ベネズエラ紀行(ギアナ高地の旅)
セスナ機からエンジェル・フォールを見る |
目 的 2,011年9月、ギアナ高地探検(?)のためにコロンビアを訪れた。 チャペス大統領の反米政策で、社会主義政策を進めているがなかなか効果が出ていないようだ。国民の生活や建物などはキューバと変わらず、何より治安が悪いようである。 隣国コロンビアが親米路線で、昨今特に治安対策で力を入れているため、平和になってきているのと比較すると、かなり国力に差が出てきているように思われる。 最大の目的ギアナ高地を、天空と地上から見ることが目的である。 |
南アメリカ:ベネズエラ | ベネズエラ概念図:カラカス~プエルトオルダス~シウダール・ボリーバル~カナイマ〜ギアナ高地 |
南アメリカ6カ国にまたがるギアナ高地 |
ワンポイント情報 ・正式名 ベネズエラ・ボリバル共和国 ・人種・民族 70%がスペイン系とインディヘナの混血 |
☆ 出発
成田〜アメリカ:アトランタ経由〜ベネズエラ:首都カラカス | アメリカ:アトランタ空港経由、今回はアメリカ・デルタ航空で行く |
機内食は3回、飛行時間13時間程度 | アトランタ空港、カラカス行きに乗り継ぎ、更に4時間 | カラカスの飛行場はカリブ海に面している |
☆ 首都:カラカス
カリブ海の朝日 |
レストランは屋内プールのそば | ヤシの木が風情をさそう |
首都カラカスの飛行場からギアナ高地へと向かう | 飛行場は海に近い、標高0m、カラカス市街は山の上 | カラカスの市街は標高960m、空港から車で40分 |
建物、車ともに古い。バスのドアは壊れて閉まらない | タクシーも継ぎはぎだらけ。キューバと同じだ | 信号はあるが殆ど守らない。警察の指導は聞くようだ |
ベネズエラ:カラカス空港 | 真中に200のロゴ文字、独立200周年記念幕 | これが搭乗券 |
カラカス〜プエルト・オルダスへ | カラカスからはベネズエラの国内線 | SBA(サンタ・バーバラ・エアラインズ)で中継地点へ |
カラカスの飛行場 | カリブ海とカラカスの港町 | 雲の上を行く飛行機 |
☆ プエルト・オルダス
ギアナ高地の湿地帯が出てきた | オリノコ川(全長2,060km)は日本列島とほぼ同じ長さ | プエルト・オルダスの空港 |
ある日本人の悩み・・・ 成田発、アメリカ:アトランタ行の飛行機の中で、日本人男性とハンガリー女性の幸せなご夫婦が隣であった。 でも孫の顔が見たいので・・・。 プエルト・オルダスの空港の空港で60台半ばの悩み多き男性がいた。 珍しい日本人男性と遭遇した。 この方は悩みが無いのが悩みの方の様であった。 私も同様、共感を覚えた。 |
☆ 両 替
ベネズエラのボリバル・フェルテに両替 | 1ボリバル・フェルテ=18円 |
☆ ベネズエラの歴史
年代 | 略史 | 年代 | 略史 |
1,489年 | スペインのコロンブスが上陸、150種族の先住民が植民地化で迫害が進み、ジャングルに追いやられ、現在もわずかに文明と隔絶した生活を営む。 | 1,819年〜1,821年 | シモン・ボリバーが現在のコロンビア・エクアドル・ベネズエラを併せて「グラン・コロンビア共和国」を宣言・独立し、330年の支配に終止符。 |
1,499年 | スペイン領と宣言し、農業・牧畜業で開拓。原住民の水上生活がイタリアの水の都ベネチアを思わせることから、小ベネチアを意味する「ベネズエラ」が国名の由来となる。 | 1,830年 | ベネズエラは「グラン・コロンビア共和国」から分離・独立。 |
15世紀〜18世紀 | スペインの高圧的な支配に不満が募る。 | 18〜19世紀 | 独立から1世紀あまり軍事支配とクーデターで混乱、実にクーデターは50回を数える。 |
1,806年 | 義勇軍が独立運動をおこしたが失敗。 | 1,908年〜1,935年 | 軍事政権のゴメス将軍が石油産業の基盤を築いた。 |
1,811年 | ロドリゲスが独立を宣言しベネズエラ共和国が誕生するが、1年でスペイン軍に敗北。 | 1,958年 | 軍事政権から政党政治が開始され、以後5年毎の選挙で民主的な政治が行われる。 |
1,813年 | 「南米解放の父」シモン・ボリバーがスペイン軍を破り、ベネズエラ共和国の大統領となる。 | 1,998年〜 | 現チャベス大統領が続投。それまでの親米政権から独自の道を歩む。 |
