モンゴル紀行
何処まで走っても、何日走っても大草原 |
旅の初めに・・・ 2012年7月、世界の大草原、チンギス・ハーンの生まれた国、モンゴルの旅を計画。 |
モンゴルはロシア、中国の両大国に挟まれた国 | 首都はウランバートル。数字は宿泊日数 |
☆ワンポイント情報
・国名 モンゴル国 ・民族 モンゴル人、カザフ人 |
☆ 出 発
成田空港でお決まりの日本酒と和食が定番 | しばしの日本食ともお別れ | 成田〜首都ウランバートルは5時間程度 |
モンゴル航空は直行便、シーズン中は毎日便がある | 馬のマークがモンゴルらしい |
モンゴルのスッチー | 食事は馬肉、ではなかった |
首都ウランバートルが近い。彼方に白いゲルが | 首都ウランバートル。草原ばかりが目立つ |
☆モンゴルの歴史
●チンギス・ハーン以前のモンゴル ●モンゴル帝国以降のモンゴル |
☆首都ウランバートル
首都ウランバートルにあるチンギス・ハーン空港 | シンプルな空港前 | 空港からウランバートルまではバスで40分 |
エネルギーは火力発電所 | ウランバートルの標高は1295m | ウランバートルの夕焼け |
高層ビルもある | この国のNO1ホテル「チンギス・ハーンホテル」 | こちら庶民派「フラワーホテル」が今夜の宿 |
夕食、前菜 | ステーキ |
ホテルの部屋には「オプショナル・ツアー」のチラシ |
このホテルは日本の企業が経営、だから大浴場 | レストラン | ビュッフエ・スタイルの朝食 |
韓国製小型バス、クッションは決して良くない。後方席は特に | 首都一番のモダンビル |
Panasonic やTOYOTAの看板が多い | 首都のみに高層マンションが多い、ソ連統治時代の5階建てMSも |
☆ウランバートル(首都)から ウギー湖(郊外へ)
ウランバートルから30分も車で走ると、もう大草原。 白いゲル(移動式居住住宅)と馬、羊、ヤギ、牛の群れ |
遊牧民は視力5.0。 しかし、最近遊牧民の若者の生活が変わってきたようだ。動物を放牧するために馬を利用していたが、最近は中古のバイクで草原を走っていた。親も後継ぎの子供を引きとめるためには止むを得ないのだろう。 バイクに乗っている青年を見ていて吉幾三の歌を思い出した。(下段参照) だが、アフリカやモンゴルも携帯電話が普及し小さい文字を読んだり、裕福な遊牧民は発電機で電気を起こしてパソコン操作をすると視力が急激に悪くなる。
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♪ 俺ら東京さ行ぐだ ♪ 吉幾三 ♪ テレビも無エ ラジオも無エ 電気も無エ ガスも無エ (遊牧民の若者も、大きくなると首都ウランバートルに殆ど出るか、韓国に出稼ぎらしい) |
モンゴルの道路網は国道のみ、草原を自由自在に走る。 車で出来た道も、すぐ草に覆われ草原となる。 |
☆モンゴル・・・
ゲルを建築中。材料は平均40万円程度が必要 | 家族が多くなると、人数に合わせて2〜3個と多くなる |
☆ 国土の79%が草原(世界一)
世界の草原率はモンゴルが79%で世界一。 遊牧民達は、五畜と言われる羊、山羊、牛、馬、ラクダの群れを移動させながら放牧している。羊からは毛、肉牛を。ヤギからはミルクのチーズを。牛からはミルクと肉牛、チーズを。馬からは馬乳酒(酒ではない、飲料水)と馬肉、そして遊牧民の乗り物。ラクダは運搬にとそれぞれの用途がある。 ちなみに、世界の森林率は、1位フインランド73%、2位スウェ―デン69%、そして3位が僅少差の69%で日本となる。 |
モンゴルでは羊は1500万頭、ヤギ1200万頭、ラクダ・ヤク・牛・馬が800万頭飼われている。 |
羊とヤギの群れは何処にでも見られる |
1時間走っても3時間走っても、草原の中、一直線が続く。何しろ国土面積は日本の4倍である |
☆ホスタイ国立公園
大自然の動植物園のような「ホスタイ国立公園」。ここには野生の馬 タヒ をはじめ、シカ、ガゼル、マーモットなど約50種類もの哺乳類が生息している。
ホスタイ国立公園の看板 |
モンゴルにはオオカミ、アカシカ、ヘラジカ、トナカイ、ガゼル、猪、リス、熊、狐、山猫、ミンク、クズリなどの動物が生息している。また、野生ロバ、野生の馬、野生のラクダもいる。 また、草原地帯ではタラバガン、ネズミ類、狐、狼、マーモットなどの動物が生息している。ユキヒョウ、野生の山羊も発見されている。 |
ゲルの入口はは必ず南向き、だから旅人はそれを見て方向が解る。 | 公園の管理事務所とレストラン |
ゲルの宿泊所もある | インフォメーション |
タカやワシはネズミ類を高い所からさがす | 野生の馬「モウコノウマ」がこの辺に。安物ディジカメでは見えない |
