メキシコ旅行記

 ◎ 地 図

                 メキシコの位置図                      今回の旅行順路(赤〇

 ◎旅行の目的とメキシコの位置付け

 2010年5月、北米のメキシコ旅行を企画した。 旅行中の課題は、メキシコの世界における経済スピードと今後の動向、スペインによる統治とその影響、隣国アメリカとの過去の戦争の実態とその後、数ある遺跡群の状況、そしてテキーラとタコス料理、世界有数のリゾート地カンクン等であろうか。

基本情報・・・・・正式名:メキシコ合衆国、  人口:1億670万人、  面積:日本の5倍、 首都:メキシコ・シティ、  人種:先住民とスペイン系白人の  混血60%、  宗教:90%がカトリック  言語:公用語としてスペイン語  通貨:ペソ(1ぺソ=8円)

国力である経済を見てみよう。

2008年現在の世界のGDP(国内総生産)順位は以下の通り。

 1.アメリカ 2.日本 3.中国 4.ドイツ 5.フランス 6.イギリス 7.イタリア 8.ロシア 9.スペイン 10.ブラジル 〜〜〜14メキシコ

 ところが、ゴールドマン・サックス社(アメリカの金融グループで、世界最大級の投資銀行)の予想では、「2050年頃のメキシコのGDP(国内総生産)の順位は世界第5位になる」とされている。因みに同社の予想によると、

 1位アメリカ、2位中華人民共和国、3位インド、4位ブラジル、5位メキシコ、6位ロシア、7位インドネシア、8位日本である。

 メキシコの現主要産業は、油田、銀、オパール、水産業、観光、製塩、ビール、自動車、製鉄 ETC

BRICS(ブリックス)と言われる、経済発展が著しいブラジル (Brazil)、ロシア (Russia)、インド (India)、中国 (China) 、南アフリカSouth Africa)が、今後世界を牽引していくだろうが、メキシコもいずれ追随すると思われる。  その事が、今回の旅行で尚一層確信する事ができた。

各国の国内総生産順リスト(2008年現在)

国の国内総生産順リスト(MER、IMFによる各国政府発表数値の集計)上位10位。単位は10億US$。

  

順位国名2008年
世界の旗 世界 60,689.81
欧州連合の旗 欧州連合 18,394.12
1 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 14,264.60
2 日本の旗 日本 4,923.76
3 中華人民共和国の旗 中国 4,401.61
4 ドイツの旗 ドイツ 3,667.51
5 フランスの旗 フランス 2,865.74
6 イギリスの旗 イギリス 2,674.09
7 イタリアの旗 イタリア 2,313.89
8 ロシアの旗 ロシア 1,676.59
9 スペインの旗 スペイン 1,611.77
10 ブラジルの旗 ブラジル 1,572.84

  ◎ 世界有数のリゾート地・・・カンクン

  

メキシコ:カンクン(リゾート地)    カリブ海サンゴの白浜と、カリブ海から昇る朝陽

◎ メキシコの略史

略史

紀元前1250年〜紀元前後 オルメカ文明、以前はサポテカ文明(前1400年頃)
紀元前2世紀〜6世紀 テオティワカンの宗教都市
3世紀〜9世紀 ユカタン半島でマヤ文明栄える
7世紀〜12世紀 トルテカ帝国
1325〜1521(196年間) アステカ王国。 1519年、エルナン・コルテスの率いるスペイン人が侵入。
1810 メキシコ独立運動の開始
1821 スペインより独立(1521年〜1821年、300年間スペインの植民地となる。)
1833〜1855(22年間) サンタアナの執政続く。1846年、テキサス、カリフォルニア、ニューメキシコ、アリゾナをアメリカとの戦争で失う。(以前は、現メキシコの倍以上の面積である。)
1861〜1872(11年間) ファレス大統領、近代化促進。
1876〜1910(34年間) ディアス政権の独裁。
1911〜1913 マデーロを中心として革命。その後失脚、混沌。
1917 現行憲法公布
1934〜1940

