オマーン紀行
オマーンは砂漠の国、オアシスと城郭とナツメヤシが多い |
旅の初めに・・・ 2012年9月、中東のオマーンの旅を計画した。 更にオマーンの国王一族に、日本人の血を受けたオマーンの王妃がいると言う事にも興味がひかれた。 中東の9月の天候は連日40度以上と思われる。日本、とりわけ札幌も観測以来初めての30度以上の気温が2ヶ月間も続く。何処にいてもさほど変わらない。エアコン設備のない我が家より、冷房がガンガン効いたオマーンの方が過ごしやすいだろうと出かけることにした。 |
首都はマスカット |
ワンポイント情報 ・国名 オマーン国 ・言語 アラビア語 |
☆先ずは中継地 「アブダビ」 へ
アラブ首長国連邦を構成する首長国。アラブ首長国連邦の連邦首都を兼ねる同名の都市(アブダビ市)もこの首長国内にある。 アラブ首長国連邦の中でも最大の面積、人口、収入を持つ。広大な国土に埋蔵された豊富な石油資源によって連邦の政治、経済を支える事実上のリーダー国である。 アラブ首長国連邦の大統領は1971年の連邦結成以来、アブダビ首長のザーイド、ハリーファの父子が一貫して務めており、今後もアブダビ首長国が大統領を輩出すると予測される。 |
アラブ首長国連邦のアブダビが誇るエティハド航空 |
いかにも中東らしいキャビンアテンダント |
飛行時間12時間強、二度の機内食 |
日本食うぃ注文 |
アラブ首長国連邦のアブラビ空港からは長距離バス |
アブラビ空港内にはラクダの像がお迎え |
先ず空港内で両替 |
1リヤル=204円、紙幣には国王の写真 |
☆ アラブ首長国連邦の特徴
首長国 |
面積(平方m) |
人口 |
首都 |
特徴 |
アブダビ首長国 | 67,000 | 190万人。8割が南アジアなど国外からの出稼ぎ労働者 | アブダビ | アラブ首長国連邦の中でも最大の面積、人口、収入を持つ。広大な国土に埋蔵された豊富な石油資源によって連邦の政治、経済を支える事実上のリーダー国である。今後もアブダビ首長国が連邦の大統領を輩出すると予測される |
ドバイ首長国 |
4,000 | 226万人。住民の実に90%が外国人 | ドバイ | 中東屈指の世界都市並びに金融センターである。世界一が14(世界一高層ホテル、世界一高層ビル=828m、ショッピングモール、人口島、噴水=全長275m、最長の無人運転鉄道など) |
シャールジャ首長国 |
2,600 | 89万人。 | シャールジャ市 | 石油が少なく、工業と観光に依存。最近ではドバイのベッドタウンとなっている |
アジュマーン首長国 |
260 | 24万人 | アジュマーン | 町が小さく、見所も少ない |
ウム・アル・カイワイン首長国 |
750 | 6万人 | ウム・アル・カイワイン | 古くから真珠採取で有名 |
フジャイラ首長国 |
1,700 | 11万人 | フジャイラ | 国土の西端は砂漠地帯で、大部分は高度300m程度の山岳地帯。ダイビングツアーのメッカ |
ラス・アル・ハイマ首長国 |
1,680 | 26万人 | ラス・アル・ハイマ | ナツメヤシ、野菜、果物生産で連邦の食糧庫 |
アブダビの夜景 | |
アブダビの夜景 |
☆オマーンに向けてバスは行く
アブダビからオマーンとの国境に近いアルアインへ |
アラブはどこも砂漠地帯、お金がある国は緑に替える。当然、水も海水からお金をかけて水を作る。 |
アラブの人達の衣装 |
☆ アラビア半島の国々(7カ国)
国名 |
面積 |
人口 |
首都 |
民族 |
宗教 |
特徴 |
アブダビ首長国連邦 | 北海道と同じ | 477万人 | アブダビ | アラブ19%、他国のアラブ人・イラン人23%、南アジア人50% | イスラム教(内、スンニ派80%、シーア派16%) | 伝統的な産業としては、ナツメヤシの栽培、ラクダの飼育、天然真珠、漁業、ダウ船による貿易などであった。しかし1958年に石油が発見されると状況が一変、世界有数の石油輸出大国になった。石油依存から脱却するため金融市場の整備、富裕階層向けのリゾート開発も盛んである。 |