草原で発見された野生の馬 |
モンゴルの草原では高山植物の花がどこでも | 大草原を歩くので花も踏みつけてしまう。ごめん! | 鮮やかなクルマユリ |
大草原の道の無い中を、ツーリストバスは行く |
モンゴルの遊牧民は器用に、握りコブシで羊の皮をむく | 3頭いた羊は残り1頭、次は僕の番?寂しそう・・・ |
☆遊牧民は物々交換
遊牧民は殆ど現金収入が無いようだ。子供の教育費、下宿代等は馬乳酒や羊・ヤギ・馬・牛等の肉やミルク販売で手に入れ、それ以外は動物の毛皮を販売してわずかの現金収入を得る。 米や調味料は、動物の毛皮や肉と物々交換が多い模様である。野菜は手に入らないので、草原にあるチャイプ(ニラ)や野生の長ネギが主となる。 ナーダム祭になると、国道脇に動物の毛皮が積んであり、それは遊牧民から買うための合図である。遊牧民は年に一度の楽しみで祭りに行くため、日ごろの毛皮をそこで売り、現金を持ち、祭りに行くそうだ。 |
☆更に大草原を行く
大草原の中をバスは行く。しかしすれ違う車は殆どいない。日本の国土の4倍、人口はわずかに280万人で40分の1 |
☆ハルボヘン・バルガス遺跡
モンゴル北部にある遺跡。ハルボヘン川南岸に位置する。10世紀頃に遼を建国した契丹(きったん)族の都城が置かれた。 当時の城壁に加え、17世紀初頭のチベット風の仏塔跡が残っている。2004年に「オルホン渓谷の文化的景観」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。 |
大草原にポツンと遺跡跡 | 仏塔跡 | 城壁は緻密な石の積み重ね |
つわもの達の夢の跡? | 入口と思しき跡 | 空気穴 |
☆ウギー湖
ウギー湖は、1.337メートルの海抜であり、ウギー村アルハンガイ県インチ。それは25平方キロメートルをカバーし、その範囲の鳥と魚の多様性で知られている。
ツーリスト・キャンプが多くある保養地。
ツーリスト・キャンプの案内板 | ツーリスト・キャンプの入口 | 夕陽に染まるツーリスト・キャンプのゲル |
ウギー湖。湖を囲んで、多数のツーリスト・キャンプがある |
車の大多数は日本車。トヨタ、三菱などの四駆が殆ど |
レストラン、トイレ、シャワー等 | ゲルは1人1部屋、夫婦は1部屋 | 牛や馬も近くまで平気で寄ってくる |
ツーリスト・キャンプ モンゴルでは遊牧民の移動式住居“ゲル”をモチーフとした観光宿泊施設(ツーリストゲル)を利用している。 ツーリストゲル内には通常3〜4台のベットと机、椅子がある。天井にはトーノと呼ばれる天窓があり、中央にはストーブ。フェルトと木と馬のシッポのロープで組み立てられている。ベットにはシーツ、枕、毛布、掛け布団があり、寒い時にはストーブで暖かい。 |
モンゴル国旗 | おまじない。チベット仏教 | 馬は何処でものびのび |
皇太子殿下もこちらを訪れた |
秋篠宮久仁親王ご夫婦も訪れている | 秋篠宮久仁のサイン |
翌日もまた大平原を行く。道はないが、自然と道になるようだ。草は動物が食べるので大きくはならない |
地理 東アジアの北西部に位置し西には標高4,300mのアルタイ山脈と標高3,500mのハンガイ山脈がそびえ、東には1,000 - 1,500mの高原が広がり北東には針葉樹林が広がる。 あとの国土は高山砂漠とステップの植生が南の海抜平均1,000mのゴビ砂漠まで続いている。 重要な河川はバイカル湖に注ぐセレンゲ川とアムール川を経てオホーツク海(太平洋)にそそぐヘルレン川がある。 近年、国土の90%で砂漠化が進行しており、6万9000kmの牧草地帯が姿を消した。モンゴルで見られた植物種のうち75%が絶滅、森林伐採により、川の水位は半減、北方の森林地帯を中心に3800の河川と3500の湖があったが、2000年以降、約850の河川と約1000の湖が地図上から完全に姿を消している。 |
☆オルホン渓谷
オルホン渓谷はモンゴル中央部のオルホン川両岸に広がっている渓谷。首都ウランバートルの西方約360 kmに在る。その渓谷の文化的景観は、2000年以上に渡って培われてきた遊牧民の伝統を例証するものとして、ユネスコの世界遺産に登録された。
オルホン渓谷 | オルホン碑文 | キョルテギン碑文 |
博物館(日本も出資) | 博物館の看板 | 博物館は大草原の中 |
☆カラ・バルガスン遺跡
カラ・バルガスン遺跡は、8世紀のウイグル可汗国時代に建設されたオルド・バリク城址を中心とする遺跡群。カラ・バルガスン(ハル・バルガス、ハラ・バルガスン)とはモンゴル語で「黒き都市、廃墟の都市」を意味する。 |
既に廃墟 | 城壁の一部はかろうじて残る | 城跡 |
☆カラコルム
人口は2万人。 13世紀のモンゴル帝国の首都であり、現在はハラホリンと呼ばれている地域。
