ポーランド紀行

地図の説明    

               ヨーロッパにおけるポーランドの位置                                  旅行行程

 2010年7月、ヨーロッパのポーランドを訪れた。幸い「LOTポーランド航空」が新千歳から往復チャーター直行便が出たので急遽決定した。下調べをすると、ポーランドが生んだ作曲家ショパンの生誕200周年で各種の企画があるらしい事。世界の負の遺産、アウシュヴィッツ強制収容所跡も見学したい事が大きな目標であった。

 日独伊三国同盟の背景、そしてナチス・ドイツの人類史上類なき悲惨な思想と暴挙、そしてユダヤ人の虐殺は何故起きたのかを掘り下げて見聞してみたい。三国同盟を組んだ日本人子孫の一人としても、アウシュヴィッツから目を背けてはならないはずである。

 何故戦争が起きたのか、何故あのようなむごい事をしたのか、周辺の国はどのようにその時対処したのか・・・。   暗くて重い旅になるかもしれない。

 ポーランド・インフォメーション

 ・人口 3800万人               ・主要都市  首都ワルシャワ(171万人)     ・ポーランドの平均高度 173m(ほぼ平坦)
 ・国土 30%が森林、9300の湖、深い森 ・コウノトリ   世界の1/4がポーランドに住む   ・面積  日本の4/5
 ・宗教 ローマ・カトリック 90%       ・通貨 1ズロチ=30円程度             
 ・農業 国内の42%が農地。小規模が功をそうし、有機農業が盛ん。らい麦、エスカルゴ、馬肉
 ・工業 パソコン、テレビ(ヨーロッパの30%生産)、車、バス
 ・経済 成長率はEU内でトップ。EU内の「工場」、若者人口の多さ。
 ・鉱業 石炭(世界8位)、天然ガス、ウラン。
 ・若者 人口の50%が35才以下、35%が25才以下
 ・大学進学率   70%
 ・世界遺産 13ヵ所
 ・気候 日本と同様、はっきりとした四季がある。

  

    ◎ 歴史年表

出来事

出来事

紀元前13世紀スラヴ人(中欧・東欧に居住していた)1918(1795〜123年の他国の分割時代終了)ソビエト政権成立しポーランドの独立が認められる
9世紀〜1370年(470年間)部族が国家統一しピャスト王朝興る1926ピウスツキーの独裁政権
1386〜1795(409年間)ポーランド・リトアニア連合の大王朝成立1939 (第二次世界大戦始まる)ドイツ、ソ連が侵攻。ポーランド政府亡命、イギリスへ
        1654年ロシア軍、スウェーデン軍のポーランド侵攻1944ワルシャワ隆起。国民統一政府発足
        1772年第一次ポーランド分割(ロシア、ドイツ、オーストリア)1948 (社会主義体制へ。41年間)共産党一党独裁体制確立
        1773年第二次ポーランド分割(ロシア、ドイツ)1989社会主義体制終了し、統一労働者党「連帯」へ政権が譲られる。
        1795年 ポーランド王国消滅第三次ポーランド分割(ロシア、ドイツ、オーストリア)1990「連帯」ワレサ議長が大統領に。
1807ナポレオンの支配から、ロシアの支配へ1999北大西洋条約機構(NATO)に加盟
1830 〜1918(88年間)ロシア帝国に併合される2004EUに加盟

    〇ポーランドは128年にわたり、フランス(ナポレオン)、ドイツ、オーストリア、ロシアに支配された。特に第一次〜第三次に至るポーランド分割の23年間は国土が消滅していた。

 

   ☆ 出 発 !

        新千歳空港国際線は今年新しくなった。          ミニシアターが出来て退屈しない。               スクリーンは二ヶ所  

  

   (最上段)LOTポーランド航空でポーランド第二の都市「クラクフ」へ。  この日が直行便オープンのセレモニー。        機長はじめスタッフの挨拶。

         

                機体は新千歳空港の端の方に遠慮がちに。                機内食。 開業記念? ワイン・ビールは何本でも出してくれる。  

  

 邂逅!

