クロアチア・ドブロヴニク編 紀行

「アドリア海の真珠」と呼ばれるドブロヴニク

 旅の初めに・・・

 2012年4月、バルカン半島6カ国旅行で、クロアチアのドブロヴニクの町のみを訪れることにした。

 2010年11月にはクロアチア一周を終えていた。その時は秋の長雨で連日悪天候が続き、ドブロヴニクの城壁歩きも出来なかったので、時期を変えての計画とした。

 世界各国の景観を見てきたが、ここの景観は格別の感がした。 「世界一美しい湾」と言われるだけの事はある。

 また、以前は雨で行けなかったスルジ山にも登り、標高412mからのアドリア海の景観も楽しみである。

 ☆世界一美しい湾・・・アドリア海


早朝目が覚めると、ホテルの窓からは虹が

もうひとつ、ダブルだ。絶対好天の兆しだ

クロアチアの紙幣にまでドブロヴニクの絵が

      晴れたッ!ルンルン・・・ 

停泊中のコスタクルーズ

全長294m、92,600トン、世界一周100泊クルーズ、1,050名収容、 果たして料金は?

城壁にはクロアチアの国旗

城壁への入門は3か所、ピレ門から入る

オノフリオの大噴水

プラツァ通りは超満員

ピレ門脇の城壁入口

旧市街から急坂を登る出口

突き当たりは旧港

スポンザ広場

ルジャ広場

スルジ山(標高412m)

総督邸(文化歴史博物館)

大聖堂

旧港

ヨット・ハーバー

ミニ・クルーズで島を一周、1時間

船から見る対岸

スルジ山へのロープウェイ

旧港近くのレストランでランチ・タイム

リゾット

暑いのでビールとワイン

スルジ山へのロープウェイ

スルジ山展望台

登山道を1時間で登る

花々が疲れを癒してくれる

登山道中腹から見るドブロヴニクの街

クルーズ船とドブロヴニク旧市街の景観、ジグザグの登山道から

動画・・・クロアチア・ドブロヴニク

赤い屋根が海に映える

動画・・・ドブロヴニクとクルーズ船

色々な花が

十字架の標識

ナポレオンが贈ったという白い十字架

クルーズ船の次の寄港地は、イタリアのヴェネツィアだろうか

この城壁の上を、天気が良いので下山して歩く計画

旧港

要塞

糸杉が多いクロアチア

キレイですね〜

登山道は石や岩が多い

 糸杉・・・

 イエス・キリストが磔にされた十字架は、この木で作られたという伝説がある。 花言葉哀悼絶望

 枝はあまり広がらずに幹が高く成長し、非常に細く高い独特の樹冠を形成し、世界中で公園樹や造園樹、街路樹として重用される。 ゴッホが好んで絵画の題材に使った。
 
イギリスの邸宅ではドアがイトスギで作られる。腐敗しにくいため、建築材、彫刻などに幅広く使用されてきた。

下山すると、ドブロヴニクへウエルカムの看板

住宅街、ライラックかな

下がり藤?

城壁にはクロアチアの国旗

城壁歩き、プラツァ通りの先は旧港

要塞

城壁の上から見る絶壁、これならば敵が来ても安心

城壁内には畑もある

城壁歩きのコース、右側が絶壁

城壁内から荷物を滑車で引き揚げる

喫茶店や土産物店も城壁の上にある

城壁の上から、旧港を見る

城壁の上から見るレンガの屋根、これが美しい


    ☆クロアチア・ドブロヴニク→ボスニア・ヘルツェゴビナ

ドブロヴニク郊外、次の国へ。ヨット・ハーバーが続く

入江にかかる橋

2連泊したホテルが対岸に見えた。さよなら〜クロアチア!


     ☆ クロアチアは元「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」の1国

 (旧)ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の当時の6つの構成共和国はそれぞれ独立し、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアとなっている。

 第二次世界大戦中の1943年から、解体される1992年まで存続した、ユーゴスラビアの社会主義国家。ヨシップ・ブロズ・ティトーの指導の下、ユーゴスラビアは冷戦下において中立政策を維持し、第1回非同盟諸国首脳会議の開催国となるなど、非同盟諸国のなかで中核的な役割を果たした。

 その後には、ユーゴスラビア連邦は解体へと進み、ユーゴスラビアからの離脱や新しい国の枠組みをめぐって異民族に対する憎悪が噴出し、大規模な暴力を伴う一連のユーゴスラビア紛争へと発展し、1992年解体した。

    ☆ クロアチアの歴史

年  代

出来事

年  代

出来事 

 紀元前4世紀前イリュリア人(バルカン半島)が居住。 1918年セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人の王国が建国。
 紀元前4世紀頃ケルト人(中央アジア)、ギリシア人が進出。 1929年セルビア人主導の最初の「ユーゴスラヴィア王国」に改称される。
 紀元前2世紀ローマ人が征服、ローマの属州になる。 1939年第二次大戦でユーゴスラヴィア王国は独伊側につく。
 6世紀 南スラヴ人(現ロシア近辺)が移住、やがてブルガリア、セルビア、クロアチア、スロヴェニアの4民族へ発展。 1941年ナチス・ドイツは傀儡政権「クロアチア独立国」を組織。
 9世紀キリスト教を受け入れる。 1941年〜1945年チトー率いる共産党が第二次大戦終結まで抵抗し続ける。
 10世紀独立国家クロアチア王国が建国。 1945年大戦後、ソ連が社会主義体制を押し付けるが、チトー大統領は抵抗。
 11世紀東西教会分裂以降はローマカトリック地域となる。 1991年チトー亡き後クロアチアは独立宣言するが、なお混乱。
 12〜15世紀ハンガリー国王がクロアチア国王を兼ねる。オーストリアのハプスブルク家が王位となる。 1992〜1995年クロアチア共和国として独立するのに3年要す。
 15〜16世紀オスマン朝(現トルコ)の領土となる。 2010年EU加盟が諸問題で承認されていない。

       2010年クロアチア一周紀行文はこちら →→→ 「クロアチア一周紀行」


 旅を終えて・・・

 天候に恵まれたクロアチア・ドブロヴニクの二日間であった。

 念願の城壁歩きやスルジ山にも登り、眼下に広がるアドリア海、ドブロヴニクの綺麗な街並が見られたので大満足であった。また、博物館、教会も見られ宗教画もじっくり見る事も出来た。

 2度来たので、3度目はあるだろうかと思いながらクロアチアを後にした。

 次回はコスタクルーズで世界一周が良いですね〜。                  おわり


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