アイルランド紀行

宿泊のB &B (Bed and Breakfast) はクローバーが目印


 旅の目的・・・

 2011年5月春、アイルランドの旅をした。

 アイルランドは何処にあるの ?  と、殆どの人に聞かれる。 あぁ〜 あの火山噴火の国? 違います! あれはアイスランド、アイルランドはイギリスの左側隣と世界地図の平面図で云うと理解するらしい。

だが、アイスランドに至近距離なのです。 世界地図左上にあるのです。
帰国するその日にアイスランドは再び噴火したと、その後ニュースで知った。1日〜2日遅かったならば、噴煙で飛行機は飛べないかもしれぬ。危機一髪だ。

 昨年もアイスランドは火山噴火してヨーロッパの殆どの飛行機が飛べなかった。 この時、私はベルギーで1週間逗留する結果となり散々であった。

 アイルランド旅行の目的は3つ。
一つはキリスト教のカトリックとプロテスタントの対立はどうして起きたのか、その後は? イギリスとの対立は?
二つ目はB&Bの体験であった。

そして三つ目は、アイルランドから多くの人々がアメリカに移民した原因と、その後についてである。

 


  ☆地図&行程

火山噴火のアイスランドはシェトランド諸島の西側(左側)

今回はレンタカーで一周の予定、12日の行程となる。

  


  ☆ 出発進行

ファイル:KAL HL7552.JPG
千歳〜韓国インチョン空港〜ロンドン:ヒースロー空港〜アイルランド:ダブリン空港。飛行時間16時間、待ち時間4時間

機内サービスは2回、先ずはビーフ料理&ビール、ワイン

お待ちかねのビビンバ料理、コチュジャンをたっぷりと。


韓国インチョン空港は今や大きく大人気。

昔の宮廷衣装のイベントで賑わう。

竹細工など体験サービスが人気。日本にもほしい。


  ☆ ロンドン着〜アイルランドへ

ロンドン:ヒースロー空港も広くて迷う。

上から6段目、ダブリン行き搭乗口を目指す。

千歳朝9時発、時差9時間、日本時間は翌日早朝の4時


    ☆ アイルランド:ダブリン空港

アイルランドのエア・リンガス機でダブリンへ、

アイルランド;ダブリン空港は広い平野の中にある


ダブリン空港の中のレンタカー受付

9人乗りレンタカーはベンツ車

ダブリン市内のホテルで疲れをとる


   ☆ ダブリン〜ダンローグへ

市内も郊外も整然

集合住宅地帯もゴミはない

12世紀ノルマン人が築いたトリム城


ギロチン台でお仕置き

ボイン川の古戦場

ボイン川の標識


ボイン川は17世紀、フランス軍とイギリス軍で壮絶な戦いが繰り広げられた古戦場。イギリスが勝ち、以後植民地が続く。

要塞跡

左はアイルランド旗、右がEU旗、更に右にはアメリカ国旗。
多くがアメリカに移住したので常に3本の旗が国中にひらめいている。ここに何故かイギリスの旗はない。


「タラの丘」の案内板

世界遺産: 「タラの丘」に立つ石

ハイクロス。当時、文字が読めない人々に絵を彫っている。


                                                  動画   タラの丘


タラの丘」とは・・・

 美しい丘に遺構を残すのがタラの丘、石の柱があるだけで後は何もない。紀元前200年頃、アイルランドに移住してきたケルト(当時の中央アジア)人が大小の国を形成した。タラという王の中の王が連合国家を形成していたが、キリスト教が入り込むようになってから衰退していく。
 だが、ここは宗教色の強い聖地としてケルトの人々に受け継がれ、移民で世界に散って云ったアイルランド人の心の望郷として尊ばれている。「タラに帰る」という言葉は映画「風と共に去りぬ」でスカーレットの父が語っている。