 今回、機内の隣の席に、偶然にも元職で大変お世話になった当時の上司のご夫妻にお会いした。当時公私共にお世話になり、最も信奉できた方であった。何かご縁を感じた旅である。フライト時間が10時間だが、昔話に花が咲き退屈せず意義のある時間を過ごせた。

 50カ国ほど旅行すると、特にこの所知り合いの方にお目にかかる割合が多くなる。一期一会、我以外皆師、いろいろな方から良い話が伺える。旅をする事は心が豊かになる。

  ☆ クラクフ

ポーランド第二の都市クラクフは人口75万人

      

     クラクフ空港は森の中にある。ポーランドは国土の30%が森林。       空港内の花束自動販売機。ヨーロッパは歓迎に花束プレゼントが恒例。

   

        空港から市内へ、街並みは非常に綺麗。           ヴィスワ川が趣をそえる。              車のプレート左端のPLはポーランドのしるし

  

クラクフの街並み

   

      工事現場の囲みにはカラフルな宣伝          ホテルの名前はショパン、ここはショパンの生まれた国です。 ホテル前のお店でビールを買う。500ml100円以下。

        ☆ 両 替

ポーランドの通貨はズロチ。1ズロチ=30円程度、2年後はユーロに。

                                        ヴァヴェル城は歴代ポーランド王の居城。                        

            

                                           城内の売店、水彩画の土産。                  

      スピルパーグ監督の「シンドラーのリスト」撮影場所        中世の建物群はそのまま利用、石畳も。       ホテル・コペルニクス。そうここが生まれた国。

           

                   クラクフ旧市街の中央市場広場                   ショパン生誕200年を記念して、広場にはピアノが、誰が弾いても良いそうだ。

     

        広場は中世の建物がそのまま。             ヨハネ・パウロ二世はポーランド出身                        旧市庁舎

            広場は馬車が観光客を乗せて1周。                                  織物会館は長さ100m。

〇 動画 クラクフの中央市場広場    http://www.youtube.com/watch?v=J5nc1KKlFQw

 〇 動画         同上          http://www.youtube.com/watch?v=VIZg4s0heos

  

                           ショパンの曲を弾きCDを売る人達                             こちらはビールを売る人?

〇 動画 クラクフ中央市場広場、ショパンの演奏   http://www.youtube.com/watch?v=IYnb5ToFN9Q

   

画家も広場で絵を売る。えは買わず、写真を撮る人ばかり。

   

     旧市街を侵入者から守っていた砦=バルバカン         ここにもピアノ                  ポーランド風ロールキャベツ(中は米)とビールが美味い国。

 

  

                     ポーランドは当時の王様の理解でユダヤ人が多かった。        ユダヤ人街の建物とユダヤのマーク

         ユダヤ人と聞いて、黒い帽子に黒い服を着て、髭を生やしている姿を思い浮かべる人が多い。少しユダヤ人について知識を広めましょう。

                   参考

              ユダヤ人 - Wikipedia               http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA

                         ユダヤ人が迫害される理由T〜ユダヤ人の歴史〜    http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-60.htm

                        金融の元祖ユダヤ人                     http://tanakanews.com/b0201jew.htm

聖マリア教会。1222年建築、ヨーロッパ第二位の高さを持つ木造彫刻。

     ☆ ヴィエリチカ・岩塩採掘場跡

             

                         入口、エレベーターで下りる。                           馬も飼われて作業

 

 クラクフから南東15km、小さな町の地下には1250年から1950年まで実に700年もの間岩塩が取れた。ユネスコ世界遺産に登録されている。

 2千万年前に海だったヴィエリチカの町は、地殻変動で陸となり、海水が蒸発して巨大な塩の層ができた。13世紀にヴィエリチカ岩塩坑の採掘は本格化し、ここでとれた岩塩は      「白い金」と呼ばれ、ポーランド王国に大きな富をもたらした。
7百年をかけて掘られたヴィエリチカの坑道は、深さ3百メートル、総延長3百キロに及ぶ。地下64〜325mもあるという。

