ロシアより愛をこめて 


    

2009年9月、「007 映画ロシアより愛をこめて」でおなじみのロシアの旅をした。

ロシアに行く前の印象は、極寒のシベリヤ抑留、未だ占有する北方領土、耐えない民族紛争、革命の繰り返し、共産主義時代、冷戦・・・と暗いイメージが多かった。

しかし、イデオロギーはともかくとして、ロシアの国は明るく、綺麗、歴史があり、素晴らしい国であった。ヨーロッパの都市と遜色ない。

 

行程:成田〜モスクワ(10:00)〜サンクト・ペテルブルグ(1:20)〜ツアールスコエ・セロー(2:00)〜ペテルゴーフ(1:00)〜モスクワ〜スズダリ(4:00)〜ウラジミール(1:00)〜セルギェフ・ポサード(2:30)〜モスクワ〜成田

(写真左) ポクロフスキー聖堂(ワシリー寺院)         

ロシアで最も有名で綺麗な大聖堂。モンゴルへ の戦勝を記念して、イワン雷帝によって建てられた。9つの玉ねぎのようなドームがつけられているがすべてこれは教会。

そのあまりの美しさに驚き、イワン雷帝は二度とこのような美しい建物が出来ないように、設計した二人の眼をくりぬいてしまったと言う。

 


 ロシアが誇る8つの世界遺産を巡る

 

     水の都市・ サンクト・ペテルブルグ

     ツアールスコエ・セローのエカテリーナ宮殿

   ペテルゴーフ・ピヨートル大帝夏の宮殿

  スズダリ・ロジェストヴェンスキー寺院

    ウラジミールのウスペンスキー寺院

 セルギエフ・ポサードのトロイツェ・セルギェフ大修道院

 

   モスクワのノヴォデヴィッチ修道院

      モスクワ・クレムリン

 

 ロシアの歴史

5世紀    スラヴ国家 スラヴ人(中央・東欧に居住した古代人)が移り住み、ノヴゴルド(現在、モスクワの北 西の町)、キエフ(現在のウクライナの首都)に都市が出来る。
8世紀    リューリク王朝 乱れた古代ロシアに、スカンジナビア半島 ( スェーデンあたり )のバイキングの一族 がノヴゴルドの土地に招かれる。
988年 キエフ・ルーシ王朝のウラジミール・モノマフ公が要塞を築き、ロシア の首都とする。 ウラジミール公が国家の基盤強化のために、キリスト教(現在のロシア正教会)を 国境に定める。
1236年〜1487年(251年間) モンゴルの支配を受ける。 モンゴルの長年の支配を、タタールのくびき(タタール=モンゴル、くびき=逃げら れない)と言う。 忍耐強く、我慢強い国民性はこの頃から養われている。
1487年〜1917年(430年間)  帝政ロシア(ロマノフ王朝) 皇帝の専制政治 (国王の絶対的権力)と、農奴制(農民に自由意志を持たせず拘束)主制国家を樹立。イワン雷帝、ピョートル大帝、エカテリーナ2世(女帝)、ニコライ二世。
1922年〜1991年(70年間)    ソビエト社会主義共和国連邦 (ロシア革命) 二月革命、十月革命を経て世界で初めての共産主義、共産主義の国家となる。   レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、アンドロポフ、ゴルバチョフ。
1991年〜現在         ロシア連邦共和国 (資本主義) エリツイン、プーチン、メドベージェフ、プーチン。

帝政ロシア(1481年〜1917年)話題の皇帝       

                       
イワン雷帝:1533〜84 ロシア至上最大の          暴君 ピョートル大帝:2mを越す大男。支配していたスェーデンに勝つために、サンクトペテルプルグの都市を作る。ヨーロッパ文明を吸収。 エカテリーナ2世(女帝):ドイツの小国から皇帝に嫁いだが、無能の皇帝を排し、みずから皇帝に。12人の愛人を持っ。 ニコライ2世:津田三蔵に教われた大津事件の、ロシア最後の皇帝。新生ソビエトにより、シベリヤで一家処刑される。

 

ソビエト(1922年〜1991年)、ロシア(1991年〜)の指導者

           
 レーニン:史上初の社会主義政権を樹立した革命家。在位12年。  スターリン:レーニンを助け、レーニン死後は東欧諸国の社会主義化を推進。在位31年。  フルシチョフ:スターリン批判を行い、平和共存路線を推進したが、中国との関係悪化、失脚。在位11年。  ブレジネフ:国際緊張の緩和、平和共存の二原則を推進。在位18年。
         