チンギスハンの3番目の息子オゴタイにより建設された美しい宮殿があったとされ、現在も遺跡群が多くの旅人を魅了している。
シルクロードの交差点でもあり、当時繁栄していた遺跡群は現在ユネスコの世界遺産になっている。
ソ連の社会主義時代の統制から解放され、国民は自分の土地が与えられる。 | 木造の家が建てられない場合は安いゲルを建てる。自分の土地には木の塀を作る |
カラコルムのツーリスト・キャンプ | 周りにはカラコルムの個人住宅 |
カラコルム博物館、日本が出資。モンゴルは館内殆どが有料。ケチな日本人は誰も写真を撮らない。日本が出資してるのに・・・ | 中は立派、さすが日本が作るだけある |
☆ 国道沿いの動物達
平気で国道を渡る羊とヤギ。ヤギは頭が良い。美味しい草、雨が降ると避難場所を探す、夜になると我が家に帰る。 |
☆ ツーリスト・キャンプの内部
モンゴルで製造されたウォッカ「チンギス・ハーン」を飲む。寒いのと退屈な為 | 内部はベッドが2〜3、テーブル、ストーブ | 最初は大学生の女子アルバイトが火をつけてくれる。暑くなるとドアを開けて寝る。牛がモ〜ウ・・・ |
モンゴルの蜂蜜 | 離れているのでいびきは聞こえないだろう | 川の右向こうに朝青竜のキャンプサイトが。父親が管理 |
朝青竜のキャンプサイト | その内部 | 朝青竜が温泉療養していた温泉施設。ホジルト町 |
☆朝青竜と白鵬 : モンゴル人は、どっちが好き?
モンゴル人は圧倒的に朝青竜が好きらしい。 理由2. 嫁さんは日本人、何を考えているか分からない白鵬は嫌われる? |
☆ナーダム
ナーダムとは、モンゴル国において、年に数回行われる国民行事である「民族の祭典」である。ブフ(モンゴル相撲)・競馬・弓射の3つの競技が行われる。 ナーダムはモンゴル各地で行なわれるが、最も大きいものが国家主催の国家ナーダムと呼ばれるもので、毎年7月11日の革命記念日にちなんで、7月11日 - 13日の3日間にわたって首都・ウランバートルの中央スタジアムで開催される。但し、競馬は専用の競馬場で開催される。 |
ここはホジルト町のナーダム会場。本部 | ナーダムとは「遊戯」という意味 | 会場には田舎から馬に乗り、祭り見物に多数来る |
モンゴルは日本が一番の友好国 この会場に、日本のツアー客が多数見学に来ていた。 モンゴルは日本人が一番好きなようだ。嫌いなのは中国、韓国。どこかの国と同じですな。 |
オジサンもオバサンもニッコニコ | 男の子も | 女の子も |
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田舎にいては異性や友達に会えない。ナーダム祭の五日間はチャンス。 | 馬だってチャンス!何が・・・ |
イケ面の男の子は居ないかな〜と、会場をぐるぐる回る女の子達。 男もその後をついて回る。 |
☆ 競 馬
これぞ騎馬民族!競馬 一番興奮する種目は、おそらく競馬であろう。先頭集団は、遥か彼方の地平線から土煙とともに現れる。 騎手は子供達である。 途中で落馬して、馬だけが走ってくる場合もある。 また、多くの観客が馬でやって来て、そのまま馬上からゴールの瞬間を待っている光景も、モンゴルならではあろう。 |
1位・・・何となくかっこが良いし、決まっている | 2位・・・その差3馬身 | 3位・・・もうかなり離された。だが後続はまだ沢山 |
☆ 相 撲
相撲について 日本でもモンゴル人力士が大活躍しているが、モンゴル相撲は土俵がなく、頭、肘、膝、背中のいずれかが地面についた方が負けとなる。 また、入場の際に選手が鷹の飛ぶ姿を真似た勇壮な舞を舞うのが特徴である。 一度に10数組の取り組みが行われる。 |
メーン会場で、テントの中が控え席。いよいよ支度 | 馬も仲良く見学 |
家族に応援されて | 勝負前に、鷹の飛ぶ姿を真似た勇壮な舞が儀式。 |
☆ 弓競技
弓競技 弓競技では、10数人が一張羅に身を包み、横一列に並んで次々に矢を放つ。 男女別々に行われ、それぞれ75メートル、60メートル先の的を狙って矢を射つ。 見事、的に当たれば・・・ |
女の子が只一つ参加できる弓競技 |
衣装に凝っている | 観客が一番少ないので、可愛そう |
☆ランチ
ナーダム祭を見学していて夢中、ランチは2時過ぎ。これはすき焼き風かな? | デザートは中身なしの饅頭? |
☆エルデニ・ゾー(カラコルム)
モンゴル帝国の古都カラコルムとエルデニ・ゾー エルデニ・ゾーは、ハラホリンの草原の中にある、108個の白い仏塔で囲まれた400m四方の敷地の中に建つ寺院群である。 モンゴルの首都から南西へ約370km、オルホン川に接するハラホリン村にモンゴルの古都カラコルムがある。 |
