パキスタン紀行

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パキスタン名物:デコレーション・バス(通称デコ・バス)

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日本からは近いようだが、10時間はかかる。

南のカラチから、首都で北にあるイスラマバードまで車の旅

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 最初に・・・・・

 2011年12月、今年最後の訪問国はパキスタン。
パキスタンといえば、西側隣のアフガニスタンと同様イスラム国家である。それも厳格なムスリム国家である。
 パキスタンの刑法は、ムスリムが預言者とみなすムハンマドの名を冒涜する誰もに死刑命じているし、大統領はイスラーム教徒以外になれないという差別規定が現在まで存続している。

 治安も決して良くないらしいが、あるツーリストがパキスタン旅行には自信を持っていると言うので参加した。
しかし、最大の見どころである「モヘンジョダロ」界隈は、以前危険であったので警察がバスに乗り込み安全を図るので安心です。とは言え、安心できないが、人生何事も冒険! とおかしな理由をつけて決行する。

 パキスタンと言えばもうひとつ、世界の高峰 K2 がある。バルトロ氷河トレッキングに未だに行けていない。少しは情報を仕入れてきたい。

 ワンポイント情報

 ・正式名     パキスタン・イスラーム共和国    ・元首     ザルダニ大統領
 ・面積       日本の2倍                ・民族     パンジャーブ人他
 ・人口       1億8,000万人              ・宗教     イスラム教」95%
 ・首都       イスラマバード(人口112万人)    ・言語     ウルドゥ語、英語他
 ・通貨       パキスタン・ルピー(1RS=2円)   
 ・経済       農業や綿工業 、 小麦の生産が盛んで世界生産量第4位。
           輸出品は米、繊維製品。

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     ☆ 出 発

成田〜北京〜イスラマバード〜カラチ 計15時間

パキスタン航空直行便

パキスタン国旗

Pakistan International Airlinesの略

機内にある新聞。自慢じゃないが全く読めない。

何時間経過しても消えないベルトサイン、忘れてる? それとも神の指示なのか?

 イスラーム色

 飛行前に必ず機長によるコーランの祈りがあり、安全飛行を乗客全員で祈願する。日本人は何のことか分からないが・・・
日本で言えばお経のような、まことに不思議なトーンである。
 
 
また、機内アナウンスで、「当機はまもなく成田国際空港に着陸します、インシャッラー」などとアナウンスされるが、この「インシャッラー」も「もしアラーが望まれれば」というコーランの一説の引用であるらしい。

パキスタンはイスラム、豚肉はご法度、チキンです。

2度目もチキン、カレー味。酒はなし。

3度目は軽食。

 イスラム圏の国はアルコールは絶対禁止

 機内販売はもちろんない。持ち込みも睨まれるので機内では飲めない。その代わり、トランクには各種アルコールを詰め込んできた。
 今回はクリスマス、年末年始を旅行中に迎えるのである。クリスマスにはワインは必需品だ。キリストもパンとワインで「最後の晩餐」をしている。日本の神社、寺も酒が無ければ神仏に睨まれる。神と神の板挟みにあったが、やむを得ない。

 ところが、機内のパキスタン人が平然と数人でビールを飲んで騒いでいるではないか。しかも缶ビール1人10本程度は飲んでいる。
 隣の席の男子パキスタン人が日本語を話せるので聞いてみた。しかめっ面をして「困ったものだ・・・」と言う。
 やはり酒も豚肉も.・・女性も・・・

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      ☆ カラチ

 カラチは、パキスタン南部、アラビア海沿岸にあるパキスタン最大の都市、人口は1,308万人。

 1947年、パキスタンが独立を達成すると、カラチはパキスタンの首都となり、インドからムスリムが多く移住した。独立直後の人口移動により、カラチは、急速に人口が拡大するとともに、パキスタンにおける政治・経済の中心として機能するようになった。

 その後、1959年に首都はイスラマバードに移っているが、イギリス統治時代の重厚な赤砂岩の建物はカラチの見どころである。

治安の為、ホテルには必ず警察が警備

屋根にはカラスも警備?

ロビーのクリスマス飾り、イスラムではクリスマスはないが、観光客のため。

12月でも日中は気温30度

街中に南国の花

夜は気温10度程度

カラフルなバス、屋根にも多数の乗客

パキスタンはほこりがひどい

レトロな馬車も走る

政争の国パキスタン、国中に政党の旗

国立博物館

撮影禁止

パキスタン名物デコバス

古いのでドアは閉まらない

三輪車も市民の足

ドアに立つ乗客

バイクが非常に多い国

警笛の鳴らし合い、騒音で頭が痛くなる

衣服の青空市

埃だらけの街、新しいのか古いのか分からない

地べたりあんも多い

エンジンなし四輪移動販売車

屋台の果物屋

見てくれ、俺の車、カッコいいだろう!!

模様にもこだわりがあるそうで

馬もロバもこの国では働き手

橋の欄干にウルドゥ語の落書き

旅の途中、デコトラ、デコバスで退屈しない

無地の車は珍しい

ダンプカーもデコレーション

横綱の化粧まわしみたい

タンクローリも化粧

パキスタンの主要暖房は薪

新聞でくつろぐ

車の修理工場が多い

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    チャウクンディの墳墓群

 チャウクンディの墳墓群は15世紀から18世紀に建てられた墓の集合で、カラチから29kmに位置している。

 チャウクンディはシンド語で「四角」を意味し、砂岩で造られた四角い墓石がビルのように林立している。

                                               チャウクンディの墳墓群

CHAUKHNDI TOMBS の看板

600年前の墓

砂岩でできた綺麗な模様

日本では室町時代

珍しい木が1本

拡大

サービスエリアのガソリンスタンドにも銃を持った警官この国はバイクの定員はない様だ。家族全員が定員

バスの前を行く、サトウキビ運搬車

2010年、パキスタン大洪水は未だに水が引かない。ここは元は畑

本日の昼食はカレー料理、昨日も明日もカレー料理、香辛料がね・・・

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       ☆ タッタ

    タッタのマックリー・ヒル

 タッタに残るイスラム世界最大のネクロポリス(墓地)。

イ ンダス川のデルタ南部に位置するタッタは、14〜18世紀に交易都市として栄えた。
 18世紀半ばにはペルシアに滅ぼされるが、15k平方メートルの面積を誇るタッタマックリー・ヒルには、3つの王朝(サンマー・アングン・ムガール)時代の王や聖者など100万を超える人々の墓が残っている。