タラの丘麓には、アメリカ:ケネディ元大統領の墓石もある

タラの丘麓には立派なビジターセンターがあり、腹ごしらえ

世界遺産:ニューグレンジ 5500年前の巨大な墳墓群


☆ アメリカ大統領4人はアイルランド人の子孫

 ケネディ、レーガン、クリントン、オバマ大統領は先祖がアイルランド出身。
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 1845年〜1850年、当時イギリスが植民地としてアイルランドを統治していたが、ジャガイモの疫病で主食が減り、残った少ないジャガイモもイギリスに持ち出され、多くのアイルランド人が餓死していったジャガイモ飢饉、この結果、人口の20%が餓死・病死、さらに20%のアイルランド人がアメリカ大陸へと移住していった。結果、国の人口が半分になったのだ。
 今もアイルランド人の多くが、当時のイギリスの容赦ない失政に反感を抱いている。反感のもう一つは宗教対立もある。それは後ほど・・・別項目で。

☆ アメリカ人種上位5カ国

 1. ヒスパニック系(中南米) 45 百万人
 2. ドイツ系           43 百万人
 3.アフリカ系          39百万人
 
 4.アイルランド系        37百万人 (12%)
 
 5.イギリス系          28百万人

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 2011年5月、アメリカ・オバマ大統領はアイルランドを訪問。大統領の母方の祖先がアイルランド出身で、1850年にニューヨークに渡っている。
 大統領はアイルランドの小さな街で、若者とともにギネスビールで乾杯している。今や、アイルランドはエリザベス女王の実質的なお詫び訪問、オバマ大統領の故郷訪問で一  
気に不景気から立ち上がろうとしているようだ。


5500年前の遺跡前で、5500年後の若者が・・・

どのような民族が作ったのかは判明していない

渦巻状の模様は何を語る???


ボイン川の古戦場には大砲が

街の中には古代の門が

聖ピーター・アイルランド教会にあるミイラのレリーフ
生前いくらお金や権力があっても死んだら皆同じと語っている


ハイクロス:十字架には絵が彫られ、意味が。

ハイクロスの中の一つ:アダムトイヴ

こちらは民を率いるモーゼが描かれている


   ☆ B&B の体験

四葉のクローバーが目印、ここは四つ星

ここは民家改良型、平均部屋は10位

ギネスビールで安着祝い


B&Bの2011年版名簿

街、規模、料金、TEL、住所等が、何千件もある

おかみさん(左)と朝食


 B&B とは?

 ベッド・アンド・ブレックファスト(Bed and Breakfast)とは、イギリス北米アイルランドニュージーランドオーストラリアなど、主に英語圏各国における(多くの場合小規模な)宿泊施設で、宿泊と朝食の提供を料金に含み、比較的低価格で利用できるもののこと。

多くのB&Bは家族経営による小規模な宿泊施設である。通常の住宅民家リフォームして営業している宿が多い。日本の民宿のように観光地リゾート地に立地するものばかりではなく市街地にも多く立地する。
料金には
朝食が含まれるが、通例夕食は提供しない。朝食は館内のダイニングルームで摂る。イギリスとアイルランドでは、多くのB&Bが当該各国で特徴的な、パンシリアルジュースフルーツ紅茶またはコーヒーのほかに卵料理ベーコンその他の肉や魚料理・野菜などによるたっぷりとしたフル・ブレックファスト(Full breakfast)を供する。

日本の旅館や一部の民宿と似て、B&Bにおいても客室内に電気湯沸かし器(電気ポットとは異なる)を置き、ティーカップや紅茶(時にハーブティーも)のティー・バッグ、分包のインスタントコーヒー、宿によってはティーポット菓子も、トレイに載せて用意し、宿泊客が部屋で喫茶を嗜めるようになっている場合が多い。
 多くはシャワーのみでバスはない。またアメニティグッズも殆ど揃えていない。


  ☆ ベルフアスト(北アイルランド)