1,815年 | 再びスペイン軍に倒される。 |
☆ シウダッド・ボリーバル(ギアナ高地入口)
プエルト・オルダス〜シウダッドボリーバルへバス | シウダッドボリーバルはギアナ高地への拠点 | 物売り1 | 物売り2 |
川魚のランチ | 人口27万人の街 | 独立の父シモン・ボリーバル像 |
スペイン統治からベネズエラ・コロンビア・エクアドル・ペルーを独立させた英雄。当時の臨時首都 | ボリーバル広場の子供たち | 国民はラテン系で明るい |
街の向こうはオリノコ川 | 夕暮れに和む老婆 | こちらも和むワンちゃん |
オリノコ川の夕暮れ。 ギアナ高地から流れるオリノコ川 |
100年前の住宅 | オリノコ川のクルーズ |
治安が悪いため、ホテルの入り口は鉄格子で鍵 | ホテル内部 |
シウダ・ボリバル空港に飾られたエンジエルの乗った飛行機。頂上が平らに見えて降りたが、沼地で飛び立てず。 | 飛行機を捨てて、11日間ジャングルを歩き生還した。ベネズエラ軍がその後解体しここに設置。 | シウダ・ボリバル空港 |
アメリカ人探検飛行家:ジミー・エンジェル アメリカ人飛行家。ベネズエラのエンジェル・フォールズの名は、彼が発見したことに因む。 |
ベネズエラの花 | シウダ・ボリバル空港のカナイマポスター | シウダ・ボリバル空港のカナイマポスター |
☆ カナイマへ(ギアナ高地)
カシウダ・ボリバル空港〜カナイマ セスナ機5人乗り | 操縦席と客席には扉がない | 40分のフライト、テーブルマウンテンが見えてきた |
19人乗りセスナ機 | カナイマ飛行場は茅葺、売店、食堂、トイレ、待合所 | 管制塔、スタッフは私服のジーパン |
カナイマの看板 | ホテルまではトラクター | ホテル前まで歩いても10分 |
ホテルも茅葺、中は立派なホテル二階建て、入口にはハンモッグ付き |
ホテルの花畑 | ハチドリもいる | 名まえ? |
ハチドリ アメリカ合衆国南西部からアルゼンチン北部にかけてのアメリカ(カリブ諸島を含む)に生息する、鳥類の中で最も体が小さいグループであり、体重は2〜20g程度である。 毎秒約55回、最高で約80回の高速ではばたき、空中で静止するホバリング飛翔を行う。 「ブンブン」 とハチと同様の羽音を立てるため、ハチドリ(蜂鳥)と名付けられた。 花の蜜を主食としており、ホバリングで空中で静止しながら、花の中にクチバシをさしこみ、蜜を吸うという独特の食事の取り方をする。花の蜜を吸うためにクチバシは細長い形状をしている。 |
ウエルカム・ドリンク | ホテルの裏はカナイマ湖、右奥に3つの滝 | 気温35度 |
ボートで遊覧 | ちょいと太めの 「女船頭さん」 | すごい迫力 |
水しぶきでずぶ濡れになる |
原住民の民家 | 左がホテル群と砂浜 |
飛行場の看板 | 滑走路は未舗装 |
飛行場売店のみやげ物 |
☆ セスナ機で エンジェル・フォール (1回目)
セスナ機から見るテーブルマウンテン | 下方は蛇行するオリノコ川、明日はここをボートで遡上する |
セスナ機から見るエンジェル・フォール | エンジェル・フォールは落差979m(世界一) |
エンジェルフォール エンジェルフォールは、南アメリカ大陸北部のギアナ高地にある世界最大級の滝。 ベネズエラ のカナイマ国立公園内に所在する。世界最大の落差 979 m(岩にぶつかることなく直下する距離は 807 m )を誇る滝として有名。 アメリカ人探検飛行家ジミー・エンジェルの名にちなむ。すなわち滝の名が「天使の滝」の意を持つわけではなく、その含意は「エンジェル氏の滝」である。 ギアナ高地にある最大のテプイ(ギアナ高地のテーブルトップマウンテン)であるアウヤンテプイから流れ落ちる。落差がありすぎるため、落下する水は滝下部に達するより前に中空に拡散してしまい、したがって、滝壺が存在しない。空中に拡散した水は空気と絡み合い、滝下部は暴風雨のようになっている。 世界的に知られるようになったのは、1937年、金鉱山を探しながら飛行機を飛ばしていてこの滝を発見したミズーリ州スプリングフィールド生まれのアメリカ人探検飛行家ジェームズ・クロフォード・エンジェルの紹介による。 |
