スーダン紀行
メロエの砂漠でラクダに乗る少年。後方はメロエのピラミッド群 |
旅の初めに・・・ 2013年3月、スーダンとその周辺国の旅を計画。 2011年11月、スーダンから南スーダン(アフリカで54番目の国)が世界で193番目の国として独立した。石油資源の問題を抱えながらの独立である。 一貫して中国は石油資源国スーダンに資金を投下してきている。ややもするとそれが水泡のごとく消え去る危険も孕んでいるとさえ言われている。そうなると中国共産党の屋台骨は傾き、世界経済さえもが大きく影響すると言われている。 アフリカの火薬庫スーダン、今はまだ観光的に難はないという情報を得て、さっそく旅支度をした。 |
アルジェリア、コンゴ民主共和国に次いで3番目の広さ | 紛争とは関係のない北部を中心とする |
ワンポイント情報 ・国名 スーダン共和国 ・民族 アラブ人,ヌビア人,ヌバ人,フール人,ベジャ人等 |
☆首都ハルツーム
コリンシアグループのモダンなホテルに4連泊 | リビアのカダフィ大佐も出資したと言う豪華ホテル | 14階の吹き抜けから見るロビー |
17階レストラン、ハルツームの街並とナイル川 | 朝食はオムレツが人気 | 青ナイルにかかる橋はホテルの真下 |
青ナイルの小島 | 青ナイルの前方で、白ナイルと合流 | コリンシア・チェーンホテル |
ナイル川沿いの都市ハルツームには近代的なビルが | 中国資本がドンドン費やされている | ナイルの橋を渡り中島には長閑な農村が広がる |
稲作風景 | 焼きレンガ | レンガを積んでから下から焼く |
店 | ナイル川クルーズ | 花の種類も違う |
☆ランチ・タイム
肉や魚の揚げ物が多い | コーヒータイム |
イスラムのお祈りの時間 | 街の絵描屋さん |
☆ダービッシュ・ダンス
ダービッシュ・ダンスとは・・・ ウムドゥルマーンのハマド・エル・ニル墓地では、毎週金曜日の16時から日没にかけてイスラーム僧のダービッシュ・ダンスを見ることができる。これはカーデリーアと呼ばれるイスラーム神秘主義教団の一つが、修行の一環として行うものであるといわれている。 くるくると回転をし踊るという宗教行為で知られる。これは祈りの手段であり、回転は宇宙の運行を表し、回転することで、神との一体を図るというものである。 |
モスクの墓の裏が目的地 | タクシーで来る人も多い | 墓の中を歩いて |
ダービッシュ・ダンスが用意している | 始まり〜始まり〜、太鼓を叩いて大迫力 | 数珠みたいなものを回す |
真面目に見なさいよッ、はいっ! | 数百人が集まる |
香を炊いて回す、皆手で頭に | 売店もあり、水やその他無料で |
疲れたので帰りましょう | ここにもトヨタ、ミツビシの中古車 |
☆英国陸軍軍人ホレイショ・キッチナーの要塞跡
要塞跡 | キッチナー・ボートクラブ | ヨットハーバー |
聖マシュー大聖堂 | 夕食は「Assaha」 |
地元有名店 | 前菜 |
MIXケバブ | 魚ソテー |
☆マハディ廟
1884年、マハディと名乗ったムハンマド・アフマドは、オムドゥルマン村を彼の軍隊の司令部にした。 その後マフディーの廟が建設された。 |
スーダンの首都ハルツームは、ウガンダから流れる白ナイルと、エチオピアから流れる青ナイルの合流地点の南岸にある。ナイル川はここからエジプトを通り地中海へ北に向かう。 1820年にエジプトのムハンマド・アリー朝による支配の拠点として築かれた。ナイル航路の拠点となり奴隷貿易の中継地として栄えた。 1998年8月7日、ナイロビ、ダルエスサラームのアメリカ大使館爆破事件でアルカーイダに関係して化学兵器を製造しているとされ、8月20日ハルツームのアルシーファの製薬工場がアメリカにより巡航ミサイルで攻撃された。
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ユニークな重機 | 看板 | マハデイの写真 |
マハディ廊 | 屋上のシンボル | スーダン国旗 |
1884年当時のイギリスの車、戦利品 | 当時の鎧 |
スーダンの戦闘服 | マハディの戦争絵 |
マハディ廊 |
☆最大都市・古都 オムドゥルマン