市庁舎

幼稚園児の見学かな

市庁舎前には、イギリス:ヴィクトリア女王の像


1912年のタイタニック遭難画像

1912年のタイタニックの遭難碑

ここはタイタニック号が建造された場所。TITANICと読める。


  ☆ ポートラッシュの港

タラの唐揚げ、人気店

熱々のタラの唐揚げが本日の昼食

  


  ☆ キャリック・ア・リード吊り橋

大西洋の北の端、吊り橋の看板

断崖と小さな島を結ぶ吊り橋

長さ20m。年に100人は落ちる、そんなことはない。


                                               動画    吊り橋


絶景が広がる


     ☆ ジャイアンツ・コーズウェイ (柱状節理の石群)・・・世界遺産・・・

6100万年前に大規模地殻変動が起き、膨大なマグマ(溶岩流)が流れ、その後氷河が大地を削り、海水が凍って出来た


                                             動画  ジャイアンツ・コーズウエイ


(上)人が多くてゆっくり卵も抱けないわ!

ほとんどが6画形

世界的にも十指に入る奇景で有名(下)面目ない、さっさと帰ります。


    ☆オールドブッシュミルズ蒸留所(ウイスキー発祥の地)

1608年創業の世界的に有名なオールド・ブッシュミルズ蒸溜所

ブッシュミルズ内のバー

アイルランドはウイスキー発祥の地として人気が高い。まろやかでとっても美味い。


     ☆ グリアノン・オイロック (紀元前5世紀の寺院跡)

ロンドン・デリーから30分、丘の上にある遠景の石の砦

寺院跡。湖や湾の絶景が広がる。周りはエニシダの群生地


アイルランドの樹木と花 

アイルランドの5 月は、国中が白いサンザシと黄色いエニシダでおおわれる

サンザシの白い花

黄色いエニシダと牧場の羊


                                                                                      動画  エニシダ



   ☆ グレンヴェー城

国立公園内にある城

内部は絢爛豪華

周辺のテーブルロック


    ☆ イエーツの墓 (ノーベル文学賞)

アイルランドからは4人のノーベル文学賞作家が出ている。
イエーツ、バーナード・ショウ、ベケット、ヒーニーの4人


   ☆ B&Bの内部

看板

入口の小人像

おかみさん、旦那さんは裏方が多い


ベッドはシングル、ダブル

お茶セット:紅茶の消費量は世界一らしく必ず用意されていた。

朝食はベーコン、目玉焼き、ハム、パンケーキとトースト


   ☆ 古城と水道橋と泥炭

歴史が古い水道橋

奥さんと娘のために造った城は、今ではカイルモア修道院

泥炭は貴重な燃料となる


   ☆ シー・フード

アイルランドは海に囲まれている。魚介類が豊富

ビフテキもある。5cm?

チーズにおおわれたシー・フード。今日の夕食は豪華


   ☆ アラン諸島:イニシュモア島

フエリー乗り場

所要40分、波が高けりやゲロ袋必要

馬車、バス、自転車、ハイキングとさまざま


ケルト文化の中心、人口900人の村に年間25万人が行く

古代から現代の墓も観光メッカ

見所は墓デショッ。。


死んでも愛されている人は違います。

この人も惜しまれて?


ドン・エンガスは古代遺跡、3000年前に砦は造られた

断崖の先に腹ばいで90m下を覗く、恐怖!

島にも牛が、うるさいからモ〜ウ帰れヤ〜


                                                動画  ドン・エンガスの断崖


島の家や塀、区画は石で造られる


セーターで有名な絶海の島々

セーターの模様は石の壁の風景を写したもの

民芸品


    ☆ 巨人のテーブル (大きな墓石)

大きな石はどのように上に乗せたのか?