動画・・・セスナ機からエンジェル・フォールを見る |
☆ アポの滝
ホテルの庭で見かける動物 | 黄色いカエル | 各種の蝶 |
南国の花は鮮やか |
サポの滝 | カナイマ湖に浮かぶアナトリー島にある。流れ落ちる滝の裏側を通り抜ける経路が楽しめることで知られる。全身ずぶ濡れになる。 |
右側に服や眼鏡を置いて。水の圧力はすごい | 上から、下から、横から水が・・・死ぬかと思った。 |
見て、見て…と言うが | 恥ずかしくて見られやしないよ〜 |
アポの滝とタトウ ギアナ高地には欧米の観光客が非常に多いが、 まだ中国人や韓国の人々は見当たらなかった。 アメリカ人はベネズエラが近いこともあり、老若男女の多数を見かけるが、皆明るい。特にトレッキングや冒険が好きらしい。ここ、アポの滝は滝の裏側を歩くのだが、猛烈な水量で眼鏡は吹っ飛ぶ、カメラは使えずで、また歩くのもおぼつかなく半数の人がビビって戻ってしまう。 アメリカ人のギャルの一団が一緒であった。全員水着である。ナイスバディ! とオジサンがたどたどしい英語でコミニュケーションをはかる。さすがヤンキー娘、ノリが早い。自分の下半身を指さし、「見て!見て!」 と言う。 しっかりデジカメに収めてきた。撮れ、撮れとポーズをとるのである。おかげで目の保養が出来ました。ヤレヤレ---- |
☆ ジャングル・クルーズで エンジェルフォールへ
ジャングルクルーズ出発のため、ホテルで早朝のコーヒータイム | 乗り場まで車で行く |
ギアナ高地 (テーブル・マウンテンが100以上!) ギアナ高地は、南アメリカ大陸の北部、オリノコ川、アマゾン川、およびアマゾン川の支流の1つ、ネグロ川に囲まれた地域に存在するコロンビア、ベネズエラ、ガイアナ、スリナム、フランス領ギアナ、ブラジルの6か国と地域にまたがる高地帯である。ギアナ高地の中心部にあるカナイマ国立公園は、面積約3万平方キロメートルで日本の中国地方に匹敵する。一般には、オリノコ川とエセキボ川に囲まれた地域に点在するテーブルマウンテンを指している。 ギアナ高地は、ギアナ楯状地ともよばれ、ほぼ垂直に切り立ったテーブルマウンテンが数多く点在する。その数は、100を超えるといわれている。標高の高いテーブルマウンテンは、ギアナ高地内でもエセキボ川の西側に多くあり、ネブリナ(3014m)、ロライマ山(2810m)などがある。エセキボ川の東側のテーブルマウンテンは比較的小規模で標高は1000m以下のものが大多数を占める。 テーブルマウンテンの1つ、アウヤンテプイには、世界最大の落差を持つ瀑布、エンジェルフォールがある。 ギアナ高地を形成している岩石は、主に20億年から14億年前の先カンブリア時代に堆積した砂岩や珪岩からなり、擬似カルストを呈し、巨大な縦穴の存在が知られている。 6億年前のゴンドワナ大陸がプレートテクトニクスで現在の大陸に分裂したと考えられている。ギアナ高地の部分は大陸移動の回転軸に当たり、ゴンドワナ大陸当時からほとんど移動していないと推定されている。 ギアナ高地とアマゾン川を挟んだ位置に存在するブラジル高原も同様の地質学的特徴を持っている。また、ギアナ高地付近は鉄鉱石、希少金属類など豊富な地下資源の存在が確認されている。だからベネズエラの将来は明るいが、問題は開発力があるかどうかなのであろう。 アウヤンテプイとは、南アメリカ大陸北端地域に広がるギアナ高地を構成する数多くのテーブルトップマウンテンの一つであり、そのうちで最大のもの。 周囲約650km。「頂上台地」とも呼ばれる頂上のテーブル状の地形は、総面積にして東京23区を上回る広大なものであり、この中に小さな山もあれば川もあり、それ自体で一個の生態系を形作っている。上から見るとおおよそ馬の蹄のような形をしている。 頂上台地の一角からは世界最大の落差979mを誇る滝として有名なエンジェルフォールが流れ落ちる。もっとも、この滝だけが特別高所にあるわけではなく、テーブルトップマウンテンの特徴として、頂上台地の切り立った断崖はほとんどが同等程度の高度を持っている。 |
オリノコ川の支流カラオ川を20人乗りボートで片道4時間 | ここは水面も穏やかだが、浅くなると急流、ラフテング同様 |
テーブル・マウンテンは高さ1000m、100以上あるという |
動画 ・・・ ギアナ高地:オリノコ川の急流を行く。 |