オムドゥルマンは首都ハルツームとはナイル川を挟んで西岸に位置する。人口300万人。スーダンで最大の都市で商業の中心地。ハルツームやアル・ハルツーム・バフリとともに、国家の文化や産業の心臓部を担う。 1884年、マハディと名乗ったムハンマド・アフマドは、オムドゥルマン村を彼の軍隊の司令部にした。 |
オムドルマンの門 | ナイル川沿いの野外喫茶店 |
大きな木の下で喫茶店 | コーヒーと地元の飲み物 | 連日37度、木陰は涼しい |
ナイル川沿いは畑が多い、水を汲み安い | 見る見るうちに客が一杯、しかし野外ゆえ定員はない |
ランチ・タイム | スーダンは元イギリス領、だからパンは不味い |
野菜は豊富 | ケバブが多い |
市場見学 | 中国製品ばかり |
首都ハルツームは、中国資本による63棟の高層ビルが立ち並ぶ | 一方簡素な売店 |
☆ ハルツーム→カリマへ
中国資本によって整備された幹線道路 | ラクダが多くなる | 派手な国内大型バス |
中国の野望 今や13億人とも15億人とも言われる中国の人口。国土は広いが、食料や資源はあまりあるとは言い難く、日本の尖閣諸島やアジアの周辺国と小競り合いを繰り返す中国。北朝鮮とは何ら変わりないとも言えよう。 中国政権は国民の要望を満たすべく、アフリカや南アメリカなどの発展途上国を中心に中国人労働者を家族ぐるみで送り込んでいる。それも片道切符で。条件は途上国のインフラ整備(道路・港湾・河川・鉄道・通信情報施設・下水道・学校・病院・公園・公営住宅等々)を無料で行う代わりに、中国人住民もセットで送りこむ。だが、本来の中国の野望は資源を丸ごと頂く事である。 こうして世界に送り込んだ中国人は200万人。 途上国の多くは独裁国家が多い。その独裁者に賄賂を送り、利権を得るのが、中国式新植民地造りのイロハ。だから資源の無いアフリカの国は全く興味が無い。 それは日本のJICA(国際協力機構)やユニセフに任せておけばよいと思っているようである。
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イスラムのモスクが多い | 国道沿いの店 | カラフルな壁 |
☆オールド・ドンゴラ
6〜8世紀にかけて栄えたヌビアのキリスト教国・マクリア王国の遺跡が残る。 ナイルの河岸にはあるものの、砂漠の中の廃墟といった感じである。古い教会は14世紀にモスクに作り変えられている。廃墟の中には十字架の彫刻のある柱も。周囲にはイスラム以降の墓地・聖者廟が広がる。 |
教会の遺跡 | 大聖堂跡 | レンガ造りが見られる |
しっかり残る | 後方にナイル川 | 6~8世紀の遺跡 |
とんがり墓がユニーク | 高貴な人達の墓は、とんがり墓 | 一般は簡素な墓 |
☆クシュ王国
クシュ(クシテとも)は現在の南エジプトと北スーダンに当たる北アフリカのヌビア地方を中心に繁栄した文明。最も早い時代にナイル川流域で発達した文明の一つである。クシュ人の国はエジプトの領域内への進入の時期の後で発展した。クシュの文化は、並存していた期間は短いが、エジプト新王国と相互に影響を与え合っていた。 最初の発達した社会がエジプト第1王朝(紀元前3100年頃から紀元前2890年頃)の時代ごろヌビアに現れた。クシュの国として知られている最初の国はケルマ王国で、紀元前2600年ごろに興り、ヌビアの全てとエジプトの一部を支配した。 この文明に与えられた名前は、旧約聖書に述べられた東北アフリカに移住したハムの息子の一人クシュに由来している。聖書から、エジプト南部とエチオピアの一部を含む大きな地域がクシュ王国として知られていたことがわかる。聖書はしばしばクシュ王国について言及している。 紀元前6世紀に鉄器で武装したアッシリアの侵攻を受けてメロエに遷都した。 |
☆ヌビアンレストハウス
砦のようなホテル、周りは砂漠 | 砂漠には珍しい緑の芝生 | 苦労して造る花 |
☆オールド・ドンゴラの博物館
☆カリマ
カリマはスーダンでも数少ない世界遺産「ジェベル・バルカルとナパタ地域の遺跡群」がある。 紀元前660年頃のカシュタ王の時代のものが多いと言われている、クシュ王国前期の都ナパタの遺跡群。ジエベル・バルカル遺跡と、エジプトの神々を描いた装飾画が残るクシュ王国初期のクル・ヌッサの王墓群、ヌッリ遺跡などが見所。 世界遺産に指定されてはいるが、まだまだ訪れる人々も少なくひっそりとしており、遺跡を十分堪能できる。 |
