チベットの旅

 ポタラ宮

ポタラ宮はダライ・ラマの宮殿で、高さ115m、東西360m、南北300m、一周2km程度はあるだろう。チベット仏教の信者の多くは、毎朝ここをマニ車を回しながら、2週回るのが日課となっている。仕事から解放されている年寄りは1日5時間も経を唱えながらひたすら歩いている。目に付くのは主に老女が多い。


2009年5月、長年の計画であったチベット旅行が実現した。仲間は山の関係者7名、中国・北京から女性ガイド1名、チベット地区は男性ガイド1名である。

新千歳空港13:50発、4時間強 (時差1時間)で北京空港。成田発組と合流、地震被害で有名になった四川省の成都へ3時間弱、日本時間23:40着でホテルへ。   翌日、飛行機で2時間40分で標高3,000mの林芝(ニンテイ)到着。  3日目、ここから専用車で5,013mの峠を越えて、500kmをおよそ8時間でラサへ着く。

ラサ〜ツエタン(標高3600m、人口6万)〜ギャンツエ(標高3959m、人口6万)〜シガツェ(チベット第2の都市で人口10万、標高3900m)〜ラサ〜「青蔵鉄道」〜西寧(セイネイ)〜「飛行機」〜北京〜新千歳  11泊12日の長い旅である。

MAP左側にある 「カイラス山」(信仰の山) トレッキング予定であったが、諸般の事情で中止になったので、急遽ラサ中心とした。

今回、行程のポイントは、チベット仏教の実態と中国政府の係わり合い、中国が誇る世界一高所を走る青蔵鉄道の状況、この2点である。


さて、出発!

 世界的なインフルエンザ事件で、新千歳空港でもチラホラとマスク姿が・・・  中華国際航空機で一路北京空港へ   北京空港1階ロビー、まるで青果市場のよう  だ。成田発のメンバーと合流。

 待ち時間のロビーでは中国人のオバサン・グループの声がうるさい。腹の底から発生練習しているようで、周囲の外国人観光客も呆気に取られている。日本に来る中国人観光客も現地中国の住民も同じだ。 がさつで、他人の迷惑を顧みない、今風に言えば、KY (空気を読めない)で、一向に進歩していない国民のようだ。

                                                                     

 北京→ 成都の機内 中国のスッチーは比較的美人が多い、気がする。 機内食は、やはり おかゆ!       成都→林芝 雲南省の7,000m峰が続く。

  標高3,000mの林芝(ニンテイ)はチベット自治区で、人口4万人。古い町は解体され、中国政府のテコ入れで10階以上の高層ビルが作られている。周りが山に囲まれていて、チベットにおける木材の最大生産地である。   空港も新しい。  これからのツアー中のバスとチベット人ガイド(右端)   歓迎の白いマフラーがそれぞれメンバーに。


チベットの大自然

中国の人口は13億人、内チベット自治区の人口は268万人。首府であるラサの人口が44万人。ラサの標高は3,640m。チベットの国土が殆ど3,000m台である。

        

 ここ 林芝(ニンテイ)からラサまで専用車で約500km、札幌から知床までが400kmだから折り返しとなる距離だ。 決して良くない凸凹の道路とクッションの悪い専用車での8時間はツライ。  道路サイドには黄色の菜の花畑とその奥にハダカムギ (写真・中) が映えている。高所ゆえにこの二つしか育たないようだ。と言うより、研究が遅れているのだろう。ネパール地方のヒマラヤでも、ピンクの花が咲く蕎麦や、野菜が栽培されているのだから、出来ないはずがないと思われる。  (写真右端)奥の白い部分が林芝の町で盆地となっている。左上の道路を登って峠に出る。

      

ラサに行く途中寄り道、ミーラ峠(5013m)(写真左)から見るパスン・ツォ湖(標高3420m)(中)。天候が良ければナムチャパルワ峰(7782m)が見えるらしい。無名峰が沢山!