オマーン | 日本の3/4 | 280万人 | マスカット | アラブ人、インド人、パキスタン人、アフリカ人 | イスラム教(イバディ派75%) | ナツメヤシや果樹などの農業とラクダの飼育が中心であったが、1964年に石油が発見され経済を一気に発展させた。将来の枯渇に備えて近代的な農業や漁業の育成を図っている。 |
カタール国 | 秋田県と同じ | 158万人 | ドーハ | アラブ人40%、パキスタン人18%、インド人18%、イラン人10% | イスラム教(スンニ派が大多数) | 国家歳入の90%以上を石油と天然ガスが占め、特に日本への輸出が大きい。もともとの人口が少ないため、労働者のほとんどは外国からの出稼ぎである。戦争報道で有名になった衛星テレビ局アルジャジーラがある。 |
バーレーン王国 | 奄美大島と同じ | 73万人 | マナーマ | バーレーン人51%、インド人、パキスタン人、イラン人等 | イスラム教(シーア派70%、スンニ派30%) | 33の島が橋で結ばれている。聖書にある「エデンの園」はここでは?石油と天然ガスの採掘が最大の産業となった。しかし埋蔵量が限られているため、石油化学、アルミ産業、造船、港湾と空港、金融センターなど多角化が進められている。 |
サウジアラビア王国 | 日本の6倍 | 2800万人 | リヤド | アラブ人90% | イスラム教100% | もともとはオアシスでのわずかな農業とラクダやヒツジの放牧程度であったが、油田が発見され、原油埋蔵量と輸出量は世界一。イスラム教の発祥の地で聖地メッカ・メディナを擁する。厳格な戒律は外国人の観光客にも厳しい。 |
クウェート国 | 四国と同じ | 344万人 | クウェート | クウェート人は32% | イスラム教(スンニ派70%、シーア派30%) | 世界有数の大産油国であり、石油産業は国有化されている。金融立国としても発展している。労働者の半数以上はアラブ系やアジア系の外国人である。 |
イエメン共和国 | 日本の1.5倍 | 2400万人 | サナア | アラブ人98% | イスラム教 | アラブの最貧国。労働人口の7割は農業に従事し、穀物、果実を産する。1980年代になって石油と天然ガスが発見されると輸出が急増し、2000年ごろから貿易収支は黒字になった。 |
☆アルアイン(アブダビ)
アルアインの街 |
アラブ首長国連邦・アブダビ首長国でアブダビ市に次ぐ都市。 海岸に立地するアラブ首長国連邦の他の大都市とは異なり、内陸のオマーン国境に接するオアシスに作られた都市である。人口42万人。 アル・アインの意味は「泉」、古くからオアシスとして親しまれ、商人たちの重要な中継地として栄えてきた。 アル・アインの郊外にラクダ市がある。 |
☆ラクダ市(アブダビ:アル・アイン)
ラクダは各地からトラックで連れてこられる |
ラクダの相場は、一頭当たり約15万円から |
ラクダの原産地は北アメリカ |
茶色いラクダはカタールから |
黒いラクダはサウジアラビアから |
白いラクダはスーダンから |
世話人は近郊の貧しい国からやってくる |
羊や山羊も売られている |
☆バスは砂漠地帯をひたすら走る
大型バスに乗り込む。運転手が降りたきり戻って来ない。今はイスラムのお祈りの時間との事、10分待たされる |
涸れた様な樹木ばかり |
所々にイスラムのモスクがある。日本のコンビニのように多い。 |
国境では2時間待たされる。オマーンのソハールまで |
☆オマーンの詳細
地理 経済 オマーンの鉱業の中心は原油生産で、輸出額の76.7%を占めており、天然ガスも産出する。 日本との関係 |
☆ ソハール
シンドバッドの船出した場所 ソハールの歴史は古く、何千年も前の遺跡が発掘されている。海のシルクロードの中継地として栄え、シンドバッドの船出した場所としても知られている。 6 〜 10 世紀には、中国、バクダット、インドと海上交易の中心地として繁栄していた。 街中ではインド、パキスタン人が多い。 |