☆ジェベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群(世界遺産)
ジェベル・バルカルは、スーダン北部にある高さ98mの小山。ハルツームの約400km北にあたり、ナイル川の屈曲部沿いにある。 ジェベルバルカルは、太陽神アメンの誕生の地と信じられ、紀元前13世紀、ラムセス2世の時代に神殿が建設され、紀元前7世紀にはヌビアのタルハカ王は、自分の王位を示すため、ここにアモン神殿など二つの神殿を建てたと言われている。 |
アモン神殿 | タルハカ王 |
左の岩は男性のシンボルと崇められた | 音楽の神ハトホルの石柱 |
ムト神殿 | 神殿内部のモザイク絵 |
☆クッル遺跡
クシュの王墓はメロエ、ヌーリ、ジュベル・バルカル、そしてこのクッルの4箇所にあるが、前室の壁画が保存され見学できるのはこのクッルだけ。 タヌトアモン王とカルハタ王妃の2箇所の墓では、それぞれ約4メートル地下に階段を下ると前室・玄室がある。 エジプトのピラミッドを真似たように、テーベの「王家の墓」を真似たのだろうといわれている。王や王妃は、アヌビス、オシリス、聖なる船などエジプトの壁画で見られるのと同じ神々・テーマで描かれ、その再生・復活が望まれた。 |
クッルにある王タヌトアモン王の墓 | 4mも地下に降りる |
☆3500万年前の木の化石
無造作に転がっている | 貴重な化石だが・・・ |
ずっしりと重い | 年輪が刻まれている |
☆ジェル・バルカルのピラミッド群
☆スーダンはイスラム国家・・・だからアルコールは御法度!
メニューにBEERとあったので喜んでオーダー、するとアルコール度0.0%であった。馬鹿にしている。プンプン! | そろそろスーダン料理も飽きてきた頃 |
☆カリマで、ナイル川クルーズ
エジプトに近いカリマの街、ボートでナイル川クルーズ | 水深25〜35m | 地元の船長 |
岸辺に現れた若者、この後川に飛び込んだ | ナイル川は周辺の畑にに水を提供する |
鳥達の楽園でもある | モスクが見える |
☆ヌリとタハルカ王のピラミッド
ナパタの上流約10キロのナイル左岸にあるクシュ・ナパタ王国時代の墳墓群。 砂岩の岩でできたピラミッドはかなり崩れているが、有名なタハルカ王のピラミッドがある。 |
40個以上もある | 殆ど崩れている | ごく一部が綺麗に残る |
☆バユダ砂漠
バユダ砂漠は、北アフリカスーダンハルツーム西部に位置する砂漠である。サハラ砂漠の東側にある。 北アフリカスーダンの首都ハルツーム西部に位置しており、エジプトピラミッドの南にある。砂漠自体は、東と西からナイル川に挟まれている。 この地域に住んでいるのは遊牧民族であり、頻繁に商人が行き交っている。 |
近くをラクダで荷を運ぶ商人達 |
ロバも運送に精を出す | か細い砂漠の草木 |
マナシル族の家は遊牧民の家 | 16歳の少女は一児の母 | 家族10名でここに住む |
家畜小屋や炊事小屋が立ち並ぶ | 昼間は年寄りと女子供が留守番 | カラフルな衣装 |
炊事小屋、片隅の囲炉裏で煮炊き | 炊事遠足の様 |
砂漠はトヨタの4WDが人気、大きな木の下でピクニック弁当 | キャベツの様な木とはっぱ |
砂漠の十字路をロバで横断 | 家畜の餌を運ぶ |
砂漠で迷う・・・ 広い広い砂漠、車は砂漠を走っているが、いずれ道が無くなり後は運転手の感が頼り。 今回は迷う事2~3時間、決して迷ったとは言わないが、顔色で解る。運転手の顔が引きつっている。焦るのか運転も乱暴になるし、ペットポトルの水も2本、3本と無くなる。他の運転手と現地語で議論するがだんだん険悪になる。当然途上国ゆえ、磁石やGPSなどは持ち合わせていない。 迷って2時間、太陽を見ながら運転をしていたが、既に夕方の6時に近い。今夜は砂漠で野宿か?砂漠だから寒いだろうし、猛獣もいるかもしれない、と乗客同士で不安の言いあい。 食料も昼食の残りしかないだろう。こんな時に本物のビールでもあれば我慢できるのだが・・・ と、車は止まった。ガス欠か?ならば最悪だ。 違った。運転手の顔が満面笑顔に変わっていた。獣道に近い道に出たのであった。 ヤレヤレ、日本人遭難か?無謀な砂漠越え・・・とか何とかの新聞記事まで予想してはいたが、助かった。アフリカはそれにしても怖い。