 王の像、採掘工の像、コペルニクスの像も塩で作られている。巨大な空間には、礼拝堂、運動場、地底湖まであり、圧巻は塩で作られたシャンデリアである。

礼拝堂のある地下広場、シャンデリアも塩で。

〇 動画 ポーランド・ヴィエリチカ岩塩採掘場跡   http://www.youtube.com/watch?v=abBkqZAPu9k

                          塩で作られたシャンデリアは微細。                   最後の晩餐、7cm起伏だが遠近法で見事に立体的。

            ガイドはポーランド美人              エレベータで広場へ。ガイドがいなければ迷う。        塩の広場にはレストランまで。

       

        次の目的地、オシフィエンチムに向かう。やはりあった「TOYOTA」の看板             ポーランドの列車

    ☆アウシュビッツ強制収容所(オシフィエンチム)

 

 アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 Wikipedia 参考

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%EF%BC%9D%E3%83%93%E3%83%  AB%E3%82%B1%E3%83%8A%E3%82%A6%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80

                 入口看板                         見学者が耐えない                          収容棟

                

           全体の構図          収容者が最初に入る門の上には「ARBEIT MACHT FREI 」(働けば自由になる)という白々しい文字が。

                            注目すべきは「 B 」の字が、上下逆さまで上のほうが膨らんでいる。作らされた収容者がせめてもの抵抗ではないかと。

      〇 動画 アウシュヴィッツ強制収容所跡   http://www.youtube.com/watch?v=e7MCc-p2tEc

       

        1944年、ドイツ軍は44万人のユダヤ人をハンガリーからアウシュヴィッツ収容所に連行してきた。

                           

                                                 ガス室に送られるとは知らずに、順番を待つ女、子供、老人達。

 収容所から生きて生還できたユダヤ人の体験手記(抜粋)

 ・アウシュヴィッツに到着するとすぐ、持ち物を全て取り上げられ、身分を証明するものをいっさい失った。
 ・収容者は生存競争のなかで良心を失い、暴力も仲間から物(パンなど)を盗むことも平気になってしまった。
 ・私はたまたま生還できたが、いい人は帰ってこなかった。

 ・多くのユダヤ人は安定した土地を与えると言われ、金銀・プラチナ・ダイヤモンドを持ち込み移住してきたが、それは抗弁であった。     
  貴金属や宝石は巨大な倉庫だけでなく、ドイツ人の懐に貯め込まれた。
 ・収容塔の定員がせいぜい200人の所に、1100人が移送されむき出しの土間に寒さに震え、空腹にさいなまれながら、うずくまっ たり立っ
  たり、全員が座る事が出来なかった。もちろん横になることなどできなかった。4日間でパンをたったのひと切れしか あてがわれなかっ
  た。

 ・貨物車から降りると、高級将校の前に順番に通され、右手で右、左と指示され区別された。あとで判明したが、右は労働に、
  左は労働不適格者と言う事でガス室送りであった。
 ・私は三段「ベッド」で寝た。一段(縦が2m、幅が2.5mほど)の、むき出しの板敷きに9人が横になった。毛布は9人に2枚だけ。
 ・私たちは横向きにびっしりと体を押し付けあって寝なければならなかった。もっとも、外は冷え込み、居住棟には暖房などなか
  ったのだから、これは都合が良かった。

 ・人間にはなんでも可能だと言う事を体験した。収容所暮らしでは、一度も歯を磨かず。歯茎は以前の栄養状態の良かった頃よ
  り健康だった。半年間、たった一枚の同じシャツを着て、傷だらけの手は土木作業で汚れていたが、傷口は化膿しなかった。
 ・仲間とぎゅう詰めになり、耳元で盛大ないびきを聞かせられても、横になったとたんにぐっすりと寝入ってしまった。
 ・「鉄条網に走る」という収容所特有の言い回しは、収容所ならではの自殺方法を言い表している。つまり、高圧電流が流れている鉄条網
  に触れると言う事だ。

