トーゴ 紀行

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ブードゥ教の炎の儀式    病気の治療や徐霊、お守りの祈願などの役割をするという

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 旅の初めに・・・

 2012年11月、 西アフリカ・ギニア湾岸の通称奴隷海岸の旅を計画した。
途上国ばかりが集まる地域であるので治安に不安を覚えたが、現在の所は外務省からは危険地域とは発表されていない。近くの国では今年、マリが内戦状態にあるので油断はできないが。

 下調べをすると、突出するような観光地は無いが、車窓からの観光でもアフリカ旅行は価値がある。
多少の不安と危険を覚えながら出発する。

 

                   旅行ルート 

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 ワンポイント情報

 ・正式国名     トーゴ共和国           ・言語      フランス語
 ・人口        660万人             ・宗教      伝統的宗教67%、カトリック18%、イスラム教10%
 ・面積        56,785km2             ・民族      40の部族
 ・首都        ロメ (人口 70万人)         ・産業      農業(綿花、カカオ、コーヒー)、鉱業(リン鉱石)
                                ・識字率     64.9%

 アフリカ全土のデータ
 ・面積    世界の22.2%                   ・後発開発途上国(LDC)    34カ国
 ・国数    56カ国                       ・困窮度   1日1ドル未満で生活する人:全人口の41.1%(2004年)
 ・人口    9億2,500万人(世界の14.2%)(2006年)   ・飢餓率   飢餓率が35%を超える国:18カ国
 ・識字率   15才以上63.3%(2004年)          ・平均寿命 男性48.8才、女性50.2才(2005年)
 ・エイズ(HIV)感染率  15-49歳人口の5.9%が感染(2006年)

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         ☆ トーゴとは  

 南部は高温多湿の熱帯性気候。北部はサバナ気候で南部より雨量は少なく、湿度も低い。

 15世紀末にポルトガル人が渡来し、16世紀以降は奴隷海岸の一部として知られることになり、19世紀まで奴隷の供給地とされていた。

 1884年ドイツの探検家グスタフ・ナハティガルによって海岸地域が保護下におかれ、1885年トーゴ全域がドイツ保護領トーゴランドと宣言された。第一次世界大戦にドイツが敗戦すると、イギリスフランスによる委任統治とされ、1957年に西部のイギリス領トーゴランドはのちのガーナとなる英領ゴールドコーストと併合された。

日本はトーゴから綿花魚介類を輸入している。

 農業国内総生産(GDP) の約39%、労働人口の約64%を占める農業国。綿花、コーヒー、ココアが輸出額の30%を占める。世界最貧国の1つ

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    ☆ 国境を越えて

西隣のガーナから専用車で入国する

日曜日、国境近くの海岸線国道をマラソンしている

首都ロメのホテル

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      ☆ 首都:ロメ  

 ロメとは現地語で「小さな市場」を意味する。

 ギニア湾に面し、同国の中心となる港湾がある。ロメ港は水深が深く、また海流の関係で土砂が溜まりにくく浚渫の負担が少ないため、国内のみならずブルキナファソなど近隣各国からも物資が集まる。
 また、同国の
工業の中心地となっている。主な輸出産品としてコーヒー豆ココアコプラパームヤシなどがある。

ロメ市街

独立広場

  

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       ☆ブードゥーマーケット

 西アフリカに位置するトーゴ共和国の首都ロメの郊外に存在している巨大なブードゥー教の儀式で使用する野生動物の一部や骨などを材料にして作られた呪物マーケット。

悩みや病気などを呪術師に相談すると、牛、ネズミ、サル、ヒョウなどの死体や骨で調合し、飲み薬や塗り薬を作る

動物は殺すと犯罪になるので、死にかけたものが集められると言う

余計病気になりそうだが・・・

各地から集まると言う

土産品もある

呪術師の父の代わりに商売する少年

これは生贄台

民芸品は独特

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      ☆街並

   

   

首都ロメ

乗り物はバイク・タクシー

奴隷海岸

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         ☆ アフリカはかってヨーロッパの植民地

1912年のアフリカはヨーロッパ各国の植民地

 何故、奴隷狩りが始まった?

