トルクメニスタン紀行
城跡、「乙女の城」と言われるキズ・カラ |
旅の初めに・・・ 2012年5月、中央アジアの旅をする。 中央アジアのトルクメニスタンの馬は、サラブレッドのルーツであると認識していたので楽しみにしていた。 しかし、欧米からは「中央アジアの北朝鮮」、前大統領は「中央アジアの金正日」と言われるほどの独裁国家と認識していたので、多少緊張しながら入国することになろう。 |
数字は宿泊日数 |
☆ワンポイント情報
・国名 トルクメニスタン ・民族構成 トルクメン人81%、ウズベク人9%、ロシア人3.5% |
☆クニャ・ウルゲンチ
2005年、新たに世界遺産に登録されたホラズム王国の古都クニャ・ウルゲンチ遺跡。クニャ・ウルゲンチとは旧ウルゲンチという意味で、8世紀以降キャラバン商路の十字路として栄え始めた。 |
看板 |
イル・アルスラン廊 |
クトルグ・ティムール・ミナレット(67m) |
ガイドさんもミナレットの様に背が高い |
ミナレットは上が傾いてきている |
☆トルクメニスタンとは
カラクム砂漠が国土の85%を占めており、国民のほとんどは南部の山沿いの都市に住んでいる。豊富な石油や天然ガスを埋蔵する。 アシガバード郊外には、人類最古の農耕集落遺跡のひとつであるアナウ遺跡がある。1991年の国民投票でソ連からの独立に94.1%が賛成し、翌10月27日独立。 ニヤゾフ大統領時代は完全な独裁体制が確立しており、欧米からは「中央アジアの北朝鮮」といわれていた。 黄金のニヤゾフ大統領像は高さ14メートルで、太陽を追って回転する。言論の自由はなく、インターネットの一般利用も認められていなかった。これに対し、ベルディムハメドフ現大統領は、インターネット利用の開放などを行う事を約束している。さらに国民の多くはパラボラアンテナにより海外の衛星放送を受信している。 ほぼ全域が砂漠気候である。夏は40〜50度、冬は0度以下まで下がるなど、夏と冬の寒暖の差、日中と夜間の寒暖の差が激しい。昼と夜で20度を超える温度差になることもある。夏季に雨はほとんど降らない。 主な産業は、天然ガス、石油、綿花栽培、繊維工業。特に天然ガスは狭い国土にもかかわらず世界第4位の埋蔵量の資源国である。これらの資源の輸出により潤沢な資金流入があるため、独裁国家には珍しく国民は非常に裕福といわれることがある。 |
トルクメンバシュー一族(初代大統領)のモスク(左)と一族の廊(右)、これだけでも独裁と判断できる |
警備の兵士 |
博物館 |
☆汗血馬の子孫と言われるアハルテケ
トルクメニスタン人の誇りである伝説の馬が「アハルテケ」 「アハルテケ」は汗血馬のモデルとされる幻の名馬で、現在のサラブレッドのほとんどはアハル・テケの子孫であるといわれている。 汗血馬(かんけつば)は、中国の歴史上で名馬といわれた馬の種類。「血のような汗を流して走る馬」という意味で「汗血馬」と呼ばれる。 |
厩舎、かなりの馬がいる |
子孫が日本のサラブレッドと言われる |
オスでしょう。どうして? |
汗をかくとこの様にして |
ウウ〜ム、やりおるのう。 |
実技披露、早い、早い |
☆ニサ遺跡
ニサはトルクメニスタン南西部に残るパルティア王国時代の都市遺跡である。王の建造物群のあった旧ニサと民衆の居住地区であった新ニサとから構成される2つの遺丘で、いずれも城壁に囲まれ、互いに 1.5 km ほど離れている。これら2つの遺丘は、2007年、世界文化遺産に登録された。 |
世界遺産の看板 |
パンフレット |
ニサ遺跡 |
☆首都アシガパット
砂漠に植樹するのは天然ガスでお金があるからか? |
首都のアシガバットに近ずくと近代的な建物群が |
巨大なビルが |
道路も、建物も素晴らしい |