 ・一日の食事は水としかいえないようなスープ、人を馬鹿にしたようなちっぽけなパン、それにおまけがついた。ソーセージ一切れか、チー
  ズのかけらであった。
 ・皮下脂肪を最後まで消費してしまうと、私たちは骸骨が皮をかぶって、その上からちょろっとぼろをまとった有様になった。
 ・筋肉組織が消えると、体は抵抗力がなくなり、居住棟の仲間はばたばたと死んでいった。
 ・夜は寝る前にシラミを取るのだが、その時自分の体を見て考える事は、皆同じだった。これが私の体か?これはもう死体じゃないか。
 ・夜、横になる前にシラミ退治ができれば、私たちはもうそれだけだ喜んだ。シラミ退治が途中半端だと、夜もおちおち眠られないのだ。
 ・重病人には薬を半錠与え、危篤状態の患者には何も与えなかった。薬が無駄になるだけだからだ。

土木作業

                                                今はむなしいポプラの木

   

             銃殺用の「死の壁」には花束が絶えない。                              イラストと言えど壮絶な絞首刑の場面

    

     第二アウシュヴィッツビルケナゥ。「一大殺人工場」と言われている。写真は絞首台。   死の門をくぐって鉄道の引込み線が真直ぐ敷地内に入り込んでいる。

〇 動画 アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ跡  http://www.youtube.com/watch?v=UOwedYpgZ7o

冷静に、真剣に当時の状況を伝えて、見学者に問題提起をしながら「負の世界遺産」を説明する日本人ガイドの中谷剛さん。

                 オシフィエンチム博物館公式ガイド資を取得者     http://www.e.okayama-u.ac.jp/~taguchi/kansai/nakatani.htm

  

           収容所の集団トイレ             この狭いトイレで並んで、一人二分程度と決められていた      三段ベッド、ワラの敷物で寝る

      

     ガス室で使用した毒ガス・チクロンBの空き缶  最も衝撃的な女性犠牲者たちの髪の毛  その髪の毛を混ぜて作って売った服    入所した時のカバンの山

      

                 脱がされた靴  ガス室、働けないとみなされた女性、子供、老人は汽車から降ろされるや否やここへ直行された。  死体焼却室

 アウシュヴィッツの犠牲者数(殺害された人数)

    ユダヤ人      100万人
    ポーランド人     7万人
    ジプシー       2万人
    ソ連軍捕虜      1万人
    その他        1万人


    合 計       111万人

ユダヤ人が迫害される理由

 ユダヤ人は、なぜ差別され、迫害されるのか? なぜ、多数のユダヤ人が虐殺されてきたのか? 結論から先に述べると、宗教の争いであろう。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の争いである。 

 ユダヤ人迫害を決定づける歴史的大事件は、イエス・キリストの死刑執行人がユダヤ人だった。さらに銀貨30枚でイエスをうった十二使徒のユダも、ユダヤ人であったといわれている。 このことは、キリスト教本流をなす宗派や、イスラム教の信者たちに、ユダヤ教徒への根強い不信感と憎悪を植えつけた。そして、このユダヤ人への黒いフィルタは、差別と迫害とともに、イエスの死後2000年経過した現代まで存続している。

弾圧から生まれたユダヤ人の金融業

 11世紀に、バチカンのキリスト教会がユダヤ人をほとんどの職業から追放した後、ユダヤ人にとって数少ない収入源として残ったのが、高利貸し(質屋)や金塊の保管人、両替商(貿易決済業)など、利子を取り扱うことが多い金融業であった。バチカンのキリスト教会や、中世ヨーロッパの支配者が、ユダヤ人をそのような立場に追い込んだ理由は、社会の共通の敵を設定することで、自らの権力を安定させるためだったといわれる。