 アンドロポフ:KGB議長から書記長に。経済再建を実施。在任1年半で病死。  チェルネンコ:在位1年弱で病死。  ゴルバチョフ:東西軍縮、緊張緩和推進。ソ連邦の解体で辞任。ノーベル平和賞受賞。在位7年。  エリツイン:ロシア連邦共和国の初代大統領。晩年、強権政治と政治腐敗で引責辞任。在位8年。
 
     
 プーチン:ロシア連邦共和国第二代の大統領。経済危機を脱し、国民に大人気。在位8年。現在首相。  ドベージェフ:プーチンからの指名で3代大統領に、44才。プーチンとの二頭政治が今後危惧されている。

 


ロシアの玄関口

     

         モスクワ・ドモデドヴォ国際空港              サンクト・ペテルブルグ・プルコボ空港


ロシアの有名人銅像

        

                 ピョートル大帝               ドストエフスキー                マルクス

       

          レーニン                  チャイコフスキー            トルストイ          プーシキン


エルミタージュ美術館

世界四大美術館(他にフランスのルーヴル、ニューヨークのメトロポリタン、イギリスの大英博物館)の一つ。エカテリーナ二世(女帝)のコレクションが美術館となった。美術館は1000室以上の部屋があり、その内400室に美術品を展示している。

  

エルミタージュ美術館

    

             エルミタ美術館の前庭と、その向うにも円形の建物が         ガイドのアレキサンダーさんは有名人。プーチン首相の専属日本人ガイドで日本通。

    

         大使の階段:無数の外国施設を迎えた正面階段は絢爛豪華

 

          

 

    

 

      

                                                            マティスの絵は有名


エカテリーナ宮殿

サンクトペテルブルクから南に25km、ツァールスコエ・セロー(皇帝の村を意味する)にあるのがエカテリーナ宮殿。ピヨートル大帝の妃、エカテリーナ1世のために建てられた。その後、エカテリーナ二世(女帝)が改装。外壁の長さが300m、青い塗装が素晴らしい。

エカテリーナ二世に限らず、昔の皇帝や教会やモスクなどは、国民から搾取してよくもまあ贅沢な生活をしたもんだとあきれてしまう。

外壁長さが300m

      

            大広間・贅のきわみ            外では貧しい市民が1個千円、どの国にもある風物詩     まばゆいばかりの「琥珀の間」  


サンクトペテルブルク 

かって帝政ロシアの首都、サンクトペテルブルクは、ヨーロッパで最も美しい町のひとつに数えられている。皇帝や貴族の豪奢な宮殿が建ち並び、水路には観光客を乗せた小船が行き交わる。格式ある劇場もあり、ばれーやおぺらの本格的な演奏が毎夜行われている。チャイコフスキーはロシアが誇る一人でもある。

この地は300年前は何もない一面の沼沢地であった。1700年代、ピョートル大帝がロシア近代化の要として、バルト海に開かれた港と要塞を築いた事に始まる。だからフインランド湾に面し、北欧フインランドは目の前だ。

イタリヤ「ベニス」と同様、「水の都」と呼ばれるとおり、市内には65の運河が流れ、365もの橋が架かっている。この地を築くために使役された捕虜のスウェーデン兵や農奴ら4万人以上が、疫病や飢えなどから命を落としたと言う。ソビエト、ロシアはシベリヤ抑留でも多くの日本人捕虜も犠牲にしている。その事を思う時、手放しで美しさに感動はできない。

ロマノフ王朝(帝政ロシア)の栄華と終焉時まで、その名はサンクトペテルブルグ、第一次大戦のドイツによる包囲線の悲劇の時はペトログラードと名前を変えられ、レーニンによる革命の時はレーニンの名前からレニングラードと名を変えている。そして近世は元のサンクトペテルブルグと数奇な運命の都市である。

現在のサンクトペテルブルグは開放的、ヨーロッパ的、文化芸術の町だ。保守的でロシア的、政治経済の街であるモスクワとは対照的だ。

ロシアの人口は1億4,000万人強。モスクワが1,000万人、サンクトペテルブルクは460万人で2位である。

    

    「水の都」サンクトペテルブルグには65の運河と365の橋が     町を作ったピョートル大帝           街中を運河が続く

    