 イスラム世界の中でも最大級のネクロポリス(墓地)で、1981年、タッタの歴史的建造物は世界遺産に登録されている。

                               マックリーヒル最大、ミールザー・イーサー・ハーン廟。

タッタの街からは少し離れている

ミールザー・イーサー・ハーン廟

壁の青いタイルが美しい

天井の模様は青と茶色、円錐模様が素晴らしい

観光に来たのかパキスタン女性

建物の傍らで観光客相手の「コブラ使い」

この国では幼い子供のころからコブラの使い方を習う

マングースがマムシをとらえる

      動画  パキスタンのコブラ使い

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   ☆ハイデラバード

 現在はハイデラバード県の県庁所在地である。香水の都として知られ、「街の街路が香水で毎日洗い清められた」という伝承にちなみパキスタン建国以前には「インドのパリ」とも称された。人口150万人。

 ハイデラバードの気候は気温・湿度ともに高い。同地域のシンディー語文学運動の舞台となり、多くの詩人の生誕地でもある。文化と伝統に恵まれ、世界最大の腕輪 (バングル) 生産地でもあり、シンド州の都市部と地方を結ぶ交通の要所である。

稲わら自動車は車が見えない位積んで走る

本日のホテルは、その名も「インダス」

銃を持った警備員が数人、緊張が走る

東南アジアの建築現場は1階づつ上げていく

国道わきの花の市

Hyderabad (ハイデラバード) の標識

ハイデラバード郊外のジプシー・テント  2年前の洪水で未だ動けない

ジプシーと言うよりも、難民

パキスタン経済は75%が農業。サトウキビ畑が続く

ナツメヤシはパキスタンの主要農産物

 ナツメヤシ

 ナツメヤシはヤシ科常緑高木。果実(デーツ)は北アフリカ中東では主要な食品の1つであり、この地域を中心に広く栽培が行われている。
 
雌雄異株。樹高は15-25mで、単独で生長することもあるが、場合によっては同じ根から数本の幹が生え群生する。は羽状で、長さは3メートルに達する。葉柄にはとげがあり、長さ30センチ、幅2センチほどの小葉が150枚ほどつく。実生5年目くらいから実をつけ始める。樹の寿命は約100年だが、場合によっては樹齢200年に達することもある。

 イスラム諸国では、デーツと牛乳は伝統的にラマダーン期間中の日没後に最初に取る食事である。
また、長期保存ができ、
砂漠のような雨が少ないところでも育つため、デーツは乾燥地帯に住むサハラ砂漠遊牧民オアシスに住む人たちにとっても大切な食料となっている。
 果物としてはカロリーも高いため、主食として主たる
炭水化物源食物とすることも容易であり、遊牧生活を送るアラブ人であるベドウィンは、伝統的に乾燥させたデーツと乳製品を主食としている。

ナツメヤシの果実(デーツ)

ナツメヤシ専門店

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     ☆ハラ・バザール (ハイデラバード)

ハラ・バザール(市場)は市民の市場

輸送はロバ

アーケード街

樹脂で編んだ民芸品、カラフル

じゅうたん屋、女性の大きなスカーフは500円

荷が入ってきた

おどける店主

おどける店主が写真を撮れという

土器もカラフルな模様

皿や花瓶

写真を撮ってほしくて離れない少年たち

大人も撮ってほしい

皆、写真を撮ってほしい。カメラが普及していない

ドライブ・インの男性トイレ

小麦畑

 パキスタン農業の主要作物

    1.小麦  2.サトウキビ  3.綿  4.菜種  5.米  6.ナツメヤシ  7.マンゴー

ドライブインでひよこ豆の作業をする少年

ドライブインで休憩する運転手。写真を撮ると喜ぶ

飾りも撮れという

トラックの後ろの絵も撮れという

レストラン

屋外レストラン、この上に胡坐をかいて食事をする

この時期12月はサトウキビの生産月

菜種畑が美しい

      ☆ パキスタンのサトウキビ状況

サトウキビの上位10カ国

   国名

単位:1000 t

1.ブラジルの旗 ブラジル422,926
2.インドの旗 インド232,300
3.中華人民共和国の旗 中国87,768
4.パキスタンの旗 パキスタン47,244
5.メキシコの旗 メキシコ45,195
6.タイ王国の旗 タイ43,665
7.コロンビアの旗 コロンビア39,849
8.オーストラリアの旗 オーストラリア37,822
9.インドネシアの旗 インドネシア29,505
10.アメリカ合衆国の旗 アメリカ25,307
世界の総生産量1,011,581
出典:
国際連合食糧農業機関

  パキスタンは世界第4位のサトウキビ生産国ながら、生産が消費に追い付かず、輸入に頼っている。


 その原因は
1.イスラム圏はラマダン月(断食)に、日中の断食が終わると、夜に反動で多量の食事をする。特に甘い物をとるため、多量の砂糖が  必要となる。

2.サトウキビ地主(パキスタンの農場は殆どが金持ちの地主が所有で、小作人が劣悪な労働条件で雇われている)は、国内の安い価格で販売したくないので、価格の高い輸出に回す傾向が強い。

3.パキスタンの国民性で、何でも甘い物をとる習慣が強い。

4.政治の仕組みが弱くかなりの部分が、政府や関係機関の汚職で、需給のバランスが崩れているようだ。

5.相次ぐ大洪水や温暖化で気候変動が激しい。

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    ☆ パキスタンのドライブ・イン

左下がチャパテイ(ナンより薄く主食)、チャーハンもどきとカレーが主流だが、油と香辛料で2〜3日すると殆どの日本人は胃腸を壊す。飲み物はチヤイ(ミルク紅茶)。アルコールは絶対ない!