古代にも起重機があったのか?紀元前3500年前の墳墓


   ☆ モハーの断崖

海面から200m、断崖絶壁が8km続く

アイルランドは古城など古代遺跡が多い

フェリーで対岸へ


   ☆ 民話や伝説が息づくディングル半島

何をしたんだろう?

建設当時のままに残る「ガララス礼拝堂」

石造りのユニークな形が印象的


   ☆ 遺跡か城か・・・

橋でしょう

廃墟となった城

 ♪ 松風騒〜ぐ 丘の上 ♪    動画 「古城」 


古代遺跡

古代鉄橋

古代鉄橋


アイルランド南部の土地は肥沃


◎アイルランドの農業

 国土の16%が農地、48%が牧場と牧草地、合わせて64%が、平地が多く農業に適しているようだ。
 一方、牧畜は牛704万頭、羊485万頭、ニワトリ1280万羽。

 とにかく国中が牧場に見えた。酪農主体の国だが、国内消費がほとんどで輸出までは出来ない経済状態らしい。


ここのB&Bは高校生の娘さんがお手伝い

ポストも車もグリーン

街角のマリア様にお祈り


ローソクにもスケリッグ・マイケル

カラフルなローソク


    ☆ スケリッグ・マイケル (世界遺産)

沖合16キロメートルに位置する面積0.18平方キロメートルの急峻な岩山からなる孤島

この日は波高く欠航

西暦588年に標高240メートルの島の山頂付近にケルト人により修道院が建てられた。


                                            動画  スケリッグ・マイケル (←クリック)


2400段の階段を登る

断崖絶壁

アイルランドにおける初期キリスト教の僧侶たちは垂直に切り立った崖の下に、石を積み上げてつくった小屋で暮らしていた。


スケリッグ・マイケルの修道院は、823年ヴァイキング襲来にも耐えた。

1100年頃から施設は放棄され島には人が住まなくなった

島の位置とその急峻さにより、現在にいたるまで修道院はその原型を良くとどめている。


バランスを崩すと海に直行?

港はない。

さようなら〜


近くのスモールスケリッグには海鳥の宝庫

カツオドリの群生地

                                                                             ◎2009年に訪れた田中さんに画像をお借りしました。


    ☆ キラーニー国立公園

レディースビュー・ロス城


    ☆ ここのB&Bの女将さんは絵描きさん


   ☆ 大きくて小さな村ブラニー城

1446年、要塞として建てられた

地上26mの城壁から逆さで壁にキスをすると雄弁になる

係のおじさんに支えてもらう、度胸が試される。


                                           アイルランドのカラフルな茶器


    ☆ 第二の都市 コーク

コークはアイルランド第二の都市、人口12万人

綺麗な街並み

活気のある商都


風船を持つ女子高生

コーク・マラソンの幟

エリザベス女王は首都ダブリンとこの地コークを訪問


壁にも一輪の可憐な花

旧都だけに城門が


今日の夕食はイタリア・パスタ料理

陽気なフランス人シェフが


   ☆ 英国王室のグラビア写真特集

英国王室ウィリアム王子とキャサリン妃 結婚式

アイルランドのB&Bにあったグラビア雑誌

アイルランド人も祝福している


弟?

綺麗だな〜ア

ウワ〜ッ! やったア〜


                                    動画  英国王室ウィリアム王子とキャサリン妃 結婚式


こんな時代もありました。

女王も笑顔がこぼれんばかり

穏やかですね〜


      


☆ 離婚するため「イングランド国教会」を作った王様

 もともとイギリスははカトリック教会の一部であったが、16世紀のイングランド王ヘンリー8世の時代にローマ教皇庁から離れ、独立した教会となった。通常プロテスタントに分類されるが、他のプロテスタント諸派と異なり、教義上の問題でなく、政治的問題(ヘンリー8世の離婚問題)が原因となってローマ・カトリックから分裂したため、典礼的にはカトリックとの共通点が多い。イングランド(イギリス)の統治者が教会の首長であるということが最大の特徴である。