ソハールの港 |
港にある魚市場 |
正午前、既に今日の営業は終了 |
昔の漁の模様が描かれている |
売れ残った魚 |
鯛の一種? |
? |
一帯で取れる魚 |
長〜い魚 |
この港からシンドバッドは出かけたという |
漁はこんな子船で行われる |
海に強いオマーン人 スペインよりも船での航海が早かったオマーン。船のマストを最初に造ったのはオマーン人。 バスコ・ダ・ガマの航海の水先案内人がオマーン人である。 |
千夜一夜物語はペルシアの物語 |
千夜一夜物語の一つ「シンドバッド」 |
千夜一夜物語の内容 妻の不貞を見て女性不信となったペルシャ(現イラン)のシャフリヤール王が、国の若い女性と一夜を過ごしては殺していたのを止めさせる為、大臣の娘シャハラザードが自ら王の元に嫁ぐ。 シンドバッドの冒険 むかしむかし、船乗りのシンドバッドという若者が、船に乗って商売をしながら島から島へと渡り歩いていました。 |
そしてしばらく飛び回ったのち、ようやく地面におりました。 シンドバッドは手早くターバンをほどいて、地面におりたちました。 ルフは丸太のような物をつめにひっかけると、どこかへ飛んでいってしまいましたが、よく見ると大きな大きなヘビでした。 そしてシンドバッドがおろされた所は、高い山と山との谷あいでした。 「さて、ここから抜け出すには、どうしたらいいかな?」 シンドバッドが考えながら歩いていくと、地面一面にダイヤモンドが転がってキラキラと光り輝いている所に出ました。 「わあ、すごいすごい!」 と、シンドバッドは喜びましたが、前にいる物を見てビックリ。 何と目の前にはゾウでも丸呑みにしそうな大蛇が、何匹も何匹もとぐろを巻いていたのです。 「このままじゃあ、大蛇に食べられてしまう。どこかへ隠れなきゃ」 シンドバッドはその夜、小さなほら穴に入って寝ました。 夜が明けるとすぐにこの恐ろしい谷間から逃げ出そうと、あちこち調ベて回りました。 すると突然、 ズシーン! と、大きなヒツジの肉が落ちてきたのです。 シンドバッドは腰が抜けるほどビックリしましたが、この肉はダイヤモンドを取る商人が投げたエサだという事がすぐわかりました。 まず、この肉の固まりにダイヤモンドがくっつきます。 そこへワシやハゲタカがエサにしようと、ダイヤモンドのくっついたヒツジの肉をつめにひっかけて山のてっペんまで飛んでいきます。 そして待ちかまえていた商人たちが大声あげておどかすと、鳥はビックリして肉を捨てて逃げます。 そのあと、肉にくっついてきたダイヤモンドを取るというわけです。 ズシーン! また、大きな肉の固まりが落ちてきました。 シンドバッドは近くに転がっているダイヤモンドの中から大きいのをポケットに詰め込めるだけ詰め込むと、肉の固まりをターバンで自分の体としっかりとゆわえつけました。 まもなく大きなハゲタカがまいおりてきて、肉の固まりと一緒にシンドバッドをつめにひっかけて山のてっペんにあがりました。 その時、騒ぎたてる人間の声がわき起こり、ビックリしたハゲタカは肉を捨てて逃げて行きました。 肉のそばへ走り寄った商人たちは、肉の下からはい出してきたシンドバッドを見て目を丸くしました。 シンドバッドは商人たちに今までの話をしてから、ポケットのダイヤモンドを分けてやりました。 商人たちは喜んでシンドバッドのために船を用意してやり、シンドバッドはその船に乗って、無事に自分の家に帰る事が出来たのでした。 おしまい |
☆ソハール・フォート
ソハール城 この城砦には博物館がある。 |
☆ソハールのホテル
お城に似たホテル |
ロビーには乳香が焚かれている |
ホテルのスタッフ |
一見コワモテ |
ロビーには国王の写真 |
昼食、前菜はサーモン |
アスパラのケバブ |
デザート |
プール |
オマーン湾に面してホテルが建つ |
42度の暑さ |
夕食、スープ |
ステーキ |
朝食、卵料理 |
コーヒーの器は特殊、右側が広く高い |
スプーン類もオシャレ |
銀製かな |
ホテル前の庭の花 |
同 |
同 |