パキスタン人は胡坐をかいて食べる。男ばかりで、女性は外ではほとんど見かけない。イスラム圏は女性は家にこもっているようだ。
外国の観光客は手前の椅子・テーブルを利用する。

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    ☆ パキスタン風物詩:サトウキビ収穫

12月、収穫したサトウキビをトラックやトラクターで工場に運ぶが、工場側では刈り取ったサトウキビが乾燥したほうが良いので、時間をかけて引き取る。運ぶ運転手は長い行列を作りひたすら待つ。2〜3日は車の中で寝たり野宿をする。

            動画・・・デコトラとサトウキビ運送

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     ☆ パキスタン農業の実態

 パキスタンの民主化を阻害する要因として、教育や経済などの問題が指摘されるが、最大のものの一つとして、大土地所有制度の存続が要因としてある。

 国会議員の多くが大土地所有者で、実質的な土地改革の立法化が絶望的な中(土地改革は2度にわたって行われているが、抜け道が多く大土地所有は変わっていない)、教育を受ける機会のない多数の農民が地主に従属するという構図は、パキスタンの民主化を論じる上で、忘れてはならない前提である。

 現在のザルダニ大統領も、妻で暗殺されたブットー元首相もパキスタン有数の大地主である。
大地主の多くは、小作人管理に神経質である。教育を受けさせると民主化を標榜し地主側に損害が出るので、決して小作人には学校には行かせない。しかも1日1〜2ドルの生活を強いられる。
そして、借金漬けにして小作人の自由を奪う。借金返済が出来ないものには対策として、金を作るために、売るのは子どもか、腎臓とお決まりのコースであるらしい。 パキスタン貧困層の苦悩 がここにある。たとえ腎臓を売ったとしても15万円、信じられない価格だ。今、背中に大きな傷を負った農民が多いという。その腎臓を買うのは先進諸国の人間である。

いくら稼いでも生活は楽にはならない

そんな生活でもパキスタン人の多くは底抜けに明るく人懐こい

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       ☆コート・ディジ・フォート

 コート・ディジ・マウント向かいにあるコート・ディジ・フォート。
 18世紀にタルプールの王ソハラブ・ハーンが建てた城塞である。

コート・ディジからコート・ディジ・フォートを眺める

敵が像に乗って攻めて来た時の防御扉

規模は日本の城どころではない

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     ☆ コート・ディジ

 コート・ディジは、インダス文明の前、紀元前3000年頃に栄えた文明。
 インダス川の東40kmほどのところにあるコート・ディジ・マウントは、その都市跡となる。

コート・ディジ・マウントの遺跡。土を盛り上げた丘が残っている。5,000年前の遺跡跡には器などの破片もある

(左) 夕焼けのコート・ディジ遺跡で宝物探しをする観光客

(右) コート・ディジの前の国道を走るデコトラ

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    ☆ パキスタンの歴史

            独立前

略史

略史

BC6000年代穀物栽培と家畜飼養始まる1526バーブルがムガル朝を確立
BC2800年頃初期農耕村落文化が展開1530ムガル朝第二代皇帝フマーユーン即位
BC2600〜1700年頃古代インダス文明の展開。モヘンジョ・ダロ、ハラッパー等の遺跡が繁栄1556ムガル朝第三代アクバル即位
BC2350~1800年頃インダス文明の最盛期。アラビア湾岸との交易1857インド大反乱。ムガル朝332年の統治終焉。
BC800年頃鉄器文化の浸透1877イギリス、インドを統治
BC326〜25年アレキサンドロスインドに侵入1906全インド・ムスリム連盟設立
西暦128年頃仏教文化とガンダーラ美術興隆1916パキスタン建国の父ジンナー、ムスリム連盟議長となる
629玄奨三蔵法師留学1940ムスリム連盟、ムスリム独立国家「パキスタン」の要求決議
710ウマイヤ朝アラブ軍が征服、イスラーム化をはかる1946ヒンドゥーとムスリムが対立

             独立後

年月

略史
1947年パキスタン、英領インドより独立、第1次印パ戦争
1948年「建国の父」ジンナー死去
1952年日パ国交樹立
1956年「パキスタン・イスラム共和国憲法」(議院内閣制)公布・施行
1958年アユーブ・カーン陸軍大将によるクーデター
アユーブ・カーン陸軍大将、大統領に就任
1962年「パキスタン共和国憲法」(大統領制)公布・施行
1965年第2次印パ戦争
1969年アユーブ大統領辞任
ヤヒヤー陸軍参謀長、大統領に就任
1970年初の総選挙実施
1971年第3次印パ戦争(東パキスタンがバングラデシュとして分離独立)
Z・A・ブットー人民党(PPP)党首、大統領に就任
1973年「パキスタン・イスラム共和国憲法」(議院内閣制)公布・施行
Z・A・ブットー大統領、首相に就任
1977年総選挙実施
ハック陸軍参謀長によるクーデター
1978年ハック陸軍参謀長、大統領に就任
1979年ハック大統領、「イスラム化政策」開始
1985年総選挙実施、ジュネージョ首相就任
「憲法第8次修正」成立
1988年ハック大統領、ジュネージョ首相を解任
ハック大統領、軍用搭乗機の墜落事故によって死去
G・I・カーン上院議長、大統領に就任
総選挙実施、B・ブットー首相就任(第1次B・ブットー政権)
1990年G・I・カーン大統領、B・ブットー首相を解任
総選挙実施、シャリフ首相就任(第1次シャリフ政権)
1993年G・I・カーン大統領、シャリフ首相を解任
総選挙実施、B・ブットー首相就任(第2次ブットー政権)
1996年レガーリ大統領、B・ブットー首相を解任
1997年総選挙実施、シャリフ首相就任(第2次シャリフ政権)
「憲法第13次修正」成立
1998年パキスタン核実験
1999年カルギル紛争
ムシャラフ陸軍参謀総長によるクーデター
ムシャラフ陸軍参謀長、行政長官に就任
2002年総選挙実施
2007年大統領選挙実施、ムシャラフ大統領再選
非常事態宣言発出
2008年総選挙実施、ギラーニ内閣発足
ムシャラフ大統領辞任、ザルダリ大統領就任

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     ☆ サッカル

 パキスタン中南部、シンド州北端部の都市。スックルともいう。インダス川右岸に位置し、対岸のローリーと対向集落をなす。
 人口32万(1998)。
石灰岩岩脈露頭し、川幅を減ずるため同川の渡河地点として、またアフガニスタンへ通じる交通路の発着地として栄えた。

 1932年に完成した延長1600メートルのサッカル堰堤(えんてい)は道路橋を併設し、両岸から延びる計7本の用水路網によって約200万ヘクタールを灌漑(かんがい)する。
 米、小麦などを集散し、繊維、皮革、食品などの諸工業が立地する。

サッカルの街

サッカル・バレッジは世界有数の堰堤

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     ☆モヘンジョ・ダロ (インダス文明の遺跡)

 モヘンジョ・ダロは、インダス文明最大級の都市遺跡。ユネスコ世界遺産には、1980年、文化遺産として登録されている。

 モヘンジョ・ダロの地名は現地の言葉で「死の丘」を意味するものであり、歴史学者が足を踏み入れるまでは、非常に古い時代に生きたであろう得体の知れない死者が眠る墳丘として, 地元民に代々伝えられる禁忌の領域であった。