(写真右) ラサから東へ、ラサ飛行場を通過して、ツェタンの町へ行く途中、ヤルツァンポ川の幅は2kmはあろうかと思われる。右奥には最古の寺院「タントゥク寺」が あり、お参りに行くには船で行く。

五体投地・・・・・(写真中)パスン・ツォ湖はチベット四大聖湖の一つで、信仰に厚い人々は数十キロもある、この湖の周囲を五体投地で何ヶ月もかけて巡礼におとずれるそうだ。 (写真右)のラサからツェタンまでも、同じように五体投地をすると言う。車で数時間も要する距離なのにである。信仰心とは・・・・。

  

  

 (左)ヤルツァンポ川の道路反対側は砂漠化した荒地が続く。 (中)ツェタンの町から、チベット第三の町ギャンツェに向かうつづら折のカンパ・ラ峠。標高差1,000mを登ると絶景が待ち受ける。途中には、ヤクや羊が草を食んでいる。ヤムドク・ツォ(湖)はチベット4大聖湖の一つ。紺碧!(右)ネチンカンサン(7,191m)の標識。

   

(左) ネチンカンサン(7,191m)は聖なる山、登ってはいけない。  (中) ネチンカンサン(7,191m)の麓の峠でも 標高5,039m。(右)峠を降りると菜の花畑。


    

ポタラ宮

・・・チベット仏教の歴史・・・

620年、チベットの ソンツェン・ガンポ(吐蕃王国初代王)はチベットを初めて統一して吐蕃王国を建国した。しかし王は、政治的な制度を構築するだけでなく民衆を治めるためには精神的な支柱も必要だと感じ当時インドや唐で盛んだった仏教をチベットで広めた。 これがチベット仏教の始まりである。時を経て、1,000年後の1642年、王朝は滅び、ダライ・ラマ5世による政治と宗教のチベット統治が始まる。

5世が没すると、モンゴル地区の遊牧帝国に攻められ清(中国)の援軍のおかげで危機を乗り切る。そして、1720年、清軍の力でダライ・ラマ7世はラサを治めるが、このとき以来、北京から駐蔵大臣との合議制とされ、以後清朝の干渉を受ける事となる。

1949年に成立した「中華人民共和国」はチベットは中国の領土であると主張し、チベットへ侵攻して今日に至る。

長い歴史の中で、貧国チベットは、当時インドやネパールを統治していたイギリス、そしてロシア、清国、モンゴル等に常に脅かされ危機の連続であったのである。ひたすら仏教を信じて他力本願を願うとしても、政治的な別の力には及ばなかったであろうと思われる。

中国政府がテコ入れして様変わりした、ラサの街の近代化と、地方都市にも及ぶチベット住民のための政策が続いている現在、住民は既に理解しており、チベット仏教の力が及ばない事は判明である。

1949年、中国共産党が建国されて以来、中国は「無神論」が原則となっている。

中国は表向きは信仰の自由を認めながらも、実は宗教を厳しく管理している。13億という国民を治めるには、力で国を治めねば中国共産党の真価が発揮できないのだろう。一番恐れるのは、国民が宗教と言う方向に行くのを何としても防ぎ、イデオロギーで治めたいのである。

チベットは、国王が国を治めるのに、チベット仏教という宗教に目を向けさせ、解決できない事柄は神の庇護の元にといい、矛先を逃れてきた。余りにも盲目的に仏教を信じてきた住民は一転して皮肉にも現在はその神さえも排除されようとしている。神という無のものは中国では必要ないのだろう。それは実証されてきている。中国経済の世界に占める位置づけは目を見張るものがある。インターネットで情報が氾濫するこの時代、若者はダライ・ラマや宗教で裕福にはなれないと感じつつあるのであろう。イスラム世界も同じだ。

いつの時代も貧しく、教育も受けられず無知の人々が、時の権力者や宗教という御旗の基に策略に振り回される事が多い。貧しく弱いものほど犠牲になるのである。

アインシュタインは晩年、宗教について「子供じみた迷信と否定的な考えを示していた。また、「神と言う言葉は、私には人間の弱さの産物という以上の意味はない」 とも言っている。この言葉をチベット仏教をひたすら信仰して、五体当地を重ねる人や、イスラム教の人たちはどのように考えるだろうか。

ポタラ宮(世界遺産)

    