☆一路マスカット(首都)へ
砂漠ばかりが目立つ中、集落があるとモスクが |
そして、時折オアシスが現れる |
オアシスがあると街がある |
砂漠の中に大都会が現れる |
石油が取れる国は緑も植える |
☆ルスタック城
オマーン北部の町ルスタックにある城砦。堅固な城壁に囲まれ、四つの塔とモスク、牢獄をはじめとする多くの部屋がある。 |
ルスタック城 |
オマーンの国旗 |
現国王サイード家の祖先 |
日本人のガイドさんは鶴田真由似 |
このギザギザから敵を迎え撃つ |
周囲はオアシスのナツメヤシ林 |
☆温泉! アイン・アル・カスファ
ルスタック城の近く、この川の水は温かい。気温が40℃以上なので?いや上流の温泉水の様だ。 |
この右側の岩から温泉がわいてくる |
右から温泉水が流れている |
はやる心を抑えて、足は源泉へと向かう |
露天風呂、湯加減は30度後半かな |
源泉が右からドクドクと |
温泉水は川へ流れ込む。ドクター・フィッシュが無数 | 足を入れると無数のドクター・フィッシュが寄ってくる |
足の角質を食べてくれるが、コソバイ! |
ドクターフィッシュの由来 温泉に入ったヒトの古くなった角を食べる習性があり、歯が無いため肌を傷つける事なくアトピー性皮膚炎・乾癬など皮膚病に治療効果があるとされ、「ドクターフィッシュ」の通称で知られる。 近年、日本でも皮膚病の治療効果が注目され、日帰り入浴施設などで「フィッシュ・セラピー」としてのサービスが提供されているが、 イギリスでは英国健康保護局によりHIVやHCVなどの感染症が見過ごせない感染率であることから各施療所に指導を行なっている。 |
川でドクター・フィッシュに角質を食べてもらうため、人が100m程並んでいる |
カップル? |
ナツメヤシ |
たわわに実が付いている |
☆ナハル城
小高い丘の上に建つ城塞は、国内有数の規模を誇る堂々とした建物。敷地は 約3500平方m。日干しレンガの建物には6つの塔があり、2分の1リアル紙幣にも描かれている。 造営されたのは4-6世紀の前イスラム時代(ジャーヒリーヤ時代)。現在の城塞になったのは17世紀といわれ、1990年に修復工事が終わった。 |
ナハル城 |
暑い日の見学はNO! と言いたいが・・・ |
駐車場にあるツーリストの車の絵 |
城内 |
似合いますね〜 |
城門には戦いでラクダ対策 |
さすがのラクダもこれには負ける |
三階 |
更に屋上へ、自然の岩山を利用している |
小さな大砲 |
来客接待室 |
部屋からはオアシスのナツメヤシが |
天井の模様 |
王の寝室 |
リビング・ルーム |
リビング・ルーム |
王妃の部屋 |
王妃の部屋 |
屋上 |
裏はオアシスと山、ナツメヤシは2万本もある。1本の木が1日25〜30リットルも水を吸い上げる |
☆ランチ・タイム
オマーンは意外とパンがうまい。小麦が農村地帯で取れるらしい |
前菜。料理はどこでも美味しい |
ラザニア。とにかく大きい。縦横15cm、厚さ5cm、完食者なし |
皿が大きいので小さく見えるがこれもすごい量 |
首都マスカットの手前の街、ゴルフ場併設の大きく立派なホテルのレストランでランチ・タイム。 日本人と見るや否や、30代の美人スタッフがつかつかとやって来た。にこやかに、懐かしそうに、笑顔がだんだんこぼれそうになる。中東地域のホテル・チェーンを定期的に指導の為に回っているようだ。 食事中、離れない。日本語で話したくてむずむずしているようだ。何処の国へ行ってもこの様なたくましい女性を多く見かける。男はほとんど見かけない。 今晩はどこにお泊りですか。 ハイ!マスカットのシャングリダです。 まあ〜素晴らしいホテルですわ! |
☆マスカット(首都)へ
旧市街 |
アラム宮殿 |
街並 |