 1921年、インダス川の下流に大きな仏塔の一部が大地からのぞいているのが発見された。それは、2世紀前後の大僧院の一部であろうとの予測のもとに、ただちに、発掘が開始された。ところが、掘り進むにつれて、その遺跡は、たんなる僧院などではなく、巨大な古代都市の遺跡であることが明らかとなった。

 紀元前2500年から紀元前1800年にかけて繁栄したと考えられている。最大で4万人近くが暮らしていたと推測されている。しかしその後、きわめて短期間のうちに滅亡の時を迎えたと考えられており、さまざまな憶測が絶えない。近年の研究では大規模な洪水によって一気に衰退したと考えられている。

 緻密な計画都市

 遺跡は、東西南北に焼成煉瓦で敷き詰められた直線道路が伸びる。沐浴施設・二階建ての住宅・井戸など煉瓦造りの大規模な構造物が並び、しかもそれらは緻密に計画されて配置されている。幅9mの道が南北に走り、街は碁盤の目のように区画されていた。
 焼成煉瓦で造られた街は
下水道も整備されていた。生活排水を流す排水溝は街の至る所に張り巡らされていた。モヘンジョ・ダロは4,500年以上も前に作られた、水を巧みに利用する高度な計画都市であった。 人々はインダス川の水を利用し、農業も盛んに行っていた。

モヘンジョ・ダロは現在最も危険な場所。バスに銃を持った警官が乗り込む

サッカルの街から車で2時間、田園が広がる

国力のせいか道路整備が行きとどかない、通常ならば1時間であろう

小麦畑

農村の輸送は馬や馬車が主流。小作農民が苦労

車に乗っている警官が銃の弾を見せてくれる

このひどいデコボコ道は、一応舗装道路

羊も牛も悠々と横切る

Moen jo daro (モヘンジョ・ダロ)の看板

入り口横にはポリス・ステーション

警官が厳重警戒

ポストもある

この鉄格子が入口

神官王」と呼ばれる胸像

やや小高い丘を登ると見えてくる。

最後の階段を上ると仏塔が現れる

クシャーナ朝1世紀から3世紀頃まで栄えたイラン系王朝)時代の仏塔は、最初に見つかった遺跡。
そしてこの下に巨大な古代都市の遺跡が現れた。

高い仏塔から見るモヘンジョ・ダロの遺跡

下水道設備が随所に

ゴミ捨て場

”大浴場”の看板

”大浴場”こと沐浴施設

下水道

下水道はこんなに深くなる

パキスタンの紙幣にモヘンジョ・ダロ

幅9mの道が南北に走り、街は碁盤の目のように区画されていた。

高度な都市計画のもとに造られた町は、城塞部と市街地からなり、広さは4km四方にも及ぶ。4万人が生活していた
高い所の円形が最初に発見された仏塔

           動画・・・モヘンジョ・ダロ

学校の看板

学校跡

随所に警官が警備

井戸跡は各所に、トイレも水洗であった

動物と文字が刻まれた四角い印象が発見、人間や動物像も

警官の銃を借りる女性、サービス満点

塩害でこの数年は発掘禁止。まだ15%しか発掘されていない

2階建ての住宅跡は地位の高い人々が住んでいたようだ。現代と変わらない生活を4,000年前に行われていた。

ザルダニ現大統領の出身はこの近くの大地主で、パキスタン5番目の金持ち。その街から来たという、やはり金持ち地主の家族、服装もカラフル、高価、化粧もしっかり、この国では珍しいディジカメも持つ。
日本人大好きと言い、離れない。これはどこに行っても同じで、その内わずらわしくなる。芸能人の気持ちがわかります。

遺跡内の博物館入口

遺跡から発見された動物像

土器、石器、銀製の道具、動物の土偶、貝の装飾品など

人骨もある

舟の模型

ネックレス

女の子が一人近ずいて来た

やがて二人に

家族の多くが

エエイ!面倒だ。みんな撮ってあげる。

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      ☆世界四大文明

世界地図   

エジプト文明

メソポタミア文明

インダス文明

黄河文明

紀元前3000年頃

紀元前3500年頃

紀元前2500年頃

紀元前1600年頃

ナイル川周辺

イラク:チグリス川とユーフラテス川

パキスタン:インダス川周辺

中国:黄河周辺

エジプト文明

メソポタミア文明

インダス文明

黄河文明

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    ☆ インダス川

インダス川の長さは3,180Km、世界で21番目、チベット高原が水源地。モヘンジョ・ダロに行く途中
日本列島(北海道東北端から西表島まで)が3,000Km、まだ長い。

インダス川にかかる橋を渡るデコトラ

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    ☆ カラチ→ イスラマバードへ向かって車は国道を走る

国道脇のナツメヤシ売り場

3種類の味見

懐かしいポンプ、日本にもありました。そうです、ここはその時代がまだ続いている

バナナ収穫

ドライブ・イン

ドライブ・インにも小さなモスクが

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ドライブ・インのレストラン。チャパティを焼いている

大きな鍋でカレーや肉を

出来あがったチキン

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      ☆ウチ・シャリフとビービー・ジャヴィンディのダルガー

 ウチ・シャリフは、姉妹都市のムルタンと並び13〜14世紀に中央アジアから多くのイスラム聖者が集まり、イスラム信仰、文化、政治の中心となった町である。

 その後、サトレジ河の流れが変わったことから町は衰退し、今では幹線道路からも離れた地方の「村」になってしまった。 今でも街中に聖者のダルガー(墓廟)が残っており、人々の信仰を集めている。
 丘の上の墓地にそびえるウチ・シャルフの象徴ともいえるダルガー。ビービ・ジャウィンディはそのイスラムへの献身が讃えられた女性。
 特徴的な建築はムルタンのシャー・ルクネ・アーラム廟の初期のデザインと似ている。19世紀のサトレジ河の洪水により破壊され後ろ半分が削られてしまっているが、修復により保存されている。