片道4時間、途中オーキッド島で朝食の弁当 | 余りにも急な所はジャングルを歩く | 途中、トラクターにも乗る |
しっかり掴まれよッ! | またまた、ボートに。支流のチュルン川に入る |
すれ違うボート、こちらもあのボートと同様。救命具を付けてしがみつく |
そろそろかな~、お尻が痛くなってきた | 目的のラトンジット島にようやく到着 | 概念図 |
ラトンジット島からは「エンジェル・フォール」が直ぐそこに。滝壺は歩いて二時間、 |
手に掴んでお土産にしょう! | ラトンジット島の対岸。アメリカ人はここでも泳いでいる。 | 昼食はチキン・バーベキュー、美味い。 |
何度見ても飽きないエンジェル・フォール | 滝の上に今度は行きたいナ〜 |
☆ ギアナ高地の花
花 | これも花 | それも花 |
ホテル前の花壇 | 野生の花 | ??? |
これは? | 洗濯竿・・・なぜかホッとしますね〜この風景。 |
☆ ギアナ高地のホテル
左がレストラン、右が宿泊棟。庭をハチドリが飛び回っている。 |
鶏も自然で生き、おいしい卵をプレゼント | たくましい芽吹き |
カナイマの空港の女性 | カナイマの空港の女性 | フランス在住の日本女性、裕子さん。笑顔がいいね。 |
☆ 再度、遊覧飛行
翌日朝、再度セスナ機でエンジェル・フォールへ | およそ40分、大サービスでエンジェル・フォールを4~5回回転 |
飛行場界隈 | オリノコ川 |
1回目 | 回転して2回目、ぶつかる〜 | 3回目、もう止めて~怖い、 帰るッ! |
☆ 首都カラカスへ、そして コロンビアへ
おじちゃん!どこの人? | カラカスに戻り、シーフードのレストランへ | ウエルカム・ドリンク |
私はウエルカム・ビールがいいよ。 | ベネズエラは野球が盛ん。巨人のラミレスもここ | 本日はタイが一匹、豪快 |
| チャペス大統領とコロンビア 当時、チャベス大統領はブッシュ政権に対して反米路線をとり、反ブッシュ発言により世界中から注目を置かれる存在となり、チャベスはアメリカと距離を置くラテンアメリカ諸国やイラン、ロシア、中国などと積極的に友好関係を結び、反米路線を広めようとした。 国内では貧困層を中心に根強い支持を集めているが、国外では彼の影響力を嫌う動きも見られる。また、彼の政権について、「極左でも社会民主主義でもないポピュリスト政権」と定義する見方もある。 2009年改正案は国会を通過し、大統領の無制限再選を認める憲法改正案の国民投票が再び行われ、賛成多数で憲法改正が承認された。これにより、チャベスの無制限再選が可能となり、独裁の懸念が更に大きくなりつつある。 アメリカ合衆国にオバマ政権が成立すると、チャベスは反米姿勢を弱め、2009年の第五回米州サミットの中で、オバマ大統領を「誠実な男」と評しブッシュ前政権の下で冷え込んだ中南米各国との関係修復を狙ったものとみられる。 | ベネズエラは何故、有力な産油国なのに貧し いのか? ベネズエラは世界第5位の産油国で本来は豊かな国だ。しかしチャベスが登場するまで石油の利権は米国企業が独占し、猛烈な貧富の差から貧困層は学校にさえ行けなかった。貧しい家庭に生まれて大統領となった彼は、石油の利益を社会福祉に還元し、文盲の300万人に文字を教え、大学まで教育を無料にし、何と大半の国民の医療を無料にした(医薬品もタダ!)。食糧を人口の半数に安価で提供し、うち百万人には生活が改善されるまで“無料”で配給している。ここで大事なのは、けっして“保護漬け”にするのではなく、支援は自立の為の一時的措置であり、文字を学んで健康を維持して社会に出て行ける環境を作っている点だ。失業率も7%減少した。これらを'98の就任から7年間で実現させ、市民、特に貧困層から絶大な支持を得ている。 一方、反体制派で米国寄りの富裕層は、過去にチャペスをクーデターで暗殺を計画したりしているが成功していない。 |
ベネズエラ:カラカス市内。人口400万人の大都会。標高960m。 | コロンビアのアビアンカ航空で首都ボゴタへ |
旅と冒険を終えて・・・ 期待通りのギアナ高地であった。 未だ治安が悪いベネズエラ、政治の構造がおぼつかないようだ。しかもチャペス大統領はガンでキューバ(医療はキューバが有名)で入退院を繰り返しており、今後に不安を残している。 |