マスカット・・・ マスカットはオマーンにある都市で、同国の首都。オマーン湾にのぞむオマーン最大の港湾都市で、政治、経済、文化、教育の中心。人口は85万人。 オマーンに上陸した初期の外国人としては、ポルトガルの探検家ヴァスコ・ダ・ガマがいる。1507年にポルトガルはオマーンを征服した。1649年ポルトガル勢を打ち負かし、マスカットを奪回。その後、ヤアーリバ朝はマスカットを拠点に東アフリカをはじめとするインド洋全域に進出し、マスカットはオマーン海上帝国の要として繁栄する。 1832年、アフリカのザンジバルを植民地化し、一時首都を置いたこともあるが、1861年ザンジバルは独立した。 |
ニッサンのショールーム |
トヨタのショールームは世界一の広さ |
ホンダ、他にマツダ、スズキもある |
岩と砂漠に緑を植えて街を作る |
マスカットの街は殆どが岩山 |
莫大なお金がかかる緑地地帯 |
マスカットはアラビア海のオマーン湾に面している。周辺は岩山と砂漠 |
☆超豪華ホテル・・・シャングり・ラ ホテルチェーン
「シャングリ・ラ ホテルズ&リゾーツ」は香港を基点として世界に72件のホテルをもつ。 ここオマーン湾に面したホテルは3か所、中国資本が建設し、オマーンの3人の王族に経営権を譲り、共同経営であるらしい。 |
ホテルの中庭 |
海に面して3つのホテルが、ビーチに沿って立地している。 |
3つのホテルを食べ歩き、本日はビュッフエ・スタイル。和洋中華 |
トッピングは意外と質素、会話で忙しくこれだけ |
帰りは岩山をくり抜いたトンネルを通る |
朝は何と日本人の為に和食を特別に。味噌汁は湯飲み茶わん。 ご飯の盛り方がユニーク、トーフとシャケ、佃煮。嬉しいな〜ルンルン |
オマーン湾は天然の入江 |
漁船やクルーザーが多数 |
マスカットの街は山間を走る |
☆ スルタン・カブース・グランド・モスク
市街地に入る右手にスルタン・カブース・グランド・モスクが周囲の山肌を背景にして目に入ってくる。 2001年5月,カブース国王臨席の下に完工式。 グランド・モスクの建物面積は40,000平方メートル,敷地面積は実に416,000平方メートル、モスクそのものの建設には30万トンのインド産砂岩が使用されている。 モスクには,5本のミナレットがあり,一番高いものは90メートルに達する。 男性礼拝所のドーム天井からは,モスクにあるものとしては世界最大といわれるオーストリアのスワロフスキー社製のシャンデリアが下がり、シャンデリアは,高さ14メートル、直径8メートル、重さは805トンもある。 世界第2位(第1位は、隣国アラブ首長連邦のアブダビにあるシェイク・ザイード・モスク)の大きさを誇るペルシャ絨毯も見ものである。 |
中央のミナレットは91.5mの高さを誇る |
イスラム文化の粋を集めたオマーン最大の美しいモスク |
シャンデリヤは高さ14m、幅8m |
モスクのスタッフも携帯電話、時代ですね〜 |
ペルシャ絨毯は4,263平方キロメートル |
モスクには珍しいステンドグラス |
壁にはコーラン |
イスラム教徒以外はコーランに触れない |
オマーンには1万4000のモスクがある |
イスラム教徒は手と足をここで清める |
☆乳香の木
自然史博物館の庭に乳香の木が保存 |
オマーンの国では乳香の木が殆ど無くなりつつある |
白樺のような樹 |
ここに傷をつけると樹液が出ますと係員が説明 |
枝にも樹液が、最初は白く、その後に赤く固まる |
固まった乳香 |
乳香の樹 |
|
乳香はボスウェリア属の樹木から分泌される樹脂のこと。 これらの樹皮に傷をつけると樹脂が分泌され、空気に触れて固化し、乳白色〜橙色の涙滴状の塊となる。乳香の名もその様子に由来している。 樹脂の性質は樹木の種類や産地によって大きく異なるが、良質とされるものの商業的な生産は主にオマーンで行なわれている。 中医薬・漢方薬としても用いられ、 鎮痛、止血、筋肉の攣縮攣急の緩和といった効能があるとされる。東方の三博士がイエス・キリストに捧げた3つの贈り物(乳香、没薬、黄金)の中に乳香がある。 |
ボスウェリア属植物の樹木 |
乳香 |
乳香の木は当今は隣国イエメンにしか無くなりつつあると言う |
☆マトラ・スーク