入口にある墓地

新しい墓地の穴を掘る、こんなに深く掘る

墓廟が見えてきた

ビービ・ジャウィンディはそのイスラムへの献身が讃えられた女性の墓廟

インダス川支流の氾濫で後ろ半分が崩壊

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      ☆ チョリスタン砂漠

 チョリスタン砂漠はパキスタンのシンド州とインドのラジャスラン州の「タール砂漠」につながる砂漠である。

 1000年前まではチョリスタンはハクラ川(チャガル川)に育まれた肥沃な平野であったが、この川が枯渇してから砂漠化が進んだ。

 最近では昔の用水路を再度発達させるなどして水を供給させ、およそ10万人の人々が半遊牧半定住の暮らしをしている。

 今回のテーマはテントで砂漠に泊まり、ラクダに乗る体験。

快適なテント、トイレテントもある、青空も可

このラクダ、可愛いね〜

婚活ならぬ、お見合いで乗るラクダを決める

さて、出発進行。1時間の砂漠体験

近くに住む子供たちは興味津々

夜は0℃、焚き火でキャンプ・ファイヤー

現地の大人も薪を持って集まり、焚き火の周りを踊り始める。この地方は踊りが何より好きだ

食堂、すごい豊富なメニュー。殆どの客が胃腸を壊して食べられない。食べるのはいつもチャパテイ(ナン)とミルクティ。

デザートは牛乳で煮込んだナツメヤシ
イスラムの人が断食後に食べる最初の食事

朝は近所に住む現地人の大バザールが店開き

砂漠ゆえ、明りはない。星が素晴らしい

テントの側には牛やラクダ、犬も

あどけない少女、日本人が珍しいようだ

村中の子供、大人も集まってくる。日本人は見世物

テント、食事を作るスタッフ。K2トレッキングのガイド、コックである

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  デラワール・フォト(砦)

 パキスタンには砂漠の昔の交易路に沿っていくつかの「砂漠の要塞」が残されている。
デラワール・フォートはジャイサルメール(インドのラジャスタン州)まで300キロの位置にあり、よく保存された要塞である。
  デラワールには古来より要塞が築かれてきたが、城壁の高さ40m、直径1.5キロの現在の要塞は、1733年にジャイサルメールの王、ラジャ・ラワル・シンにより占拠され建築されたものだ。
 当時のデラワールはよく灌漑され、18世紀には12000人の人が暮らしていたが、1960年以降の国際条約によりサトレジ川からの用水路はインドへ方向を変え、デラワールは衰退した。
 現在は再びこの用水路を利用し人々の定住が始まっているが、砦は閉鎖されている。

今は砂漠化している

城壁の高さ40m、直径1.5km

城壁の端には王宮

模様が綺麗

全てレンガ

近くにはレンガ工場。パキスタンには多い

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    ☆ ムルタンへ

 人口460万人でパキスタン第4の都市にあたる。インダス川支流のチャナーブ川の東に位置し、カラチから陸路で966 km,地理的にはだいたいパキスタンの中心部にあり,道路,鉄道,空路などの集まる交通の要衝である。

 これまでの考古学調査からムルターンは、モヘンジョ・ダロあるいはハラッパーなどと同時期に興った都市の1つであると考えられている。

 ムルターンを最初に征服した外国の勢力はアレクサンドロス3世であるといわれている。

 ムルターンは「聖堂の街」として有名で,街にはバザール,モスク,聖堂や壮麗な墓廟がひしめいている。

道路脇の衣服露天売場

2013年の大統領選挙に出る予定のカ―ン氏(右端)の看板

ムルタンのホテルのドア・ボーイ

 元クリケット主将のカーン氏、パキスタン政界に旋風

                     クリケットの元スター選手で政治家に転身したイムラン・カーン氏(ロイター)

 クリケットの元スター選手で、1992年にパキスタンのナショナルチームを主将として初めて世界トップに導いた後、政治家に転身したイムラン・カーン氏(59)率いる正義行動党(PTI)が、2013年までに行われる同国総選挙で“台風の目”になる可能性が出てきた。政治家としては目立った実績を残していないカーン氏だが、汚職にまみれた政治に嫌気し、既存政党に失望した若い世代を中心とした有権者の支持を集め、同党は勢いを急速に増している。

 「正義行動党が政権の座についたら、主要な汚職・腐敗を90日で根絶する」

 25日、カーン氏が南部カラチでの党集会でこうぶちあげると、10万〜30万人と伝えられる支持者が歓声を上げた。

 カーン氏がこれほどの人気を見せつけたのは10月の東部ラホールでの集会に続いて2度目。ラホールでも10万人が参加し政界を驚かせたが、今回はそれを上回る規模となったことから、正義行動党が次期総選挙である程度の議席を得るとの見方が現実味を増してきた。

 前大統領も出馬声明

 2007年の、パキスタンのブット女性元首相(現ザルダニ大統領の夫人)暗殺事件に関与した疑いで、逮捕状が出て国外逃亡しているムシャラフ前大統領も、パキスタンに戻り2013年の大統領選挙に出馬するという報道が最近掲載された。

 1947年、パキスタンはイギリスから独立以来64年、歴代の大統領、首相が常に汚職疑惑や暗殺の危機に直面している。その結果、国力が弱く国民は辛い生活を強いられている。

 クリケットの元スター選手カーン氏も、人気が高いので当選するだろうと言われているが、果たしてどうなるやら・・・。よしんばクリーンな政治をしても、軍部や反対政党が暗殺しかけない、そういう危ういパキスタンを歴史が証明している。

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イスラムのシャー・ルクネ・アーラム(墓)

御参り用のバラの花を売る

中には墓も多数

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バハー・ウル・ハック(墓)

ハトの餌

バラを捧げるのがこの国の特徴

コーランかな?

お参り用グッズ店の招き猫

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シャー・シャムス・タブレーズ(墓)

奇跡を起こすと聖者になれると必死に励む人

Syed Gillani - World Economic Forum on the Middle East 2008.jpg ギラニ現首相

パキスタンの現首相ギラニ氏は、ここムルタンの出身。
やはり、2001年ムシャラフ政権下で汚職容疑で逮捕され、5年間投獄されていた。
今は返り咲いて、ムルタンの為に必死に橋や道路を作り、人気を得ようとしている。懲りずに汚職を続けているらしい。

 しかし、ムルタンは4つの有り難くない名物「G」があるという。
頭文字がGで始まる。「暑さ」「砂塵」「墓地」「乞食」 である。

 その「乞食」が名物で、三大廟の周りに住みついている。

施しをするイスラムの婦人(黒い服)に寄ってたかって取り合いする乞食の男女三大廟の入口階段でお椀や手を差し出す乞食。側に行くには少し勇気がいる。

 パキスタンの貧困・・・

 ・4人に1人は貧困ライン以下の生活レベル 。

 ・売るのは子どもか、腎臓か、パキスタン貧困層の苦悩 。たとえ腎臓を売ったとしても15万円、信じられない価格。

 ・成人識字率 1995-2005年、49.9%。大地主は、小作人の子供を知恵がつくと困るので学校に行かせない。

 ・1日1ドル以下で暮らす人(1995-05年)17% 1日2ドル以下で暮らす人と合わせると73.6%。

 ・農村部では少女の22%だけしか小学校レベルを終えることができない(男子は47%)。

 ・農村の80%にはきれいな飲み水がなく、60%には電気がない。

 ・パキスタンでは、およそ12パーセントの人々が乞食であるというのが現状。

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          ☆ バザール(ムルタン)

