オランダ(正式名 ネーデルランド王国)旅行記
オランダ:「キューケンホフ」のチューリップ公園
オランダ位置図 旅行図
2010年4月、チューリップの咲く頃の時期、オランダを中心にベネルックス3国(オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ)の旅企画をした。 オランダ旅行の主目的は、チューリップはもとより、世界の三大名画であるレンブラントの「夜警」やゴッホ等の絵画鑑賞、運河や風車、中世の建物群、そしてオランダはビールの世界的に美味い国、これらを楽しみに出発する。 オランダ基本情報 ・面積 九州とほぼ同じ ・元首 ベアトリックス女王 ・宗教 カトリック28%、無所属43%他 ・人口 1600万人 ・政体 EU(欧州連合)加盟 ・言語 オランダ語 ・首都 アムステルダム(人口76万人) ・民族 ゲルマン系オランダ人80% ・産業 家庭用品(ユニリーバ、ハイネケン)、天然ガス(シエル)、電気製品(フィリップス)、農業製品(チューリップ、野菜、乳製品) |
◎ オランダの歴史概略
年 代 | 概 略 | 年 代 | 概 略 |
5世紀 | ローマ帝国からフランク族(西ヨーロッパを支配していたゲルマン系の王国)へ | 1839 | ベルギー、オランダから独立 |
963 | フランク王国分裂(ルクセンブルグの起源開始) | 1867 | ルクセンブルク、オランダから独立 |
1477 | オーストリアのハプスフブルク家が支配、独立 | 1914 | ドイツ軍侵入、国土の大半占領 |
1596 | 英・仏、オランダの独立承認 | 1940 | オランダ、ドイツ軍に降伏 |
1602 | オランダ東インド会社設立 | 1945 | ドイツ敗戦でオランダ開放される |
1652 | 第1次、2次、3次イギリス・オランダ戦争 | 1949 | 植民地のインドネシアを解放 |
1798 | オランダ東インド会社解散 | 1980 | ベアトリックス女王即位 |
1815 | ベルギーを加えたオランダ王国成立 | 2002 | 欧州統一通貨ユーロ導入 |
オランダ東インド会社とは・・・ オランダは、ハプッスブルグ家により、スペイン同様支配されていた。以後スペインからの占有から独立を果たす。 しかし、スペインに対しての反乱を継続中であったオランダは、スペインの貿易制限、船舶拿捕などの経済的圧迫に苦しんでいた。当時、東南アジアの香辛料取引で強い勢力を有していたポルトガルが、1580年にスペインに併合されていたことで、ポルトガルのリスボンなどを通じた香辛料入手も困難になっていた。 こうした中、オランダは独自でアジア航路を開拓し、スペイン(と併合されていたポルトガル)に対抗する必要があった。1595年から1597年までの航海を通じてジャワ島のバンテンとの往復に成功を収めると、いくつかの会社が東南アジアとの取引を本格化させた。しかし、複数の商社が東南アジア進出を図ったために現地(東南アジア)での香辛料購入価格が高騰した上、本国(オランダ)で商社同士が価格競争を行ったため売却価格は下落する一方であり、諸外国との経済競争を勝ち抜く上で不安が残された。さらに、1600年にイギリス東インド会社が発足したことは、この懸念を深めさせた。その後、イギリスとは香辛料争奪で第1次〜3次戦争につながる。 1602年3月20日にオランダ東インド会社が設立され、世界初の株式会社といわれる。会社といっても商業活動のみでなく、条約の締結権・軍隊の交戦権・植民地経営権など喜望峰以東における諸種の特権を与えられ、アジアでの交易や植民に従事し、一大海上帝国を築いた。資本金約650万ギルダー、本社はアムステルダムに設置され、重役会は17人会と呼ばれた。18世紀末に政府により解散させられた。 |
◎ 出 発
今回は中部国際空港から出発 空港前の「東横インホテル ホテルロビーは朝の軽食無料サービス