マトラ・スークは,マスカット発祥の地マスカット地区と並んで市内では商業地区として古くから発展していたマトラ地区にある。 スルタン・カブース港に面し,周辺にはマトラ要塞や魚市場がある。 |
乳香・没薬売場 |
袋詰めの乳香 |
ガイドの説明 |
乳香 |
没薬 |
☆イエス・キリストと乳香
東方の三博士の来訪、左はマリアに抱かれたキリスト |
東方の三博士(東方の三賢人ともいう)がキリストの誕生祝いに乳香を送ったという話。 『マタイによる福音書』に博士たちについて記されているが、「占星術の学者たちが東の方から来た」としか書かれておらず、人数は明記されていない。彼らはヘロデ大王(ローマ帝国初期にユダヤ地区を統治した王)に「ユダヤ人の王としてお生まれになったかた」について尋ね、ベツレヘムへたどりつく。彼らはイエスを見て拝み、乳香、没薬、黄金を贈り物としてささげた。 |
☆イエス・キリストと没薬
没薬の樹 |
没薬とはミルラという樹木から分泌される樹脂の事である。 商業的な生産には樹皮に傷をつけてそこから分泌される樹脂を集めたり、樹皮をはいでその下の樹脂層をかきとる方法が行われる。 古くから香として焚いて使用されていた記録が残されている。 また殺菌作用を持つことが知られており、鎮静薬、鎮痛薬としても使用されていた。 古代エジプトにおいて日没の際に焚かれていた香であるキフィの調合には没薬が使用されていたと考えられている。 またミイラ作りに遺体の防腐処理のために使用されていた。 ミイラの語源はミルラから来ているという説がある。 聖書にも没薬の記載が多く見られる。 出エジプト記には聖所を清めるための香の調合に没薬が見られる。 東方の三博士がイエス・キリストに捧げた3つの贈り物の中にも没薬がある。 没薬は医師が薬として使用していたことから、これは救世主を象徴しているとされる。 またイエス・キリストの埋葬の場面でも遺体とともに没薬を含む香料が埋葬されたことが記されている。 東洋においては線香や抹香の調合に粉砕したものが使用されていた。 |
スーク(市場)内は迷路 |
中東のあかし、帽子が並ぶ |
飾り物売場 |
☆マトラ地区
オマーンの首都マスカットは、 (1) 行政府のあるオールドマスカット (2) ビジネス街のあるルイ (3) 港に面し市場のあるマトラ の3つのエリアに別れており、それぞれのエリア間は山でさえぎられている。 その中でいちばん魅力的なエリアが「マトラ」である。 |
☆オールド・マスカット地区
王宮や政府官庁などオマーンの政治を担う中核の地区。 また、3 つの塔が美しいミラニーフォートも隣接している。 |
ジャラリーフォート |
ミラニーフォート |
オマーン湾に浮かぶ王の船 |
ダウ船 |
ダウ船は、イスラーム圏の伝統的な木造帆船。1本か2本のマストに一枚ずつの大きな三角帆を持ち、釘を一切使わず紐やタールで組み立てることが特徴。 体験乗船は湾を一周して50ドル。 |
☆マトラ・フォート
マトラの港を見下ろす小高い丘にある砦。 ポルトガルが基から築いたのはこのマトラ・フォートだけ。16世紀に築いた。 |
マトラ・フォート |
高台から見るマスカットの街 |
高い丘には見張り台 |
☆アムアージュの香水
世界で最も高価な香水ブランド「アムアージュ」 1983年、石油王・Sayyid Hamad bin Hamoud al bu Saidは、古くからアラブに伝わる香水技術を復興させるという夢を見ていた。 何と、原料は乳香を始め100種類以上を調合。 |
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アムアージュの店先に咲く花 |
アムアージュ |
紙に一滴つけて香りを・・・ムム〜ツ |
容器は女性用がモスクの建物、男性用は半月刀 |
おひとり様、お買い上げ〜 |
☆王 室
