タジキスタン紀行

タジキスタンの国土は殆どが山岳地帯、ダイナミックな景観が魅力。 シャフリスタン峠(海抜3378m)

五カ国。数字が宿泊日数。カザフスタンからキルギス、タジキスタンへと旅をする

 旅の初めに・・・

 2012年5月中央アジア5カ国の旅を計画した。カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンの一周である。最初の疑問は・・・スタンとは何だったか?さっそく調べてみた。

 「スタン」は「国や場所」という意味であった。キルギスも一時はキルギスタンであったようだ。国土のほとんどは山岳地帯であるらしい。自然が素晴らしいかもしれない。

         ☆ホジェンド

 人口は18万人。第2の都市。ホジェンドは、イスラム神学のエリート、ホージャの領地である。その規律と互助は、ホジェンド出身者が1980年代に至るまで権力を維持することを助けた。

 紀元前6世紀、古代ペルシア人の城砦が築かれ、古代ギリシア人は、これをキロポリ、又はキレスハタと呼んだ(古代ギリシア語で「果て」「最後の」の意味)。 紀元前329年アレクサンドロス3世ギリシア人の入植地を建設、これをアレクサンドリア・エスハテ(最果てのアレクサンドリア)と呼び、シルダリア川北方のスキタイへの砦とした。8世紀アラブの領地となる。

                 
       


朝食のサラダとデザートはサクランボ

バザールの向かいはモスク

パンジシャンベ・バザール(中央アジア最大)

バザールの入口

中央アジア最大と言われるだけある。広すぎて向こう側が見えない。

ナン売場

1m程の高さがある米袋

売場のお姉さん

この国では眉毛が続いているのが美人の要素


       ☆城塞と考古学博物館

城塞と考古学博物館

アレキサンダー大王の生い立ちが絵で

大王の妃はこの町の出身


大統領の肖像画

未来の大統領達

      

朝、街のあちこちで一斉に掃除をする

ホテル前の道路にはチリ一つない

道路は穴だらけ、貧しい国ゆえ補修が出来ない

 スタンの国は綺麗好き・・・

 5カ国に共通するのは、街をきれいにする習慣がある事。朝・昼・晩、どこにでも見られる掃除の姿。

 特に、一番経済が遅れているタジキスタンだが、国の条例として、 ? 街を毎日掃除しましょう。 ? 車で街に入る時は、車をきれいに洗いましょう。 と決まっている。 こんな国初めてである。

 汚い国、ゴミの多い国で有名なネパール、インド、エジプトは見習ってほしい。

           ☆タジキスタンとは

 国土のほとんどは山岳地帯で、中国との国境に至る東部はパミール高原の一部。北部のフェルガナ盆地では、ウズベキスタン、キルギスと入り組んで国境を接している。最高峰はイスモイル・ソモニ峰(7495m)。

 内戦後の経済発展は著しく、2000年から2004年のGDP成長率は9.6%に達した。主要歳入源はアルミニウム生産、綿花栽培、国外労働者からの仕送りである。

 しかし、未だ経済力は乏しく、5カ国の中で一番国民は貧しい。

       ☆ワンポイント情報


 ・国名    タジキスタン共和国     ・民族構成   タジク人80%、ウズベク人17%他
 ・面積    日本の4倍          ・宗教      イスラムスンニ派
 ・人口    710万人            ・言語      タジク語、ロシア語
 ・首都    ドゥシャンベ          ・産業      農業(綿花)、アルミニウム生産、水力発電

          ☆ホジェンド→シャフリスタン峠→アンサブ峠→首都ドシャンベ

ホジェンドから郊外へ、遺跡の町イスタラウシャンへ。四輪駆動の6人乗り

山岳地帯と農村地帯

水田地帯では鍬、機械化は全く見られない

検問所

この作物は?

イスタラウシャンの入口

これから向かうシャフリスタン峠の山々が、あの山を乗り越えていく

         ☆イスタラウシャン

 タジキスタン北西部の都市。旧称ウラチュベ。トルキスタン山脈の北麓、ウズベキスタンとの国境近くに位置する。コクグムベズモスク、ババタオ廟をはじめとする中世の歴史的建造物が多く残っている。
 町の中心にあるムグ・テペは2500年もの歴史を持つ町。イスタラフシャンはかつてはシルクロードの職人バザールとして栄え、現在もその面影を残している。

          ☆シルクロードとは・・・

  シルクロードは、日本地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称である。
絹の道とも呼ばれる。現在の
日本でこの言葉が使われるときは、特にローマ帝国帝国、あるいは大唐帝国の時代の東西交易が念頭に置かれることが多いが、広くは近代大航海時代)以前のユーラシア世界の全域にわたって行われた国際交易を指し、南北の交易路や海上の交易路をも含める。

 シルクロードの起点と終点の一つが、敦煌からトゥルファンを経てウルムチに達し、イリ川流域にいたるもの。この北方のシルクロードはおそらく紀元後数年に開かれた。

 天山山脈の北麓を進むことから天山北路とも呼び習わす。

       ☆ムグ・テベ遺跡

 2500年前、アレキサンダー大王の攻撃を受け、その後、ソグドの都が栄え、中世にはルスタム・ベグ王の時代にモンゴル軍の攻撃を受けた都の跡。2002年には”イスタラフシャン2500年祭”が執り行われ、新しくなった城門とセレモニーの行われた舞台が残されている。

アレキサンダー大王像は国のあちこちに

イスタラフシャン

都市遺跡ムグ・テペにあるモスク

青いドームが鮮やかなイスラムのドーム

青いドームのかけらと桑の実

ガイドのお姉さん

白い花

赤い花・・・見りゃ解る!