       結婚式を祝うクルーズ          右奥の青い建物はエルミタージュ美術館     エルミタージュ美術館の渡り廊下の下の運河を行く 

サンクトペテルブルクの街は整然としている。それは条例で街の建物は23m以内に統一されているせいでもあろう。

モスクワ

 モスクワ川からモスクワの町の由来がある。かって 「戦争と平和」 の作者である、トルストイは「ロシア人なら誰でも、モスクワを母だと感じる」と表現している。ロシアを訪れるまでのロシアの印象は、暗い、重い、怖い、シベリヤ抑留、北方領土、頑固、ニエット(NO)、非文化・・・であった。 テレビから見るロシアは、冷戦、敵国の首都、クレムリンにひるがえる赤旗、赤の広場のパレード、そして貧しい国民が行列を作りパンを買う姿、そんな印象しかなかった。

 先入観念とは恐ろしいものだ。日本人の観光客の殆どがロシアを訪ねて考えを変えるらしい。ロシアは世界の国でもトップクラスの素晴らしい国であると言うらしい。街並みは綺麗、高級マンションが建ち並ぶ、高級車も多い、チャイコフスキーの音色が聞こえてきそうな文化的な町並み。何よりもロシア全土に立つ「ロシア正教会」のキリスト教の教会がどこの国の教会よりも美しい事である。

 しかし、中国と同様に市民の笑顔が足りない。じっとこらえて耐えているような感じがする。中国は未だに50年も共産党時代が続き、言論の自由がない。ロシアも70年も圧制が続いたのだからいたし方がないのだ。それよりもその前の「帝政ロシア」の430年に及ぶ皇帝時代、更にその前の「モンゴル」による250年の支配時代。 ロシア人は忍耐と我慢強さを強いられてきたのだから、手放しで明るくなれないのであろうか。

                               モスクワ川

    

ロシアには教会が日本のコンビニのように多い

 建物の上にはネギ坊主の数が、
 1つだったら、「父なる神」
 3つだったら、「三位一体」
 5つだったら、「救世主(イエス・キリスト)と福音書を書いた4人の使徒(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)」  ワシリー聖堂はその一つ。中心がイエス・キリスト、それを囲むように4     つのネギ坊主が並んでます。
 7つだったら、「サクラメント・聖礼」(洗礼・聖餐(パンと葡萄酒)・聖職・懺悔・塗油・結婚・臨終塗油式)
 13こだったら、「救世主(イエス・キリスト)と12人の使徒」

     

      モスクワ・クレムリンの入口看板                 クレムリンの見取り図           クレムリン内部

      

              ソビエト時代の国章               クレムリンの外側には赤の広場が、左奥にはレーニン廟

      

                カラフルな聖ワシリー寺院  かって、岡田嘉子も住んでいた、スターリン・クラシック様式の文化人アパート(高級AP)

    

    モスクワの玄関口:ドモデドヴオ空港        空港からモスクワまでの高速道路は無料         綺麗な街並みとカラフルなバス     

 

       

                             古代の建造物と近代の文化が入り混じる都市

 

        

   ホテル前のオベリスクの先端にはロケット           小学生の集団            レーニンが作らせた、巨大デパート「グム百貨店」  

               

          

 宿泊した「コスモス・ホテル」はフランス人の設計で前庭にはドゴール元大統領の銅像が。3,600名収容。        高級マンションが建つモスクワ

近代都市に変わりつつあるモスクワには、超高層の高級マンションが建とうとしているが、一般庶民の年金は月に2〜3万円。何時までも働かなければ生活が出来ない現在らしい。政治体制が変わりすぎるのだろうか?


    

民芸品

ロシアの民芸品は圧倒的にマトリョーシカ。定番は女の子型、歴代大統領や動物もある。全て手作りで、半分から割れて次々と小さい同じ柄のものが出てくる。多いのは10個もあり、2,000円程度だ。数が多いほど願いがかなうらしい。製法はやはり日本から、「入れ子人形」から編み出したものらしい。

 

    

 

    

雀が丘というモスクワを見渡せる丘陵地は、古くはナポレオンがロシアに攻めた時に眺めた場所である。その真ん中に「モスクワ大学」がある。高さ236m、32,000人の学生、コネは絶対効かない最難間の大学という。

    

 

民芸品売り場の休憩所では、ウォッカやナナカマドの果実酒がサービス   


ロシア軍隊パレード

                  