 ちなみにヘンリー8世は6回の結婚をしている。
また妃や
トマス・モアをはじめとする側近を次々と離別・処刑し、カトリック修道院の財産を没収するなど苛烈な人物であったという。

イングランドとアイルランドは、この王様によって信奉する宗教を変更されたのかもしれない。


    ☆ 最後のB&B

最後は星五つの素晴らしいB&B

ヒルサイドと云うから丘の上に立地

食事もひと際良かった


                                              動画 B&B  


向かいは広大な牧場が広がる

牛さんも大歓迎

にらめっこ、しましょう!  モ〜ウ。。。


   ☆ グレンダーロッホ (初期教会の跡)

緑のトンネルが延々と続く

初期キリスト教会跡

奥はラウンドタワー


   ☆ 首都:ダブリン

  

          

トリニティー・カレッジはイギリスのエリザベス一世が創設した最古の大学  

トリニティ・カレッジの中には国宝「ケルズの書」がある


     ☆ ケルズの書

蔵書がズラリ

ケルズの書は、8世紀に制作された聖書手写本


 ケルズの書とは・・・

アイルランドの国宝となっており、世界で最も美しい本とも呼ばれる。
縦33cm、横24cm。豪華なケルト文様による装飾が施された
典礼用の福音書で、四福音書(マタイによる福音書マルコによる福音書ルカによる福音書ヨハネによる福音書)が収められている。


   ☆ダブリン市内

華やかな二階建てバス

街を行く学生

散歩のアイルランド犬


     ☆ イギリス:エリザベス二世女王、アイルランドへ

エリザベス女王訪問の号外を配る

第二の都市「コーク」訪問の記事


「TWO WOMEN ONE STORY」のタイトル記事

エリザベス女王とアイルランド:メアリーマッカリース大統領


 北アイルランド紛争

 この地方では元々イギリスから移住したプロテスタントとケルト系アイルランド人のカトリックが混在しており、古くから対立していた。16世紀まで両者の対立は大したものではなかったが、宗教改革後、プロテスタントに乗り換えたイギリス人と、旧来の信仰を変えなかったアイルランド人との間で争いが活発化する。多数派のプロテスタント(イギリス系)が経済的にも社会的にも優位に立っていたのである。移住プロテスタント(イギリス系)はイギリスとの結びつきを望み、ユニオニストと呼ばれ、アイルランドとの結びつきを望んだカトリック(アイルランド系)はナショナリストと呼ばれる。

 ナショナリスト(アイルランド系)の動きが活発化すると、ユニオニスト(イギリス系)側が暴力で弾圧したため、ナショナリスト(アイルランド系)はアイルランド革命軍(IRA)を組織し(アイルランド共和軍とも呼ばれる)、テロ活動を活発化させた。
 これに対し、英国政府は両者の仲介を名目に、北アイルランドに軍を派遣、実際には当然ユニオニスト(イギリス系)を支援する。
 1972年、英軍はカトリック(アイルランド系)のデモ隊を虐殺し、流血の抗争の火蓋がきって落とされた(血の日曜日事件)。

 アイルランドは元来英領であったが、19世紀末に経済政策の失敗などから反英感情が生じ、イギリスからの独立の気運が高まった。独立運動はイギリス政府によって厳しい弾圧を受けたが、1949年にアイルランド共和国として完全に独立。しかし、北アイルランドのアルスター地方は英領のまま残る。

 IRA(アイルランド革命軍)は爆弾テロや暗殺など過激な方法でアイルランド全島の統一のため闘争を続ける。しかし、1990年代に入って和平の気運が高まり、1998年遂に英国のブレア首相とアイルランド首相アハーンは和平合意に達し、11月には北アイルランド自治政府が発足。しかし、IRA(アイルランド革命軍)が武装解除をしないため、英国も態度を硬化させ、自治政府の停止を宣言。和平は遠のいた。
しかし、2000年5月にはIRA(アイルランド革命軍)が武装解除を表明し、史上初の武器庫査察を受け入れた。IRA(アイルランド革命軍)は一時、再び態度を硬化させ、和平は頓挫したかに思えたが、またまた武装解除を開始したため、状況は良くなっているようだが、まだまだ油断はできない。