地元の小学生の遠足、昼食。 イスラムの国は男女別々、男尊女卑は厳しい

隣のこちらは女の子。女の子は優しそう・・・

写真を撮れ!と指示する悪ガキ

食事は中止、写真タイム

先生までも・・・眉毛が連なっている。美人の証拠とか

こちらも将来の美人

モスクの中でのランチタイムでした

       ☆中世の雰囲気を残す旧市街

モスクの入口

旧市街

          ☆シャフリスタン峠へ

前方のあの白い山を超えて行く

ポピーの花がキレイ

菜の花もキレイ

町から半分の距離、3378mの峠も近い

3300mと言うと富士山の八合目

峠の入口、何やら車が一杯。軍隊の演習の為、通行止め、三時間待ち、ヤレヤレ。

近くの野原に散歩。ポピーと菜の花の競演

これから目指す峠方面

赤い花

青い花・・・見りゃわかる?

今回の同行者に自称写真家が複数人。写真教室で実技指導を受ける。  これは何でしょう?
 スプーン二つとビールのふたでこんな風に。俺も才能がある?

土瓶、何でも題材に

ランチ・タイムのスープ

メインはチキン

     ☆ようやく通行止め解除

戦車が200台も行進

これもソ連製

ようやく走り出す。我先に・・・これが問題となる

羊の群れにはしょうがない

一時間はルンルン

頂上から流れる川

雪の壁が出てきた

後ろを振り返ると、はるか彼方から登ってきた。

頂上まで1時間、止まった。

片側一車線なのに、我先にと追い越し、追い抜き、反対車線の車が立ち往生。そんなのわかるでしょッ!2時間待機

子供も大人も女性も立ち小便

二列に並んだら相手車は通れないでしょう・・・  ったくアホなんだからこの国のドライバーはッ・・・

あの左側が頂上なのだが・・・ 故障車、無理をして谷へ落ちる車、エンスト車、今夜はここで野宿と覚悟した、二時間後パトカーが整理してようやく動いた。夕方6時にホテル着の予定が深夜13時、トホホッ。

         ☆ ペンジケント遺跡

 5世紀からソグド人が住んでいた古代都市の遺跡。8世紀、アラブ人に襲われ、住民に放棄されたペンジケントは、その後、新たな建造物が築かれなかったため、ソグド人の古代遺跡の中でも、原形をとどめた状態で発掘されている。

 遺跡には、宮殿やゾロアスター教の神殿のほか商店、住居の跡がわずかながら残っている。遺跡の入り口にある小さな博物館には、ソグド人が描かれた壁画(複製)がある。インド・イラン系の血を受け継ぐソグド人が、中国人風に描かれ、東西文明の交流を物語っている。

ホテルはソ連時代の建物

ホテルなのにレストランはない

この四駆で山越え、足腰フラフラ

 

      ☆ 早朝、写真教室

早朝、写真教室。影を上手に撮りなさい、そんな〜

ン?これはなかなかいいぞ〜自画自賛

もうヤダ、師匠から逃げる

ホテルの近くのレストランで朝食

このナン、見た目には旨そうなんだが、だれかチーンしてくれな〜い

レストランの上の美容室のお姉さん1.2

3

町の建物?

野の花

何だかわかる?

     ☆ソグド人のペンジケント遺跡

ソグド人の古代都市の遺跡

8世紀の遺跡の下には5世紀の町があるとか

ソグド人の壁画・・・博物館

ソグド人の子孫 1

ソグド人の子孫 2

 ソグド人とは・・・

 ソグド人は、中央アジア、ゼラフシャン川流域地方に住んでいたイラン系のオアシス灌漑農耕民族。
 また、商業を得意とし、あまり定住にこだわらず、シルクロード周辺域で多様な経済活動を行った。近年の研究では、
シルクロードを経済的に支配していたと言われている。

 マケドニアアレクサンドロス大王の征服後も、東方のイラン系精神文化を中国にもたらした。

 ソグド人が売買する商品はシルクロードという名の通り、絹馬貿易によってウイグルに備蓄された絹織物(馬価絹:ばかけん)や鉄製品,陶磁器,大黄,肉桂などの中国の産物と、西方からの金銀器,ガラス製品,瑪瑙,玉(ぎょく),琥珀,真珠,珊瑚などの宝石類と金塊,金貨、駿馬,香辛料,薬草,葡萄酒,香料,絨毯(じゅうたん)などの産物で、主に扱われたのは奢侈品(しゃしひん)であった。

 また、馬やラクダと並ぶほど高額商品として売買されたのが奴隷であった。戦争や犯罪などによって国内外から生み出された奴隷は、付加価値を高めるため外国語や礼儀作法、歌舞音曲その他の技芸を教え込まれ、商品としての教育を施された上で売りさばかれた。

      ☆海抜1400mのアイニ―の町→海抜3372mのアンザーブ峠→首都ドシャンベ

下りはスイスイ、景観もヨシヨシ、心もルンルン

シルクロードのオアシスであったのか?