中国さんよ、今度はGPSを安く売り出して下さいヤ・・・
☆アトバラ
アトバラ駅 | アトバラは、スーダンの都市。 スーダン北部、ナイル川とアトバラ川の合流点の北東に位置し、ナイル川州の州都である。人口139千人。 アトバラは海港ポートスーダンと首都ハルツームを結ぶ鉄道上に位置し、ワジハルファへの支線が分岐している鉄道の要衝である。 また、スーダン最大のセメント工場がある。 |
☆メロエ・キャンプ
スーダンは連日猛暑、今夜もお月さんが | 今夜はロッジ風、暑くて眠れない。外の風にあたる | ようやく朝、眠い |
☆メロエ
砂漠の風紋 | ピラミッドが多数 | 比較的形がが良く残る |
崩れたピラミッド | 朝日に映える | 精巧な造り |
紀元前からのピラミッド | 石にも絵が彫られている |
ラクダに乗って近くの少年が現れる | まだあどけない | 動物はこの植物は食べないようだ |
小動物の足跡 | 小動物の足跡 | 小動物の足跡 |
ピラミッド近くで店を出す人々 | 珍しい鉄路 |
☆ロイヤルシティー
王宮跡、アモン神殿(メロエ最大規模の神殿。アスワンのフィラエ島・イシス神殿からBC23年にメロエ軍が破壊したアウグスゥスの像の頭部がここから出土し、大英博物館にある)、浴場跡、メロエのロイヤル・シティーの城壁、アマニシャヒド神殿、居住区、鉄のスラッグの山、アペデマーク神殿等がある。 |
メロエのロイヤル・シティー神殿跡 | アモン神殿 | 浴場跡 | モザイク神殿 |
看板 | これも神? | 神殿跡 |
今は柱のみ | 浴場跡の説明 | 浴場跡 |
城壁跡 | 遺跡内をのんびり散歩するヤギの群れ | モザイク絵 |
スーダンの高校生の見学らしい | お互いに興味を持って眺めている |
☆ムサワラト遺跡
ライオン神殿 | アプデマク神殿 | アモン神殿 |
ライオンが描かれている | ライオンは強い証し | ライオンがズラリ |
羊の様なライオン | 人間 | 二人の人間 |
☆ナガー遺跡
放牧のラクダが悠然と歩く砂漠地帯 | 砂漠にポツンと小神殿キオスク |
☆ナイル川
ナイル川は、アフリカ大陸東北部を流れ地中海に注ぐ世界最長の河川である。長さは6,650km(日本列島の稚内〜与那国島が約3300kmなので、日本列島の2倍になる) 世界の三大長い川 1.ナイル川(アフリカ) 6695m |
☆ナイル川クルーズ
ナイル川はスーダンや近辺国にとっては欠かせない川である。 農業や工業にとっても重要な川となっている。 洪水で被害があるが、その事によって肥沃な土が運ばれてきて作物が育つ効果も期待されるわけだ。 最近はヨーロッパ等からの観光客が多く、観光にも一躍貢献しているナイル川である。 |
☆青ナイルと白ナイルの合流点
常時砂漠の中に悠々とした水をたたえ、エジプト文明をも支えてきたこの川の水源については太古から調査がなされてきたが、明らかにされたのはつい100年ほど前である。 2つの川の合流点は、首都ハルツーム。エチオピアの山岳地帯に源流を持つ青ナイルは、流れが速く、高低差のある地域を一気に流れ下りてハルツームへと下る。 一方ウガンダの高原、ヴィクトリア湖から流れる白ナイルの流れは緩慢で、高低差のない地域をゆっくりと流れて乾期にハルツームに到達する。 こうして合流した後のナイル川は雨季も乾季も一定の水量を保つ。何千年にも渡り年間を通して人々に豊富な水を供給するナイル川のメカニズムは、まさに神の奇跡であるようだ。 青ナイルと白ナイルという名前の由来は、その色に由来するといわれる。エチオピアの山岳地帯に端を発する青ナイルは、肥沃な養分を多く含むために青く見える。 白ナイルは白い砂を巻き上げて流れるために白く見える。現在大量の白ナイルの水が産業用水として使われ、白ナイル沿いには大規模な工場が点在する。一方青ナイルの肥沃な土は小規模農業に適しており、青ナイル沿いには豊かな農地が広がる |