 スペインの大航海時代に、15世紀から19世紀の前半まで、とりわけ16世紀から18世紀の時期に、主にヨーロッパ(イギリス)とアフリカアメリカ大陸を結んで、その後約3世紀にわたってアフリカ原住民を対象として展開された。

 アフリカにとって奴隷貿易の開始は、現代までに続く外部勢力による大規模な搾取略奪そのものと言われるが、現実には奴隷狩りを行い、ヨーロッパ人に売却したのは現地アフリカの勢力である。奴隷貿易によりアフリカは社会構造そのものが破壊されてしまった。

 ヨーロッパ人によるアフリカ人奴隷貿易は、1441年にポルトガル人が、西サハラ海岸で拉致したアフリカ人男女をポルトガルのエンリケ航海王子に献上したことに始まる。

 大航海時代のアフリカの黒人諸王国は相互に部族闘争を繰り返しており、奴隷狩りで得た他部族の黒人を売却する形でポルトガルとの通商に対応した。ポルトガル人はこの購入奴隷を西インド諸島に運び、カリブ海全域で展開しつつあった砂糖生産のためのプランテーションに必要な労働力として売却した。奴隷を集めてヨーロッパの業者に売ったのは、現地の権力者(つまりは黒人アラブ人商人である。

 中南米やカリブ海の国々の熱帯地域において、サトウキビ・プランテーションで伝染病によるヨーロッパ系移民の死者が多発していたことなどで、労働者が不足するようになっていた。

 そこで、熱帯性の気候に慣れて伝染病にも強いと考えられたアフリカ人が労働力として注目されるようになり、奴隷取引は次第に拡大していく事になった。約3世紀に及ぶ奴隷貿易で大西洋をわたったアフリカ原住民は1,500万人以上と一般にはいわれているが、カリブ海地域で成立した近代奴隷制は、19世紀前半期に次々に廃止されていった。アメリカ合衆国では南北戦争での連邦軍の勝利によって奴隷制は全廃された。

 奴隷はアフリカだけで行われた事ではない。日本の戦国時代でも行われていた。勝った武将は負けた所から女子供を略奪するのは普通であった。

 人間は罪深い動物なのである。

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    ☆ロメ博物館

博物館入口

当時の住宅模型

住宅模型

当時の生活風景

当時の生活風景

当時の生活風景

奴隷

民家

奴隷の絵

奴隷の写真

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      ☆街並

揃いの服

車の運転手向けの物売り

郊外は何もない

小さな村に入る

現在の民家、茅葺とトタン屋根が多い

物売りの小屋

都市以外の商店はこんな風

無造作に商品が並ぶ

女性の服はカラフル

アフリカらしい模様

サトウキビ

粟畑

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          ☆ソコデ

 トーゴの中部の町。古くから交易中心として知られ,現在商業農業の中心地になっている。周辺では綿花ラッカセイサトウキビなどが栽培され,繰綿製糖なども行なわれている。

  教会

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         ☆ランチ・タイム

巨大な魚のフライとご飯

辛いソースをかけて食べる

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ネコはおこぼれを待つ

ここはフランス圏、路上でフランス・パンが売られている

鞄を売る人

フランス・パンを売る人

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      ☆ホテル

この国のホテルの部屋は備品はクーラーのみ

夕食は焼き鳥風

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     ☆ブードゥ教の炎の儀式

 ブードゥーという言葉はフォン族の言葉で「精霊」という意味を表す。

 ブードゥー教は西アフリカで広く信仰されており、ベナンでは国教とされている。
 もともとは植民地時代の奴隷貿易でカリブ海地域へ強制的に連行された人々の伝承、信仰がキリスト教と融合してできた宗教で、ハイチでその基礎が発展した。
 ブードゥー教の儀式は太鼓などを使った歌や踊り、動物の生贄、神が乗り移る「神懸かり」などから成っている。ブードゥーを取り仕切る神官はオウンガンと呼ばれ、現在でも病気の治療や除霊、お守りの祈願、占いなど様々な役割を果たしている。