108個の白い仏塔で囲まれた400m四方の敷地の中に建つ寺院群 | 108個の白い仏塔 | 博物館の看板 |
中は広大 | チベット仏教寺院群 | チベット仏教の坊さん |
土産物 | オゴタイ・ハーン宮殿跡 |
亀石 | 亀石 |
☆馬頭琴とホーミーのミニ演奏会
今回の現地ガイドは、冬は大学の先生。モンゴルの大学は6・7・8月の3ヶ月間が夏休み。そこで学生は演奏旅行をして学費を稼ぐ。この学生達の先生であるガイドが紹介してくれミニ演奏会を開いてくれた。先生も夏はガイドのアルバイト、モンゴルは生活が厳しいようだ。 左から2番目の男子学生がホーミー担当。残念ながら、ビデオは禁止。 |
ホーミーとは・・・ ホーミーは、アルタイ山脈周辺民族の間に伝わる喉歌(浪花節のような喉を詰めた声で歌う)と呼ばれる歌唱法のうち、西部に伝わるものの呼称。 これが「驚異の唱法」として近年広く海外に知られることとなった。社会現象としては、馬頭琴とともに モンゴル人のアイデンティティーのひとつのよりどころとしての役割をになっているようである。 |
リーダー | 二人とも美人でした |
馬頭琴 | 馬頭琴のベース? ホーミー担当 |
☆馬頭琴とは
モンゴルの遊牧民の間に古くから伝わる、二弦からなる擦弦楽器は馬のしっぽの毛を束ねてできていて、やはり馬の毛を張った弓で弾く。 |
軟体動物? | いやあ、柔らかい | どうなっている? |
☆モンゴル式ストーブ
連日早く寝る。テレビもない、酒を飲むと眠くなる、話をしても疲れる。 だから夜8時にはベッドへ。 さほど寒くはないのだが、余りにも薪を入れたせいかゴーゴー、部屋が暑くてたまらない。しょうがないからゲルの扉をあける。すると隣近所の煙突から同じように煙が出ている。な〜んだ、皆同じ事をしているじゃないか。深夜、外へ出て大笑い。 モンゴル良いとこ、一度はおいで!! |
☆ツーリスト・キャンプ・サイトは花園
キャンプサイトの標高は1360m | 野には様々な花が咲く | ハーブ、忘れな草、チャイブ、かすみ草等々 |
チヤイプ | チャイブ(ニラ) | トリカブトではありません |
ハーブが沢山 | こちらもハーブ |
☆ カラコルム→ツェンケル温泉へ
カラコルムから1日かけて温泉の地へ。 またまた大草原を行く |
モンゴルでは川が数少ない | 川は国民の憩いの場 |
国道以外は殆ど道路がない。何処でも走れるが、凸凹を避けるため、道らしき所を走るので自然と道が出来る |
このスタイルは馬乳酒を集めて歩く人 | 遊牧民は水が貴重なので、水の代わりに馬乳酒を飲む |
馬乳酒・・・ モンゴルでは人間は「赤い食べ物」と「白い食べ物」で生きているという考えがあり、赤が肉、白が乳製品を指す。肉食中心の遊牧民の生活において、貴重な野菜の替りにビタミンやミネラルを補うものとして大量に飲まれている。 大体1日に0.5〜1.5リットル位を摂っているという報告が殆どだが、中には1人1日平均4リットルを飲んでいるという驚くべき調査結果もある。馬乳酒を1日3リットル飲むと1,200カロリーに相当し、基礎代謝に相当する。モンゴルでは丼のような入れ物にいれて飲む。 見た目は乳白色で、乳酸発酵によって作られるため、かなり酸味の強い(ph3.5程度)飲み物である。基本的に殺菌処理を行なわないため乳酸発酵が進行し続け、醸造してからも酸味と匂いが増していく。 |
馬乳酒をせがむ? 仔馬 |
動物にとっても貴重な水場。 車ははるか向こうから走ってきた |
馬乳酒1日4リットルを飲んでいたと言うガイドさん。腕、脚の太もも、お尻はたくまし過ぎる。 ついに車はぬかるみへ |
ガイド・・・ 30代と思われる、モンゴル現地ガイドのムーンさん。 この間、日本の伝統文化、歴史、生活風習、歴史建造物の見学等々をし、故郷モンゴルに帰る。日本の食事は大好き、刺身が特に好きです、と目を輝かせていう。 帰国後、大学の先生をしているが、夏季の3ヶ月間は夏休み、旅行代理店のガイドや通訳の仕事で日本・モンゴルの懸け橋を担っている。 ゲルで働く大学生の男女は殆どが彼女の教え子である。 特に、彼女の笑顔が素晴らしい、優しさ・気配りも日本人と似ている、頭もさすがに良く何でも物知りだが出しゃばらない、一番は心美人であろう。 素敵な女性である。 |
☆ツェンケル温泉
温泉施設のツーリスト・キャンプ | 入口は山門のよう、たまらない雰囲気だ | ここが温泉施設。バスタオル、内湯、シャワー併設 |
ツルツル温泉。岩の向こうが女湯、のぞき可能!だが自己責任。 |
女湯、内湯もあり |
レストラン | 風呂上がり、ビールに日本のイカの燻製で飲んでいると、それを食べたいと言う、女子大生のアルバイト。 | 一番冷たいビール! と頼んで出てきたビール。 |
これが源泉、90度 | 最高地点は1,815m | 源泉が熱いのでここで冷ましている |