 ポタラという名は、観音菩薩が住むと伝えられる小高い丘の上(紅山)の岩山に建造されている。7世紀から建設され、1695年に完成、実に1,000年に及んでいる。部屋は1,000室を越えるという。 見学時間は個人は自由だが、団体は1時間に制限されている。

      

            団体入口を入ると、庭園には色とりどりの花が咲き乱れている。                   庭園

   

左は中国・北京から同行で北京大学出身のガイド、右がチベット大学出身のガイド。二人ともエリートだ。 窓枠は木製で緻密で美しい。階段を上り、最上階までは1時間。 チベットは毎日青空であった。

・・・ 二人のガイドと文化大革命 ・・・

略して文革とは封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しようという運動で、実態は毛沢東らが引き起こした権力闘争であるといわれている。

政治・社会・思想・文化の全般にわたる改革運動のはずであったが、実際にはほとんどの中華人民共和国の人民を巻き込んだ粛清運動として展開され、結果的に一時的な内戦へと発展、国内の主要な文化が破壊される惨事となった。

チベット仏教もその被害を受けて、殆どの寺で施設が破壊されたそうだ。チベットのガイドは、寺に行く度に 「このお寺も文化大革命で被害がありました、この寺もそうです。」 とその行為をあたかも中国政府が起こしたように、自分達だけが被害者のように言う。 そうすると中国のガイドは、文革の被害は中国全てであり、特別チベットだけではありませんよ、と陰で抗議している。

まずいと思ったかチベットのガイドは、「北京政府のてこ入れで、ラサやチベットのどの町も建物が改善され生活も良くなりました。文革の時も、さすがにお寺のお釈迦様や観音菩薩は破壊されませんでした。」 と取り繕っている。盲目的なほどのチベット仏教の信者である彼も、生活としてのガイド業で、中国ツーリストのガイドには一歩譲る。

チベットの男性ガイドに質問をしてみた。「中国以外の国へ仕事に行き、文化に接してみたことはありますか? チベット仏教以外の宗教をよく知っていますか? 個人用パソコンを所有して、インターネットで世界の情報を会得していますか?」 全て「NO」であった。パソコンは会社にはありますが・・・。チベット大学出身のエリートだが、これが現実であり、文化は遅れているのだろう。

一方、中国の女性ガイドは日本には数回来ており、文化を理解しているようだ。

   

  中間屋上の入口。とにかく人が多い。    上層階から見るラサの街             御参りの部屋の入口には色々な像が睨むように見える。

    

      チベット人ガイドが、口角泡を飛ばして熱心に説明してくれるが、ホゥ!と通り過ぎる。   最上階、ダライ・ラマのお祈りする部屋の入口

        

          トイレ案内                       男性トイレ、一列に並んで。             トイレの窓からは100m下が。

     

               屋上下のお坊さん宿所                   眼下のラサの街には、近代化したビルが建ち並ぶ。

    

中間の50m地点   チベット仏教を代表するマニ車。中に経を書いたものが入っている。信者は全部まわして歩くとそれだけ経を読んだことになる。 CD売り場

 

                      夜のポタラ宮。23時までライトアップされており、音楽に合わせて噴水も上がる。

   高さが100m、迫力がある。これを見ると信者は一層有難がるのだろう。日本の大阪城の高さが55m、イスラムのモスク(礼拝所)やキリスト教の大聖堂の高さも200mもある。高ければ、高いほど時の権力者は人々の心をひきつけるのだろう。そのお金も信者の懐から出ているのだが・・・・。

 


ラサの街

  

 チベットのどこへ行ってもある国営の「中国銀行」   ラサの街は驚くほど綺麗で新しい。今では商店経営者は漢民族(中国人)が8割、チベット人は2割。古くから住んでいる劣悪な住環境のチベット人は郊外に立ち退きをさせられているらしい。 (右)仏教の街はその方面の店が多い。色とりどりの数珠が格安。 

 

     

チベット人の男性は賭け事が大好き。ビリヤード台が街の至る所に。 三輪車は公共の乗物。ジョカン(大昭寺)の周囲はバルコル(八角街)の巡礼者が

     

  ラサの街の至る所に中国軍隊が警備中           工事の枠組みは未だ木と竹が多い            ラサを取りまく山々には木が全く無い


風物詩

   