動画・・・アシガバットの街並 |
街中、こんな感じ |
一歩、裏側は庶民的 |
花も変わっている |
食事内容はそこそこ |
味もそこそこ |
メインは牛煮込み |
杏子が美味しい |
世界一複雑と言われる国旗 |
サッカー場 |
首都はビルがドンドン建つ |
公園には水があふれている。砂漠なのにどこから? |
中立のアーチ |
てっぺんには独裁者の金作り |
国立歴史博物館、現大統領の写真が殆ど |
世界第二位の大きさの絨毯 |
三階建てなのにエレベーターまで |
階段は大理石、イヤハヤ! |
独立の塔 |
☆アナウ遺跡
アシガバードから約15kmのところにあるアナウ遺跡は15世紀の城塞都市跡。龍の装飾が美しいセイットジュマール・アッディン・モスクで知られている。 |
地震で崩壊した遺跡 |
モスク跡 |
☆ルースキー・バザール(アシガバード)
巨大な建物 |
何でもそろう |
日本のおばさん、挑戦 |
そんなに見つめないで! |
あら! |
国民生活は楽と言う。ガス、電気、水道、学校は無料。何分世界第四位の天然ガス産出国、北朝鮮とはチヤウ!! |
中国製品は当然、物価も安く抑えられていると言うが・・・ |
スィーツの山 |
☆マルイ
マルイ(14万9,600人。第二の工業都市。メルプ観光の拠点。 |
マルイの飛行場 |
花嫁さんが同じ飛行機、この国は公共の建物は写真はNO! |
しかし、警備の警官は特別に許可。 |
嬉しそうな花婿さん、タクシーに |
☆メルプ遺跡
メルブとは、トルクメニスタンのカラクム砂漠の中にある、中央アジア最大の遺跡。トルクメニスタンではマル(またはマルイ、マリイ)と呼ばれている。1999年、トルクメニスタン初の世界遺産に登録された。 もとはホラーサーン地方の中心都市のひとつで、シルクロードのオアシス都市として栄えた。人口は当時100万人に達したといわれる。 12世紀末も、ホラズム・シャー朝支配下の重要な都市として繁栄を続けたが、1218年に、チンギス・ハーンの要求を伝えた特使を殺害したため、1221年に、チンギス・ハーンの末子トルイ率いるモンゴル騎馬団が復讐のために攻め込んで、100万人を数えたという住民を皆殺しにした。その後、メルブの町は廃墟と化し、二度と復興しなかった。 |
マルイ・エア・ポート |
世界遺産 |
真中の円いのがスルタン・サンジャール廊 |
ラクダ |
モンゴルの来襲でr破壊される |
ユルタ(移動式住居) |
内部 |
遺跡でデモンストレーション |
「乙女の城」キズ・カラ |
☆首都アシガパット
コペトダグ山脈とカラクム砂漠の間にあり、主要産業はガラス製造、ぶどう酒醸造、綿織物業など。現在の人口は695,300人(2001年)。 古代のパルティアの都、ニサ遺跡(世界文化遺産)がアシガバートの南西15kmの荒野にある。 |
ランチ・タイム |
ちよっと〜、それフォークじゃない・・・ |
博物館 |
とにかく豪華、しかし・・・ 大統領の肖像画ばかりが目立つ |
写真はここまで、あとはNO!。何でも秘密にしたい国 |
独裁、前大統領の肖像画の代わりに今度は自分の肖像画 |
☆○○○スタンの比較
国名 |
人口(万人) |
面積 |
首都(人口) |
言語 |
民族構成 |
宗教 |
産業 |
特徴 |
カザフスタン | 1,580 | 日本の7倍 | アスタナ(70万) | カザフ語、ロシア語 | カザフ人63%、ロシア人24%他 | イスラム・スンニ派47%、ロシア正教44% | 鉱業、農業、冶金・金属加工 | 旧ソ連では、ウクライナに次ぐ第3位の穀物生産国 |
キルギス | 560 | 日本の半分 | ビシュケク(100万) | キルギス語、ロシア語 | キルギス人70%、ウズベク人14%、ロシア人9% |