この辺一帯は全てこんな感じ。 平地も丘も山も花・花・花・・・・ |
ガイドさんは子どもの頃、吾亦紅の花を飛ばして遊んだと言い実験 | カンパニュラ | エーデルワイスは、もうエーデと言うくらいたくさん |
近くを牛の群れ | 母仔馬 | ヤク |
クルマユリ | マツムシソウ | キンポウゲ |
・・・ | エーデルワイス | クルマユリ |
レースフラワー | ヤナギランかな |
キンポウゲの密集地と1輪の吾亦紅 |
画面が変わると矢印をクリックして下さい(お借りしました) |
最高所1,800m地点、この辺が一面高山植物の宝庫。向こうの山、そして次の山も・・・ |
全て花、桃源郷 |
動物の群れが、花の丘や山を移動して歩く |
角は山羊、角が無いのが羊 | 山羊がリーダー |
自然に出来た草原の中の道 |
マーモットも現れる | 鷹に狙われるので穴はたくさん、近い穴に逃げる | 愛嬌がある |
トイレは青空トイレ。女性は車の右側のくぼ地を、男性はその辺でと、ガイドさん。 | 川の橋は木造、風情がある |
ようやく温泉から、次の町「ツェツェルレグ」が見えてきた |
☆マイダル(弥勒菩薩)像
大平原に忽然と弥勒菩薩像 | 近くの川が氾濫し被害が出たので建立された |
☆ツェツェルレグ
モンゴル中部、アルハンガイ県の県都。オルホン川の支流ウルト・タミル川北岸の標高1695メートルに位置する。 人口1万8519(2000)。1586年にチベット仏教(ラマ教)寺院であるザヤ廟(びょう)が建設されたのが町の起源で、以来宗都都市として発展した。 今日ではアルハンガイ県の行政、経済、教育、文化の中心地である。 |
県立博物館 | 元はチベット仏教(ラマ教)寺院 | 1586年建立 |
☆ボルガン山
町の高台 | 左側はエーデルワイスの群落 | この国ではどこでもエーデルワイスがある |
仏像 | ボルガン山頂上 |
街並 | お坊さん |
☆ 国道は穴ぼこ街道
モンゴルの国道の殆どは穴ぼこで、時速20〜30kmしかスピードを出せない。政府は予算を作り(日本からもODAで途上国に援助)、道路整備の計画を立てるが、半分程度しか整備されない。 途中で、官僚や関係機関の懐に入る。いわゆる汚職や賄賂で消えるらしい。途上国は何処も同様である。 |
☆小ゴビ
ゴビ砂漠は、中国の内モンゴル自治区からモンゴルにかけて広がる砂漠。東西約1600km、南北約970km、総面積は約130万km2で、世界で4番目の大きさを誇る。 古くからモンゴル帝国などの活躍の場であり、シルクロードの重要な拠点都市が幾つか存在した。また、黄砂(こうさ)とはこの地などから巻き上げられ気流に乗り運ばれる砂の事であり、春先には日本にも多く飛来する。 ゴビ とはモンゴル語で「沙漠、乾燥した土地、礫が広がる草原」などを意味する。 |
ゴビ砂漠の近く、小ゴビに立ち寄る | ラクダ乗り体験 | 一面が砂 |
ラクダ使いは商売で真剣 | しかし、ラクダは寝ている方が楽だ | ワンちゃん供寝 |
☆ブルド
ウランバートルから南西280km、カラコルムへ向かう途中にある美しい大草原が広がるキャンプ地。この周辺には珍しい砂丘がある。大草原、美しい花畑、トゥーラ川の雄大な流れ、や羊牛、馬の群れなど、モンゴルらしい光景が広がる。
ブルド・ツーリスト・キャンプ | テラスから大草原に見惚れる |
☆伝統料理ホルホック
本日の夕食は、羊の石焼き料理 | 黒いのが石、これが抜群に旨い |
レストランの絵 | チンギス・ハーンか? | ・・・ |
大草原に初めて小麦畑が現れた |
☆ 首都ウランバートル→テレルジへ
この国道は凸凹道路ではないが、波打っている。厳しい冬の寒さで凍り、盛り上がったのであろう。天ぷら張りの象徴 モンゴルの夏の気温はプラス50度、冬はマイナス50度 |
ウランバートルでランチは韓国料理 | レストランはモンゴルの結婚式 | ド派手なケーキ |
☆モンゴル帝国
モンゴル帝国は、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・ハーンが1206年に創設した遊牧国家。 モンゴル帝国の創始者チンギス・ハーンと『四駿四狗』(チンギス・ハーンの優秀な8人の最側近の事)やその他の後継者たちはモンゴルから領土を大きく拡大し、西は東ヨーロッパ、アナトリア(現在のトルコ)、シリア、南はアフガニスタン、チベット、ミャンマー、東は中国、朝鮮半島まで、ユーラシア大陸を横断する帝国を作り上げた。 最盛期の領土面積は約3300万平方kmで、地球上の陸地の約25%を支配し、当時の人口は1億人を超えていた。 第5代皇帝のクビライは1271年に、緩やかな連邦と化した帝国の、モンゴル皇帝直轄の中核国家の国号を大元大モンゴル国と改称するが、その後も皇帝を頂点とする帝国はある程度の繋がりを有した。 この大連合は14世紀にゆるやかに解体に向かうが、モンゴル帝国の皇帝位は1634年の北元滅亡まで存続した。 また、チンギス・ハーンの末裔を称する王家たちは実に20世記に至るまで、中央ユーラシアの各地に君臨し続けることになる。 | |