カルデナス時代。農地改革、石油産業の国有化。 1968年、夏季オリンピック開催。

1982 債務危機発生
1986 GATT加盟
1993 APEC参加
1994 北米自由貿易協定(NAFTA)発効、OECD加盟、通貨危機発生、先進国の仲間入り。
2000 フォックス大統領就任(70年以上続いた制度的革命党政権の終焉)。
2006 カルデロン現大統領就任(第65代大統領)。

  ◎ 出 発

     

   成田 15:25発〜日付変更線通過〜メキシコ・シティ 13:50着 所要時間13時間(日本時間で翌日の早朝4時到着) メキシコ最大の航空会社「アエロメヒコ航空」は直行便。

日付変更線って?  http://lapule.com/toku/study/dateline.html

 ◎ 到 着・・・・・13時間〜エコノミー症候群!

              飛行機内から、メキシコシティの街並みを撮影。                メキシコシティ:ベニート・フアレス国際空港     

  ◎ 観 光 ニューメキシコ到着は午後の2時頃・・・・すぐ市内観光〜眠い!

  

                                  メトロポリタン・カテドラル   既に日中は気温30度を越している。                                     

 首都ニューメキシコの中央広場にある「メトロポリタン・カテドラル」メキシコにある全ての教会を統括する施設。1563年着工、100年以上の歳月で完成。この地は、メキシコのアステカ帝国の神殿があり、アステカの中心地であったが、スペインがこの地を征服後、この地を全て埋め尽くし、その上にスペイン風の街を作った。その中心がこのカテドラル(大聖堂)。 神様も罪な事をなされる!!

   

                 ◎メキシコシティ 中央広場  動画    http://www.youtube.com/watch?v=DW34wkMY5Jo&feature=channel

   ◎ リベラの大壁画

国立宮殿〜スペインが中央広場に、植民地の本拠地として建てた宮殿。見所は内部の階段「ディエゴ・リベラ」の大壁画。文字が読めなかった時代、国民に絵で時代背景と歴史を教えている。アステカ時代から現代メキシコまでを巨大なパノラマで鳥瞰する雄大な叙事詩はリベラの最高傑作といわれている。

 

 「ディエゴ・リベラ」について・・・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照

        http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9

 その妻「フリーダ・カーロ」はメキシコで最も有名な画家の1人で、特にイサム・ノグチレフ・トロツキーとの不倫など、その奔放な恋愛遍歴は、メキシコやラテンアメ   リの女性の理想像の1つとされ、何度か映画化されている。

        http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AD

 

 ◎ 街並み・・・ニューメキシコ

    

              ユニークな乗物                                             中央広場の露天

 ◎ アステカの遺跡

   

               アステカ時代の中央広場「模型」      「テンプロ・マヨール」  中央広場、模型の所を発掘すると、アステカ帝国の神殿跡が出てきた。

 ◎ テキーラ

      

           テキーラの原料「アガベ」                               テキーラ

 ◎ ワンポイントレッスン・・・・ テキーラの飲み方

 原料であるAGAVE(アガベ)100%のテキーラを用意する。 何故か ? 美味しいから! 飲むときは皆で  「サルー!」(乾杯!)

 他に、高いアルコール度数(35度前後)から喉を守るためにを舐め、ライムを口へ絞りながら楽しむのが正統な飲み方なので、塩、ライム、そしてトマトジュース(口直し)があると良い。塩は拳の上に・・・単なるこだわり? この場合、テキーラはストレートで飲むのがよろしいようで!!

 原料のアガベはメキシコの至る所で見られます。一見、サボテンのようで、見間違う?

 そもそも、アガベ畑の景観と、伝統的なテキーラ工房が、世界遺産に登録されています。   ガイド笹本さんよりの伝授でした。

 ◎ ニューメキシコ市街

    

   メキシコの国旗          遠くにラテンアメリカ・タワー 工事現場の幕には古代都市の絵が・・・これは良い。 馬はまだ活躍〜インディアンか?