観光客が来ると炎の儀式は開催される

周辺の現地人も多数集まる。楽しみが無いのであろう

薪を燃やして

たいまつを手に

燃え盛る火を腕にこする

今度は口の中に

今度は上向きに寝てしまった

動画・・・炎の儀式

腹の上で餅つき

棒を立てる、手を話す。立つとそれで占うらしい

動画・・・炎の儀式

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       ☆花

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      ☆ホテル

今日のホテルはコテージ風

街のイスラムモスク

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       ☆車窓

小さな町

ド派手な衣装

荷物は頭へ

どんなに遠くても自分の足で

薪を売る

炭を売るのは有力な商売

あちこちで事故車

綿花畑

国連車

国境に近くなると車が多い

物売りも多い

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国境担当者

隣国ベナンへの国境事務所は青空机で、珍しい

国境事務所、簡素

 

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         ☆ トーゴの略史

年月略史
1884年ベルリン会議によりドイツ領(トーゴランド)
1919年フランス委任統治(東トーゴランド)
1946年フランス信託統治
1960年4月独立・初代大統領にオリンピオ氏就任
1963年1月オリンピオ大統領殺害、グルニッキー大統領就任
1967年1月軍事クーデター(エヤデマ中佐)
1972年1月エヤデマ中佐が元首・大統領に選出
1979年12月エヤデマ将軍・第三共和国初代大統領に当選
1986年12月エヤデマ大統領三選
1991年8月コフィゴー首相の暫定政府
1991年12月軍が首相を拘留、国民統合暫定政府
1992年3月国民投票により第4共和制憲法採択
1992年11月首都で無期限ゼネスト突入
1993年2月首都市民20〜30万人が国内外に退避(ガーナ、ベナン等へ)
1993年3月エヤデマ大統領襲撃事件
1993年7月民主化に向けたワガドゥグ国際合意成立
1993年8月大統領選挙(エヤデマ大統領再選)
1994年2月国民議会選挙で野党勢力勝利
1994年5月コジョ新内閣成立
1996年9月クルツェ新内閣成立
1998年6月大統領選挙(エヤデマ大統領再選)
2000年10月内閣改造
2002年7月コフィ・サマ内閣成立
2002年10月国民議会選挙
2002年12月内閣改造
2003年6月大統領選挙(エヤデマ大統領再選)
2003年7月内閣改造
2005年2月エヤデマ大統領逝去
2005年4月大統領選挙(フォール・ニャシンベ設備・鉱山・郵政大臣当選)
2005年6月エデム・コジョ内閣成立
2006年9月ヤウォヴィ・アボイボ内閣成立
2007年12月マリ内閣成立
2008年9月ジルベール・フォッスン・ウングボ内閣成立
2010年3月フォール・ニャシンベ大統領再選
2010年5月第2次ウングボ内閣成立

    

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 旅を終えて・・・

 これと言うべき観光地は無い。
強いて探せば原始宗教のブードゥ教儀式なる炎の儀式、そしておかしな動物の死骸を売るブードゥマーケット。まことに怪しい原始宗教関連である。

 住民は真剣に信じているようだ。日本の縄文式時代(見たことはないが)を垣間見るようだが、これがアフリカとも言えるのである。疑ってはいけないと思いつつ、口をあんぐりと開いて閉じる暇が無い。

 何も無いのも観光である。そこに住む人達を見るだけでも楽しい。向こうもこちらを見てポカンとしている。お互いの意思疎通は無くても強烈にその印象は残る。

                                                 終わり

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