モンゴル帝国最盛期の領土面積は、地球上の陸地の約25% |
チンギスハン 第五代フビライ | モンゴルの領土を次々に広げたその軍事力は?。 それから重要なのは馬。モンゴル兵は、一人が5、6頭の馬を引き連れて進軍する。1頭が疲れたら次の馬に乗り換える。だから、機動力が抜群にある。 防御側の偵察がモンゴル軍を発見して、都市の防衛を固める前に攻め込んでくる。また乗り捨てられた馬はどうなるか。馬には、帰巣本能があるので、きちんと家に戻る。 |
注釈 | それから、モンゴルは抵抗する勢力・都市に対しては徹底的に虐殺をする。 モンゴルは強くて野蛮だと、周辺に知らしめ、そして戦う前にして降伏してくるような状況を作ったことである。 降伏し、素直に従えばモンゴルは一切危害を加えないが、従わなければ徹底的に攻撃して廃墟化してしまう。 注釈 |
☆内モンゴルと外モンゴル
内蒙古は主にチンギス・ハーンの弟の子孫やチンギス・ハーンの子孫ダヤン・ハーンの後裔などの部族。 1906年に清朝が蒙古を近代化する行政改革を実施すると、内蒙古の王公たちはほとんどこれを支持している。 一方で農地が拡大し牧草地を失った遊牧民は、自ら農民になったり、あるいは馬賊となったりした。 | |
中国に清朝が興た際に早々に帰順したのが内蒙古、ゴビ砂漠を挟み暫く抵抗したのが外蒙古。 中華民国が成立すると、内はこれに接近し初の民族自治区となり、さらには日本にも接近した。 一方、外では封建主義を捨てソ連に接近し、世界で二番目の社会主義国になった。共産中国が樹立すると内外宥和期を迎えたが、中ソ対立で再び疎遠に。分断国家ともいえるが、統合の動きも見られるがいまだに・・・ | 内蒙古と外蒙古の分断を決定的にしたのは、ロシア・ソ連による外蒙古の衛星国化と、内蒙古の中国主権容認であったと言える。 すなわち外蒙古はロシアの勢力圏、内蒙古は日本の勢力圏。 |
☆チンギス・ハーン騎馬像
グランバートルから約54km、大草原のまん中に巨大なチンギス・ハーンの騎馬像が出現する。 |
はるか彼方に巨大な建造物が | 台座は24m、騎馬像が40m、合計64mの高さ |
門の上には騎馬像が |
今やウランバートルから観光客が絶えない |
頭の上まで階段で上がれる |
上から眺める入口 |
内部は近代的劇場風 | 写真スポット |
馬の頭の上から | 1600万人の子孫を持つ、世界一の蒼き狼 |
チンギス・ハン - 人類史上最も多くの子孫を持つ蒼き狼 「Times」 この度行われた研究によると、人類史上、最も多く自らの遺伝子を広めることに成功した男性はチンギス・ハーンであることが明らかになったという。 チンギス・ハーンとは一代にしてアジアから中東、ロシアへとまたがる巨大なモンゴル帝国を作り上げた歴史上、最も広大な領土を手中に入れた人物である。チンギスは立志して死亡するまでの40年間、多くの国を滅ぼしてはその国の女性を組織的に犯しては、略奪を繰り返したと言われている。 チンギス・ハーンは今ではモンゴルの英雄として扱われているが、社会主義時代のソ連統治下では否定されており、銅像その他は禁止されていた。 |
日本の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と言えども、この様な力はなかった? |
☆テレルジ
昔チンギスハーンがこの場所に家をたてたことで有名である。テレルジ・ブムバン・ツアー ツーリストキャンプ
ウランバートルから50キロ離れたテレルジ国立公園内に所在。
このツーリストキャンプでは32か所のゲル施設がある。
テレルジ国立公園の岩山や高原植物や花等で豊かな自然の美しいところ。観光客がよく訪れるツーリストキャンプであり、いろいろな面で柔軟な対応とサービスを提供している。
アクティビティー
・乗馬
・ラクダ乗り
・遊牧民家庭訪問
・ミニナーダム
・ホルホグとボードグの作り方
・民族音楽舞踊コンサート
・ハイキング
すっかりゲル生活が馴れてきた | 本日のフアイブスターホテルは25号室 | しめしめ、今日も火遊びが出来るぞ! |
裏山は高山植物の宝庫、朝の散歩には絶好のポジション |
イタッ! マーモットの穴だ | お早う、と寄って来た。食べちゃうぞ〜 |
忘れな草 | かすみ草 | カンパニュラ |
レースカーテン | カライト草 | アザミ |
タイム | シシウド | クガイソウ |