 2011年5月、エリザベス女王はアイルランドを訪れた。実質上の関係修復と云われている。

    ☆ キリスト教内の対立

 キリスト教の組織

キリスト教は世界で一番の信者数 20.4億人 を数える。
 (内、カトリック 10.8億人、プロテスタント 3.5億人、正教会 2.2億人、その他 3.9億人 合計 20.4億人)
 
 イスラム教徒
11億人、ヒンドゥー教徒10.5億人を超えて、世界で最大の信者を擁する宗教である。

カトリック」は全ての教会が中央であるローマ・バチカン市国の教皇庁に結び付いている。一方、

プロテスタント」は、特定の
教派・教団を指す名称ではなく、神学や教理解釈がそれぞれ異なる多数の教派(例:ルーテル教会等)の総称であって、プロテスタント全体の代表者や最高指導者のような存在(たとえばカトリック教会教皇)や、プロテスタント全体を統括するような統一教団組織はない。

宗教改革(しゅうきょうかいかく)とは、16世紀キリスト教世界における教会体制上の革新運動である。マルティン・ルタードイツ神学者牧師説教家ルーテル教会の創始者)の贖宥状16世紀カトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書)批判がきっかけとなり、以前から指摘されていた教皇位の世俗化、聖職者の堕落などへの信徒の不満と結びついて、プロテスタントの分離へと発展した。
プロテスタントとは「抗議する者」という意味である。

  ☆ カトリックとプロテスタントの違い

項目

カトリック

プロテスタント

信者数

10.8億人

3.5億人

組織と階級

・ローマ教王(イエスキリストの代理人)→司教(ある教区を監督する立場)→神父(神と信者の仲立ちをする)→信者
・資格に厳しい

・数多くの教派が互いの教義の違いを尊重し独自に活動。
・神のもとでは万人が平等であるという考え方。
・牧師と信徒がともに肩を並べて、神に祈りをささげる。

儀式1

聖書、儀式、伝統を重視。・聖書の教えに忠実に従う。
・敬虔、質素、倹約、清浄などをモットーとする。

儀式2

ミサ (儀式を厳密に行う)礼拝 (儀式よりも聖書の朗読、牧師の説教を重視)

秘蹟(ヒセキ)
(神と人間とを仲介し、神の恵みを人間に与える儀式のこと)

七つの秘蹟を重視
(洗礼、聖体、婚姻の秘蹟、叙階、堅信、ゆるしの秘跡、病者の塗油)

洗礼と聖体のみ。

洗礼

洗礼名(クリスチャンネーム)が与えられる。与えない。

宗教歌

聖歌讃美歌

懺悔(ザンゲ)

自分の犯した罪を神父の前で告白し神に赦しを願う。牧師は「信徒の代表」で告白を受ける立場にはないので行わない。

指導者

神父(階級あり)牧師(まとめ役)

結婚

教王、司教、神父は許されない。妻帯可能。女性も牧師になれる。

避妊・中絶

禁止。容認。

マリア崇拝

認める。認めない。

七つの秘跡とは

 カトリック教会が伝統的に認めてきた七つの秘蹟(ひせき)とは、キリスト教において、神と人間とを仲介し、神の恵み(神の人類に対する慈愛) を人間に与える儀式のこと。

  • 洗礼       それまでに犯したすべての罪が赦されるとされている。
  • 聖体       ミサや聖体礼儀で食するためにパンを聖別し、キリストの体の実体として信じられ、食べられるもの。
  • 婚姻の秘蹟   カトリック教会では、婚前交渉は私通の大罪であり認められていない。人工妊娠中絶は殺人の罪のため破門される。
                離婚は認められておらず、世俗の民法上離婚して再婚した場合は、教会法上の重婚状態であり、その罪のため聖体
               