この国の子供は良く働く、国貧しくとも子は育つ

芸術的アングル、師匠フン!

軽快に走る

しかし、また渋滞

まだまだ山の中

もうこの景色、ア・キ・タ

いいね〜

     ☆首都ドゥシャンベ

 人口は679,400人。都市名はタジク語で「月曜日」という意味である。月曜に市場が開かれた村から急成長したためである。ドゥシャンベの地は紀元前5世紀の遺跡も残る古くからの定住地であるが、19世紀まで町というより村という程度の規模でしかなかった。

 ソ連時代、この地方は綿花の大生産地に変えられ、ソ連中から人々が移住させられた。タジク人も地方から流入、人口が急速に増える。

 中央アジアのソビエト連邦領が民族境界によって各共和国に区分されると、1929年にドゥシャンベの一帯はタジク・ソビエト社会主義共和国となり、その首都に指定され、スターリンにちなんで「スターリナバード」となった。1961年フルシチョフスターリン批判で、ドゥシャンベの名に戻される。


        ☆古代民族博物館                     

4時閉館をガイドは7時まで延長させた、ドシャンベの凄腕の女 その名は「ドシャンコ」

博物館の看板

マスコット・ガール?

有名な13mの涅槃像。

世界で最も西にある仏教遺跡と話題になった、南部のアジナ・テペ仏教遺跡から発掘されたのがこの涅槃像


       ☆首都ドシャンベの街並 

海抜800m、人口68万人の首都


         ☆イスマイル・サマニ広場

 

イスマーイール・サーマーニー像

イスマーイール・サーマーニー像

花火風、松明風

深夜遅くまで広場は混雑

整然とした公園、ゴミは勿論無い。ドシャンぺの街

      ☆スタンの比較

国名

人口(万人)

面積

首都(人口)

言語

民族構成

宗教

産業

特徴

カザフスタン   1,580日本の7倍アスタナ(70万)カザフ語、ロシア語カザフ人63%、ロシア人24%他イスラム・スンニ派47%、ロシア正教44%鉱業、農業、冶金・金属加工旧ソ連では、ウクライナに次ぐ第3位の穀物生産国
キルギス    560日本の半分ビシュケク(100万)キルギス語、ロシア語キルギス人70%、ウズベク人14%、ロシア人9%

イスラム:スンニ派75%、ロシア正教20%

農業(綿花・タバコ)、牧畜、鉱業(水銀経済の主体は牧畜
タジキスタン   710 日本の4倍ドゥシャンベ(68万)タジク語、ロシア語タジク人80%、ウズベク人17%他イスラム:スンニ派80%、シーア派5%農業(綿花)、アルミニウム生産、水力発電国土の殆どが“世界の屋根”といわれるパミール高原

トルクメニスタン

    520日本の1.3倍アシガバット(70万)トルクメン語、ロシア語トルクメン人81%、ウズベク人9%、ロシア人3.5%イスラム:スンニ派89%、
ロシア正教9%
鉱業(天然ガス・石油など)、農業(綿花)、牧畜天然ガスが経済を支えている
ウズベキスタン   2,780日本の1.2倍タシケント(220万)ウズベグ語、ロシア語ウズベク人78%、ロシア人5%他イスラム:スンニ派88%、ロシア正教9%綿繊維産業、食品加工、機械製作、金、石油、天然ガス世界有数の綿花輸出国
アフガニスタン   3,000日本の約1.7倍カブール(250万)ダリー語パシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人等イスラム:スンニ派84%、シーア派15%小麦、大麦、ジャガイモ、米、アーモンド、サトウキビ等長年の戦乱で経済は完全に破綻

 旅を終えて・・・

 何も無い国・・・ そんな印象の国だが、それだけに素朴な農村、ワイルドな山と谷等、自然の景観は素晴らしかった。

 何より、国を挙げて環境美化に取り組む姿は素晴らしい。早朝、街のあちらこちらでホーキを持って掃除をする女性が多数いた。
しかし、男は皆無であった。何をしているのだろうか、男は?

 車も山越えで汚れた車を、川沿いに止めて洗車する。乗客も退屈しのぎにホースを片手に手伝う。
国作りの一歩はここから始まるのかもしれない。

 何も無くとも自然があれば良いだろう。山岳地帯が多いから、エネルギーは水力発電が産業の中心らしい。どこかの国の様に安易に原子力に頼り、「国破れて山河あり」 と言うでは寂しすぎる。  数十年前の日本を見たような気がして懐かしかった。
 
                                                                      おわり


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