 ◎ メキシコ料理

     

   「青いタイルの家」の中の「サンボーンズ」で夕食  トルティージャスープ       ファヒータス           チレレジェッロ

   

                       ホテルからの街並み                        今回は五つ星:ヒルトン・ホテル

                            メキシコの街並み  動画http://www.youtube.com/watch?v=JTjjVNsRmHI&feature=channel

 ◎ グアダルーペ寺院

                     

  メキシコ国民の精神的な支えである聖母が祀られている寺院。ローマ法王とダライラマも訪れている。           モダンな新聖堂

写真はカテドラル内部、丁度ミサが行われていた。  

                          ◎動画で雰囲気をどうぞ・・・http://www.youtube.com/watch?v=_eGUTqLqL10&feature=channel

      

                         花・・・                              サボテン・・・これは分ります。

 ◎ テオティワカン遺跡  紀元前2世紀〜6世紀、巨大な宗教都市国家

    

トラロック(雨の女神)「月のピラミッド」2番目に大きいピラミッド高さ42m底辺150m×130m、宗教儀礼に使用.「太陽のピラミッド」高さ65m底辺225m、頂上までOK。

                  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AF%E3%82%AB%E3%83%B3

遺跡  動画  http://www.youtube.com/watch?v=13MHT3M0_j8&feature=channel

「太陽のピラミッド」頂上から見る「月のピラミッド」 誠に壮大。

遺跡 動画  太陽のピラミッドから   http://www.youtube.com/watch?v=f0i58uuqYbY&feature=channel

 ◎ 昼食はタコス料理

    

     地元の人に人気の店 「EL Fogoncito」        豚肉をそぎ落とす                          タコスにトッピング

                         タコス  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%82%B9

  

       

                      さっそうと歩くメキシコ娘          「国立人類学博物館」・・・テオティワカン、マヤ、アステカ各文明の遺跡展示

 ◎ 遺 跡

     

           (左) 巨大人頭像〜3mの高さ   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A8%E7%9F%B3%E4%BA%BA%E9%A0%AD%E5%83%8F

           (右) アステカ・カレンダー〜直径3.6m http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%AB

 ◎ たくましい珍商売!

    

  カラフルなビル 信号で停車中の運転手に新聞を売る。 こちらフロントの窓拭き、普通のサラリーマンの3倍は稼ぐらしい。仕事がないとぼやく、日本の若者よ、奮起せよ!!

 ◎ 夕 食

    Daiquiri drink.jpg

              高級有名居酒屋レストラン ? 「ビジャ・マリア」            カクテル:マルガリータ      カクテル:ダイキリ

         ◎ お店のホームページ          http://www.villamaria.com.mx/

◎ マルガリータ (カクテル) の作りかた http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BF

          ◎ ダイキリ(カクテル)の作りかた    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%AD%E3%83%AA

      

         かぼちゃの花のスープ                      クレープの前果                  海老のチリソース       

ミュージック・サービス

このお店は有名店。かって、明石家さんまや旅サラダの神田正輝のテレビロケも行われている。

ビバ・マリア 動画  http://www.youtube.com/watch?v=kyg2KPQKoPU&feature=channel

 ◎ メリダ 

 

 メキシコの東部にある人口78万人の町。

 近くにはカバー遺跡、ウシュマル遺跡、そしてマヤ文明のチチェン・イツァー古代都市の遺跡がある。

    

      メリダの空港、メキシコシティから1:20         メリダの庶民市場を眺める。                マンゴもある。

 トウモロコシが市場にあった。そもそもトウモロコシはここメキシコが原産地。スペインの植民地となってスペインに渡り、そしてヨーロッパに広がり、中国に渡来、唐の国から来たので、日本では「トウモロコシ」の名が付いたそうです。

 ◎ カバー遺跡

    

   外壁が300近くの雨神「チャック」の顔で飾られている。雨が少なく作物に影響するため、多数の神様を作ってお祈りしたと言う。 大地は女性、真ん中の大きな石は男根。

カバー遺跡はプウク様式(丘陵地帯の意)  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%82%A6%E3%82%AF%E5%BC%8F

 ◎ マヤ先住民の家を訪ねる

       

         メキシコ:マヤ文明の家屋、ハンモックで寝る。      屋敷内にはヤシの木もある。         奥さん。ご主人は5人の奥さんがいるそう。   

 ◎ ウシュマル遺跡

      

