted by FC2 system