牛も | 親子牛も | 子牛も寄って来たが、すぐ逃げた |
谷を挟んで、向かいにあるツーリスト・キャンプ。 このようなキャンプ施設が32もあると言う |
モンゴルでは珍しい岩稜地帯が人気 | レストランの社員、写真の時は真面目な顔になった |
亀石 | 像石 |
ショップ。キツネとテンの皮 | 菊の紋入りの日本刀を売っていた |
☆ 現地人のゲル訪問
本物のゲル | 犬もお迎え、警戒心は十分に感じる | 内部。中央にチベット仏教の祭壇、下は物入れ |
ここのお婆ちゃん。家族はゲル2つに16人が住む | 馬乳酒、一口飲んで皆は結構です | 白いのがチーズ、茶色がチーズの揚げ物、手前は忘れた |
チベット仏教の仏? | 家族の写真 | 大きな釜で料理 |
馬乳酒 | ガイドは大好きと、いくらでも飲みたそう |
この大家族のアイドル | 乗馬体験、200円程度 |
☆遊牧民の子供の教育
遊牧民は、動物の為に良い草を与えるために家族で移動し、 子供たちの教育は、学校近くの寮に下宿させる。夏休みの3カ月は親が迎えに行き、ゲルに帰る。 モンゴルの高校から大学への進学率は100%であると言う。 モンゴルの識字率は97.3%。全世界の統計で179カ国の58番目にある。ちなみに日本もアメリカ・イギリスも99.0%で21番目であるから驚くほどの数値である。 |
観光を終えてテントに戻ると馬のお客さんが |
ランチ、本日のスープにはワカメが。草原で海が無いのでワカメは貴重品 | シューマイ |
☆首都ウランバートル
標高約1,300mの場所に位置する都市。人口は119万人で、同国の人口のおよそ半数近くが集中する極端な一極集中となっている。名実ともにモンゴルの政治・経済の中心地で、中国からロシア(欧州)に至る国際鉄道の主要な中継地。 現在、バスに乗るのは学生と老人だけとさえ言われているが、日本政府のODAで供与されたバス99台が故障もなく路線を支えている。 かつては電力も水道も供給が不安定で、停電や断水が頻繁に起きていたが、現在では日本のODAの成果もあり、ライフラインはかなり安定している。水道水は日本政府の支援で塩素処理が一応行われている。 しかし、ウランバートルの人口の60%はゲルに住んでいる。 |
☆カシミヤ販売店
看板、立派な建物。やはり、日本が援助して建てた | カシミヤはヤギの毛から、モンゴルでは高価で貴重品 |
ファッションショー | モンゴルでもこんな八頭身美人が | モンゴルでも美人は良い縁談があると言う |
店の管理は、日本のコンピュータが管理 | マフラー1本でも1万円以上。日本と変わりが無い |
☆ウランバートル一番のデパート
スーパーマーケットの看板だが、立派なデパート | 内部は5層、綺麗、立派。地下がスーパー |
スーパーのカゴは車付き、これは楽 | 絵画 |
☆最後の日はホテルの和食
日本人が経営するレストラン | サンマ定食、少し寂しい・・・ |
☆ガンダン寺(市内観光)
モンゴルの首都ウランバートルにあるチベット仏教ゲルク派の寺院。正式名称ガンダンテグチンレン寺院。19世紀半ば、第5代活仏により建立。境内の観音堂には旧ソ連時代に破壊され、1996年に再建された高さ約25メートルの開眼観音像がある。 また、1970年創設のモンゴル仏教大学が併設する。 |
古い歴史の寺院 | チベット仏教の坊さん | 鳩の寺? |
マニ車 | 5階建てが新築中 | この様な建物が多数 |
☆チョイジンラマ寺院博物館
もともとは、1908年に8代ジェプツンダンバ・ホトクトのボグド・ハーン(君主)の弟のために建てられた寺院である。チベット仏教の仮面舞踊の祭典、ツァム祭がスターリン政権下で禁止された際に最後に行われた寺院であった。1993年にツァム祭の風習は復活しており、博物館には祭事の仮面といった道具が陳列されている。 |
入口 | 看板 | 興仁寺 |
古い寺と近代的ビルのアンバランス | 庭には高山植物が咲き誇る |
☆スフバートル広場
中央にある広場の名前にもなっている、ダムディン・スフバートルの像は彼が1921年に中国からの独立を宣言してから25周年を記念して、彫刻家チョインボル が造ったものである。彼の像にはその独立宣言時の発言が刻まれている。 広場は現在集会や式典、コンサートに使用されており、周囲には政府宮殿、モンゴル国立オペラ劇場、ウランバートル中央郵便局、モンゴル証券取引所などが並んでいる。これらの建造物は抑留をされた旧日本軍兵士の捕虜たちによって作られたものが多い。 |
ダムディン・スフバートル(1894年 - 1923年)は、モンゴルの革命家、軍人。 遊牧民の子として生まれた。スフは斧、バートルは英雄という意味である。 | ||
広場 | ダムディン・スフバートル像 |