 都はこの地に7世紀ごろ創建。小高い丘の上に建造物を作り、壁一面におびただしい数のチャック(雨神)像を作る。この地は台地で河川が全くなく、生活用水は雨水が頼り。そのため、雨乞いの神として非常に崇拝され、信仰の中心となった。写真右の大きな石は男根、台地が女性なので五穀豊穣を祈ったそうだ。大きい。

            フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9E%E3%83%AB

                      遺跡  動画  http://www.youtube.com/watch?v=EMcji-LX2X0&feature=channel

 ◎ 荘園レストラン

    

           昼食は「荘園レストラン」にてコチニータビビル料理(豚肉料理)                      花・・・

荘園とは・・・

16世紀くらいの大地主。
そのころ、竜舌欄(リュウゼツラン=アガベ 現在はテキーラの材料)という植物から、サイザル麻という繊維を取り出して、よって縄をつくる産業があった。
そこで、大地主はたくさんの奴隷を使って、麻縄を作っていた。規模はかなり大きく汽車の貨車引込み線まである。
荘園というのは、その大地主の家であったが、現在はレストランとなっている。 周辺はそのアガベが多数ある。

 ◎ チチェンイッツア・・・密林に栄えたマヤ文明

         午前10:00 気温37度

    

         「ホテル・マヤランド」側の入口から入る。                     大ピラミッド(高さ25m) 壮大  9世紀に造られている。

             フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

             http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A1

    

古代の生き残り動物ヤモリ、イモリ?「聖なる泉セノテ」日照りの時に若い処女が人身御供として投げ入れられた。「戦士の神殿」 真ん中の像のお腹に生贄として心臓を捧げられた。

チチェンイッツアの民芸品売り露天

動画  http://www.youtube.com/watch?v=xpsuqqAgpZU&feature=channel

 ◎ カンクンへ・・・世界の有名リゾート地

  

                   ドルフィン・ビーチからホテル群を見る。                             ホテルの花・・・

             動画  http://www.youtube.com/watch?v=b7n5GUqOP0Q&feature=channel

    

  夕食は「モカンボ」でシーフード、実に美味い。          宿泊のホテルから朝焼けを眺める。       小さな砂となったサンゴは、素足に優しい白浜。

見る見るうちに、真紅の朝陽が登る。

動画 カリブ海の朝焼け  http://www.youtube.com/watch?v=uouIQVWBGCo

    

        ホテル                       まるで蜃気楼のように。                    飽きないさざ波

  やはり最後は日本料理!

   

          メキシコはビールも美味い。              珍しいサボテンの佃煮。       日本酒と天婦羅定食、デザートはマンゴ。

日本料理:「花いち」 ホームページ  http://www.hanaichicancun.com/japanese/new.html

  

         浅田真央ちゃんにそっくりで、素敵な店員さん。                  カンクンの夜景を後に・・・さようなら〜真央ちゃ〜ん。   

                                                                                                       

  ☆マヤ文明とは 

 ☆マヤ文明における大規模かつ政治的影響が大きいもの、または考古学的に重要な発見があったものは次の8か所。

 マヤ遺跡は、現在判明している遺跡だけでも4400ヵ所を超えているが、マヤ文明を構成する人々とその文化は、現在のグアテマラ、ベリーズ、 ホンジュラス、エルサルバドル、メキシコの地域で、紀元前2000年頃から紀元後9世紀頃まで、2500年以上の長きにわたり繁栄を誇っていた。