        

イケメンが多そうだ

                             

  


ロシアの花と木

 

     

 

     

 

      

 

ウラジミールの街:ドミトリエフスキー寺院の庭、白い花は蜂蜜の香り

 

       

               モミの木                  白樺                 菩提樹

     

                         菩提樹                 ナナカマド (日本より花が大きく、長い)


ロシアの人々

            

   ニコライ宮殿:フオークロアショーの司会者   モスクワ:グム百貨店でたたずむ女性    どんな美人にも負けないマトリョーシカの人形達

         

    女性ガイドはいずれも、何時でもしかめっ面      街を歩く人も、しかめっ面           子供はあどけない

                    

街で見かけるロシア美人

                    

ショーの人々は愛想が良い


ロシアの食べ物

 

         

    エルミタージュ美術館での軽食は果実の実がのった菓子パンとサラダ   ボルシチ料理はビーツ(さとう大根)が入るので鮮やかな赤い色   ビーツ大根

 

        

   ビーツのスープにはビールも相性がよい         ビーツのサラダ:ヴィニグリェート     オリヴィエ:ジャガイモをマヨネーズであえた物

 

          

       ウハー:タラの魚と野菜のスープ、味がすこぶる良い             サンクトペテルブルグの宮廷料理はゴージャス      

                       

        

       青空市場には秋の果実の実や野菜・果物をお婆ちゃんが出店          蜂蜜や各種キノコ(ロシアは森や林が多いのでキノコが多い)

 

    

             豚肉ひれとジャガイモ料理  スズダリ(モスクワの北東200km) 一般家庭のレストラン料理:ご夫婦二人で営業

        

                                  ご夫婦の菜園とリンゴの木  

     

キエフ風カツレツ(ナイフを入れると熱々のバターが流れ出る)  サリャンカ(レモンとオリーブの実が入っている)       ピロシキ(日本風あげパン)

  

 

                

     女性が喜びそうなデザート

        

何だったっけ!

 


ロシアの結婚式

 

    

   ロシアの結婚式のあとは街に出て友人達や親族が祝う。パレード? 1日何組も見かける。

    

 

世界で一番女性が美しい国といえば?」そんな質問をすると、必ずその名が挙がるのがロシア。均整のとれた顔とスタイル、白い肌は他の追随を許さないと言われている。

しかし、世界の離婚率は、人口千人あたりの離婚率が   1位が ロシア 5.30、2位 アメリカ 4.19・・・・・・22位 日本 2.30

何故、ロシアが離婚率が高いかは、難しく言うと  「マルクス的女性解放論」  という事によるらしい。

だが、一般的な見方で言うと・・・・・・あるコラムによると。

「ロシア人男性が浮気性というのも一因らしいが、女性は男性が荷物を持ったり、コートを脱ぐのを手伝うのは当たり前だと思っている国民性によるらしい。家事を一緒にやるのもロシア女性にとっては常識で、むしろ男性のほうが家事を多くこなす傾向にある。これだけ男性に負担をかけさせておきながら、褒め言葉は滅多にナシ。これではロシア男児が浮気に走るのも無理はないらしい。それに、ロシア人女性は20代までの美貌が嘘のように、30代を過ぎると急激に劣化していく。でも性格は相変わらずお姫様気分でいるので、男性も何のためらいもなく見切りをつけてしまうという。」

黄金の環

モスクワの北東には、12〜13世紀より栄えた古都がある。これらを繋ぐと環状になるので、「黄金の環」という。

◎ セルギエフ・ポサード(宗教都市・民芸品の産地・人口11万人)  

◎ スズダリ (人口1万人、33の教会と5つの修道院がある)  ◎ ウラジミール(人口30万人、むかしの首都) 

    

  モスクワを環のように取りまく  シベリヤ鉄道:世界一長い鉄道(全長:9,297km):ウラジオストク〜モスクワ間  スズダリには教会がスズナリ

      

   スズダリは教会が多すぎて猫も興味ない?     スズダリ:スパソ・エフフィミエフ修道院の鐘楼のベルコンサート    ウラジミール:ウスペンスキー寺院

         

             ウラジミール:黄金の門             セルギエフ・ポサードのウスペンスキー大聖堂

     モスクワ:ノヴォデヴィッチ修道院・・・・・チャイコフスキーは、この湖の周囲を散策しながら、バレー曲「白鳥の湖」の構想を練ったという


ロシア正教会

             

