パナマ共和国紀行
パナマ運河を大型船が行く |
2012年3月、中米7カ国の旅をしてきた。北アメリカ、メキシコと南アメリカを結ぶ小さな国が七つもひしめいている所である。 先ずはパナマ運河を抱えるパナマを最初に訪れる。パナマの知識は運河しか浮かばない。はたしてどのような国なのか。治安は、観光は、食べ物は・・・ 不安を持ちながら旅立つとしよう。 |
旅行経路は南のパナマから北上し、ベリーズまで19日間の旅となる。
☆略史
年月 略史 | 年月 略史 |
1501年 スペイン人バスティーダ、パナマ地峡発見。 | 1978年 ロヨ大統領就任、民政移管 |
1821年 大コロンビアの一州としてスペインより独立。 | 1983年 ノリエガ将軍が国軍最高司令官に就任 |
1903年 コロンビアより分離独立 | 1989年 米国の軍事侵攻、ノリエガ将軍逮捕、エンダラ政権発足 |
1914年 米国、パナマ運河完成。 | 1999年 モスコソ大統領就任、パナマ運河返還、米国から独立 |
1968年 トリホス将軍、クーデターにより実権掌握。 | 2004年 トリホス大統領就任(故トリホス将軍の実息) |
☆パナマという国
パナマはラテンアメリカの金融センター | 国名の由来はインディオの言葉で、「魚が豊富」を意味する言葉から来ているとされている。 南北アメリカと太平洋、大西洋の結節点に当たる地理的重要性から、スペイン人の到達以来貿易や人の移動や国際政治において大きな役割を果たす場所となっており、その役割の重要性のため、中米地峡を貫くパナマ運河が通っている。 パナマは最初スペインから独立、次にコロンビアから、そしてパナマ運河の利権を得ていたアメリカから三度目の独立を果たした。この間170年を要している。 1989年のパナマ侵攻(アメリカ軍)の結果、それまで国防を担っていたパナマ国防軍は1990年に解体され、国家保安隊が創設された。そのため現在パナマに軍隊は存在しない。 かつては国土の9割以上を森林が占めていたものの、2000年には森林面積が39%にまで低下した。国土の23%は様々なタイプの自然保護区に指定されており、世界全体でも10位以内に入る自然保護大国でもある。 コスタリカと共に中米で最も経済的に進んだ国であり、伝統的に金融業が経済の中心である。他のラテンアメリカ諸国に比べて安定していたこともラテンアメリカの金融センターとして発達した理由の一つである。第三次産業の従事者が全体の7割にものぼる。 熱帯性気候であり、年間降水量が2,000mm以上と非常に多いため、エネルギーの半分近くを水力発電で賄っている。 パナマ船籍の外国商船からの収入も多い(便宜置籍船)。 |
☆出発
成田〜ロスアンゼルス〜コスタリカ:サンホセ〜パナマシティ 飛行時間17時間、待ち時間18時間、合計35時間強となる。 | 成田、ロスアンゼルス間は大韓航空、ビビンバと朝は粥が旨い。 |
ロスアンゼルスは桜が満開 | ロスアンゼルス空港近くのヒルトンホテルで一休み |
エルサルバドルを拠点とする中米最大のタカ航空で行く | コスタリカ、グアテマラ、ペルーの三国共同のタカ航空 | ロスアンゼルス〜コスタリカ〜パナマとつなぐ。飛行7時間 |
パナマ上空 | 雲の切れ間からパナマ運河に向かう船舶が見える | カリブ海が見えてきた |
動画・・・・コスタリカからパナマを目指す |
パナマ・シティの上空。飛行機は旋回する。 |
☆パナマ・シティ
太平洋に面しパナマ運河の入り口である。人口は708,738人。 昔も今もこの都市は、地峡を利用した国際貿易と金融業で繁栄している。かつては、南米ペルーへの探検と、黄金や銀をスペインへ運ぶための拠点であった。 1671年1月28日には、1400人の海賊を率いてやってきたイギリス人のヘンリー・モーガンが都市を攻撃、黄金を略奪後、火を使い破壊した。このときの遺跡はパナマ・ビエホ と呼ばれ、今日では国内有数の観光名所となっている。ヘンリー・モーガンによる破壊の後、1673年に町は全て約11km西南のカスコ・ビエホ に移転した。 1848年にカリフォルニアで金が発見され、地峡を渡りアメリカ西海岸へ行く人々が増加した。金の発見の前年、パナマ鉄道会社が設立されたが、1855年まで運行はなかった。1848年から1869年の間に、約375,000人が大西洋から太平洋へ、約225,000人が太平洋から大西洋へ、地峡を利用して渡った。この移動がパナマ市を再び繁栄へ導いた。 |