イスラム:スンニ派75%、ロシア正教20% |
農業(綿花・タバコ)、牧畜、鉱業(金、水銀) | 経済の主体は牧畜 |
タジキスタン | 710 | 日本の4倍 | ドゥシャンベ(68万) | タジク語、ロシア語 | タジク人80%、ウズベク人17%他 | イスラム:スンニ派80%、シーア派5% | 農業(綿花)、アルミニウム生産、水力発電 | 国土の殆どが“世界の屋根”といわれるパミール高原 |
トルクメニスタン |
520 | 日本の1.3倍 | アシガバット(70万) | トルクメン語、ロシア語 | トルクメン人81%、ウズベク人9%、ロシア人3.5% | イスラム:スンニ派89%、 ロシア正教9% |
鉱業(天然ガス・石油など)、農業(綿花)、牧畜 | 天然ガスが経済を支えている |
ウズベキスタン | 2,780 | 日本の1.2倍 | タシケント(220万) | ウズベグ語、ロシア語 | ウズベク人78%、ロシア人5%他 | イスラム:スンニ派88%、ロシア正教9% | 綿繊維産業、食品加工、機械製作、金、石油、天然ガス | 世界有数の綿花輸出国 |
アフガニスタン | 3,000 | 日本の約1.7倍 | カブール(250万) | ダリー語 | パシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人等 | イスラム:スンニ派84%、シーア派15% | 小麦、大麦、ジャガイモ、米、アーモンド、サトウキビ等 | 長年の戦乱で経済は完全に破綻 |
☆庶民のスーパー
入口 |
遺跡と見間違う |
☆ホテル
博物館の隣が今夜のホテル |
近くのホテルで夕食 |
ゲバブ料理が抜群に旨い |
お国事情・・・ 宿泊予定のホテルが、国の行事で夜8時まで空きません。とホテル側。 民間ホテルだが、国の言う事には逆らえないらしい。さすが独裁国家! と感心した。仕方がないので、夕食はレストランへ、民族舞踊もあると言う。ワインにビール・・・またまた散財。トホホ!! |
ゲバブはここで焼く |
民族舞踊を踊るお姉ちゃん |
動画・・・トルクメニスタンの踊り子 |
この国も最終日、どこの国も公共のトイレなぞは殆ど無い。青空で |
砂漠にしっかりマーキング |
左のオジサンは人気抜群、身を乗り出して熱演中 |
日本人人気落語家、登場! 70代の素敵な、素敵なオジサン。お話がうまくて、聞いていて飽きさせない。その内、バスの中では競ってオジサンの側に座りたがる。 即席落語、漫才もどきのお話、歴史、雑学、何でも詳しい。人柄がなんともよろしいようで。 だが、旅行に来る前に、奥さんに注意されたそうだ。貴方のお話はしつこ過ぎて飽きられますから、くれぐれも注意なさいと。 しかし誰も飽きない。芸名がすこぶるイイー。 大学の落研時代の名前は 帰りのお別れにチップを払うのを忘れてしまった。ごめんなさい。 |
砂漠をひたすら走る。 チンギス・ハーンも遊牧民も皆走り抜けた中央アジア |
天然ガス排出量は世界第四位、この国の経済を支える |
国境近くの街、トゥルクメナバード |
市内のあらゆる所に大統領の看板、もう飽きたッ! |
ホテルのもレストランにも、いい加減になさい |
サラダ |
これもサラダ |
スープ、メインは忘れた |
街灯はモダンですね |
色々な色、センスがいい〜 |
ウズベキスタンとの国境はこの川で |
浮橋なので、乗客は歩いて渡る |
ここを渡ると、また国境をドサ回りの様に荷物を引きずりながら、延々2時間待たされる。 |
☆略史
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☆チンギス・カンとは