  カトリック約10.8億人、プロテスタント計約3.5億人、正教会約2.2億人、その他教派約3.3億人  ( 正教会の中で、ロシア正教会はおよそ9,000万人。)

   

古代、もともと東スラヴ(現在のウクライナ、ベラルーシ、ロシアの地域)の人々は、雷や樹木などを信仰する自然崇拝多神教の宗教を持っていたが、キエフ・ルーシー国家の基盤強化の必要に迫られたウラジーミル聖公により、988年、当時全盛を極めたビザンチン(現在のトルコ・イスタンプール)の東方正教会(キリスト教の三大分流の一。ロシア・中東・東欧を中心とする15の自立教会の連合体。)が国境に定められた。

国教を定める際、ウラジーミルは当時の4つの主要宗教を比較し、選択を行ったという。 

イスラーム教・・・・・・ 飲酒と豚肉食を禁ずる宗教はロシアにはなじまない。なぜなら「飲酒はロシア人の喜びである」という理由。
ユダヤ教・・・・・・・・・ 聖地エルサレム(現在のイスラエル地区)を失ったユダヤ教は、神に見捨てられた斜陽宗教として除外。
ローマ・カトリック・・・何ら興味を覚えなかったとして却下。
東方正教会・・・・・・・ 典礼の美しさに惹かれて採用。

ロシア正教会も順風漫歩ではなかった。レーニン・スターリンによる、ソビエト社会主義共和国連邦時代は無神論を唱えて、弾圧した。教会数5万が爆破され数百に、そして聖職者が3〜4万人が銃殺・殺害されている。  社会主義国家のソビエトも中国も同じ事を宗教に対して行っている。何故であろう?

  ロシア文学 

           

 ツルゲーネフ

代表作:猟人日記

 トルストイ

戦争と平和

ドストエフスキー

罪と罰

ゴーゴリ

プーシキン

スペードの女王

プーシキン、レールモントフ、ゴーゴリ、ツルゲーネフ、ゴンチャローフ、トルストイ、ドストエフスキー、チェーホフがいる。一般的にロシア文学は暗く、長く、辛気臭く、説教臭く、重いと言うのが特徴だと言われる。

何故かと言うと、ロシアでは文学は神学、哲学、政治学、社会学まで要求されていたと言う。文学は社会問題に解答を与え、人々に進むべき道を示すべきものであった。だから、文学に課せられたこの重い責任にゴーゴリは発狂し、トルストイですら、一時文学を放棄しているそうだ。

ロシアの旅に出かける前に、昔読んだドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を再度読んだが、上記の特徴が頷ける。

ロシア旅行感想

プーチン元大統領が進めた資源外交、石油や天然ガスの輸出収入で経済は見事に回復しつつあるロシア。いまや、BRICS(中国、インド、ブラジル、ロシア)の1国として眼を離せない大国になろうとしている。

ロシアは未だ15〜16世紀の若い国である。それが、長く蒙古や帝政ロシアの圧制、そしてソビエト時代の暗い厳しい統制で国民は病的なほど猜疑心と征服欲、軍事の必要性を歴史的に感じてきたのであろう。国民性は顔に出ているような気がする。一様に暗くて笑顔が足りない。まるでロシア文学そのもののような気がする。

ホテルにはタオルと石鹸のみ、水もお茶も無い。殺風景だ。レストランでも愛想は殆ど無い。 中国もそうだが、共産国の一致した傾向でなかろうか。

しかし、ロシアの自然は林と森が多く素晴らしい。北海道の道東方面を旅しているような錯覚に陥る。また、ロシア正教会の教会の綺麗さと豪華さは、世界のキリスト教の教会や、イスラム教のモスクと比較にならないほど、立派だ。うがった見方をするならば、それほど国家や教会に国民が搾取され、生活の困難に耐えてきたとも言えよう。

ロシアを訪れた観光客は一様にヨーロッパと同様に、いや、それ以上に素晴らしいと表現する。ロシア料理、ウォッカの美味しさ、ロシア美人、素晴らしい自然、建造物、おとぎの国に来たと錯覚するような教会群が感動を呼ぶのであろう。

ロシアは広い、北海道とも近い、資源もある。元島民や利害関係者に批判されるだろうが、北方領土の考え方を変えてみることも必要ではなかろうか。今後は別の角度からロシアを見るべきかもしれない。                                                                                    完


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