ドイツの当時の状況と、ドイツの驚くべき言い分 

 1930年代、歴史上最も有名なユダヤ人迫害が起こる。ナチス政権による迫害だ。『ナチス=ヒトラー=ユダヤ人迫害』という図式である。ナチス政権は、アーリヤ人種(現在のインドの地域)こそ、他のあらゆる人種に優越すると主張し、逆にユダヤ人は最も劣悪な人種であると云う人種不平等論を国民に発表する。そしてこの理論はユダヤ人への差別と迫害を正統化するためのバイブルとして利用した。これに、先の宗教的な憎しみも加わり、単なる差別から、迫害、虐殺へとエスカレートしたのである。 そしてナチス政権によるユダヤ人への差別、迫害、虐殺は、凄まじいものになっていく。
 
 まず、ユダヤ人を法律の保護の対象から除外するという途方もない特別立法が可決された。これは、財産権・生存権・裁判権の消滅を意味している。つまり、ユダヤ人は財産を没収されたり、不当に逮捕されたり、裁判もなく処刑されることが、法の上で認められたのである。
 その理由は、ユダヤ人がドイツにいるから我々の仕事がなくなり生活が苦しいのだという理論のすり替えであった。

 第一次世界大戦でドイツは敗戦、ベルサイユ条約が重い賠償金をドイツに負わせた事が、ヒトラー政権誕生の重要な要因の一つである。少なくとも、ヒットラーが「ベルサイユ体制打破」を唱えた事が国民の『人気』の理由の一つなのははっきりしている。

 ドイツの敗戦〜賠償責任〜国内の不景気、インフレ〜ヒットラーに夢を託す〜経済の回復期待〜近隣諸国を植民地化計画〜労働力確保〜ユダヤ人を労働力として利用〜アウシュヴィッツ送り〜働けないユダヤ人はガス室送り〜ヒットラーの暴挙に、ドイツの知識層、国民は傍観者を決め込んだ。

 ヒットラーに限らず、当時のドイツの指導者は国民に次のように発言している。
  ◎ 「ユダヤ人は完全に絶滅させなければならない人種である。」
  ◎ 「我々はドイツ国民をポーランド人、ロシア人、ユダヤ人とジプシーから開放しなければならない。」
  ◎ 「ドイツ人生活向上のためには、ドイツ人が移住するためのドイツ領の拡大である。我々の戦争目的は、人を勝ち取る事ではなく、農業に適する領      域を勝ち取る事である。」

    ☆ ポーランドの有名人

   ヨハネ・パウロ二世     コペルニクス        ショパン   キューリー夫人    ワレサ元大統領

    ☆ ヴロッワフへ

              

       本日の昼食は、ポーランド風餃子                      いらっしゃいまし〜                そしてピエロギ・ポーク料理

     

               ポーランドの作物は麦、ジャガイモ、トウモロコシの畑が延々と続く。                         ガソリン・スタンドの作りは万国共通

      

                         ハイウエイのサービスエリアはGSに付随している。日本と同じ内容、マクドナルドもある。

     

可憐に咲く野の花

    

街角で見かけるポーランド美人。とにかくスタイルが良い。

  

ヴロツワフは人口63万人でポーランド4番目の都市。

6世紀にはすでにスラブ人(現在のロシア周辺の国)の集落がここに出来ていたと言う。 その後13世紀にはモンゴル人、14世紀にはボヘミア候(現在のチエコ、ドイツ周辺)に支配され、やがてハプスブルグ帝国(オーストリア)の一部に組み込まれた後、1945年まではドイツの一部だった。 複雑な歴史を持つ町であり、他国に常に支配されていた。

      

    きのこのスープ、これは美味かった。       ポーランドの代表的なビール。街の店では500ml100円以下、ホテルでは400円程度。

    