☆ パナマ・シティ(首都) 到着
空港 | まるで香港のビル群のような近代ビルが立ち並ぶ | かたや貧民街もある |
中米の金融センターの役目がある | 「レボルーション・タワー」、スクリューの様なビル | アメリカ・ニューヨークと見間違う |
腹ごしらえにレストランへ | 前菜は野菜と?、そしてステーキ | 紅茶セットから選ぶ |
独立広場に建つカテドラル | 花のドームには民芸品店が並ぶ |
パナマ湾の向こうには新市街の高層ビル |
動画 パナマの高層ビル群 |
パナマの民芸品織物 |
前方の島の右側からパナマ運河へ通じる | パナマは一年中30度前後の気温 | 中央の橋が「パン・アメリカン・ハイウエイ」その下を、運河に続く航路 |
☆パナマ運河
パナマ運河は、パナマ共和国のパナマ地峡を開削して太平洋とカリブ海を結んでいる閘門式運河で、全長約80km、最小幅91m、最大幅200m、深さは一番浅い場所で12.5m。 スエズ運河を拓いたフランス人フェルディナン・ド・レセップスの手で開発に着手したものの、難工事とマラリアの蔓延により放棄。 長らくアメリカによる管理が続いてきたが、1999年12月31日正午をもってパナマに完全返還された。現在はパナマ運河庁が管理している。 通航量の増大や船舶の大型化の流れを受けて2010年にも受入れ能力の限界が危惧され、2006年に運河拡張計画がパナマ運河庁より提案され、国民投票により実施されることが決定された。総事業費52億5千万ドルをかけて2007年9月3日に着工開始し、2014年の竣工を予定し、新たに第3レーンを設け、完成後は現在の2倍の約6億トン(船舶トン数換算)の航行量を見込む。 |
スエズ運河を拓いたフランス人レセップスがパナマ運河も工事する。 | パナマ湾に集まる船舶 |
パナマの二大シンボル、運河と金融高層ビル | このフェリーでパナマ運河クルーズ、5時間。 | ヨットハーバーから出港 |
太平洋と大西洋・カリブ海の80km。運河は太平洋側1.の運河を通り、真中の湖へ、そして2.のカリブ海側運河へ。 |
パナマ湾にかかるパン・アメリカン・ハイウエィの下を行く | 北アメリカと南アメリカを結ぶハイウエィの下を航行 | フエリーは三階建て、レストランもある。 |
先に大型船が行く。後ろは誘導船 |
行きと帰りの二車線 | 海と平面の入口に入る | 慎重に舟は進む |
左上と右側の車がワイヤーで固定して誘導する | 海抜0mの入口を入ると、閉ざされる。 | 両方から閉じる |
動画・・・パナマ運河水門閉鎖構造 |
プール状になると、湖の水がどんどん入る。 | 下から、横から水が入り、舟は押し上げられる。 | 右側の土手が見えなかったが、水位向上で土手よりかなり上になる。 |
動画 パナマ運河の水位向上 |
前方のプールと同じ水位になると、舟は前へ、そして次のプールで水が抜かれ、また進む。 |
黒い水門が閉じられると、その前方左の海面の水位との差が解る。 |
一番高いプールを舟は行く | ビジターセンターから運河の構造を見る観光客 | 前方カリブ海側の湖に向かう。 |
次の水門を行くと閉められ、プールの水は抜かれて、湖と同じ水位になり、運河通航。 | 無事、湖に。 | パナマ運河ビジターセンターで工事の過程を見る。 |
マラリアや黄熱病がこの蚊によって苦しめられた | 工事現場写真 | 測量図 |
パナマ運河利用の濃度図、日本が最も多い。 |
マラリアや黄熱病等で28,000人が犠牲となる。 |
ビジターセンターから眺める 1. | 2. | 3. |
運河構造図 |
パナマの民芸品(ビジターセンター) | 同左 |
☆ カスコ・ビエホ
旧市街の一角にある歴史保存地区。 独立広場前のカテドラル(大聖堂)、展示室を併設しているパナマ市庁舎、黄金祭壇で有名なサン・ホセ教会など、スペイン植民地時代の建物や遺構などの見所が集中しており、地区全体が世界文化遺産に登録されている。 |
カスコ・ビエホの広場 |
カスコ・ビエホ広場 |
☆パナマ・ビエホ