東横インホテル 東横インは、日本各地ならびに大韓民国、中国に展開する日本最大手のビジネスホテルチェーン。ホテル数250件内外、社員1400人。 行政による検査後に、違法改造によって国に指導を余儀なくされたが、その後ますます販路を広げている。 客室に備え付けてあるセーフティボックス、テレビ、冷蔵庫、加湿器付き湯沸しサーバー、シャワートイレ、ボディーソープ、シャンプー、リンス、アメニティセット、ズボンプレッサー、ドライヤー、バスタオル、タオル、ナイトウェアー、スリッパは無料で使用できる。 持ち込んだノートパソコンでの無線LANによるインターネット接続、ロビーの電話から全国固定電話への通話が可能であり、朝刊も無料。基本的に従業員は女性が中心となっている。だから応対はソフト。 無料の朝ご飯やパン、副菜など以前より種類が豊富となっているし、コーヒーも無料。徒歩圏内や併設して、コンビニエンスストアや飲食店がある場合が多い。 何より料金がシングル片手程度というのが、貧乏人にとり助かる。 ヨーロッパ等の先進国のホテルは、5つ星でも室内設備(アメニティセットも無い所が多い)や、サービスの良くない所が多い。歴史と設備を大切にするのは理解するが、納得は出来ない。何となく古代建物に胡坐をかいているような気がする。このような所に「東横イン」のような効率経営のホテルが進出すると人気が出るだろう。まして、日本人の勤勉さ、綺麗好き、奉仕の精神等は指示されるだろう。 今や、中国がアフリカを始め、発展途上国へ怒涛の如く、例の傍若無人で進出している。それなりに軋轢も生じているようだ。日本の経営ノウハウはあるのであるから、どんどん進出すると良い。仕事が無いと、弱気な若者を海外に送り込むべきだ。そうすると、人生観も変わるし、視野も広がる。 世界のどの国へ行っても、トヨタやパナソニックの看板を発見すると、どこか安心感がある。日本人がいるのだと。日本大使館や領事館は敷居が高いが、これらの企業はこれらに変わって精神的安定剤の代わりを果たしていると思われる。 日本企業よ、「東横イン」に続け〜。 PS: それにしても、中国人はすさまじい。中部国際空港前の東横インに、団体で200人程度宿泊していた。朝の朝食場所は大声、ロビーを大挙して歩くし、騒々しい事極まりない。今や、中国は経済大国で、海外旅行するのは金持ちばかりと聞く。金持ちは庶民が泊まるホテルになぞ泊まらないで〜!! |
埋め立ての中部空港 早くも開業5周年 レストラン街には「風の湯」 帰りに入ろう! さすが名古屋、トヨタ車が
◎首都アムステルダムへ
安売りのフインランド航空で。中部〜フインランド(ヘルシンキ)〜オランダ:スキポール空港へ。 11:00発、24:30到着(飛行時間13時間半) 時差7時間。
先ずは、首都アムステルダムへ アムステルダム中央駅 東京駅はこの駅を参考にした
アムステルダムは「水の都」、165の運河と1300の橋が。景観が素晴らしい。 ロシアの都市サンクトペテルブルグも参考にしている。
市民の交通はこの船や、自転車が中心。自転車は家族が1台づつ持っている。オランダは山・坂が殆ど無い。
動画 オランダ:アムステルダム市街 http://www.youtube.com/watch?v=gdEOh05OY5U
自転車専用道路、歩行者より優先される。自転車用信号機もある。 ホテルのロビーのポスターに、どっきり! 街には風車が多い。環境重視。
◎ アムステルダムから、風車の街「ザーンセ・スカンス」へ
オランダの国土の1/4は海抜0m以下。 街の至る所に運河、水路が。風車で水を処理。 カトリックの教会が絵になる
観光用風車 オランダは昔、木靴 風車の土産物
木靴は種類が多い 昔の木靴製造模様
絵になる風車。羊、馬、カモが沢山
木靴は今や機械化 怪物君の靴 オランダは乳製品の国、国民の平均身長は190cmで世界一。乳製品が原因とか。
チーズにマスタードを付けて食べると大変美味!(右の写真)
◎ オランダのローカル景色
オランダの街並みはどこも綺麗
農村地帯
農村も運河、運搬は船が多い
今でも活躍 オランダはベルギーと共にビール王国、200以上の種類がある。 ホテル近くの運河
絵画コーナ