現在の国王は、イギリスの王立陸軍士官学校を卒業し、イギリス軍で軍歴を持った後1964年に帰国。 父である当時の国王サイード・ビン・タイムール・アール・サイードの保守的な政治制度(鎖国)に反対し、1970年7月にイギリスの支援を受けて宮廷内クーデターを起こして父国王を追放、自身が国王に即位した。 鎖国政策を放棄して1971年にはオマーンを国連に加盟させる一方、イバード派(イスラムの穏健派)のイデオロギーに基づくイスラム的伝統を堅持しつつ、国王の主導による近代化政策を強固に押し進めている。 親米派として知られる。父王の弟ターレク王子の娘ナワール王女と結婚したが間もなく離婚し、以後現在まで独身。子供はおらず、後継者も指名していない。趣味は乗馬。 現在流通しているオマーン・リアルの全ての紙幣に肖像が使用されている。 即位して40年、間もなく離婚して、その後独身の国王は国政に精を出し、近隣国でも有名な善政で通っている。 だからオマーンの国王は、絶対的に国民からの評判が良く好かれているという。 |
国王 カーブース・ビン=サイード |
王宮、国旗が上がっている時は国王が在宅のしるし |
☆オマーン元国王と日本人女性の愛
オマーンの元国王、日本人女性と知り合った頃 |
元国王と日本人女性との間に生まれた王妃 |
現在の国王 |
愛は砂漠を越えて・・・ 現国王スルタンカブースの祖父に当たるスルタン・タイムールは日本人と結婚しており、その子供ブサイナ王妃はオマーンに住んでいる。 70数年前、同国の タイムール元国王がお忍びで訪日し、神戸市の大山清子さん=当時(19)=と結ばれた。国王の権利を放棄しての、愛の為といえるだろう。当然、オマーンにも奥さんはいたことであろう。 だが、幸せは長く続かなかった。元国王がオマーンに一時帰国していた1939年11月、清子さんは 腎盂(じんう)炎で急逝。元国王は訃報(ふほう)を受け、神戸市に戻り嘆き悲しんだ。 以後、オマーンの王室で暮らしているが、いまだに独身であるという。当年73才。この様な経過があるためか、オマーンは日本に対し好印象を持っている。二人の愛がオマーンと日本の友好の懸け橋となっている。 |
☆オマーン料理
ある日の前菜 |
ハタ(魚)料理、量が多いのが特徴 |
シャングり・ラホテルノロビー |
朝食はビュッフエ・スタイル |
和洋中何でもござれ |
アラビア海に面したレストラン |
和食を急遽作ってくれた |
味が気になる料理長は陰から様子を見る |
☆オマーンの略史
☆マスカット(首都) → ニズワ(古都)
国道と平行して石油パイプ |
街の中には水塔、砂漠らしい風景 |
動画・・・砂漠を行く |
☆古都 ニズワ
ニズワ |
灌漑用水路 |
オマーン第 2 の都市であり人口6万人、内陸部の中心都市。 町の周囲にはオアシスが点在し、デーツ(ナツメヤシの実)やバナナ、レモン、野菜などが育てられている。金曜になると、デーツ、野菜、干し魚等の売買に多くの人がこの町にやってくる。 ニズワ周辺には、ファラジュ・ダリス(灌漑用水路)がある。 |
☆シャブリン要塞
ニズワからさらに西へ50km行くと、オアシスに出来た町ジャブリンへ着く。
町外れにある城砦ジャブリンフォートは、オマーンにあるフォートでも、平地に建つ珍しいフォートである。夏の宮殿。 1671年に建造された、最上階は住居があり、コーラン学校も併設。 要塞の脇でもデーツが栽培され、無数の実をつけている。 |
シャブリン城 |
シャブリン城 |
学校も併設 |
棚にはコーラン |
天井の模様が綺麗 |
オアシスのナツメヤシが城の周りに |
このナツメヤシが食料として重要であった |
屋上 |
敵から守る為窓は小さい |
更に小さな窓 |
オマーン国旗 |
当時は馬が重要な戦闘乗り物 |
☆バフラ城
オマーンのかつての首都ニズワから西へ40km、首都マスカットから約200km。バフラBahlaは、世界遺産にも指定されているバフラフォートと陶器の産地で名高い。 12kmの城壁に囲まれており、オマーン版「万里の長城」と言える。 アラビア半島で一番大きな城。 |
バフラ城 |
城の後方は崩壊 |
12kmの城壁は、ミニ万里の長城 |
オマーン最高峰のジュベル・シャムス(標高3075m) |
アル・ハムラ村の灌漑用水路 |
ここにもドクター・フィッシュが |
☆アル・ハムラ村