           5つ星ホテルは素晴らしい。            中世の建物が保存、利用されている。      ハトも異国モード?        何百年もの石畳

百年記念会館。ナポレオン戦争の勝利から100周年を記念して造られた世界最大級のコンクリート製円形ドーム

    

              5つ星のホテルは5つ星のスタッフ                               旧市場広場は美しい

     

                     広場内の噴水                             この日も快晴、連日30〜36度、たまらない暑さ。しかし湿度は低い。

         

       街角にある小人の像。小さく四つ角の片隅、散策道路の端、ホテルの前とかにありとても可愛い。観光客は20〜30個ある像を捜して歩くという。良いアイデアだ。 

                      

        これは肉屋さんの前、こういう動物の肉がありますという宣伝          これはホテル前、今日は満室なのでベッドを借りてホテル前で寝ている小人さん

  

ありました、日本料理店。しかし高いそうだ。

  

       100mもある塔には途中からハシゴ、どうぞ登って下さいというご愛嬌とか。        屋根の瓦と窓が特徴、民家。  

    

ヴロツワフは橋の多い街

 世界で橋の多い都市

 1.アムステル・ダム(オランダ) 2.ハンブルグ(ドイツ) 3.サンクト・ペテルブルグ(ロシア) 4.ベネチア(イタリア) 5.ヴロツワフ(ポーランド)

      ☆ ポズナン   

首都ワルシャワとドイツのベルリンの中継地の都市であった。

    

             洒落たレストラン                        煮込み料理ビゴス                      デザートはプリン

    

            ポズナン美人?                 ポズナン大聖堂はポーランド最古のキリスト教会        観光客に祝福される新婚さん

     

    ☆ トルン

天文学者コペルニクスが生まれた町

    

         コペルニクス像                        今日は、よく観光客が来るワン!                     コペルニクスの家

  

  

             ハイウエイの料金所                   ポーランドの林は赤松と白樺が多い。                整備されたハイウエイ

  

      小麦畑が広がる。国名ポーランドの語源は「平原」、山は1週間の間見当たらなかった。 「グダニクス」方面          ガソリン料金、449×3=133円程度

     ☆マルボルク

  

                                                マルボルク城はドイツ騎士団の居城(13〜14世紀)

    

            モミの木が多い。                   つかの間の夏の日差しを浴びる人々                 ドイツ騎士団の衣装

    

                 騎士団の戦争スタイル?                                    ビーフ料理

 韓国ツアー客

 中国人ツアーよりはうるさくないが、韓国人の団体客もすぐ分る。特にホテルの廊下を歩くと、プ〜ンとキムチの香りが漂う。香りと言うより、匂いと言う方が的確である。部屋で食べている位なら、「ホホ~ウ!」で許せるが、レストランでワイワイ、ガヤガヤ、匂いをプ〜ンははなはだ迷惑である。

 こちらの美味しい料理が全部キムチ臭くなる。 少〜しでいいからおすそ分けでもしてくれるなら許してあげるのだが。 

             アンニョン・クサイゾ〜!!  カムサ・キムチクレ(ハムニダ)〜!!

 

     ☆ グダニスク

      

               第二次世界大戦勃発の都市で有名。もちろんドイツ軍が一方的に!                 破壊されたグダニスクの街並み

  

    

         琥珀売りのお姉さん           琥珀のペンダント                       グダニスクの港街〜風情抜群!