16世紀はじめ(1519年)にスペイン人が生活・南米等への遠征拠点として築いた太平洋岸で最も古い都市。 現在のカスコ・ビエホに都市機能が移転するまで南米からの黄金交易の拠点として栄えた。 また2003年にはユネスコの世界文化遺産として登録された。 | ||
パナマ・ビエホの廃墟 | 観光警察が警戒 |
廃墟後で今日は結婚式 |
☆ パナマの夜
パナマ民族舞踊を見ながら夕食 | ビールは旨い | 中米は米も主食の一つ |
歌姫 | 民族舞踊 |
動画・・・パナマ民族舞踊 |
パン・アメリカン・ハイウェイで一路北へ。パナマ第三の都市ダビへ | 中国は抜け目がない。運河建設労働者を派遣したと石碑まで建てる。何とかパナマに影響力を発揮したいそうだ。 |
☆ダビ
ダビ は、コスタリカとの国境ちかくにある、パナマシティ、コロンに次ぐ、パナマ第3の都市。首都のパナマシティなどと並び、国内の交通の要衝として知られており、国内各地へのバスが発着している。 豊かな農産物の集散地でもある。 |
☆ パン・アメリカン・ハイウェイ
パナマからコスタリカの首都「サン・ホセ」へと向かう。 | パン・アメリカン・ハイウェイの地図 |
パン・アメリカン・ハイウェイは、北はアメリカ:アラスカ州のフェアバンクスから、南はアルゼンチン:パタゴニアのウシユアイアまで、その長さは48,000km。日本列島を2,000kmとすると、日本列島の24倍の長さとなる。 14か国を通過する世界で最も長いハイウェイの一つである。 しかし、ハイウェイはペルーの地上絵を横切って建設されたため、地上絵の一部が破壊されている 。また、パナマとコロンビアの間にあるダリエン地峡一帯で、約87kmにわたって南北に分断されている。 |
ダビのホテル、ウエルカム・フルーツ | 中米のワインはチリ産 | わずか10名の日本人客にと、寿司が提供された。 |
ワインと前菜 | メインはステーキ、厚くて大きい |
☆中米7カ国比較
国名 | 人口 | 面積 | 首都(人口) | 宗主国 | 言語 | 産業 | 特徴1 | 特徴2 |
パナマ | 330万人 | 日本の1/5 | パナマ・シティ | スペイン | スペイン語 | 海運・漁業・金融・観光・バナナ | パナマ運河 | 拡張工事2014年完成、現在の2倍 |
コスタリカ | 450万人 | 九州、四国を足した位 | サン・ホセ | スペイン | スペイン語 | コーヒー・バナナ・畜産・砂糖・観光 | 中米で最も安定した民主主義国 | 高い教育水準常備軍の不保持、 |
ニカラグア | 515万人 | 日本の1/3 | マナグア | スペイン | スペイン語 | 綿花・サトウキビ・バナナ・米・タバコ | 国民所得や識字率などが中央アメリカでも未だに低い | 内戦が長引き、経済が中米で最低 |
エルサルバドル | 685万人 | 九州の半分 | サン・サルバドル | スペイン | スペイン語 | 繊維の軽工業・コーヒー・砂糖 | 米国へ出稼ぎによる家族送金で経済の下支え | 14家族が土地を独占、貧困を招いた |
ホンジュラス | 748万人 | 日本の1/3 | テグシガルバ | スペイン | スペイン語 | 木材・バナナ・コーヒー・綿花・砂糖 | 中央アメリカで最も貧しい国 | アメリカ合衆国資本によるバナナ共和国が影響 |
グアテマラ | 1,368万人 | 日本の1/3 | グアテマラ・シティ | スペイン | スペイン語 | コーヒー・バナナ・砂糖・綿花・カルダモン(スパイス) | 米国へ出稼ぎによる家族送金で経済の下支え | マヤ文明 |
ベリーズ | 31万人 | 四国と同規模 | ベルモパン | イギリス | 英語、スペイン語 | 観光・砂糖・オレンジ・ジュースバナナ | 美しい海と珊瑚礁に恵まれ、「カリブ海の宝石」と言われる | 米国、コロンビアの麻薬中継基地 |
中米諸国の経済所得水準 |
旅を終えて・・・ パナマ運河の開発者が、スエズ運河と同じレセップスとは知らなかった。世界最高級の難工事であったという。 しかし、パナマ運河は現在の規模の倍にするため、工事中である。2014年完成と言う。 加えて、海に囲まれ、海産物も豊富である。シーフード料理も旨いし、チリ産ワインも旨い、コーヒーも旨い。 |