             名称                   

               国                   

              説明                                       

  ウシュマル   メキシコ  精緻な彫刻で知られるプウク様式の代表的な遺跡。魔法使いのピラミッド、尼僧院といった遺構がある。1996年、世界遺産に登録された。
  カラクムル   メキシコ  古典期を通じてティカルとライバル関係にあったカーン(蛇)王朝の首都。高さ45メートルのピラミッド、構造物2などがある。2002年、世界遺産に登録された。
  キリグア   グアテマラ  卓越した彫刻の巨大なモニュメントで知られるモタグァ川流域の遺跡。古典期後期にコパンを破り最盛期を迎えた。1981年、世界遺産に登録された。
  コバン   ホンジュラス  立体的な浮き彫りを施した彫刻で知られるモタグァ川流域の大遺跡。神聖文字の階段や、王朝の歴史が刻まれた祭壇Qなどがある。1980年、世界遺産に登録された。
  チチェン・イッツァ   メキシコ  神秘的なセノーテやトルテカとの関連で知られる後古典期前半マヤ文明における実質的な首都。トルテカ・マヤ様式、プウク様式が混在する。1988年、世界遺産に登録された。
  ティカル   グアテマラ  カラクムルと古典期マヤの覇権を争った大国の首都。密林の中に高さ50メートル以上の神殿ピラミッドが林立する。1979年、世界遺産に登録された。
  パレンケ   メキシコ  神殿ピラミッドの下部から王の墓が発見されたことで知られるウスマシンタ川下流域の遺跡。1987年、世界遺産に登録された。
  ホヤ・デ・セレン   エルサルバドル  エルサルバドル西部に位置する古典期マヤの集落の遺構。「中米のボンベイ」として知られ、火山灰により集落が当時のまま残されている。1993年、世界遺産に登録された。

 マヤ文明の特徴として、以下のような点が挙げられる

  • 青銅器鉄器などの金属器をもたなかった
  • 生贄の儀式が盛んであった
  • 車輪の原理は、土偶などの遺物に出てくるにもかかわらず、実用化しようと考えていなかった
  • 牛や馬などの家畜を飼育しなかった
  • とうもろこしの栽培のほかにラモンの木の実などが主食だった
  • 焼畑(ミルパ)農法や段々畑・湿地で農業を行った
  • 数学を発達させた(二十進法を用い、の概念を発明した)
  • 文字種が4万種に及ぶマヤ文字を使用していた
  • 持ち送り式アーチ工法など高度な建築技術を持っていた
  • 極めて正確な暦を持っていた(火星金星の軌道も計算していた)
  • 多くの文明は河川の水の恵みにより発展してきたが、マヤ文明はセノーテとよばれる天然の泉により発展した


 マヤ文明崩壊の推理
 
・異民族の侵入
 ・疫病の発生
 ・都市間の争い
 ・支配者階級の反乱力を蓄えた地方首長などが王に対し反乱を起こしたという説。
 ・環境の激変、人口増加により食料が不足し、壊滅したという説。
 ・交易経路の変更、マヤ文明は交易により繁栄したが、経路変更により交易が衰退し、その結果として都市が放棄 
 されたという説。


メキシコの苦難 (大国スペイン・アメリカ・フランスの侵略に耐えた歴史)

  スペインによる植民地 (300年間) 1519年〜1821年 

 スペイン植民地支配が始めると、スペイン人が持ち込んだ麻疹や天然痘などの疫病によって、多くの先住民が命を落とした。さらに、植民地当局の苛烈な統治によってメキシコのインディオ人口は激減し、2500万人いた人口が100万人ほどに落ち込んだと推測されている。この結果スペイン文化、カトリックが引き継がれる。

 スペインからの独立戦争 (11年間)  1810年〜1821年

 アメリカ独立戦争フランス革命に影響された、土着のクリオーリョ( スペイン人を親として現地で生まれた白人、またはその子孫、) 達の間に独立の気運が高まった。幾多の多難を越えて独立。

 テキサス独立戦争 (1年間) 1835年〜1836年

 現在のアメリカのテキサスはメキシコの領土であった。当時、ここにアメリカ人入植者が入り、メキシコ人との不和がたかまった。入植者らが起こしたアラモの戦いをはじめとするテキサス独立戦争の末メキシコは敗れ、1836年にテキサス共和国が成立。テキサス独立により、テキサスではかつてメキシコ政府が廃止した奴隷制が復活した。