    琥珀とは木の樹脂(ヤニ)が地中に埋没し、長い年月により固化した宝石である。ここグダニスクはバルト海に面しており、世界でもトップクラスの琥珀の産地。特に中に虫が入っているものが価値が高い。

   

  ロシア領土で、飛行機事故で今年亡くなった大統領。           連帯記念碑    1939年、ここグダニスクにドイツ軍が奇襲をかけて大戦につながったバルト海入口

 グダニスク造船所と連帯記念碑

 1980年、ソ連による社会主義体制のとき、レーニン造船所の一労働者だったレフ・ワレサ(後の大統領)が労組を結成し、自由を求めて立ち上がった。その後、政府の厳しい弾圧にもあったが、結局は今日のポーランド民主化、ひいては旧東欧全土に及ぶ壮大な改革の引き金となり、20世紀の歴史に大きな足跡を残した。

 連帯記念碑は弾圧を受けて、生命を落とした労働者の霊を弔うために建てられている。今も献花が絶えない。

                                            「連帯」 ワレサ当時議長後に大統領

  

       「NO  MORE WAR」 (もう戦争は嫌だ) 第二次世界大戦勃発の地に建つ平和を願う碑。剣が逆さに刺され、戦争をしないという表示。 連帯の造船所

     ☆ワルシャワ(ポーランドの首都)  

 

                                    〇 動画 : ワルシャワ市内    http://www.youtube.com/watch?v=2oImm3rOCnc

          

                          夜のワルシャワ             社会主義体制時、ソ連から送られた建物。費用はポーランド持ち、市民に人気はない。

ワルシャワ旧市街

     第2次世界大戦後、戦火で荒廃したが、「煉瓦のヒビに至るまで」復元して往時の町並みを回復した1980年にユネスコによって

                   「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産に登録された。

  

              ワルシャワ蜂起記念碑 (20万人の死者を出した)                         無念さ、苦しみが伝わってくる    

           ワルシャワ蜂起 参考文献  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E8%9C%82%E8%B5%B7

              

                    

                             ワルシャワ市内:美女と野獣                         レオナルド・ダ・ヴィンチ展 「白貂を抱く貴婦人

〇 動画 ワルシャワ旧市街広場   http://www.youtube.com/watch?v=g-E1QHJihc4

   

      ワジェンキ公園にある、柳の木に腰をかけたショパンの像                  ♪ ショパン・プライベート・コンサート鑑賞 ♪

         (左) ポーランドの首都・ワルシャワの郊外、ワジェンキ公園にあるショパンが柳に腰をかけた像。ボタンを押すと「英雄ポロネーズ」の曲が流れる。

                動画・・・http://www.youtube.com/watch?v=4uuoobj5h2M

        

ワルシャワでのお別れ夕食会

〇 動画 ポーランドの民族舞踊   http://www.youtube.com/watch?v=w4s7v5DXO6k

  

       ワルシャワの西54Kmにショパンが生まれた町ジェラゾヴァ・ヴォラがある。 現在は博物館。           ショパンの生家

〇 動画 ショパンの曲を聞きながら、ワルシャワの郊外へ  http://www.youtube.com/watch?v=T-ch2QmGE4A

  

                         ショパン                                     ショパンの楽譜

聖十字架教会
(c)SAN HOYANO / SEBUN PHOTO        

                     ショパンの心臓が埋められている「聖十字架教会」                 この石柱の下にショパンの心臓が埋められている

 ショパンの曲

 第二次世界大戦中ナチス・ドイツに占領されたポーランドでは、わずかな例外を除き、フリデリック・ショパンの音楽は演奏する事も、レコードを聴くことも禁じられていた。ポーランドの人達に寄り添い、ポーランド魂を奮い立たせるショパンの音楽は、ナチス・ドイツにとってもっとも忌むべき危険な音楽の一つであったと言う。

大国ロシア帝国に蹂躙される故国ポーランドへの想いからか、ショパンは時として情熱的な作風の曲が多いようだ。

ドイツ管理下のポーランドには戻れず、後半生は大部分をフランスで過ごしたショパン。しかし望郷の思いは終生止むことがなく、死後心臓が遺言により姉の手でポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会に埋葬された。故郷を支配する列強への反発心は若い頃から強く、「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」と評されることもしばしばであったそうだ。