大昔の泥の家が立ち並ぶ |
殆どが空き家、崩壊するので退去させられた |
近くには、国から新しい住居を与えられる。 |
この辺はユニークな山が |
山の頂上は殆どが斜め |
ニズワに宿泊、ウエルカム・ドリンク |
スープはマッシュルーム |
OASISの水 |
ナンと野菜ケバブ |
カレーはハタ(魚)入りでナンと一緒に |
☆ニズワ城
オマーンに数多くあるフォート(砦)の中でも有名で、 四方八方に銃砲、外敵を防ぐ重厚な大砲、フォートからは、ナツメヤシの木が生い茂る景色が一望、オアシスも点在する。 フォート内には敵の侵入を防ぐための工夫として、曲がりくねった狭い通路、カムフラージュの通路や扉、上から熱湯や煮えたぎった油をかけたり、井戸に落ちるような仕掛けもある。 |
ニズワ城とスークが並んでいる |
ニズワ城、17世紀に造られた |
入口看板 |
水は吊るしておくと冷たくなるという |
城内の井戸 |
水の確保にはオアシスの近くが立地条件 |
屋上のギザギザから敵を矢や鉄砲で攻める |
大砲もある |
☆ニズワ・スーク(市場)
男性ばかりが目立つ |
ナツメヤシ(デーツ)売り |
大胆にも枝ごと売っている |
乾燥すると、こんな風 |
食べ頃か調べる |
ザクロ売りのオジサン |
ザクロ売り |
ザクロを切るとこんな感じ |
魚市場 |
呑気そうなお兄さん |
退屈そう |
野菜・果物売り場 |
ピーマンが大きい、暑いためか? |
この市場は女性が働いていない。そう、イスラムだから人前には出ないのか? |
壺売場、水を入れるのだろう |
モスクのオモチヤ |
各種香辛料 |
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城の小さなスペースで野菜が作られる |
☆再びアブダビへ戻る
世界で第4番目の規模:シェイク・ザイード・ビン・スルタン・アル・ナヒヤーン・モスク (アブダビ) |
このモスクは、サウジアラビアのメッカにある世界最大のグランド・モスク(100万人収容)、同メディナ(100万人収容)にある第2位の預言者のモスクと異なり、イスラム教徒以外の入場も認めている。 最大の呼び物は、一度に9000人が祈りをささげられる巨大な祈とう室にしつらえられた、世界最大と言われる6000メートル四方の手織りのペルシャ絨毯。イランの女性1200人以上が2年がかりで織ったもので、重さは45トン、価格は850万ドル(約9億円)以上という。 総工費44億円。 |
絢爛豪華そのもの |
ミナレットの黄色いのは全て金 |
天国? と思われそうな美しさ |
芸術品といえる |
床は全て大理石 |
床の模様 |
大きな下手箱が左右に |
天井のシャンデリア |
世界最大と言われる6000メートル四方の手織りのペルシャ絨毯 |
豪華シャンデリアが3つ |
一流ホテル以上の豪華さ |
まばゆいばかりのシャンデリア |
重さは45トン、価格は850万ドル(約9億円)以上 |
ピッカピカのシャンデリア |
トイレにはエスカレーターで地下へ |
体を清めて |
トイレも何十人も使える |
腰かけ、温水シャワーはありません |
夕方はライト・アップ |
☆世界の三大モスク
第1位:マスジド・ハラームまたはグランド・モスク(サウジアラビア・メッカ) 100万人収容 |
第2位:預言者のモスク(サウジアラビア・メディナ) |
第3位:ハッサン二世モスク(モロッコ) |
旅を終えて・・・ とにかく暑かった。連日40度以上、湿度が高い時は体感気温が45度程度に感じられた。 砂漠ばかりが印象に残った。緑は無いし水もオアシス以外皆無。農業をするにも限られてくる。石油があるから、隣国ドバイやアブダビは海水を水にして緑の樹林を作り、そして農業も出来る。 乳香の樹木も見た。シンドバッドの港も見た。 感心したのは、国王のひたすらながらの国作りの熱意が感じられた。 どこかの国のトップたちに聞かせてやりたい言葉である。荒涼とした国土、砂漠しか殆ど見当たらない国に一筋の光が見えた。国王という星が。 |