    拝領を受けることができない。
  • 叙階       聖職者を任命すること。
  • 堅信       キリスト教教派のうち、正教会東方諸教会カトリック教会聖公会で行われるもの。
  • ゆるしの秘跡  罪の赦しを得るのに必要な儀礼や、告白といった行為をいう。
  • 病者の塗油   病人の癒しのために、聖なる油を塗り、病人のために祈るという儀式を続けてきた。

  •   ☆ アイリッシュダンス

    ダブリン市内

    ホテルの中のバーでショーが行われる

    街中で踊るアイリッシュダンス


    ホテルのBARでショーが始まるまでギネス・ビールを飲む

    イカリングがあれば最高なのだが・・・

    BARはカウンター以外は日本の立ち飲みと同じ


    地下にあるショー会場

    踊り子登場


                                    動画 アイリッシュダンス


    お姉さんは茶目っ家たっぷり

    ギネスビールは黒ビール

    今日はサーモン料理


    ポーズをとる美人

    ついに我慢が出来なくなり自己流アイリッシュダンスを踊りだした


      アイルランド小史

    • 紀元前200年以前、現地人が居住。巨石墳墓が作られていた。

    • 紀元前265年ごろより、ヨーロッパ大陸よりケルト人(中央アジアを中心とした民族)の渡来が始まる。

    • 紀元5世紀ごろ、聖パトリックらによるキリスト教の布教。

    • 8世紀終わりごろより、ノルマン人(スカンジナビア半島の民族)のヴァイキングが侵入する。

    • 1014年 アイルランド上王 がクロンターフでヴァイキングを破り、これ以降ヴァイキングの侵入が収束する。
    • 1169年ノルマン人の侵攻が始まる。1171年には、諸豪族がイングランド王ヘンリー2世の支配下に下る。
    • 1541年 イングランド王ヘンリー8世がアイルランド王を自称する。これ以降、イングランドからの入植者が増える。しかしアイルランドの貴族はこれを認めずヘンリー8世と対立した。正式な移民は護国卿となったクロムウェル以降。
    • 1588年イギリスがスペイン海軍を破る。これによりイギリスの海上帝国の時代が始まる。
    • 1652年クロムウェルがアイルランド侵略。事実上の植民地化。
    • 1801年 英国がアイルランドを併合
    • 1829年 カトリック教徒解放法の制定、オコンネルの尽力。
    • 1840年代後半より、ジャガイモの不作が数年続き、大飢饉となる(ジャガイモ飢饉)。この結果、多数のアイルランド人がアメリカ大陸へと移住していった。
    • 1905年 シン・フェイン党の成立、アイルランド独立を掲げる。
    • 1914年 アイルランド自治法成立、しかし第一次世界大戦勃発を理由に自治は保留。
    • 1916年 イースター蜂起。アイルランド民族主義者がダブリンで蜂起するが鎮圧される。
    • 1919〜1921年 独立戦争
    • 1922年 アイルランド自由国が成立し、イギリスの自治領となる。ただし、北部アルスター地方の6州(北アイルランド)はイギリスに留まる。これによりアイルランド内戦へと発展する。
    • 1931年 ウェストミンスター憲章が成立し、イギリスと対等な主権国家(英連邦王国)となる。
    • 1937年 新憲法が施行され、エールと改称する。
    • 1938年 イギリスが独立を承認し、イギリス連邦内の共和国となる。
    • 1949年 イギリス連邦を脱退。
    • 1955年 国連加盟
    • 1973年 EC加盟
    • 1998年 ベルファスト合意と同時に、国民投票により北アイルランド6州の領有権を放棄。
    • 1998年 北アイルランドの和平合意成立
    • 1999年 ユーロ導入(ユーロ創設メンバー)
    • 2007年 北アイルランド自治政府再開


    ダブリン空港を飛び立つ

    韓国インチョン空港で、待ち時間にキムチトーフ鍋で乾杯!!