 そのような背景から生まれたショパンの曲は非常に力強く強く印象的でもある。 今年が生誕200年である。

   ショパン 英雄ポロネーズ

         動画 http://video.nifty.com/cs/catalog/video_metadata/catalog_090502195728_1.htm?nwsThough=1

ショパンの生家の近く、聖ロフ教会の中庭で「コウノトリ」の住みか。

 コウノトリ

 「コウノトリが住み着いた家には幸福が訪れる」という言い伝えがあるそうです。

 コウノトリは自然が豊かなポーランドがお気に入りのようで、春になると沢山のコウノトリが飛来してきて、こうして巣を作って、
冬以外の季節をのんびり過ごしていくそうです。世界のコウノトリの4分の1がポーランドにいると言われています。

 ポーランド旅行中、電柱の上とか高い木の上に巣を作り親子(子は2匹が多かった)でのんびりしている姿を多数見かけた。

 バスの中で乗客が交互に声を出す。「アッ、コウノトリ!」 「アラッ、あちらにもコウノトリ!」 「あそこにも!」

 誰かが云った。「今日も35度もあり暑いのに、巣に屋根はないのだから、焼き鳥にならないのかな〜」 聞いていた皆も頷く・・・

「ワルシャワ・フレデリック・ショパン国際空港」

 ポーランドの印象

 ポーランドは非常に綺麗な国、そしてポーランド人は優しく穏やかな国民姓と思われる。大学進学率は、ヨーロッパで1位で聡明な人が多いと聞く。
 共産主義の名残なのか、待たされることに慣れているようで、郵便局で1時間待たされても文句を言わないそうだ。 
 
 共産主義国家・中国では食事の時、水の御代わりをしても遅いし、出てこないことも多い。キューバでのホテルではフロントに客が10人いようが20人いても、フロントでは一人しか対応しない。常にマイペース。
 だから社会主義経済は殆どの国で崩壊したのであろう。

 しかし、ポーランドの歴史を学ぶと近辺の国から常に侵略されていたが、国民は皆親切で困った人を放っておけない性質の方ばかりで、謙虚な人が多いようだ。

 歴史的に、強国が弱小国を支配・侵略した事実は多い。

 植民地を作り侵略を繰り返してきたヨーロッパの国々、フランスのナポレオン時代、オーストリアのハプスプルグ時代、ナチスドイツ時代、アメリカのメキシコ割譲と戦争しかけ国、そしてソビエトの度重なる周辺国いじめ、近くは中国も新疆ウイグル、チベット、内モンゴルで強引な政策と、数え切れない。

しかし、ポーランドは侵略され苦難の歴史があまりにも多く長い。だが、最後は長い年月をかけて民主化を勝ち取ったようだ。

 ポーランドの国土をほぼ一周した今回、緑が多く、作物も自給自足で、街並みもきれいで、歴史建造物も保護されており、穏やかだ。何より国民性も明るく親切。争いを好まない国民性でもあろうと思われる。これから平和な国で進んでほしい。聡明な国民が多いのだから期待されるだろう。 素晴らしい国であった。素晴らしい旅をした。                     
                                                                          おわり

                                               参考文献
                                                     ・「夜と霧」  ヴィクトール・E・フランクル著     みすず書房
                                                     ・アウシュビッツ・ビルケナウ (その歴史と今)  アウシュヴィッツ博物館発行
                                                     ・「ふりむけば そこにショパン」           ポーランド政府観光局発行
                                                     ・ユダヤ人が迫害される理由T〜ユダヤ人の歴史〜 週刊スモールトーク
                                                     ・金融の元祖ユダヤ人                 田中 宇 
                                                     ・良心の選択                      中谷 剛
                                                     ・アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所   ウィキペディア フリー百科事典  
                                                     ・ポーランド                             同上
                                                     ・第一次世界大戦                         同上
                                                     ・第二次世界大戦                         同上
                                                     ・ワルシャワ蜂起                          同上
                                                     ・地球の歩き方「ポーランド」             ダイヤモンド社

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