 南迦巴瓦峰(ナムチャパルワ:7,782m)が、晴れていると見えるセチ・ラ峠(4,560m)    チベット仏教特有のタルチョ(経文が印刷された五色の旗)がはためく

  

チベットの車は「加水」をしなければ峠を越せない。  ホテル・ロビーにある置物、稲の穂?おまじないか?    国有、「中国石油」のスタンド 値段は日本と同じ位

・・・ チベットの車のスピード制限 ・・・

 主要道路の入口で用紙に通過時間を記入され、出口でチェックされる。走行時間が早いと罰金。だから車は出口で休憩して時間調整している。これって効果があるのだろうか?

     

 「ポタラ宮」前の広場では、観光客目当ての民族衣装モデルと有料写真撮影  五色のタルチョ、経を印刷。風が舞って揺れると、それだけ経が読まれた事になると言う。

    

寺の裏の大石にも仏や経、タルチョが、全て仏教は生活と密接だ  これは便利なエコ商品。反射鏡で上のヤカンのお湯が沸く。高度が高いので、直射日光が強い。  

  

ヤクに乗る、10元(160円)   ヤクの糞は貴重なチベットの燃料。標高が4,000m程度なので、木が無い、貧しく石油も買えない、住宅の壁にはヤクの糞を乾かす。   

  

チベットでは子供が数人いると、一人はお坊さんにするという。条件は優しく、経が好きな事。 (中)レストランの厨房      (右)夕食時のチベット民族舞踊

高原にヤクを長く放牧するための、生活テント


 

動 物

    

  (左)ヤク : 標高3,500m〜4,500mの高地に住み、体長3m、体重500kg。ウシ科の動物で、荷役用、毛皮用、乳用、食肉用として飼われている。(中)羊。チベットはヤクも羊も豚も全て放し飼い。車は道路を横切る彼らが渡りきるまで待つしかない。車ではねて死ぬと、1頭3,000円位の罰金らしい。 (右)チベット犬。写真1回、5元(80円)

     

カンパラ峠(4,749m)では、観光客が車から降りるや否や、ヤクとチベット犬を連れた現地住民が多数で押しかけ、1回5元で写真を撮れと迫る。(中) 子豚と親豚


鳥 葬

   ハゲワシ

チベットの代表的な葬儀方式。死体を郊外の荒地に専属のお坊さんが運び、鳥に死体を食べさせる葬儀である。親族は同行できない。運ばれた遺体は鳥が食べやすくするため細かく裁断され、ハゲワシやコンドルなど、いわゆるハゲタカ類に血の匂いを漂わせて呼び寄せ食べさせる。残った骨は細かく砕いて全て綺麗に食べさせるそうだ。この間、100匹位の鳥が来て、20分程度で食べてしまうと言う。

宗教上は魂の抜けた遺体を天へ届けると言う事で行われるが、実際はチベットは標高が4,000m前後と高所のため、木が育たなく、燃料がないからと言う説が強いそうだ。チベットでは80%の人が今でも鳥葬である。他の20%でお金のある家族や、高僧は火葬で行い、低層の家族は貧しく専属のお坊さんを雇えないので、細かく裁断して、川に流すそうだ。

以前はこの鳥葬を、ツアーで見る事が出来たが、現在は中国の当局が禁止して、見たり報道するのも禁じているそうだ。いかに宗教上では魂が抜けていようと、この現実は受け止めたくは無いのが常識であろう。火葬にするための木が無いのであれば、土葬でもと思うが、ここに宗教という考えがあるのであろう。

ネパールやインドでも火葬にするが、火葬にする薪代が不足する人は、半焼きで遺体を川に流すそうだ。インド、ネパール、チベットの川から流れる下流の中国・長江やカンボジアのメコン川、インドのガンジス川の住民は如何に。貧困と宗教は紙一重とも言えようか。