                                  動画  ダブリンを飛び立つ


     旅の感想・・・

     アイルランド人はイギリスに対して良い感情は持ってはいない。原因はイギリスの植民地として辛い歴史がある。特に1845〜49年の大飢饉によって、アイルランドから多くの人が移民した。飢饉の直接的な原因はジャガイモ凶作だが、当時アイルランドを支配していた英国の植民地政策が悲劇の引き金となっていた。ジャガイモ以外の作物は収穫できたにもかかわらず、輸出されてアイルランド人の口に入らなかったのだ。生死を賭けて自国から逃げ出したアイルランド移民は貧しかった。そして移民先の英国やアメリカ大陸でも「劣等民族」として長い間差別 を受けてきたのだった。このことがアイルランド人のイギリス嫌悪につながっている。第二次大戦では、イギリス圏ながらも参戦せず、日本に一貫して友好的であり中立の立場をとっている。これは反イギリスの感情からと云われている。

     しかし、北アイルランド紛争で殺し合いに疲れた国家と国民は、特に最近の経済的苦境の打破と、隣国イギリスとの改善を望み、今回のイギリス・エリザベス女王の招聘となったようだ。エリザベス女王としても高齢であり、自分の代でアイルランドとの過去を清算しておきたかったと言われる。

     アイルランドを一周したが、街は整然として綺麗、ゴミはほとんど見当たらなかった。清潔感、そして一概に決めつけられないものの「陽気」な気質は確かにアイルランド人にはよく見られるという。人なつっこくて、話し好きで、世話好きで、といった国民性がアイルランドの魅力でもあるのだ。「酔っぱらい」も嘘とは言い切れない。何しろ人口百万人程度のダブリンに千軒近くのパブがひしめいているらしい。何しろウイスキー発祥の地でもある。

     時を同じくして、エリザベス女王がアイルランドを訪問した。今では多くの国民は隣国イギリスと友好を維持したいであろう。これで過去の清算がされるかもしれない。オバマ大統領も5月、申し合わせたように訪問している。

     厄介なのは宗教対立だ。しかし、世界の多くの若者は脱宗教となりつつある。今やインターネットと高い教育で宗教の何たるかを理解する人が多いからだと思われる。対立してはいるものの、アイルランドにおけるカトリックは87%を占めており、プロテスタントは3%に過ぎない(殆どが北アイルランド)。

     B&Bは快適であった。日本人と同じ優しさと親切さが感じられた。

     最後にアイルランド人の優秀さに感銘した。国土が北海道と同じ面積で、人口が445万人のアイルランド。
    ノーベル文学賞を4人も輩出していること、そしてアメリカに移民したアイルランド系アメリカ人の子孫から、ケネディ、レーガン、クリントン、オバマ大統領の4人も出ていることは素晴らしいことだ。

     気難しいイギリス人と違い、アイルランド人は付き合いやすい人柄を感じた。何より水は平気で飲めるし、煩わしいチップも要らないし、男用トイレの便器の高さも日本人向きであった。安心できる国の一つである。


                                                           参考文献・・・・・     

                                                               ・ ケルト入門書  発行:ミスターパートナー  発売:星雲社
                                                               ・ lreland アイルランド政府観光庁発行
                                                               ・ DUBLIN ダブリン・ガイドブック アイルランド政府観光庁 日本事務所
                                                               ・ アイルランド   地球の歩き方   ダイアモンド社
                                                               ・ 世界の宗教   21世紀思想研究会編    河出書房新社
                                                               ・ アイルランド    Wikipedia    

                                                                                           アイルランド編終わり                                                    


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