ムルタンは絨毯で有名

パキスタンは綿も主要農産物、綿製品がたくさん並ぶ

テントのアーケード街

かなりどぎつい模様のケーキ

パキスタンのホテルの冷蔵庫。アルコールは全くない

ガソリンスタンドに車の行列。ガスは週に2回のみ販売

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    ☆これも風物詩:家畜市

馬、牛、山羊、羊が売買される。

高く売るために、動物用の床屋もある

お互い、美味しい草のある所に売られたいわね〜

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    ☆ ハラッパー

 ハラッパー(Harappa)は、モヘンジョダロ(Moenjodaro)と並ぶインダス文明の中心地で、遺跡の規模は小さいが、モヘンジョダロと双子首都の関係にある。
 ハラッパーはラホールから約200kmのところにあり、ラホールからは車で行ける。
 遺跡は、19世紀半ばに鉄道の工事に伴って発見された。
遺跡の煉瓦は、インダス文明のものだと気がつく前にかなりの量が、鉄道の工事に既に使用されていた。

入口には博物館

中央の丸いのが城壁の一部

統一されたレンガで造られている

下水道設備も完備

道路脇でひよこ豆を塩で炒る少年、よく働く

ひよこ豆とトウモロコシ(右)

ひよこ豆

ひよこ豆とチキンの料理もパキスタン料理の定番

ハラッパ―の全容、穀物倉が中央

屋根で保護された金属を溶かすための溶鉱炉

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        ☆ 本日のランチ

左から味のないチャーハン、パラタ(薄焼きパン)、スープ、野菜サラダ、焼きそば、カバーブ(肉団子)

野菜サラダは当地の水で洗っており、水が悪いので食べられない。チャーハンも焼きソバもカバーブも油が悪いので食べられない。食べると翌日は必ず下痢をする、結局旅行中食べられるのはパンとミルクティのみ。痩せたい人はパキスタンへどうぞ!

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       ☆ ラホール

 インドとの国境付近にある都市。2010年の都市的地域の人口では711万人である

 ムガル帝国のめくるめく遺産を多く残しているため、「ムガルの庭園」「庭園都市」などと称される。パキスタン第二の都市。

 ムガル帝国時代の建築物には,バードシャーヒー・モスクラホール城シャーラマール庭園ジャハーンギールとその妃ヌール・ジャハーンの廟などがあり、観光客に人気の場所となっている。

ラホール城のアーラムギーリー門

憲兵

ムガル王朝時代のバードシャーヒー・モスク  落成式は、1674年。時の皇帝は、アウラングゼーブであった。

モスクに入る

靴を脱ぐ

靴下は真っ黒に汚れる、いやだね、モスクは

国内で唯一の独立記念塔

靴磨き:100ルピー(日本円100円)

モスク前のサラダ売り紙のコップにお入れてくれる。美味そうだが・・・衛生・・・?

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シャリマール庭園の看板

ムガル帝国最盛期の皇帝シャー・ジャハーンが造る

王族の保養地

入口で売る、何でしょう?           大根です。1本食べろ!と出されたが丁重に遠慮した

帰国して食してみた、所詮大根でした。

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     ☆ ワガ国境

 ワガは、インドパキスタンとの間の陸路国境で唯一開かれている検問所であり、インドアムリトサルパキスタンラホールとの間にある。

 ワガの国境は、よく「アジアベルリンの壁」と呼ばれ、毎日夕刻になると「我が国旗の降納」と呼ばれる儀礼が行われるインド・パキスタン国境の一部分である。

 儀礼時には、インドの国境治安部隊と、パキスタンのパキスタン・レンジャーの兵士による、力強くスリリングなパレードが行われる。
 儀礼は攻撃的で、よそ者から見れば敵対的とすら映るが、国境の両側に観客席を設けて、集まってくる群衆に見せるためのエンターテイメントである。

 両国の兵士らは色鮮やかなターバンと制服を身にまとい、痛快なショーを披露する。

 両国の係員は、普段は日常的に発生する問題の処理のために、相手国の事務所を訪れることは普通に行われている。
 

 長年にわたって、この国境で起こってきた出来事の数々は、インド・パキスタン関係を象徴するバロメーターであり続けている。

パキスタン側の門、連日大勢の人が見に来る

奥がインド側、手前右がパキスタン男性側、左には女性側。道路にいる緑色の二人は応援団でボランティア40年の名物おじいさん。日本のプロ野球の応援団長みたい。

   これは面白い、必見! 

   動画・・・ワガ国境のフラッグセレモニー NO.1

前方が女性側、こちらが男性側。「パーキスターン・ジンダーバード(パキスタン万歳)!」や「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)!」の大合唱で盛り上がる。片や向こうのインド側は大音量の音楽に合わせ、男女が入り混じって踊っている。

如何に外国の観光客と言えど、「パーキスターン・ジンダーバード(パキスタン万歳)!」を合唱しないと、後ろから肩をこずかれる。ここは、にわかイスラム教徒になるしかない。 結構大声を上げると楽しいものだ。 インシャッラー!

一段高い所、屈強な兵隊さんが大声で相手側に負けないように長く叫ぶ

長く続いたほうが勝ち、やんやの喝さいを浴びる。もう子供の喧嘩

インド側の肖像画はガンジー

パキスタン側はパキスタン建国の父ジンナー

それぞれ行進する時は足を頭近くまで上げたほうが勝ち、真剣である。 1時間近い式の最後は国旗降納で終わる

  動画・・・ワガ国境のフラッグセレモニー NO.2

2m近い兵隊さんはカッコよくモテモテ

女学生は兵隊さんをからかい、大賑わい。若い女の子は万国共通、明るい。

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      ☆ パキスタン大統領

右が現パキスタンザルダーリー大統領、左上は妻で暗殺されたブット元首相。ザルダーリ大統領は人気・実力が無く今季限り。

 ブットー家の陰謀と辛酸

 ズルフィカール・アリー・ブットーは1971年から1973年まで大統領、1973年から1977年まで首相を務めたが、1977年にムハンマド・ジア=ウル=ハク将軍(後に大統領)によるクーデターで失脚し、政治的裁判で1979年死刑に処された。