過去、世界の三大名画である、「宮廷の女官たち」、「モナリザ」の2箇所は見学済み。 残るレンブラントの「夜警」を見るため、長年待ち望んでいた。 そして、オランダはゴッホ、フェルメールの出身地、有名画家の筆のタッチをしっかり眺める事にした。 |
◎ 世界の三大名画 : その1 「夜警」 レンブラント オランダ・アムステルダム国立博物館収蔵
レンブラントの自画像 |
「夜警」 |
かつてオランダの1000ギルダー紙幣にその肖像が描かれていたという、オランダの代表的な画家。 ゴッホがもっとも敬愛したという言う。 レンブラントは、生涯40点にも及ぶ自画像を描いたゴッホとともに、多数の自画像を描いている。 アムステルダムは自画像の街といえる。 | この絵画は次の三つの要素のために有名である。まずその巨大さ(縦3メートル、横4メートル)、次に光と影の効果的な使用、そして当時は不動の姿勢で描かれた軍隊や自警団の集団肖像画に動きの要素を取り入れたことである。 当時この絵は、火縄銃手組合からの依頼で描かれた作品だったが、登場人物の各人が同じ金額を払ったが平等に描かれておらず、何も関係のない少女を目立たせたため物議をかもしたという。この作品の後、レンブラントへの注文が激減して、最後は破産して破滅する。 |
およそ3時間見ていた。ゴッホ館は歩いて博物館から10分
◎ ゴッホについて
こちらも3時間見学
◎ 世界の三大名画 : その2 「宮廷の女官たち」 ベラスケス スペイン・マドリド プラド美術館収蔵
プラド美術館(左はエル・グレコ、右はピカソ自画像で特別展) マネが「画家の中の画家」と呼んだベラスケスは、スペイン絵画の黄金時代であった17世紀を代表する巨匠である。 画面向かって左には巨大なキャンバスの前でまさに制作中のベラスケス自身の姿が誇らしげに描かれている。 このように当時の画家は自分をも描いていることが多い。 スペインの代表的な画家は、グレコ、ゴヤ、グレコ、ダリ、ピカソ、ミロ、そしてベラスケスらがいる。
ベラスケス
◎ ゴヤについて
2004年、プラド美術館は写真持込が許されていた。見学者の一番多 かったのが、このゴヤのマヤの絵、どきりとするような絵であった。 ベラスケスとともに、スペイン最大の画家。 着衣と裸の絵には、いわくがあると言う。 | |
| 裸のマヤ |
◎ ピカソについて
スペイン:ピカソ美術館 | ピカソ通りの壁は落書きで一杯。歓迎しているのか? |
ピカソ 代表的なピカソの絵 | 生涯におよそ13,500点の油絵と素描、100,000点の版画、34,000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家であるとギネスブックに記されている。 ピカソは10才半ばで絵を教えていたという。スペインを離れフランスに行き、売れなかった頃は、レストランの食事のつけをメニュー描きでしのいだ事もある。 いかにもラテン系のピカソはプレイボーイ。何度も結婚、愛人も多数。 晩年はファンボールやベニヤ板にまで描いている。ピカソ美術館に貴重な絵として残っている。厭世観からではないかとも云われている。 |
|
◎ 世界の三大名画 : その3 「モナリザ」 レオナルド・ダ・ヴィンチ フランス:パリ ルーヴル美術館収蔵
フランス:ルーヴル美術館 |
モナリザ 最後の晩餐 |
レオナルド・ダ・ヴィンチ | 絵画、彫刻、建築、土木、人体、その他の科学技術に通じ、万能の天才という異名で知られる。 |
絵画コーナー終わり
アムステルダムのスーパー・レジ 商品を台に乗せるのが客の仕事 日本のテンプラ粉、寿司米まである
チーズコーナは沢山 街は桜が満開
夕食はソーセージとポテトに当然ビール。ドイツが至近距離なので同じ料理。 郊外のチューリップ畑
◎ チューリップの街「キューケンホフ」
入口 オランダ娘が迎えてくれる
動画 オランダ チューリップ畑 入口 http://www.youtube.com/watch?v=j5Z_BmJfruk
入口から橋を渡るとチューリップ畑(桜が美しい)
何だか不明の花、綺麗!
◎さア〜とっくりとご覧下さい、チューリップ!