 その後、テキサスを併合したアメリカは、メキシコとの国境をめぐり両国の主張に相違が残り、米墨戦争へと発展する事になる。

 一方、メキシコは、テキサスがその独立の根拠であるとすること自体が、不当なものであるとして認めておらず、当然のことながら批准もしていなかった。したがってテキサス共和国が米国に併合されることが認められるわけがなかったが、併合がテキサス住民の総意であることを理由として、アメリカは1845年に28番目の州として米国に併合した。このテキサス併合が、翌年からの米墨戦争のきっかけとなる。

  米墨戦争 (2年間) 1846年〜1848年

 米墨戦争はテキサスの所属をめぐっての、アメリカとメキシコとの衝突に起因する。テキサス併合で、西部への開拓を開始しやすくなった多くのアメリカ人が、メキシコ領北部に流入していた。

 当時のサンタ・アナメキシコ大統領による中央集権体制の圧制は、メキシコ各地での反発を招き、各地で独立の機運が発生した。

 一方、アメリカはこの地域(メキシコ北部、アメリカ南部)での、英国の野心(領土化)を断ち切るために、太平洋岸のカリフォルニアに自国の港を持ちたかった。このためテキサス併合と同じ年、メキシコ領カリフォルニアおよびニューメキシコを購入したいと申し出た。しかし当時メキシコ国内は混乱が続いており、交渉どころではなかった。

 こうして、メキシコは混乱する体制の中で、アメリカの戦略により、戦争に突入し敗戦となる。

 その結果、アメリカにカリフォルニア、ネバダユタと、アリゾナニューメキシコワイオミングコロラドの大半にテキサスと同様の管理権を与えた。アメリカはこれに対し18,250,000ドル(現金15,000,000ドルと債務放棄3,250,000ドル)を支払った。

 このメキシコ割譲により、メキシコは国土の 1/3 を失った。以前のテキサスを含めると1/2、以前の領土が半分となったことになる。

 不毛の砂漠地帯だったこれらの土地ではあったが、その一年後(1849年)カリフォルニア州サクラメントゴールドラッシュが起こり、さらにずいぶん後の20世紀前半には、テキサス州に無尽蔵といわれた油田が発見されて石油ブームが起こることになる。

  フランスのメキシコ統治 (3年間) 1863年〜1866年

 メキシコはスペインからの独立戦争、米墨戦争でフランスからの借款の債務が残り、返済不能状態が続く。一方、フランスはアメリカの台頭に対抗すべく、北アメリカに拠点を持ちたく、メキシコに干渉をし、ついに統治することとなる。一方、アメリカはフランスのアメリカ大陸参入を嫌い。メキシコ支援に乗り出しフランスは已む無く撤退となる。

 その結果、今日までメキシコはアメリカの影響力を受ける事になり、メキシコ経済はアメリカとの輸出入なしでは成り立たなくなる。今やアメリカがクシャミをすると、メキシコは風邪をひくとまで言われる、密接な関係にある。

 私見

 アメリカ映画、ジョン・ウェインの「アラモの戦い」を見ると、アメリカが製作しただけにアメリカ寄りである。文献を見たり、今回の旅行で現地の人々の意見を聞くと、アメリカの横暴が手にとるように分る。

 メキシコの過去の政体が整っていなかった事にも起因するだろうが、当時のヨーロッパ列強が、海賊そのものとして、後進国の文化、文明を破壊していた事が明白である。戦利品として母国に持ち帰っても、殆どを一部階層の冗費として費やされている。

 アメリカにしても苦労してイギリスから独立しても、メキシコ、キューバ、その他に同じことを繰り返している。

 旅行中、メキシコ市民の数人から過去のいきさつからアメリカ嫌いの言葉を聴いた。しかし、今やアメリカ無しでは経済も文化も多岐に渡って敬遠できない関係になっている。世界中、どこにもある現象である。日本とて同じである。沖縄の基地問題一つをとってもしかるべきだ。当事者の沖縄の人々の苦難を理解していても、それ以外の人々は目をつぶる。

 古代都市、遺跡、宗教施設、文化等を見て、人々と接して、多くの感動と発見があるが、矛盾も感ずる。旅は更に続く・・・・・・

アメリカの地図(茶色部分がメキシコの元、領土)

                                                                                                                               メキシコ編 終わり  

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