クルーズで出発 | ハルツームのホテル近くから船に乗って1時間、合流地点へ |
マスジット・ミレーンモスク | クルーズ船が多数 |
合流地点。手前が流れの速いエチオピアからの青ナイル、奥がヴィクトリア湖からの白ナイル |
☆国立考古学博物館
博物館 | キリスト教時代のフレスコ画 |
イスラム国家の会議が近くであり兵士に警護されたVIP |
日本人は人気、何故? トヨタ、ミツビシの国だから・・・ | 先生が支持して交代に撮影会。とんだ社会見学でした |
☆ランチ・タイム
マンゴジュース。もうノンアルコール・ビールは要りません。酔わない酒なんて・・・ | ケバブも最後か | これも食べ飽きたし・・・ |
ナイル川が騒々しい | 警察による救助訓練でした | 香料を炊いてお茶タイム |
☆ 略史
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☆スーダン・・・(石油利権の分配に課題)
スーダンとは、アラビア語で黒を意味するスーダに由来し、黒人の住む国という意味である。 また豊富な資源(石油、金、マンガン等)の開発及び輸出を行っていた。一方でスーダンには長年続いた内戦の影響もあり、基礎的な生活インフラの欠如や紛争被災民の社会再合が大きな課題となっている。 またスーダンの人間開発指標は世界的に見ても低く、基礎生活分野の向上も必要である。 更に、石油生産は南スーダン独立前、日産約50 万バレルを誇り、日本を含むアジア諸国に輸出されていたが、南スーダンの分離により日産11.5 万バレルに低下している。 油田の7〜8割は南スーダンに集中している。しかしパイプラインは北部ルートしかないため、南スーダンは今後も北部と石油収益を分け合う必要がある。財政の半分以上を石油に頼る北部政府は、南スーダンの分離で歳入が大幅減となる。南側との交渉では石油収益の5割を要求していると言われる。 スーダン内戦は、南部スーダンに石油などの豊富な地下資源がある事も、もちろんだが、宗教の違いも大きいのである。スーダンの北部は「イスラム教」で南スーダンは、古くからある地元の宗教と「キリスト教」が大きな原因になったのである。 また、南北スーダンに対し、先進国の石油をめぐる利権が複雑化した事はまぎれも無い。 |
アルジェリア・コンゴ民主共和国に次いでアフリカ大陸で3位の面積を擁する。 2011年7月9日に南スーダンは独立したが、南スーダンには石油など豊富な地下資源が眠っており、その境界の資源の帰属を巡って現スーダン政権との間に新たな混乱が生じる可能性もある。 バシル政権はイスラム原理主義政権であり、湾岸戦争時にはイラク側についたため諸外国との関係が悪化し、1993年にはアメリカにテロ支援国家の指定を受け、以後経済制裁が続いている。一時改善の兆しがあったものの、2003年のダルフール紛争勃発後はさらに両国の関係は悪化した。このため、バシル政権はスーダンの豊富な資源を求めている中華人民共和国との関係を深めており、経済・軍事両面において両国は密接な関係を持っている。 地理的には、国土の大部分は広大な平原で、ほぼ中央をナイル川とその支流が縦貫する。北部の砂漠と紅海沿岸は一年中、日中の気温が40℃を超す炎熱の地である。 1990年代までは、長引く内戦や経済制裁などで、経済は完全に破綻状態であり、2009年現在スーダンは平和基金会が発表している「世界失敗国家ランキング」3位の国である。 一方、石油資源では(Adar/Yale油田)や(ヘグリグ油田、ユニティ油田、Abu Gabra油田)やBlue Nile Riftが大きく世界の注目を浴びており、アメリカの経済制裁が加えられた期間に石油メジャーの間隙を突く形で、1990年代後半から中国政府のバックアップを受けた中国系企業が多数進出した。現在、数万人規模の中国人労働者がスーダンに派遣され、石油プラント、石油パイプラインが建設された。 レアメタルの埋蔵量も注目を集めている。そのほか、メロウェダムに象徴される大規模な水力発電所及びダム、鉄道(老朽化したポートスーダンからハルツーム間)の建設も中国系企業が受注するなど、極めて濃厚な協力の下、徐々に経済が立ち直る兆しが見られる。