チベットは豚肉、魚、鳥肉は食べないようだ。宗教からの考え方であろうか。鳥肉を食べないと言うのは鳥葬の関係で生理的にも受け付けないのであろう。

宗教上、食べてはいけない食べ物はそれなりにある。イスラム教の豚、ヒンズー教の牛、キリスト教もユダヤ教も旧約聖書で動物の肉類を規制している。大義的には殺生を禁じる事かららしい。ただ理解できないのは、ヒンズー教の牛は、シバ神の乗物が牛だから食べてはいけないと言う理由。イスラム教の豚肉禁止は、豚は不浄の動物だからと言う。  日本の宗教文化でも、精進料理で野菜しか食べない時があったが、今では死後となりつつあるが、ヘルシー料理で復活も早いかもしれない。


         

   ホテルのロビーによくある花、花を浮かべてあるだけ。「池の坊」でなく、「捨ての坊」?           木に花でなく飾り物。

     

                                      寺の境内には数々の花、「百花繚乱」


チベットの人々

    

ミーラ峠(5013m)では、若者がチベット衣装を着て1枚五元で写真を撮れとしつこい。(中) ラサの街、マニ車(1度回すと、経を1回読んだことになる)を右手に一心不乱に行列を作りポタラ宮の周りを歩いている。   (右)日本人、河口慧海も学んだ「色拉寺」(セラ寺)で子供の鼻に墨を塗って健康を祈るおまじないをした親子。

・・・ 一人っ子政策 ・・・

 中国で一人っ子政策を余儀なくされて久しいが、そろそろ見直しがされるらしいと、ガイドの情報である。今までかなりの弊害があった。13億の人口を抑制しなければ経済が持たない等である。しかし、農村では男の働き手がないと困窮するし、男世界の中国は、男が生まれるまで、戸籍登録をしない現実があり、その数は中国では1億とも言われている。資産のある家庭は、年収の3〜10倍の罰金を払っても第2子をもうけるという問題も発生してきている。世界経済をリードしつつある中国は今後経済力の高まりで人口規制が撤廃されようとしているようだ。

・・・ 一妻多夫制 ・・・

チベットで今では珍しい結婚スタイルが、数人の男兄弟が一人の嫁さんをもらい結婚生活をしている事である。チベットのガイドに確かめると、辺境の田舎に行くとまだ続いているという。何故そうなるか、貧しい放牧地帯等では仕事も無く、兄弟それぞれが生活力が無く、共同でお嫁さんをもらうそうだ。出来た子供は長男の子として扱われるという。以前、テレビの特集番組でお嫁さんにインタビューをしていたが、彼女は下を向いたまま応えなかった。チベットに限らず、数カ国でいまだ続いているようだ。

    

  寺で経典の印刷をする坊さん、昔の謄写版方式  (中)(右) 五体投地で必死にお参りする人々。 五体投地のやり方 1. まず直立して、胸の前で蓮華合掌する 2 この蓮華合掌を頭頂へ持ってゆく。 3 蓮華合掌をそのまま眉間に降ろす。 4 蓮華合掌をさらに咽に降ろす 5 蓮華合掌を胸の前へ戻す。 6 続いて、地面へ平伏する動作に入る。 7 両膝と両手を地面につく。 8 額も地面に付ける。 9 あまり間を置かずに立ち上がる 10 再び胸の前で蓮華合掌。以上の1〜10を1回と数えて、3回・7回・21回・108回など、適当な回数を繰り返す。最後に、1〜5をもう一度行ない、礼拝の修行を終える。

    

1日5時間は街の中を、経を唱えながら練り歩くお年寄り集団          レストランの受付嬢                    あどけないチベットの子供達

    個性的で暗い感じが多いチベット人の中で、日本人ご夫婦の穏やかで優しい顔を見るとホッとする。            中国の芸能人らしい。

            

           シガツェのホテルのスタッフは美人!             夕食のサービスタイムでチベットの唄を歌ってくれる若いスタッフ

    

青蔵鉄道の最終駅「西寧」(人口184万人)のイケメン・ガイド。中国では珍しいイスラム寺院とイスラム人が多い町だ。 (中) 早朝、太極拳をする人々 (右)西寧のお嬢さん


チベット人の食べ物

 

      