チンギス・カン(1162年頃- 1227年頃)は、モンゴル帝国の初代皇帝(在位:1206年 - 1227年)。
大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国北部・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服して、最終的には当時の世界人口の半数以上を支配するに致る人類史上最大規模の世界帝国、『モンゴル帝国』の基盤を築き上げた。 死後その帝国は百数十年を経て解体されたが、その影響は中央ユーラシアにおいて生き続け、遊牧民の偉大な英雄として賞賛された。 |
モンゴル帝国
モンゴル帝国の最大領域
モンゴル帝国は、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・カンが1206年に創設した遊牧国家。中世モンゴルでは「大モンゴル国」と称した。
モンゴル帝国の創始者チンギス・カンと『四駿四狗』やその他の後継者たちはモンゴルから領土を大きく拡大し、西は東ヨーロッパ、アナトリア(現在のトルコ)、シリア、南はアフガニスタン、チベット、ミャンマー、東は中国、朝鮮半島まで、ユーラシア大陸の大部分にまたがる歴史上最大の世界帝国を創り上げた。最盛期の領土面積は約3300万平方kmで、地球上の陸地の約25%を支配し、当時の人口は1億人を超えていた。 モンゴル帝国は、モンゴル高原に君臨するモンゴル皇帝(カアン、大ハーン)を中心に、各地に分封されたチンギス・カンの子孫の王族たちが支配する国(ウルス)が集まって形成された連合国家の構造をなした。 中国とモンゴル高原を中心とする、現在の区分でいう東アジア部分を支配した第5代皇帝のクビライは1271年に、緩やかな連邦と化した帝国の、モンゴル皇帝直轄の中核国家の国号を大元大モンゴル国と改称するが、その後も皇帝を頂点とする帝国はある程度の繋がりを有した。この大連合は14世紀にゆるやかに解体に向かうが、モンゴル帝国の皇帝位は1634年の北元滅亡まで存続した。また、チンギス・カンの末裔を称する王家たちは実に20世紀に至るまで、中央ユーラシアの各地に君臨し続けることになる。 |
チンギス・ハーン家の略系図
インドの「タ―ジ・マハール」 インドの「タ―ジ・マハール」で有名なムガル帝国は、チンギス・ハーンの次男チャガタイの子孫とチムールの子孫がが作り上げた王国である。 |
独裁 ・・・ ニヤゾフ大統領時代は完全な独裁体制が確立しており、欧米からは「中央アジアの北朝鮮」といわれていた。 黄金のニヤゾフ大統領像は高さ14メートルで、太陽を追って回転する。言論の自由はなく、インターネットの一般利用も認められていなかった。 これに対し、ベルディムハメドフ現大統領は、インターネット利用の開放などを行う事を約束している。さらに国民の多くはパラボラアンテナにより海外の衛星放送を受信している。 首都ではほぼ50メートルごとに、ニヤゾフ大統領の肖像や銅像が設置されていたが、今では現大統領の肖像に替えられている。 ニヤゾフ大統領の大好物はメロンである。「この神の賜物は、輝かしい歴史を持っている。美味しいメロンの名前を称えて、国民の祝日にする」とテレビで発言。 金歯を禁止。 トルクメニスタン国内では煙草は禁止。 |
旅を終えて・・・ ユニークな国である。独裁だが、天然ガスが豊富で経済的に楽なため、国民生活はそれなりに豊からしい。 情報や世界の情勢は知らされていない様だが、衣食住がそれなりであれば幸せなのであろう。アフリカやアジアの途上国よりは何となく穏やかに見えた。 しかしながら、街のビル群はけばけばしい。心が通っていない国作りはいずれ破綻しかねない。 おわり |