周囲には政府宮殿 | 見学用ゲル | 政府宮殿の前にはチンギス・ハーン像 |
政府宮殿チンギス・ハーン像前で新婚さんの記念撮影。写真スポット |
ロシア製小型バス。いかにもロシア風 | 本日のランチはロシア料理 | 中は綺麗 |
先ずはビールにスープから | 肉類でした |
☆ザイサンの丘
ザイサンの丘は1971年に、旧ソ連の兵隊の偉業を称え、モンゴルと旧ソ連の友好を表すために建てられたモニュメントの丘である。 |
ウランバートルの町の高い丘にある | ソ連らしいモニュメント |
モザイク絵で歴史を表現 | この当時は日本は悪者 |
ウランバートル パノラマ1 | 2 | 3 | 4 |
☆モンゴルの近隣関係国
◎中国 ◎韓国 さらに、モンゴルでは韓国の暴力団が幅を利かせており、韓流を利用した就業詐欺、マンションを建てるといって金を騙し取る等の詐欺が続出している。そのため、世論調査では韓国は嫌いな国の第2位である。 ◎ロシア ◎日本 国民感情としても日本とは友好的関係が維持され日本より多額のODA(日本政府開発援助)が供与されており、日本の中古車も人気である。 |
ウランバートルの町の山あいには、白いゲルが多数 |
☆ボグド・ハーン宮殿博物館
1919年に建造された木組み方式の宮殿で、8代ジェプツンダンバ・ホトクトのボグド・ハーン(君主)の冬の宮殿のために作られた。 現在は博物館として、ボグド・ハーンの日用品や、他国から献納された剥製などを中心に展示されている。 |
当時の君主の威厳が感じられる | 中の博物館は見学に値する |
☆モンゴル国立オペラ劇場
第二次大戦後、ソ連による日本人捕虜によって建てられた建物。尊い日本人捕虜1600人強が無くなった。 | 中は絢爛豪華だが、ソ連の大戦後の仕打ちの事もあり、素直に感動はしない。 | 3層からなる |
モンゴル国立馬頭琴交響楽団。写真撮影、ビデオは禁止 |
☆モンゴル式バーベキュー
最後の夜は人気のモンゴル・バーベキュー | 皿に肉類、野菜、を持って | ソースも |
カウンターに並び、ここで焼いてもらう。生卵は右側のお兄さんが曲芸師のように空中で殻を破ると、大喝采! |
凄い迫力 | 待ちくたびれるが・・・ | 出来あがり! |
旅を終えて・・・ 文献によると、モンゴルは1日2ドル未満で暮らす貧困層は115万人(総人口279万人)で、国民の40%を占めるという記事があった。 8日間小型バスで、モンゴルの北方の大草原、と言っても国土の1/5程度を回ったが、見渡す限り草原であった。同じ景色なのだが決して飽きないのである。地球の国の中で1か所位、この様な大自然があるのは必要で重要であると考えた。是非維持してもらいたい。 この数年、ジンギス・ハーンの領土となったシルク・ロードを旅する機会が重なった。中国、モンゴル、カザフスタン等中央アジアの国々他、遊牧民族のロマンを充分感ずる事が出来た。 ゲル生活はなかなか快適であった。中でもストーブに火をつけて、火を見ていると心が癒された。じっくり世界経済と今後の政局、政治、平和等々を考えるべきなのだろうが、「毎日が日曜日」の自分としては今夜の酒は何にしよう、程度しか考えられない。情けない・・・ 花がとにかく多かった。花好き、登山好きの日本の中高年のおばさま方には、是非ともお勧めしたいコースである。ツェンケル温泉のコースは特にお勧めである。その温泉が良かった。外国の温泉を随分経験したが、殆どが水着着用なので幻滅する。 ここツェンケル温泉に夜3回、朝2回も入った。受付の学生アルバイトが飽きれていたが・・・ 風呂の側に、1本の吾亦紅の花を発見する。決して綺麗な花ではないが、素朴である。思わず「すぎもとまさと」の「吾亦紅」 を歌いだした。 と、ここまで歌うと女湯から大拍手が沸いた。 照れて、そそくさと湯から出てしまった。私は純情なのです。
モンゴルの識字率が97.3%と言うデーターを疑いたくなる。貧しくて学校に行けない家庭が多いのではないか、と疑問が残る。
また、遊牧民の子弟は全員が町の寮に入ると言うが、実際はどうなのか、これさえ疑問を覚える。何故なら国土があまりにも広くて、現金収入が乏しいのに子供の教育が出来るのだろうか。
ツルツル、スベスベ、露天風呂から眺めるロケーションは抜群だ。丘の上を羊や馬、牛、ヤクがのんびり草を食む。ともすると動物がすぐ近くまで寄ってくる。露天風呂の周囲には高山植物の赤や青、黄、ピンク、紫の花々が咲き誇っている。そう、まだ見た事はないが、ここは多分天国に近いと確信する。何より、電気が夜は消えるので満天の星を拝める。眺めらがらウツラウツラするのも贅沢だ。
「 ♪ マッチを擦れば おろしが吹いて 線香がやけに つきにくい さらさら揺れる 吾亦紅・・・・ ♪ 」
では、お時間が来たようなのでこの辺で。 終わり