チベット人の主食はハダカムギ。標高3,000mを越える高地では、ハダカムギと黄色い菜の花しか畑には無い。ハダカムギの生産地は西南アジアに多い。既に紀元前6,000年頃から作られているらしい。写真(中)は 「ツァンパ」 というハダカムギを粉末にしたものを、湯と手前の皿にあるヤクのバターを加えてねって団子状にして食べる。右のバター茶と共にチベット人の主食である。中国から輸入される茶と、ヤクのミルクで作るバターを使って作るバター茶が栄養の源のようだ。

      

                 滅多にないヤクの肉は特別の日しか食べられない。  餃子と、これに似たモモもご馳走のようだ。


チベットのお寺

    

    チベット四大聖湖の一つ「パスンツォ湖」の寺は浮橋で                女        寺とは言っても意外と世俗的        男

    

      大岩に書かれた経         寺に供えるお布施、1角(1元の10分の一、2円程度)を仏像の前に。 寺の片隅では坊さんが砂糖の塊を砕いている。

    

寺には薪があ性社会の寺は坊さんが食事つくり。食堂には大人が3人位入れるような大なべが沢山  ノルブリンカ:ダライ・ラマが夏の間過ごした離宮。世界遺産。

    

        ノルブリンカの看板      ツェタン:ユムブ・ラカン〜紀元前1世紀、チベット初代の王が作った宮殿    馬で上まで行くには200元(320円)

    

     寺の修復工事には大勢の人が多分無報酬で奉仕している。屋根の土を固める人々。 (中)(右)ギャンツェの「白居寺」(パンコル寺)、仏教学問の中心地

   

  ラサ・大昭寺(ジョカン寺)、チベット仏教の総本山、世界遺産。  ラサ・デプン寺、最盛期7,000人の僧が学んでいた寺   どこの寺も見学者と信者で溢れる。


食 事

    

         チベットは基本的に中華料理                   今日も中華                    また中華、米は不味い

    

珍しく牛のステーキ、めだか焼き(両面焼き)と日本風スパゲテイ付だ。    野菜が多いのは歓迎だ。               ネパール料理のダルバート

         

     中華:今日はモモが美味い         チベットビール、ラサビールは飲みやすい。         早めの、数時間前に言わないとビールは常温でしかない。

    

      だんだん食べられる物が少なくなり、箸が進まない。      必ずキノコと野菜の中華は出る。               八宝菜も必ず


青蔵鉄道

  2006年、カナダの航空機メーカ、ボンバルディア社の機関車が最高地点5,072mを走る。中国、北の都「西寧」とチベットの首府「ラサ」を結ぶ1,956mである。日本地図で比較すると、北の稚内から南の鹿児島間ほどとなる。昼12:00にラサを出ると、翌日昼の12時前後に西寧に到着するが、寝ている時間は別にしても、景色を見ているだけで決して退屈はしない。大自然の素晴らしさに誰もが見惚れるのである。雪を頂く7,000m峰、その下には木が何にも無い砂漠状の山々、その下にはヤクや羊、鹿などの動物と、大草原、そして大河の流れが延々と続く。

       

         ラサの鉄道駅、博物館のようである。          隣にある、バスのラサ駅               ラサ駅、二階の土産物コーナー

      

       1等待合室はイスが布張り                    2等待合室は板張り                   乗務員の写真入一覧、中国らしい

       

             ラサ→西寧 の案内板                 改札口は天井も高く、立派                ホームは後楽園ドーム2個分の広さ

       

  1等寝台は4人部屋。ベッドは広い  食堂車も快適、しかし中国人のサービスは2流以下、茶をいくら頼んでも知らぬ顔   食堂車にはチャン(焼酎)しかない。

   

                            景色は絶品。 標高4,000m〜5,000mだが、汽車の中は3,000mに維持されている。

          

      昼食・・・美味い              夕食・・・これまた美味い、文句なし。    朝食・・・御かゆ2種類、パン、卵焼き、お粥に入れるトッピング、満足。

               さすが中国、食の中国である。安くて美味い。ただし、餃子だけは不安だ! ところで、餃子事件はどうなったのだ?