 その娘、ベーナズィル・ブットーはパキスタンの政治家、元首相(1953年6月21日 - 2007年12月27日暗殺)。イスラム諸国家における初の女性首相であり、何度も汚職容疑で逮捕されたが、後に2007年暗殺された。在職中も力が無く国民の失望をかった。

 その夫が、アースィフ・アリー・ザルダーリー現大統領。妻で元首相ブットーの内閣で大臣を務めたが、在職中は関連予算の常に10パーセントを着服していると噂され、メディアにおいて通称「ミスター10パーセント」と悪名を冠されるほどであった。その後、この在職時の汚職疑惑によって8年間獄中にいた。
 軍との関係が悪化して、2011年12月上旬に病気治療のため
ドバイに渡り、12月6日から14日まで入院したが、その後も帰国ができない状況が今日まで続いている。 国民の人気も、また力も発揮できなく今季限りと言われている。

1 国の大統領が自分の国に戻れない、イスラム国家にあっては最近とみに多い現象である。

 この二人の息子も現在、政党の代表を務めている。やがて政治家の道を辿るのであろう。汚職は政治の小道具であるという歴史的実証を引っ提げて・・・。

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   ☆ラホールの屋台

大きな鉄板の上で右の写真の臓物を焼く

各種臓物、何とかの脳みそとかもある。

焼いたり煮たり、見ているだけで楽しい

炭で焼き鳥

各種カレー味で食べる

 屋台にも現れる乞食

 屋台のテーブルに座っていると、1人、2人と現地の老若男女が現れテーブルの周りに。
いつものように日本人が珍しいか、写真を撮ってほしいのかと思ったがどうも違うようだ。手を口に当て、しきりに動かす。食べ物をくれという合図だ。中には赤子を抱いたみすぼらしい女性もおり離れようとしない。その内、気味が悪くなってくる。それでなくても屋台の臓物を見るだけで気味が悪いのに・・・。

しまいに指さして、それをくれと言いだした。
さすがにこの時、屋台の従業員が言葉をかけ、何やら手渡した。イスラム国家だけにむげにはしないで、施しをしたのだろう。
 しかし、間もなくまた現れる。今度は席から立っていない人のテーブルの残り物を、すばやく取り、すばやく口に入れてしまつた。離れない。根負けして客は気味が悪く、席を立つ。
 食べ終わった客が、長く居座られると店としても迷惑。店と乞食の絶妙な協力関係なのかもしれない。 インシャッラー!

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 汚職と賄賂の国・・・パキスタン

 ・歴代大統領や首相が汚職疑惑で地位を追われ、処刑されたり暗殺された例が多い。裕福な生活をしているのに、それでも名誉を得たいのか理解できない。

 ・警察・・・こちらも賄賂に弱い。車のスピード違反を測定するが、違反金の7割はマイ・ポケットしてしまう。窮余の策で、政府はパトカーに銀行の車と銀行員をセットにして、違反金は銀行員が管理する。だから国道にはパトカーと銀行の白い車が必ず駐車している。その代わり売上?のいくらかは手当として払う。そうでなければ成果が上がらないそうだ。

 ・こちらも警察・・・乞食は法律では出来ない事になっている。しかし、乞食が施しの中から賄賂として警察に金品を払って良い場所を確保している。

 ・乞食の親分も賄賂次第・・・強い乞食は子分の乞食を従えて、ショバ代をせしめる。

この国は大統領から乞食まで汚職と賄賂で仕組みが出来ているようだ。

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    ☆ ラホール駅

パキスタン第二の都市、駅も大きい

記者の展示

出発時間表

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    ☆ラホール博物館

ラホール博物館
パキスタン最古の博物館で、ビクトリア女王の治世50周年を記念して建設が始まり、1894年に完成。

数多くのルガール時代の美術品やガンダーラ美術、ヒンズー教、ジャイナ教関連の物品が展示されている。

釈迦の断食像

   動画・・・仏陀(釈迦)の断食像

浮き出た血管まで見事に

釈迦はこの動物に乗り修行に

生い立ちから涅槃まで物語的に展示

パキスタンの美術 1

その2

その3

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      ☆ ケウラ塩鉱山

ソルトレンジ

全山、塩の山。埋蔵量は世界一だそうで、現在の産出量は世界二位。
岩塩は真っ白なものから、不純物の混じった赤いものまである。

 塩山の中は壁もブロックも すべて塩で出来ている。それが綺麗な高級石のようなので なめてないと信じがたい感じ。あちらこちらには滴り落ちる水で塩のツララが出来てたり 塩水の池が出来てたりする。 
 その濃い塩水を英国の有名な化学会社ICIがパイプで運んで活用しているそうだ。
ところどころ電気がついているが 真っ暗な闇の中なので ヘッドランプをつけて歩く。

 ちなみに産出量の第1位はポーランド。下記参照  第3位はロシア。

看板

ケウラの文字

向こうのトロッコで

この洞窟へ

作業トロッコに乗る、15分

歩いても可能

岩塩のレンガで出来た階段、ソルトレンジ。

つららも塩

塩の芸術品

     ------ポーランド旅行の時の紀行文より----

☆ ポーランド:ヴィエリチカ・岩塩採掘場跡

             

                  入口、エレベーターで下りる。                           馬も飼われて作業

 

 クラクフから南東15km、小さな町の地下には1250年から1950年まで実に700年もの間岩塩が取れた。ユネスコ世界遺産に登録されている。産出量は世界一。

 2千万年前に海だったヴィエリチカの町は、地殻変動で陸となり、海水が蒸発して巨大な塩の層ができた。13世紀にヴィエリチカ岩塩坑の採掘は本格化し、ここでとれた岩塩は「白い金」と呼ばれ、ポーランド王国に大きな富をもたらした。
7百年をかけて掘られたヴィエリチカの坑道は、深さ3百メートル、総延長3百キロに及ぶ。地下64〜325mもあるという。

 王の像、採掘工の像、コペルニクスの像も塩で作られている。巨大な空間には、礼拝堂、運動場、地底湖まであり、圧巻は塩で作られたシャンデリアである。

礼拝堂のある地下広場、シャンデリアも塩で。

〇 動画 ポーランド・ヴィエリチカ岩塩採掘場跡   http://www.youtube.com/watch?v=abBkqZAPu9k

                      塩で作られたシャンデリアは微細。             最後の晩餐、7cm起伏だが遠近法で見事に立体的。

    

        ガイドはポーランド美人              エレベータで広場へ。ガイドがいなければ迷う。        塩の広場にはレストランまで。

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   ☆大晦日&元旦

12月31日、スタッフが年越し蕎麦の代りに「どん兵衛」を用意してくれた。何年振りかに食べたが、久し振りの日本食でもあり余りにも美味かった。酒の代わりにコーラ、情けない!!