以上の理由から、特に東部では経済が急成長しており、首都ハルツームでは総工費40億円を掛けて63塔もの高層ビルの建築が進行中である。しかし、石油資源などが豊富な地域は南部スーダン地域であり、南部スーダンが独立し、中国が長年かけてスーダンに投資してきた地下資源権益が毀損されてしまう可能性もある。 農業は、東部に限れば、「アフリカのパン篭」とも言われる肥沃なナイル川周辺の農地を使っての小麦、トウモロコシの栽培が盛んである。とくに、ハルツームより南の白ナイル川と青ナイル川に挟まれた三角地帯では、1925年にイギリスの植民地政府によってゲジラ計画がおこなわれ、大規模灌漑によって小麦や綿花の大穀倉地帯となった。最近はトルコやサウジアラビアなどの周辺諸国の企業による農業投資が盛んである。 軍事は、イギリスとソビエト連邦、中国の軍事顧問団が政変の度に入れ替わりつつ指導し、育成が続けられてきた。 スーダン国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産「ゲベル・バルカル」が1件ある。 |
☆スーダンと南スーダンの石油油田の位置とパイプライン
独裁者バシール大統領 1989年にクーデターによって軍事政権を成立させ政権を掌握。現在は同国大統領および与党国民会議の議長(党首)を務める。2003年から続くダルフール紛争での集団虐殺に関与にしたとして国際刑事裁判所から逮捕状が出されている。 スーダンでは20年以上に及ぶ内戦にともない約100万人強の難民と数百万の国内避難民が発生し、約200万人が飢餓や戦闘の犠牲となっている。また2004年にはスーダン西部のダルフールで民兵によって約7万人を虐殺させ、2万人以上を難民化させたといわれる。 このことから、毎年行われている『ワシントン・ポスト』の付録誌『パレード』の「世界最悪の独裁者ランキング」という特集記事で、2005年 - 2007年度にかけて3年連続の第一位に選ばれた。2008年度は一位の座を北朝鮮の金正日に奪われたものの、第二位となっている。 2009年2月、オランダ・ハーグにある国際刑事裁判所 はバシールを、ダルフールにおける人道に対する罪、ジェノサイド罪で起訴すると発表。同3月4日、逮捕状を発行した。 国際刑事裁判所が現職の国家元首を起訴するのは初めてのこととなる。 中国は国有の中国石油を通じてスーダンの石油の大部分を買い、スーダンの石油生産企業集団2つの最大株主となっており、スーダンは中国との石油取引による収入の多くを、兵器購入にあてている。スーダン政府軍や民兵組織が使う爆撃機、攻撃用ヘリ、装甲車、小火器などの兵器はほとんどが中国製であり、中国は米英両国が推進する国連平和維持軍のダルフール派遣に一貫して反対してきた。 スーダンに対する経済制裁や国連平和維持軍の派遣を検討しているものの、中国の拒否権によって阻止されている。 |
旅を終えて・・・ 想像を絶する暑さの国であった。旅を始めてから2〜3日で日本が恋しくなった。そのように言う人もいた。 ナイル川も何れは中国経由で方向を変えてしまう? 街を歩いていると子供大人から「ニーハオ!」と言われるのがたまらなく嫌なこの頃である。その度に応える。「トヨタ、ミツビシ・・・」 相手は思わずポカンとしてから、たまに小さな声で「ヤパン」と云う。こちらには野蛮と聞こえるが。「ニーハオ」と言われ、まだ石が飛んで来ない分だけ、中国は嫌われていないわけである。 何れ石や罵声が聞かれるかもしれないだろう。 砂漠の生活をしている住民を見て心が痛んだ。貧しく劣悪な環境で懸命に命をつないでいる。聞くとスーダンの平均寿命は58.0才と云う。砂漠の住民はもっと低いだろう。 ナイル川の自然は良い。素直にゆったり悠然と。人々に生き方を教えているかのようであった。 40度近いスーダンからマイナスの北海道へ。只今鼻水を流してキーボードを叩いている。 終わり
今回も中国資本のすごさが目に付いた。道路はピカピカ、新品。ビルもドンドン。その内石油のパイプラインも空中高くを中国まで繋いでしまうのではないかとさえ思われた。
しかし、砂漠を行くラクダは絵になりそうだ。暇になったらゆっくりと描きたい。
危険地域は除外しての旅行ではあったが、独裁国家ゆえの縛りもきつそうであった。石油資源をめぐり紛争が無ければよいが・・・