   

                                         鉄道世界最高店の「唐古拉」(タンラ) (標高5,058m)の駅看板

     

中国青海省の西寧(セイネイ) は標高2,275m。それでも大雪山・旭岳(標高2,290m)とほぼ同じ高さだ。作物が青々と茂る。 西寧は人口184万人、札幌市とほぼ同じの大都会。

・・・ 残念! 青蔵鉄道の接遇 ・・・

 食事は良いし、景色も良いし、設備も良いのが青蔵鉄道。しかも世界最高所を走ると言う話題性もある。  しかし、乗務員の対応は劣悪である。女性が多いが、にこりともしない。スナックに行ったので無いからそれは良い。チベットのレストランの若い女の子の方がよほど愛想が良い。狭い通路を連中が通るにも、いかつい顔でいかにもぶっきらぼうに通る。こちらが肩が触れないように気を使わなければならない。食堂車でも、客が混んでいても1席を自分達で独占しながら食事を堂々としている。洗面所では手を洗った彼女が、窓際のカーテンで手を拭く始末。究極は最終駅に着く1時間前に、客室を回り無言で毛布の整理をする、その間廊下に出ていけとの無言の圧力、また1時間前からはトイレを使うな、との放送。 男性乗務員は食堂車内でも大声で喋りまくる。秩序とか礼儀とかがかなり不足している。こちらは客なのだ。10年前の中国旅行の時の体験と殆ど代わっていない。日本に来る中国人も同じだ。経済とハード面は向上しているのに、文化はいつ向上するのだろうか。


 北 京

      

北京空港はとにかく大きい、これは国際線、この横に同じ大きさの国内線建物が2つある。 空港の中、半分歩いても、到着口はまだ5分の表示。 荷物のレーンも倍はある。

    

       高速で走る北京の街、オリンピックで大改造、とにかく綺麗。しかし・・・                   故宮の北に、風水で立てられた「景山公園」

    

故宮(紫禁城)もオリンピックのために綺麗に化粧直し。  ガイドは昔も今も、お茶の売り場へ。この茶とて、消毒で汚染はしていないのだろうか?    北京駅

   

                    天安門広場                                        オリンピック会場、鳥の巣の夜景

・・・ 中国とチベット ・・・

ダライ・ラマは、世界平和やチベット宗教・文化の普及に対する貢献が高く評価され、ノーベル平和賞を受賞した。しかし、現在は中国政府により除外されている。ここで宗教とイデオロギーについては長くなるのでコメントは控える。チベットのチベット仏教信者はダライ・ラマの写真を家に飾ることさえ許されていない。2番目の高僧のパンチェン・ラマ11世は中国政府の傀儡、現在のダライ・ラマ14世が没すると、15世は任命されないだろうと言われている。これでチベット仏教は衰退かもしれない。

チベットの街並みはすっかり中国風に改善されている。文化生活になじんだ若いチベット人も、逆戻りは出来ないだろう。ある都市では中国の五星紅旗を屋根に翻して、支援に応答していたり、毛沢東の写真さえ飾られている。世界平和とひたすら唱えていたチベット仏教は、自分達の文化の平和さえ維持できなくなってきている。

これほど広い領土を所有している中国、チベットの土地くらいは「高度な自治を求めているダライ・ラマ」に任せても良いではないかと思うが、豊富な資源が埋まっている土地は離せないのであろう。政治と宗教、古今東西、両立は難しいのであろう。それにしても、ひたすら五体投地をしながら何を祈るのか信者たちは。

・・・ 中国と日本 ・・・

毒餃子事件の原因は、天洋食品の労使の対立のようだが、この事件はどうも迷宮入りに向かっているようだ。 追求する日本政府が弱いのか、中国政府が傲慢なのかは庶民には分らない。 ただ中国製品は怖く、中国人は恐ろしいという印象に終わろうとしている。 しかし、われわれは実態を理解しなければならない。現実は以下のことが数的に判明しており、食と隣国としての接し方も良く考えねばならない。 政治家にのみ任せてはおけないし、日本の農業政策や流通も含めて考える必要性が求められていると思われる。

韓国人や中国人はちょっとしたことで、日本人に恐怖心を感じることがあるそうだ。特に公共マナーや公共機関の安全性・正確性、職人・技術人のプロ意識は100年単位の差を感じるそうである。これは当の日本人が一番理解している。