元旦は乾燥餅とインスタントお吸い物

そして日本から持ち込んだのか、黒豆とごまめ。日本の食生活の有難みを知る

  動画・・・パキスタンの結婚式

 どうしてもお酒を飲む場合・・・

 パキスタンは禁酒の国、観光客がどうしても飲みたい場合は、原則として「飲酒許可証」を得なければならない。
許可書の取得には自分の宗教や父親の名前などを書き入れる欄があり、それを満たして申請料を払ってからありつける。ただし飲む時は自分の部屋か特別室に限られる。

 そこまでしてまで飲む人はいないだろう。日本からしっかりトランクに忍ばせて部屋で多いに飲む。

自分の宗教、父親の名前を記入するのはこれだけではない。
ビザ取得の用紙欄に、勤務先名、上司の名前、泊まるホテル名等々・・・
プライバシーどころではない。

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     ☆ ロータス砦

 ムガール帝国時代、第2代皇帝フマユーンに勝利し、短期間帝国を奪取したパシュトゥーン系の王シェール・シャー・スーリ(アフガン民族の英雄)が建てた要塞。

 当時のモスクや階段井戸が残る要塞の中に村があり、今も人が暮らしている。

入口の看板

ソハール門

1997年、ユネスコの世界遺産登録

巨大な水がめ

水がめに降りていく階段

水がめの底から見上げる

出ました、「日本人、好きよ」族。  珍しいイスラムの女性一団。

パキスタン人は平気でゴミを捨てる。アラーのお告げなのか?

砦とパキスタン女性、絵になります。

砦の外は急峻な谷

砦にはキリスト教の教会も同居していた

銃を持った警察が警護

深紅の花が色を添える

この城には王の三番目のイスラム教の王妃が居住していた

  動画・・・パキスタン:ロータス砦

クリケットは国民的スポーツ

犯罪者はここから下に逆さまに落とされる

裁判所

王の執務宮殿

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             ☆ムガル帝国歴代

    

          ムガル帝国の最大版図

   

ムガル帝国の位置

  1. バーブル(1526年 - 1530年)
  2. フマーユーン(1530年 - 1540年、復位:1555年 - 1556年)
  3. アクバル(1556年 - 1605年)
  4. ジャハーンギール(1605年 - 1627年)
  5. シャー・ジャハーン1世(1628年 - 1658年)
  6. アウラングゼーブ・アーラムギル(1658年 - 1707年)
  7. バハードゥル・シャー1世(1707年 - 1712年)
  8. ジャーハンダール・シャー(1712年 - 1713年)
  9. ファッルフシヤル(1713年 - 1719年)
  10. ラフィー・ウッダラジャート(1719年)
  11. ラフィー・ウッダウラ(1719年)
  12. ムハンマド・シャー(1719年 - 1748年)
  13. アフマド・シャー(1748年 - 1754年)
  14. アーラムギール2世(1754年 - 1759年)
  15. シャー・アーラム2世(1759年 - 1806年)
  16. アクバル・シャー2世(1806年 - 1837年)
  17. バハードゥル・シャー2世(1837年 - 1858年)

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     ☆ デコレーション・バス(通称デコ・バス)

運転席

バス内の天井

正面

乗客席

タイヤのホイールまで化粧、呆れます、隣のバイクも化粧

何台も並ぶと圧巻、ン百万円もかかるそうだ

薄型テレビも付いている。特別な発電機も積んでいる

屋上にも乗客席がある

運転手は自慢、見てほしくてしょうがない

三輪車も

  動画・・・パキスタン名物:デコバス

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      ☆ 最終日

最終日の夕食、最後だからとサラダをたらふく食べる。
美味い、うまい、しかし下痢はしなかった。
地元スーパー。両替20ドルを使い果たそうとしたが、残ってしまった。クッキーが日本ならば300円程度が30円後ろ向きの男性、客の商品を袋に入れる専門係、既得権の仕事だという。

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 旅を終えて・・・

 非常にユニークな国である。
 最初に度肝を抜かれたのは、デコ・トラとデコ・バスのド派手な装飾である。決して裕福とはいえない国民ながら、車の装飾には徹底している。そのようにしないと肩身が狭いらしい。本体価格の20%のお金がが必要らしい。装飾の専門工場がかなり設けているだろうと思われる。
 「トラック野郎」の菅原文太が何千人もいるようであった。

 次に驚くのは、サトウキビ運搬車の行列である。ツアーの車が一日走り通しても、この行列はあの町、この町でお目にかかり交差するのに苦労する。そのトラクターやトラックも全てデコレーション、いくら眺めていても写真を撮っても飽きない。

 次は国の指導者や警官、乞食までが全部と言ってもよい位、汚職と賄賂に慣れっこである。

 日本人観光客が治安上少ないのが原因なのか、日本人と分かると大人も子供も人懐こい顔で寄ってきて、写真を撮ってくれとせがむ。まだデジカメが普及していない事もあるが、何が原因なのか分からないが日本人にあこがれている。

 特に日本人女性に会うと、男は目がうつろになっている。一説によると日本人女性は色が白くて、小さくて、華奢で、可愛くて、お金持ちで・・・
出来れば結婚して日本に行きたい願望が強いそうだ。

 政治の機構もひどい様だ。汚職疑惑、暗殺がまかり通っている。それでも成りたい症候群が多い様だ。

 今は平和を維持しているインドとの関係。ワガ国境の降納式は噂通り面白かった。すっかり俄かモスリムになって一緒に楽しむことが出来た。平和なればこそのセレモニーである。

 最もイスラムらしい国、それがパキスタンであった。だが食べ物にはほどほど弱ってしまった。美味しいのだが、油断をすると下痢と胸やけで翌日は元気が出ない。そのため持参したアルコールも日本酒、ビール、ウイスキー、ワインが半分飲めなく持ち帰ってしまった。
 滞在中、禁酒していたせいか体の状態はすこぶる良し、体重も5kgスリムになった。ヒマラヤの遠征登山以来の苦行であった。
やはり、釈迦の修業の地は厳しかった。

                                                                              終わり   

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