セント・ルシア紀行
セントルシアに寄港するクルーズ船 |
旅の初めに・・・ 2014年2月、カリブの国セントルシアの旅を計画。 日本はこの冬、歴史的な猛雪に見舞われた。東京近辺も連日20cm以上の雪と猛吹雪であったと聞いた。昨今、世界中どこに行っても変化が増してきている地球である。 事前情報ではこの国をめぐり、過去にイギリスとフランスの間で150年間もその領有権を争ったと言う。何がそうさせたのか? 興味はますます湧いてくる。 |
☆MAP
現地のMAP 二つの山ピトンは世界遺産 |
セント・ルシアとは セントルシアの名は、クリストファー・コロンブスがこの島を「発見」したとされる日が、聖ルチアの祝日であったという伝承に由来する。聖ルチアは、ナポリ民謡「サンタ・ルチア」で歌われていることで有名なキリスト教の聖人である。 アラワクと呼ばれるアメリカ先住民が3世紀頃に南アメリカ大陸のギアナ地方から海を渡って定住したが、その後、カリブと呼ばれる別のアメリカ先住民が進出してきた。 ヨーロッパ人による定住はフランスが最初で、約100年間ほどフランスが島を統括していた。現地語のクレオール語がフランス語を語源とするのは、ここに由来する。 その後島を巡りイギリスとフランスが争い、17世紀から18世紀にかけて14回領有権が変わった。最終的に1814年のパリ条約においてイギリスの領有が確定した。 |
☆ホテル
カリブ海のホテルはどこも綺麗 | 南国の花が真っ赤っか | 現地の国民は殆どが観光業 |
☆ピジョン・アイランド国立公園
少し小高い丘の国立公園がビューポイント | 現地の子供 | 公園 |
丘から見るマリゴット・ベイ | マリゴット・ベイに係留中のクルーズ船 |
マリゴット・ベイに係留中のクルーズ船 | 丘から見るビューポイント |
☆カストリーズ(首都)
2006年の人口は12,904人。 イギリスとフランスの間で所有権が7回も変わったため、第二言語はフランス語であり、ほとんどの地区でフランス語が通じる。 この都市は1650年にフランスによって建設され、1780年にハリケーンで甚大な被害を受け見捨てられた。1844年には4,000人が暮らすようになった。イギリス海軍にとってこの地はカリブ海で唯一親切にしてくれる港だったため、19世紀末になると艦船に燃料の炭を供給する重要な地になった。 |
マーケット | カストリーズの公園にあるノーベル賞受賞者の案内板 |
☆ピトン山 (世界遺産)
カリブ海に浮かぶ小アンティル諸島の一部であるウィンドワード諸島に位置する島国セントルシアにある2つの小さな火山である。 高さ743mのプチ・ピトン山と隣の高さ798mのグロ・ピトン山の2つの山からなり、双子の山と呼ばれている。豊かで驚くほど美しい自然を残しており、2004年にピトン管理地域として世界遺産になった。 |
海から眺めるピトン山 | その昔、火山活動で急峻な山となった | 湾に町が広がる、手前の山の展望台から見る |
☆ランチ・タイム
ピトン山を見渡せる丘のレストラン、チキンのバーベキュー | 早速バーベキュー |
☆熱帯植物園
熱帯雨林には野生生物、滝、鉱泉、熱帯植物が見られる | ダイアモンド・ボタニカル・ガーデンは植物園 |
☆熱帯植物園隣の 温泉施設
温泉に入るためのルール | 混浴 | お前も入れ! |
こちらは泉質が違う | 泥湯の様 | 湯元はボコボコと湧いている |
☆ダイアモンド・フォールズ
温泉の麓には滝 | 熱帯雨林の中の滝 |
☆略史
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☆カリブ海諸国一覧
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旅を終えて・・・ イギリスとフランスが150年もの間領有権を争ったわけは、イギリス艦船が燃料の炭を供給する重要な地になった事からと言われる。 コロンブスは最初にこの地を発見するが、植民地化はしなかったそうである。 |