ここで、2,007年の「フジテレビ」報道を一部引用しながら考えてみる。

厚生労働省の統計を見ても、中国から輸入された食品が、検査によって日本の食品衛生法違反と判定される割合はきわめて低いという。1年に9万回の検査を受けて、違反率は0.58%である。これは全輸入食品の違反率 (0.77%)より低いし、EU (0.62%)、アメリカ (1.32%)、タイ(0.68%)、ベトナム(1.63%)など、日本の主要な食品輸入相手国よりも低い。確かに違反の絶対数はもっとも多いが、それは単に中国が日本にもっとも多数の食品を輸出していることを反映するにすぎない。

さらに、輸入食品の方が国産食品よりも危険だと判断する根拠もない。厚生労働省の「平成14年度農産物中の残留農薬検査結果」によれば、農産物中に農薬が検出された割合は国産品が0.44%であったのに対して輸入品は0.34%であった。

日本にとって、中国からの農産品輸入はアメリカに次ぐ第2位で、2006年に全農産品輸入の13%を占めていた。中国への依存度が特に高い農産品は、落花姓(74%)、ニンニク(69%)、松茸(64%)、ショウガ(60%)、そば(57%)、ごぼう(29%)、枝豆(26%)、椎茸(22%)、小豆(21%)、エンドウ豆(20%)、ネギ(19%)、タマネギ(16%)である。

ワカメ、ふぐ、松茸、そば、ごぼうなど日本料理には欠かせない食材は、中国料理ではそうでもない。日本の輸入業者が中国の農家や漁民に対して、日本でよく売れるこうした食品を栽培・収穫するように指導したのである。加えて、日本の食品加工業者が中国に数多くの工場を建設して、中国産原料から日本向けの加工食品を製造している。こうした日本側からの働きかけによって、中国は日本に対する主要な食品輸出国になったのである。

日本は商社が中心となり、中国に技術と資金を提供し、中国の広大な大地と安価な人件費を利用して生産しているわけである。ここで中国の野菜農家に対して農薬を使うように指導したのも日本の輸入業者である。

10年前に中国を観光した時に、中国人ガイドが説明してくれる。車窓から見える広い長ネギ畑を指しながら、日本の業者が大量の農薬の使い方を指導しています。何故なのでしょうと不思議がっていたのが印象的であった。10年前から兆候があったのである。

次に水産品を見てみよう。ハマグリは92%が中国に依存している。他に、ワカメの77%、ふぐの65%、アサリの47%、ワタリガニの42%、活うなぎの29%、塩蔵・干しイカの25%が中国産である。うなぎの場合、活うなぎの2倍の量がうなぎ調整品として輸入されているので、これを計算に入れると、日本はうなぎの60%を中国に依存していることになる。中国は日本の最大の水産品輸入相手国であり、全輸入の22%を占めている。

食品や水産品の、日本が輸入している割合は以上のように少ない。それに対し、中国の対日本輸出の89%は工業製品である。下着、電化製品等である。

日本の輸入業者が中国の農家や漁民に対して、日本でよく売れるこうした食品を栽培・収穫するように指導したのである。加えて、日本の食品加工業者が中国に数多くの工場を建設して、中国産原料から日本向けの加工食品を製造している。こうした日本側からの働きかけによって、中国は日本に対する主要な食品輸出国になったのである。

中国の農水産品輸出先として日本はもっとも重要であるが、中国から日本への輸出全体に占める農水産品の割合は 7%に過ぎない。日本の大衆が中国産食品を全面的にボイコットしたとしても、日中貿易に与える影響や、中国経済に与える影響は軽微なのである。

このように見ると、中国農産品の汚染の責任は、中国ではなく日本の業者と言うことになる。その業者は日本の消費者が食品にうるさいからだと言うだろう。我々消費者が真剣に考える時に来ているわけである。ただ政治家に任せておく時代は終わったのである。

今回のチベット旅行と中国のその後を見て、中国を決して批判してばかりでは解決には至らない。国土は日本の25倍と広いし、人口も13倍、経済力も驚異的に向上している。日本の食の自給率は簡単には向上しない。以外に中国の方が、他の国より食の安全性は高いことも判明している。もっと角度を変えて中国を考えねばと考えた次第である。

                                             



 

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