見てくれ、とばかりに主張しています。 貴方はつつましい。 いかが!と仰ってる。
楚々としています。 黄色に赤、青は?(交通信号ではありませんね)
キューケンホフは、チューリップの絨毯を敷き詰めたようだ。近辺の農家は、チューリップの球根を育てるため、咲いたらすぐ花を摘み取る。そこで、球根栽培のプロ達が、花ならここでどうぞと造ったのが、ここ「キューケンホフ」、花業者が自慢の花を持ち寄る。 その数700万株、直径15cmのもの、黒いチューリップもある。屋内で殆どが見られる。屋外は池や風車、吊り橋、散歩道、レストラン、カフェがあり、白鳥、水鳥が多数泳いでいる。 チューリップはオランダが発祥の地と勘違いしている人が多い。原産地はイラン、カザフスタン、中国の西あたり。トルコも国花にするほど、栽培が多い。 オランダにはオスマン帝国時代に持ち込まれている。日本では富山県、新潟県が国内生産の98%を占めている。 チューリップはオランダでは食用にも栽培されているが、毒性もあり気をつけねばならないそうだ。綺麗な花にはトゲは無いが、毒がある。綺麗な女性と同じですね〜。 |
見て、見て!と両手を広げて。 ムムツ、曲者! ウワア〜
ハイ、綺麗です。 恥ずかしそう! よそ見しちゃダメッ。
動画 オランダ チューリップが一杯! http://www.youtube.com/watch?v=dsmq20iUCeM
お喋りチューリップ。 ツボミはいいね。 幸せそうだね〜
何か訴えそう。 あっち向いて、ホイ。 こっち向いて、ホイ。
高嶺の花です。
赤と白のブルース 写真、どれを撮ったか分らなくなります。
これは、チューリップではないでしょう。
この展示もよいね。 何?
ありました、黒いチューリップ。 新婚さん。ヨーロッパは屋外に出て市民に見てもlらいます。 鳥はそ知らぬ顔?
展望の風車 運河にかかる跳ね橋 周囲にはズラリとチューリップ農家。
動画 オランダ チューリップと風車 http://www.youtube.com/watch?v=-yxF829zoWE
日本庭園もあります。 何でしょう。
白鳥の湖
水鳥 白鳥が沢山 一休み、一休み!
動画 オランダ チューリップ畑 http://www.youtube.com/watch?v=5uuSQ_8rtfs
絵になります。 ポエムです。パラダイスです。天国です。
◎ デン・ハーグ(政治の中心地。13世紀の建物群)
ビネンホフ=由緒ある建物に囲まれ、食事とビールが美味しい。そしてジン、オランダがジン発祥の地でした。
マウリッツハウス王立美術館 国連機関や政府の奇抜な建物
◎フェルメール「真珠の首飾りの少女 オランダ:デン・ハーグ マウリッツハウス王立美術館
ヨハネス・フェルメールは、17世紀にオランダで活躍した画家。レンブラント、ゴッホと並びオランダ美術を代表する画家とされる。 人物など作品の中心をなす部分は精密に書き込まれた濃厚な描写になっているのに対し、周辺の事物はあっさりとした描写になっており、生々しい筆のタッチを見ることができる。この対比によって、見る者の視点を主題に集中させ、画面に緊張感を与えている。 少女の髪や耳飾りが窓から差し込む光を反射して輝くところを明るい絵具の点で表現している。 また、フェルメールの絵に見られる鮮やかな青は、フェルメール・ブルーとも呼ばれる。 当時、オークションでたった2ギルダー30セント(およそ3000円)でこの絵が売買されたが、現在取引きされると100億円とも150億円とも言われるそうだ。 | |
デン・ハーグは北海が近く、新鮮な魚介類が多い。ニシンの刺身、これは美味かった。 こちらはニシンのフライ、まあまあですか。 美術館前の小学生。
◎ ロッテルダム(オランダ第二の都市)、そして世界遺産キンデルダイクの風車群へ
一路、ロッテルダムへ。 19基の風車が保存。 今は殆ど観光用。
風車の話 今は殆ど使われる事がなくなった風車、何の目的で造ったか、第一に粉ひきよう。ひいた粉はパンになる。風車1基で、2000人分をまかなったそうだ。 19世紀、風車が活躍した時は、オランダ全土に9000もの風車があった。 そして、2番目には排水用。海抜0mが国土の1/4のため、オランダは常に水との戦い。湧き出る水を風車の水揚げ機で運河に流す。大型の風車は普通の家の5〜6階建ての高さである。 |
オランダ編 終わり